第13話「第二の種子」
大樹海ティルナノグ、最深部の「死の領域」の中心。
そこは、鬱蒼とした森の中に突如として現れた、自然界ではあり得ない巨大な「えぐり取られたような傷跡」だった。
半径数十メートルがすり鉢状に深く落ち窪み、周囲に立っていたはずの数百年の巨木群は、生命力を最後の一滴まで絞り尽くされたかのように、全てが真っ白な白骨のような無惨な立ち枯れの姿を晒している。
そして、そのすり鉢状のアリ地獄の中央。
石で組まれた禍々しい台座の上に、この森を枯死させている全ての元凶は静かに鎮座していた。
直径五十センチほどの、漆黒のドーム型の球体——『第二の苗床』。
それは 마치(まるで)巨大な悪魔の心臓のようにドクン、ドクンと嫌な生きた脈動を打ち、周囲に赤黒い暗紫色の強力な瘴気の防壁を何重にも纏いながら、なおも周囲の森の生命力とマナを貪欲に貪り食い続けていた。
「本当にあった……『虚ろなる苗床』。伝承に記された、世界の終焉を呼ぶ忌まわしい種子……」
その絶対的な悪意の塊を前にして、セレナが握る白銀の弓が恐怖と強烈な怒りでカタカタと震えた。
だが、彼らがその破壊のために一歩を踏み出そうとした、その時。
ゴゴゴゴォォォォォンッ!!
という重い地響きとともに、台座を守行かのように周囲のドロドロの腐葉土の泥の中から、三体の巨大な人型の手が突き出した。
全高三メートルを超える、黒い泥と朽ち木で構成された巨人——『樹泥のゴーレム』。それが三体同時に。しかも、背中から伸びた黒い蔦が中央の苗床と直接繋がっており、無限の魔力供給を受け続ける、決して魔力切れを起こさない最悪の自律型の防衛兵器だった。
「だめよ、レイド! あのゴーレムたち三体を完全に全滅させないと、連中に魔力を供給し続ける『苗床本体の瘴気の結界』に阻まれて、外からは本体に傷一つつけられない構造になっているわ!」
セレナが瞬時に敵の防衛システムを冷徹に分析し、絶望的な声を上げる。
だが、レイドの脳内ではすでに、前世での五年間で培った「教団の防衛兵器の解体手順」の最適解が完全に弾き出されていた。
「ガルドは中央の巨人の初撃の突進を大盾で意地でも押さえ込め! リーネは右の巨人の足元を詠唱破棄で完全に凍らせて機動力を削げ! その時間差で生じるコンマ数秒の隙に、俺とセレナの二人で、一番左にいる巨人を開始十五秒で完全に真っ先に落とす!!」
レイドの大音声の的確な極限の指揮により、四人の流れるような完璧な連携の歯車が回り始めた。
ガルドが雄叫びとともに鋼鉄の大盾を構え、中央の巨人が放った三トンを超える豪腕の振り下ろしを、両足の骨が軋みながらも真正面から完璧に受け止める。
同時、リーネの杖から放たれた『凍てつく絶対零度の檻』が、向かって右の巨人の足元の泥の地面ごと、巨大な氷塊に閉じ込めて完全に凍りつかせた。
その、わずかな時間差の隙。
レイドは地を蹴り、残った左の巨人の懐へと、人間の限界を超えたトップスピードで一気に肉薄する。
敵の振り下ろす丸太のような腕を紙一重のステップで躱し、そのまま空中に高く跳躍。落下する全体重と重力の全てを長剣の刃の先端に乗せ、巨人の胸部の最も分厚い泥の甲殻に向けて渾身の力を込めて叩き込んだ。
「硬ッ——!!」
剣を握るレイドの両腕が悲鳴を上げて痺れるが、巨人の分厚い装甲の表面が爆発するように大きく剥がれ落ち、ポッカリと空いた胸の中心の奥深くに、ゴーレムの動力源である『赤い魔力の核』がハッキリと露出した。
「セレナァァッ!! 今だ!!」
レイドが装甲を剥がして横へ脱出したまさにその瞬間の直後、眩い白銀の閃光が一直線に空気を切り裂いて伸びた。
セレナの剛弓から放たれた絶対の一矢が、レイドがこじ開けたわずか数センチの隙間を完璧に通り抜け、露出した『赤い核』を正確無比に貫き、粉砕する。
パァァァンッ!!という甲高い音とともに、左の巨人がただのただの泥の塊へと崩れ落ちる。戦闘開始からわずか十二秒。一体目撃破。
「次、右!!」
すぐさま、足が氷で完全に凍りついて動けない右の巨人の背後へと高速で回り込み、レイドは屈み込んで巨人の泥の装甲の最も薄いアキレス腱の部分を深く切り裂く。
支えを失い、巨体が前のめりへ無様に倒れ込んだその大きな背中に向けて。リーネの無慈悲な真空の風刃と、セレナの三本の光の矢が同時に弾丸のように降り注ぎ、背中の装甲ごと中枢のコアを完全に粉砕した。これで二体。
「おーい! レイド早くしろ! さすがに相手の膂力が無限に上がってきて、俺の両腕の骨の限界が近いぞーッ!!」
中央でただ一人、無限の魔力を供給される巨人の連続の猛攻にひたすら耐え続けていたガルドの口から、血の混じった悲鳴が上がる。
レイドは全速力で泥の地面を滑るように駆け抜け、中央の巨人の背後から、両膝の関節の隙間に剣を全力で叩き込む。
ドスンッ!と巨人の体勢が大きくバランスを崩し仰け反った瞬間、ガルドが「うおおおおぉぉぉぉぉぉッ!」という火事場の馬鹿力と共に、大盾で巨人を力任せに遠くへ押し返した。
巨体が大きく仰け反り、完全に無防備に天を仰いだその顔面と胸部に、リーネのありったけの魔力を込めた灼熱の炎の槍が直撃する。
ドォォォォンッ!という爆発とともに泥の装甲が焼け焦げてガラスのように脆くなった、まさにそのコンマ一秒の隙を縫い。
セレナの最高火力である『魔力付与』の一矢が脳天を貫通し、胸の奥にある三つ目のコアを完全に打ち砕いた。
ドドォォォォンッ!!
最後の巨大な残骸が崩れ落ち、すり鉢状のクレーターに再び重い静寂が戻って来る。
三体の無限魔力ゴーレムによる防衛システムの、完全なる同時撃破。
後方で弓を下ろしたセレナは、荒い息をつきながらも、レイドのその常軌を逸した指揮能力と、戦場の全てを完璧に支配する連携のスピードに、もはや驚愕を通り越して畏敬の念すら抱いていた。
「……ハァ、ハァ。まだ……一番の『本命』が残ってる。気を抜くな」
レイドは、三体のゴーレムが消滅したことで瘴気の防壁が完全に消失し、完全に無防備となった中央の黒い球体へと、ゆっくりと歩み寄る。
辺境樹海で見たものより二回りも大きく、より悪意に満ちているが、ここでやるべきことはただ一つ。
「——ここで、完全に砕け散れェェェェッ!!」
レイドの渾身の大上段からの剛剣が、黒い球体の中心を、硬い殻ごと真っ二つに両断した。
ピキィィィィィィンッッ!!
ガラスの砕けるような甲高い音が響き、真っ二つに割れた球体の内部から、今まで溜め込んでいた猛烈な高濃度の暗紫色の瘴気が、巨大な爆発となって周囲に噴き出そうとする——。
だが、それよりも速く。
すでに弓を限界まで引き絞って待機していたセレナの『浄化の光雨』が、割れた球体の中心の核のど真ん中を完璧に射抜いた。
パァァァァァァァァァァァァァッッ!!
強烈な、しかしまったく熱を持たない純白の光の爆発が起こり、巨大な瘴気の奔流を、光が全て一瞬にして飲み込み、完全に浄化して見せた。
——その瞬間。
まるで、世界を覆っていた分厚い汚泥の膜がバリッと破れたかのように。空を覆っていた重苦しい死の大気が劇的に晴れ渡り、森の中に清らかな風が吹き抜けた。
完全な死の泥の不毛地帯だった足元の地面から、透き通った水が湧き出し、白骨化して死にかけていた周囲の枯れ木たちの枝先に、小さな小さな、淡い緑色の『精霊の光』がポツポツとホタルのように灯り始めたのだ。
「ああ……精霊たちが、帰ってきた……。マナの汚染が、森から消えていく……っ」
セレナが、大切にしていた弓をその場に手放し、泥の地面に膝をついて。両手で顔を深く覆い、一年にわたる重圧と絶望から解放された喜びで、声を上げて子どものようにむせび泣いた。
ガルドが大の字でへたり込んで天を仰いで笑い、リーネが安堵の息を吐いて杖をついて座り込む。
レイドは静かに剣を鞘に収め、優しく吹き抜ける清らかな森の風を全身で感じていた。
——守ったのだ。
一周目の記憶では、俺の実力不足とランクアップの遅れのせいで、ただ燃え落ちていくのを遠くから血の涙を流して傍観するしかなかったこの奇跡の場所と、彼女の命を。
だが、これはまだ彼らの長い戦いの序章の、最初のたった一つの『勝利』に過ぎない。
レイドは、自分が歴史の運命を確かに変えたという重い実感と一歩の重みを、満身創痍ながらも笑い合う頼もしい最高の仲間たちの顔を見ながら、心の底から深く噛み締めていた。




