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朧車  作者: 赤丸朧
終幕
51/51

終幕

 俺は暗い学園の廊下を歩く。職員室の明かりだけが、廊下を照らしていた。


 扉を引いて、中に入る。幾つもの机が綺麗に配置されている。書類が所狭しと積まれた机。整理の行き届いた机。多種多様、それを使う人物の性格がよく現れている。


 音のないそこを数歩進むと、奥の方の机が音を立てて揺れる。その机を揺らした男、新任の教師は、驚きと喜びを混ぜた表情を俺に向けてきた。


 短く切りそろえた、清潔感のある短髪。態度は教師の威厳とは程遠い。スーツもようやくその身に馴染んできた所。そして発言も、

「センパイッ! やっぱまだ帰って無かったんスね! 良かったぁ~」

 未だ、自覚の足りない有様だ。


 教師は、立ち上がった勢いのまま、自分の机から慌ただしく一つの書類を入れる茶封筒を取り出して、俺の方へ駆けてくる。チラリと俺の足元を見てから、言葉を続けた。俺の靴に灰がついていたのだろう。


「また地下、行ってたんスか? 月に何度も行くの、センパイぐらいっスよ」

「そうだな」


 俺は短く肯定した。地下の各部屋、設備には全て名前がある。教員がただ単に『地下』と言ったなら、それは地下墓地カタコームに他ならない。人を(とむら)うのに、全てが足りないそこを墓地と呼ぶのは(はばか)られている。


 教員は二種類に分けられる。自ら幾度もそこへ足を運ぶ者と、強制的な理由でも無ければ近づかない者。前者は大抵すぐに死に、後者は教師として長続きする。死者に引っ張られている、というとオカルトだが。過去の感傷を忘れられない者と、忘れて次を目指せる者。どちらが生き残りやすいかと言えば、単に後者になるだけの事だ。


 しかし。


「セーンパァーイ。奥さん、心配しますよー。あんまり地下に行っちゃダメっスよ」

「あぁ」


 こういう小言が、後に耐えない。墓地に何度も足を運ぶのは、教員の間では不吉なのだ。呆れるように言う男性教師に、俺も小言を返す。


「先輩は止めろ。学生気分で居るのも大概だ」

「生徒とか他の先生方が居る時はちゃんと呼んでるじゃあないっスか! 春端セ・ン・セ。もう誰も居ないし、いいじゃないっスかぁ。大学からの仲なのに!」


 ははは、と笑いながらパシパシと肩を叩かれた。爽やかな見た目に合っている、いや、合いすぎている気安い男だった。


 出会ったのは、亜因果がらみの荒事で助けてやった事。それだけならお互い名前を知っている程度だったのだろうが、その男の持つ雰囲気が、この気安さが、かつての自分の友人に似ていた所為で、件の後も、つい過剰に世話してしまった。すると懐かれた。


 そうして、職場でもセンパイと呼ばれる始末だ。

 そんな教師の横を、俺は通り過ぎつつ、説教を垂れる。


「俺は帰る。鞄を取りに来ただけだ。こんな時間まで残るな。時間内に終わらないのはお前の能力不足だ。反省して宿直室に戻れ」


 本当はわかっている。何故この男がここでこうしていたのか。俺を待っていたのだ。職員室でなきゃ出来ない仕事なんて、そう無いのだから。


「えぇー。あそこ寂しいし、なぁーんか出そうなんスよ! 怖いじゃないっスかぁ」


 よろよろとした声を出しつつ、足早に歩く俺についてくる。俺は自分の机まで行って鞄を手に取ると、振り返って男の顔を見た。じっと、問い詰める様に目を見る。


 スッと、男は目を逸らして、逃げた。


「あっ、そういえば奥さん、結婚二年目でしたっけ? 全然知らなかったっスよぉ。隅に置けないなぁ。紹介しようと、何人か温めてた娘が居るんスよぉ? 奥さん、知らない方なんでしたっけ?」


 誤魔化す様にまくし立てる。切り出して来ないか。呆れつつ、俺は答える。


「あぁ。亜因果も無い。魔法も知らない、普通の女性だ」

「いぁ~。今度会ってみたいなぁ、なんつって! いいっスか? いろいろセンパイの話、聞かせてあげないと!」

 まだ雑談を続けるのか? 俺には次の予定時刻が迫っている。


「妻に聞かせるよりも、俺に聞かせたい話があるんじゃないのか?」

 仕方なしに、俺から切り出した。


 言うと、男はピタリと笑顔を凍らせた。しばらくそうしてから、観念した様に頭をポリポリかいく。


 今日はいつにも増して饒舌(じょうぜつ)だった。雑談を通して、俺との仲を再確認したかったのだろう。つまり俺の立場には助けを求められず、俺との人間関係に頼ってきたんだ。この男が持ち出すであろう案件の目星はついている。


「じゃあ、ちっといいっスか。時間」

「あぁ」


 言って、二人で職員室の隅に設けられた応接間に入っていった。俺はソファに腰掛ける。男は入れたコーヒーカップを二つ、用意して机に置いた。低い机を挟んで向こう側に、ドスっと深く、男は腰を下ろした。そうしてようやく本題に入った。


「今、オレの持ってる学生構成員(カード)が担当してる生徒が居ます。知ってますよね?」

「あぁ」

 俺はコーヒーカップに口をつけながら、続きを待った。


「このままじゃ、排除されます。……なんとかしたいんス。助けて下さい」

 そう言った、真剣な面持ちは、俺から目を離さない。俺は続く言葉を待ったが、無言が応接室を漂うばかりだった。俺はカップを置いて、口を開いた。


「まさかそれだけを言いたいが為に、こうしているワケではないだろう? その処分の許可を下したのは誰だ?」

 男は目をそらして、俯いた。悔しそうに言葉を作る。


「――――センパイです」

「――――そうだ。その俺に対して、許可を取り下げろとお前は言う。なら取り下げるに見合う理屈を提示してみせろ。話はそれからだ」


 言いながら、俺は足を組む。この目の前の男は気安いが、バカではない。闇雲に、俺との人間関係にすがったのでは無いと判断する。この男なりに、俺を説得する材料がある筈だ。しかし、件の生徒の亜因果はヒドイモノだった。殺す以外に、学園で生きていく方法が思いつかない。


 なにを考えている?


 俺の言葉を、噛み締めるようにして間を作ってから、小脇に抱えていた書類用の茶封筒を、躊躇(ためら)うようにゆっくりと、机の上に出してきた。怯えている様にも見えた。


 その茶封筒をひと睨みして、俺は口を開く。


「資料は必要ない。生徒の情報なら、俺も逐一(ちくいち)報告を受けている」

「いいんで。とりあえず、見て下さい」


 なんだ? 過去の事例かなにかの取っ掛かりを見つけたか。それがあるなら自分でやればいいだろうに、俺に頼ってくる理由はなんだ? 何か俺の手を借りたい事でもあるのか。


 茶封筒に手を伸ばし、紐を解いて開ける。中身はそれなりの量がありそうだった。手を入れて、書類を取り出す。そして俺は。


(なるほど。そうきたか)


 感心した。失望したのもあったが、感心の方が大きかった。


 書類は二束。二人の生徒の詳細情報だった。一枚一枚、ななめ読みしてめくっては、どの程度細部まで書かれているかを確認し、俺の認識と相違が無いかも確かめる。


 写真も付随していた。


 一束めの写真。黒い艶のある髪。見れば大概の人物が『美しい』と形容するであろう顔立ち。


 二束めの写真。茶色がかった、くせっ毛。大抵の人間が『可愛い』と感想を抱くだろう。


 軽く見終えて、表紙を戻した。


 一束めには『天鎖(あまさ) 優柳(ゆうなぎ)』。

 二束めには『祟良(たたら) (さち)』。


 そう書かれていた。


 俺は、数ある俺の担当してきた生徒から、この二人を選んできた事に感心し、情に訴えようという作戦だと解って、失望したのだ。失望と言っても小さいものだ。元々、なにか生徒に対する具体的な方法が浮かんで来るとも期待してない。そして代わりに、この二人を出せば俺が揺らぐと考えるのは、十分理解できる。


 男は重い口を開いた。


「今日、十二月二十四日……もうすぐ日付が変わりまスね。二十五日。ちょうどこの時間が、天鎖って生徒の命日っスね。……だから、地下に行ってたんスよね」


 俺は何も言わず、また最初から『天鎖優柳』の書類をめくっていく。今度はしっかりと、目を通す。


「この件の後から、センパイの対応方式がガラっと変わってます。現在に近い対応の仕方に変わったんス。それまでは慎重に、十分に、自分から対象に接触し情報を集め、時間の許す限り対処法を模索していた。それが……情報収集に時間を掛けず、対象の生徒に接触する事も無く、最短数時間、最長でも一日二日。それで生徒の生死を決める。決まった生死は必ず執行。対処可能と踏んだ生徒は必ず暴走させず、不可能と判断した生徒は即、…………」


 男は続きを口にしなかった。したくなかったのだろう。男が助けてくれと言ってきた生徒を、俺は不可能だと判断したのだから。


「これが一人目、天鎖って生徒を選んだ理由です。続いて祟良という生徒」


 俺は聞くがまま、書類の束を『祟良幸』に切り替えた。まためくっていく。


「この生徒への当初の判断は排除。しかし当時のP5……センパイっスね、の自主的な投薬による対処により亜因果を抑制、延命。数ヶ月もしないうちに一人では生活できなくなり、介護を要した生活もすぐに破綻。すみませんけど、金の流れ、洗わせてもらいました。だいぶばら撒いたみたいっスね。当時、センパイの鬼気迫った様子は又聞きしました。寝る間も、それこそ生命維持に支障がでるほど、祟良って生徒の亜因果を研究してたみたいっスね……そして、金も尽き、身体も尽き、センパイは自分の手で…………当初の予定を実行。恐らく他者の利用を防ぐ為と思われます。……監禁して調教を施せば、都合のいい『座敷わらし』が出来上がるっスからね。…………遺灰は今でも地下にあります。ここまでセンパイが固執した対象は、これまで無い」


 よく調べてある。俺は二人の資料を茶封筒に戻し、机の上に置いた。代わりにカップに手を伸ばす。


「それが二人目、祟良って生徒を選んだ理由です。そんで……かなり驚いたんスけど、この二人の対応時期、被ってますよね? 多分、この二人が、今のセンパイに多大な影響を与えたと思ったんス。それがこの二人を選んだ理由っス」


 聞きながら、薄いコーヒーを(すす)って、静かにソーサーに戻す。


「センパイ。助けて欲しいんです。なんとかしたいんですよ」


 ――――どうしようも無いのをなんとかしたくて――――。


 いつだったか。そう言った自分の声が聞こえた気がした。


獣長(ししなが)先生」

「っ。はいっ!」


 突然呼ばれた苗字に、男は萎縮して背筋を伸ばした。反対に俺は、深くソファに腰を落として行き、足を組み替える。


「センパイは止めろ。言った筈だ」

 俺の視線と言葉に、男は硬直した。息すら飲む。その男に対し、続ける。


「そしてこうも言った筈だ。

 ――――取り下げるに見合う理屈を提示しろ、と。これがお前の言う理屈なのか? 話にならないな」


 男は唖然とする。それを尻目に、俺は鞄を手にとって立ち上がった。


「セン……、待ってくださいッ!」

 男も立ち上がって、俺の手首を掴んむ。


「お願いします! 時間が欲しいんです。対処法を見つける時間を!」


「時間……?」


 俺はつい口に出て、足が止まった。勢い良く、掴まれた手首を振りほどいた。男を睨む。


「なら、俺が許可を取り消したとしよう。期日の七日目にどうするつもりだ?」

「方法を、見つけます。その間に――――」

「お前がその方法とやらを探している間に、その生徒の亜因果が他人を傷つける事。他人の亜因果を発現させない事。絶対に無いと言えるのか?」

 一歩、詰め寄った。男は対して、一歩引く。


「言ってみろ。俺の目の前で。俺の目を見て。絶対に無いと言ってみろ」


 男は叫ぶようにして、口を開け、声が出せない。言葉を作ろうとして、パクパクと動かすばかり。そうだ。こいつは馬鹿じゃない。小さな可能性を、感情だけで無視できない。


「ぜ……絶対に、させないです!」


「そうだ。させないように動く事しかお前には出来ない。それで? お前がさせない様にするのはわかった。だが、お前の能力には、出来る事には、限界があるだろう? なら、その限界を超えてしまった時。どうするんだ? お前の全てで賄える程、生徒の人生は軽くない」


 男は押し黙った。口を開くことすらできない。


「お前が絶対と言い切れないのなら、俺は許可を取り消すつもりは無い。覚えておけ」


 そう言って、俺は棒立ちする男の横を通り抜けた。

 ドアノブに手を掛けた所で、男がつぶやく。それを聞き届ける為、足を止めた。


「センパイは……それでいいんスか? センパイ、魔法使い共に、自分がなんて呼ばれてるか、知ってます?」

魔人(ひとでなし)夜摩天(やまてん)だろう」


 魔法を使う人間を魔法使いと呼ぶ。魔法が人の形をしているナニかを魔人と呼ぶ。もう人ではないナニかだ、と。それはこの男にとっての、俺への精一杯の罵倒なのだろう。


「夜摩天って、閻魔大王っスよ。センパイの前に立った者はみんな、天国か地獄か判定を下されるって。センパイの教員コード『審判』と掛けてんスよ」


「ついでに言えば六欲天の第三天、夜摩天は、時に関する天だ。俺の持つレトロアクトにも掛けているんだろう。上手い事を言う」

 俺が自嘲気味に笑って、また歩き出すと、男が口を開く。


「オレ……センパイが笑ったのって、二種類しか見た事無いっス。自嘲か空虚」

 俺の足は、ドアの前で再び止まる。男は続ける。


「あの資料の二人の生徒達とは、楽しく笑い合ってたんじゃないんスか!? オレの生徒には、今、それがあるんスよッ! 助けてやりたいんです!」


 俺が学生だった時。まだP5と呼ばれていた時。そうだ、確かに彼女たちは笑っていた気がする。俺だって、笑っていた筈だ。だが。俺には上手く思い出せない。


「さっきは他の生徒を傷つけないか、と問うたが。俺の個人的な意見を言わせてもらえば、そんなモノはどうでもいい。…………一つ聞く。お前がなんとかしようとしている生徒は、今、笑っているのか?」


「……え?」


「泣いているんじゃないのか? 苦しんでいるんじゃないのか? 人の身に人外の力を宿し、あまつさえ望みもしないのに力を発揮する。それで笑えているのか? 延命して傷付くのは、周りの人間だけとは限らない」


「そ、れは……。でも、友達といる時とかは……」


「お前が資料で持ってきた『祟良幸』という女性はな、自殺を望んでいた」


「…………ッ。そんなぁ……」


「俺は、俺の意思で彼女を生かした。彼女の意思は無視してな。時間を得たんだ。その結果が、あの資料だ。俺は彼女を傷つけた。いや、それどころでは済まなかった。最後には傷を感じる心すら失わせてしまった」

 男の声に、泣きが入った。


「自分が失敗したからって……。そんなん、オレの生徒は違うかもしれないじゃないスか。もしかしたら方法が見つかるかも知れないじゃないっスか。納得出来ないっスよぉ」


 もう対話になっていないと判断して、去る事を決める。

 深入りする教師はすぐに壊れる。深入り出来ない教師は、教師たる資格はない。


 その距離感は大事だ。


「良い教訓になるだろう。お前には挫折が足りない。それを忘れず、次に生かす事だ」

「次ってなんスか……! ……そう言って……今まで何人殺してきたんスか」

 男の声には、ついに怒りが混じり始めた。


「担当履歴を調べたんだろう。その通りだ」


 言って、応接室を出た。扉が閉じきるまで時間があったが、その間から声が漏れ出てくる事は無かった。




 俺は鞄を手に、再び地下墓地前の廊下まで来ていた。金属の分厚い扉は、近づくだけでスライドしていく。


 開いた隙間から、電灯が次々と灯っていくのが見えた。真っ白な灰が一面を満たしている。


一歩、入る。金属墓標が、まるで植物が芽を出すように伸びていく。一歩ごとに、その数は増えて行く。


 目的の墓標の前まで来る間に、数えきれない程のそれが生え終える。

 奥まったところにある、一つの墓標の前で俺は歩みを止める。振り返って、視界中にあるそれらをひと通り、眺めていった。


(だいぶ、増えた)


 向き直って、鞄から線香を、ポケットからライターを取り出して火を灯した。片手で仰ぐように左右に軽く振ると、筋煙(すじけむり)が登っていった。それを墓標の前に立て、目を閉じた。


(月命日でもないのに、悪いな。……お前が居なくなってから、何年だ? あの時、強くなりたかった。この墓標の数だけ、知識を得た。能力は増していった。それでもまだ俺は弱い。独りではなにも出来ない。そんな俺を見て、お前は笑うか? 蔑むか? それとも慰めてくれるのか)


 俺は目を開けた。空気に霞んでいく線香を尻目に、もう一つの墓標へ、他の墓標の合間を縫って歩いて行った。


 程なくしてたどり着いた墓標を前にして、俺は口を開く。


「優柳先輩。今日、久々に他人(たにん)の口から貴女の名前を聞きましたよ」


 俺は再び、鞄を開けた。


 そして――――拳銃を取り出す。


 握り手横のボタンを押す。拳銃から弾倉が滑り落ちるのを片手で止めて、その中に弾丸が満たされているのを確認する。そして、パチリと弾倉を込め直す。


「優柳先輩。聞いていますか?」


 言いながら、スライドを引き、チャンバーに弾があるのを確認して、離した。安全装置を外す。後は指先ひとつで、ひとつの命を消す事が出来る。


「もう誰も、貴女の事なんて覚えてないと思っていましたよ」


 俺の言葉は宙に溶ける。周りを見渡す。無人の白い墓地。動くもの一つない。空気さえ止まっている気がする。俺は溜息をひとつついた。




「優柳先輩? ――――聞こえている筈ですが」


「あー、なに? よく聞こえない」



 俺の隣に現れる、人一人通るのも余裕がある、大きな光輪。

 そこから現れる、黒いハイヒールを履いた長い足。それに合わせる様に、ノースリーブの黒いロングドレスが足の動きにヒラヒラと付き従う。肩からかけたショールは、暇そうに手遊びされている。トークハットから垂れる黒いヴェールに、顔の大半は隠されているが。見知った……いや、見飽きた、人を小馬鹿にした様なほほ笑みが、口元に浮いている。


「こっちうるさくてさー」


 その通りだった。光輪の向こう側から、どんちゃん騒ぎが流れこんで来ている。


「久しぶりに、他人の口から貴女の名前を聞いた。って言ったんです」

「そりゃそーでしょ。死んだ事になってるんだから」


 優柳先輩は『何を言ってるんだこいつは。というかお前がそうしたんでしょ?』とでも言いたげに小首をかしげて、うへー、と口を歪めた。


「いいから、いくよー」


 言って、優柳先輩は光輪の中に入っていく。俺もそれに続く。通りながら『っていうか、なんの用だったの?』『予定外の行動を取る教員が居たので、確認を』『へー』と会話をしながら入り切る。


 目の前に小さなテーブルがあった。椅子が三つ。そのうち一つに女性が座っている。ベージュのワンピース。肩まで伸ばした、栗色のくせっ毛。


 俺の妻――幸は、肘を付いたまま驚きに目を見開き、俺を……いや、俺の後ろを凝視して口も開けずに居た。


 後ろか……!


 俺は勢い良く振り返り、手にしていた拳銃を、後ろに居る人物に突きつけるように向けた。後ろにいた人物も、手を伸ばして、恐らくは持ち上げるだけで、拳銃を俺の顔に向けてきた。


 お互い、拳銃を突きつけあって、睨み合う。俺は先に口を開いた。


「お久しぶりです。元会長」

「一月半ぶり……元会長」


 彼女、優柳先輩には殺し屋ちゃんと呼ばれていた元会長(俺も元会長であるが)の台詞は抑揚がなく、辛辣だった。睨みつける目も、殺したくてたまらないと言っている。


 しかし……。俺は彼女の格好にツッコミたくて仕方がない。


 タイトな色あせたジーンズ。ラフなワイシャツ。それはいいが。頭には三角巾。ファンシーな柄のフリル付きエプロン。銃を握っていない方の手にはピンクのゴム手袋をはめ、外したのであろうもう片方のゴム手袋を握っている。微かにそこに残っっている食器洗剤の泡から、つい今まで洗い物をしていた事が伺える。


 ピタリと止まり、ピリピリした空気に、場違いな声が後ろで聞こえる。


「はいはーい。そういうのは後でやってね」と気だるげな優柳先輩。

「まだ仲直り出来てなかったんだ……」と苦笑する幸。


 いや、幸。俺は出来うることならそうしたいんだが、いかんせん目の前の頭の硬い、生活感まるだしの格好で俺を殺しにかかる人物は、もう何年も前の裏切り行為を未だ根に持っていらっしゃるのだ。


 この人物を、優柳先輩がどうやって説き伏せたのかは、未だに謎だ。

 遠くからは、若い男女の、テンションの高い叫び声が聞こえる。


「あ、センセーだ」「なにやってんのー?」「いけー! やっちまえ!」「っていうか危なくない? 隠れとこうよ」「おーい。センセーの分、誰か持ってきてー、酒ぇ」


 ちらりとそちらに目をやる。その十人近く居る男女の服装は様々だ。明らかに社会からドロップアウトした少年。綺麗な服を着たお嬢様と呼ぶに相応しい少女。スーツの男。シャツに下着姿の女。その他いろいろ。



 港区、倉庫街の中の一つを改装した中。

 ここは、学園に、そして俺に、『殺された者』達の家だった。



 優柳先輩は家長。幸は家事全般の管理。元会長はその手伝い……をしつつ、恐らく、暴走してしまった子への保険。


 場違いなのは、このシリアスなムードを出す俺達二人だ。故にお互い、反応を伺いながらも、じりじりと拳銃を下げていく。


 下がりきると、元会長は後腰に拳銃をしまい、フイッと踵を返して歩いて行った。何人かの女子がそれに群がり、何人かの男子と会話しながら遠のいていく。


「洗い物、手伝おっか?」「えぇ」「気軽に撃たないで下さいよー?」「えぇ」「あのワインって、出していいんだっけ?」「えぇ」「なぁなぁ、胸揉んでいい?」「……」「つーか、何? センセーとなんかあったん? 不倫?」「……裏切り者。みんなも気をつけなさい」「「「はーい」」」


 それを見て、安全を確認し、酷い言われように、ふぅと息をついて拳銃を鞄にしまった。


 上着を脱ぎ、椅子の背もたれに掛けて、俺も腰掛けた。ネクタイを緩めていると、優柳先輩が空のワイングラスを差し出してくる。それを受け取ると、幸が「今日もおつかれさまー!」と笑顔を持ってワインをついでくれる。すると頬が緩む。朝起きてから寝るまで、水でもいいので、一時間に一回のペースでこうしてもらいたい。ついでに二人っきりならば、なお良かった。優柳先輩は消えてくれ。


 俺も幸に「ありがとう」と言ってソフトドリンクをついだ。優柳先輩は勝手に自分のグラスにどくどくワインをついでいく。



 そうして、聖夜の晩餐は始まった。



 優柳先輩はスイスイとワインを開けていき、べらべらとくだらない事を吐き出し続ける。酒が入るといつもこうだ。幸はそれに苦笑したり、驚いたり、大げさにツッコんだりして笑う。

 俺は時折、小さく駄目だしをしては「うるさい」と言われ、時には無視(スルー)される。


「センセー、これ食ってみ? 俺が作ったんだぜ?」と元、担当した生徒が、俺達三人が座るテーブルにつまみを持ってくる。


「先生と呼ぶな。もうお前の教師ではない。その使命は果たせなかった」と、俺が少しでも暗い気配でもだそうものなら、周りは「まーた自虐入った」「気にすんなよセンセー」「悩んでる花柄くんもカッコイイよ!」と騒ぎたて、落ち込む暇すら無い。


 空いたワインボトル数本を、元生徒が片付けると言って手にとった。幸が「手伝うよ」と席を立った瞬間だった。


 幸は一瞬にして気を失い、その場に崩れていく。俺は椅子が倒れるのも構わず、勢い良く彼女を抱きとめて、地に激突するの防いだ。


 数秒して、俺の腕の中で幸は目を覚ます。


「……はっ! 油断した! ありがとー」


 そう朗らかに笑って、また自力で立ち上がった。


 吉祥天を抑制する効果が発動したのだ。吉祥天が幸の行動に干渉したその瞬間、両手首、両足首、そして首の五つに付けられた金色の装飾品が、幸の行動を止める。意識を完全に奪う。


 一日、何も無い事もあれば、突然、不意に発動する事もある。その不完全な吉祥天対応策の所為で、幸は一人で外を歩く事も出来なくなった。普段の生活でも、独りで歩きまわるのは危険だ。


 それでも幸は、俺を許してくれたのだ。内心、完全に止める術が見つかっていない事を悔やんではいる。だが、許してくれた幸の前で、俺は顔に出す事はしない。



「で、さー。覚悟がどーの言うし、遺書まで書かせてさぁー」

 いつの間にか、その昔話に移っていた。幸が席に戻ってきた辺りから始まった。そう考えるとかれこれ四十二分と五秒はこの話をしている。


 何年前か。俺が、優柳先輩と出会った時の話、まだ優柳先輩が学生だった最後の夜の話。


「その癖、後で『レトロアクトで貴女の生存は予知していました。僕が貴女を死なせると思ったんですか?』とかシレッと言ってさー。私がどんな思いで……っていうか死ぬって覚悟したっていうんじゃないよ? もー受け入れたってカンジ」


 俺も幸も、優柳先輩がワイングラス片手にぐだぐだ並べるその話を黙って聞いていた。


『助けに行かないとは一言も言っていない』『ソード1に対して不意打ちが効果的故に、生存が確定した貴女を囮にしてそれを狙った』『自分にしかない切り札(レトロアクト)の詳細、発言無しに使用出来る事実やら、その応用を、何故知り合って一週間もしない人物に教えなくてはいけないのか』『事前にその作戦を教えていたら、貴女の事だ、ソード1の前で余裕ぶった態度を見せ、ソード1に感づかれていたに違いない』


 等など。言いたい事、反論は山ほどあったが、俺は何も言わない。ここで口を開くと、優柳先輩の不満が怒りに変わって、手が付けられなくなるからだ。こればかりは、何年経とうとも許してくれそうになかった。


 そして眉間にシワを寄せて、何も言わず悩んでいた幸が口を開く。


「優柳ぃ……一度、言おうと思ってたんだけど」

 と、前置きをしてから、

「その話、毎っっっっっっっ年、この時期になるとしてるよ! 聞き飽きたよっ!」

 と叫んだ。


 優柳先輩は「そーだっけ?」と呑気に応え、それでも自覚はあったんだろう、その話はそれ以上続かなかった。


 笑いあう彼女たち。

 俺には学生時代、二人がどう笑っていたかが思い出せない。なにせ、今現在、頻繁に見るそれと大差ないだろうから。



 俺にとって長い二時間が、俺にとって瞬く間に、過ぎていった。



 俺は用を足して、改良された倉庫、広すぎるリビングに戻ってきた。

 ソファには若い男が飲み疲れて寝ている。空き缶や空き瓶、汚れた皿に混じって、床に女が寝ている。きっと夕方頃から騒いでいたのだろう。そこはお開きムードが漂っている。時折、小さな雑談が響く程に静まり返っていた。


 俺は三人で使っていたテーブルに近づいて行く。そこには独り、テーブルに突っ伏して微動だにしない優柳先輩が居る。幸は後片付けの手伝いに行ってしまった。


 俺は溜息をついた。

 優柳先輩は、別に酒に弱い方ではない。元から酔っ払った様な性格が故に、飲んでも少し饒舌になるだけだ。決して酔いつぶれたりしない。


 それなのにこうして突っ伏しているのは、俺の、

「優柳先輩。いい加減起きて下さい。……迎えは呼びました」

 この台詞を待っていたのだ。酔いつぶれて迎えを呼ぶ。ありきたりな話かもしれないが、そもそも光輪を持っている優柳先輩に足は要らない。


 優柳先輩がこんな事をするのは、照れ屋だからじゃない。ある種の物事に対してだけ、捻くれて、頑固だからだ。


 俺は溜息を一つ、そこに零してから、椅子にかけてあった上着を取って、倉庫の外に出た。


 扉の前で、寒さに震え、白くなった息を吐き出しては、それまで感じていた暖かさと、満ち足りた気分を、黒い夜空を眺めて、噛み締めていた。


 十七分ほど、そこでそうしていると。

 微かな明かりも照り返す、黒塗りの乗用車が一台、倉庫の前まで入ってきた。


 すこし離れた距離に止まったそれを見る。後部座席の扉が開いた。出てきた男は降り切る前に、上半身を車の中に突っ込んだまま、運転していたであろう誰かと二、三、言葉を交わす。


 そして降り立ち、後部座席の扉を閉じた。

 男の俺でも、目の前に立てば視線が上がる程の高身長の彼が、倉庫の前に立つ俺を見つける。


 そうして言葉を作ろうと、彼の口が開きかけた時だった。



 ――――光輪が現れる。彼の目の前、やや浮いた場所。



 そこから飛び降りる様に現れた優柳先輩が、彼の首に抱きつき、

 深い口付けを交わしていた。


 彼は驚きに目を見開いていた。それでも、飛びかかった勢いの余った優柳先輩の腰を抱き、ぐるりと一周回って運動エネルギーを殺し、口付けしたまま、静かに優柳先輩を地に下ろした。


 二人は長い口付けを終えて、

「酒クサッ! つーか、テメェ、亜因果使ってんじゃねーよッ! 誰かに見られたらどーすんだボケがッ。学習能力ねぇのか!」

「別にいーじゃん。だいじょぶだって」


 会話する。彼はギャーギャーと怒鳴り、優柳先輩はひょうひょうとそれを煽る。


 いつもの光景だった。


 そして二人の会話は、キスした事に触れない。俺にはそれがおかしくて、苦笑する。


 倉庫の扉が開く。幸が出てきて、俺の隣に立った。

 幸は小さく呟く。


「楽しそうだねー」

「あぁ。どうしてああも、常に呑気でいられるのか、理解に苦しむ」

「違うよぉー」

「?」

 俺はつい、隣に立つ幸に目をやった。満面の笑みが、俺を見上げている。

「花柄くんが、だよ」

 その幸の言葉に、俺は言葉を失った。思い返していた。


『センパイが笑ったのって、二種類しか見た事無いっス。自嘲か空虚』



 俺は騒ぐ二人と、幸をその場に残して、少し離れた。

 携帯電話を懐から取り出す。ただし、それは普段使っている物では無い。

 番号を掛ける。耳に当て、呼び出し音を聴き続ける。相手はなかなか出なかった。


『誰だ……?』

 変声機能が、そいつの声を男とも女ともわからないモノにしている。


「俺だ」

『…………センパイ?』

「そうだ」

 言ってしばらく待つ。変声機能を解いた男の声が、耳に届いた。


『え! マジでセンパイっスか? え? 送信相手がわかんない……つーか逆探知もできないんスけど! 一体どこから……つーか、どうやって掛けて来てんスか!?』

 まくし立てるそいつに、俺は小さく溜息をついた。


「そうも不明瞭な相手に対し、即、偽装を解くな。警戒心が足りないな」

『あぁ……その物言い、間違いなくセンパイっスね……』


 そいつはなんだか残念そうに言った。数秒、無言がお互い続いてから、切り出したのは向こうだだった。先ほど、応接室での会話を思い出したのか、声には真剣な怒りが灯っていた。


『で? なんなんスか? オレはひ・と・り・で! ……やらなきゃいけない事が山ほどあるんで、暇じゃないんス』

「教員が出張れば、生徒の死亡率が高まるぞ」

『そんなの、いつの統計っスか。今とは時代も状況も違うんス』

「そんなに、生徒を助けたいか?」

『…………そうっス。いけないですか』

「そうは言ってない。覚悟を聞いている。今の生活を捨てる覚悟があるか? 人目に怯え続ける人生を送る覚悟があるか? 俺に殺される覚悟はあるか?」

『え……な、なんなんスか? そんな覚悟があったって……亜因果が――――』

「質問にだけ答えろ。状況はわかっている。お前の覚悟だけを聞いている」

 俺が言って、そいつが息を呑む間が生まれた。しかしそれは短い物だった。


『――――あります。あいつを助けられるのなら』

「そうか。……なら、諦めない事だ。そうすれば、十八時間もしない内に、また会うだろう」

『はっ? え? 今日って……センパイ当直でしたっけ? つーか、なんなんスか!?』

 俺は携帯を手にしたまま、少し残念な気持ちが浮かぶ。


「わからないのか。助けてやると言っている」


『えっと……なんとなくわかったんスけど……いや、でも、信じられないっつーか。……なんでっスか、突然』


 信じられないと来たか。俺の日頃の行い、魔人と恐れられ、いとも簡単に人外へ対処するのを見ていれば、そうだろうな、とも思うが。少しだけ寂しくもある。


「信用が無いな、俺は」


『信用っつーか……憧れてるし、尊敬はしてるんスけど。えっと、だからこそ信じられないっつーか。だってセンパイ、全然歪まないじゃないっスか。理屈通りっつーか。そ――――』


「ふっ……。くく」


 続くそいつの台詞を、遮るようにして笑ってしまった。携帯電話を遠のかせる暇もなかった。


『ちょ……センパイ、今、笑ったんスか!? え。怖いんスけど。なんなんスか』


 そいつの声が慌て始める。

 思い出してしまったのだ。似たようなことを、どこかの誰かに言われた事を。


 そして。


「お前の負けだ。……『なんなんスか』……三度目だ」

『は? え? センパイ? ストレスで? 大丈夫っスか?』


 なるほど。人を小馬鹿にするのも、たまには楽しいものだ。性にはあわないが。


「それではな。……覚悟、忘れるなよ」


 未だそいつの声が受話器から流れていたが、無視して通話を切った。向こうからかけ直す事も出来ない。もしあいつに考える脳があるなら、学園監視下にある通常用の携帯電話に掛けてきたりもしない筈だ。


 俺は携帯電話を仕舞いながら、元の倉庫前まで戻ってきた。


 ひと通りイチャつき終わっても、まだギャーギャーと騒ぎ続けているそこに、場違いに真面目な声を掛ける。


「優柳先輩。明日……日付的には今日の件、覚えていますか」

 彼に抱きついて居た優柳先輩は、首だけを俺に向ける。


「あー……どの件?」

 俺はその言葉を吐き出した呑気な口に、無言で睨みを聞かせる。今日といえば一つしか無い筈である。それとも幸と会食の予定でもあるのか。


「あー、わかってるってー。だいじょーぶ」


 今度は俺の方も見ず、彼に抱きついて適当に言葉を作った。彼は困ったように「オイ」とか小さく注意してたが、優柳先輩は聞く耳を持たない。『酔っている』という事を言い訳に出来るのは精々数時間程度なので、今のうちに甘えておきたいのだろう。


 隣にとことこ寄ってきた幸が、小さく『仕事?』と聞いてくる。それに俺は『あぁ』と答えた。


「可能性は低いですが、追加でもう一人、匿って欲しい人物が居るのです」

 優柳先輩は露骨に嫌そうな声をあげた。


「えぇー……今から? まぁいいけど」

 今まで黙っていた彼が、小声で優柳先輩へ言葉を掛ける。


「それがテメェの仕事だろーが」

「別にこれだけを仕事にしたつもりないよー。これだけじゃ食べてけないし。……サッチみたいに誰かが扶養してくれればいいんだけど」


 彼はピタリと止まった。無言の間が広がっていく。


 彼も優柳先輩もいい歳だ。付き合いも長い。もう何度かそういう話もしたんだろう。


「いや、つーか」

 彼は苦し紛れに言葉を作る。


「そういう話じゃねーだろ?」

「そーだね。……で? どーなの?」

「どう、ってなんだよ」

「日取りはいつがいいの? BとC呼ばないとねー」

「いい加減、普通に呼べよ、名前……って違ぇッ!? 日取りってなんだよ!?」



 俺は真剣な、他人の命や今後の人生に関わる話をしていたんだが。

 そんな小言を言ってしまえば、えらく静かに『真剣だし、今後の人生に関わるけど?』とか反論されてしまう。ここは黙ってやりとりが終わるのを待つべきだ。


 彼を前にした優柳先輩相手じゃ、どうにも締まらない。

 俺の怒りと不快に歪む顔を見たのか、隣に立つ幸が、慰めるように苦笑してくれる。


 俺は思わず深くため息をついて、呟いた。


「全く」

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