4場
枯れることのない涙。
なんてフレーズをどこかで耳にした事がある。それはロマンチックな何かを喚起させる為のものだとずっと思ってたんだけど。それが現実をそのまま実直に表した言葉だったとは思いも寄らなかった。
サッチはあれから延々泣き続けてる。そのままだと多分干からびる勢いだ。眼球、涙腺あたりに障害が残らないかちょっと心配。
飛び降りの授業時間はとっくに終わって、その次の本日最後の授業も終わりそう。
でも、少しでも動こうとすると。
「いがないでぇぇええ」
と、私にのしかかりっぱなしのサッチが、全身全霊で抱きしめてくる。最初はかわいいなー、とか思ってたけど、今はだるい。
「制服、汚れちゃったでしょ。払うだけだから」
私がそう言うと、渋々力を緩めてくれた。立ち上がったら、まだサッチの片手が私の制服の裾を掴んでいた。まぁ、それぐらいなら許してあげよう。
「はい」
払って、と私は汚れたであろう背中をサッチに向けた。
「う、うぅ、うぇぇぇぇ。ぐすっ……うぐぇぇぇええ」
サッチはグシグシと顔を擦りながら、開いた方の手で払ってくれようとしてくれた。でも正直、撫でているようなものだった。ため息をつく。
【私の手は、私の背中に届く】
目の前に大きめの光輪をつくって、背後にもう一個作る。その二つは繋がっていて、私の目の前に私の背中が見えた。自分で自分の背中を叩く。なんだか変な気分だった。
汚れを落とすのを終えると、それを見計らったサッチが抱きついてきた。
「はなしてー。……苦しいし、邪魔」
「い……ぐすっ。いがないでぇぇぇ」
「うん。行かないから」
私がそう言うと、サッチの腕に篭った力が緩まった。緩まっただけで、離してはくれなかった。仕方ないので引っぺがす。
ふぅ。
「あうあぁぁぁ……。助げでぐれる……ぐすっ……で、言っだのにぃぃ」
サッチはよろよろと手を伸ばしてたが、スタスタと歩き始める私には届かなかった。
「他人を簡単に信用しちゃダメって事だね。ひとつ勉強になったねー」
と、適当にあしらう。
「う……え、うぐぇぇええええええ」
振り返ると、サッチの泣きが一段階増していた。ただ、泣くのに忙しいらしくて、その場で立ちっぱなしだ。
もう、変なことは考えないだろう。
変なこと。そう、下手をしたらサッチは死んでいた。
そう思うと、胸がささくれ立つ。なんでフェンスくらいつけておかないんだろう。鍵が掛かっていて侵入出来ないからってちょっと無防備過ぎじゃないかな。
私はそう、自分の事を棚に上げながら、歩いて行く。その先はサッチがさっき立っていた場所だ。そこにはサッチが置いた屋上の鍵がある。
鍵は捨てよう。もう二度とあんな思いはしたくない。鍵を拾い上げてから、あ、光輪を使えば別に歩く必要なかったな、とか思った。
立入禁止の屋上の鍵を、私物として持っていた事は、確かに私が悪かった。
でも、この学園は大量の生徒がいる。A、B、Cの学力と進路方針分けに、それぞれ9組まで。それが毎年、約千人が入れ替わっているんだ。その中で、屋上の鍵を手に入れたのが私だけだったのか。今まで、『屋上から飛び降りる』なんて安易な事を思いついた生徒は全く居なかったのか。そう考えると、違和感が浮かぶ。
安全策は何も取られていないのか。
拾い上げた鍵をポケットに滑りこませた。さて、どう処分しようか。なるべくなら復元できない形にしたい。
そう考えながら、ふと閃いた。もしかしてフェンスが無い理由は、それに代わる何かがあるからじゃないかな? ネットとか。それは私の記憶の中には無い。校舎の屋上を下からまじまじと見上げた事なんか無いし。サッチも下を見ようとしてなかったし、防止策に気付かなかっただけとか?
私は片足を段差に乗っけて、見下ろして。
その高さに恐怖する前に、呆気にとられてしまった。
ここに鍵があったんだから、サッチがここに立ってた事は間違いない。
その真下、サッチが落ちるかもしれなかった場所から少し離れた所に、男子生徒が居た。
一つ下の学年を表す、ベージュのブレザーにスラックス。冬空の下だからか分厚いロングコートを羽織っている。この距離だと、眼鏡をかけている事ぐらいしかわからない。
ただ、その男子学生はしっかりと、こちらを、いや、私を見上げていた。十秒ほど、そうしていて、だんだん、男子生徒の表情が読めてくる。
私の懐疑の視線が、その男子の視線に押されて、戸惑う。
まるで親の敵のように、睨まれていた。
えーと、なに?
『今の、見てたの?』『なんでそこに?』『見てたなら助けてよ』
なんて叫ぶか叫ばないか迷っている間に、男子生徒は踵を返そうとしていた。それでも私を肩越しに見上げ睨んでいたけど、やがて真っ直ぐ前を向いて歩き始めてしまった。
「あっ」
こら、まって、君。なんて叫ぼうとして、
「ゆ……なぎぃぃぃい」
サッチに呼ばれて振り返ったから、出来なかった。
サッチは泣きながら、よろよろとゾンビのようにこちらに向かって歩いて来てた。私は慌てて早歩きで寄っていく。するとやっぱりゾンビの様に抱きつかれて、えぐえぐ泣きつかれた。
「う、うぅぅぅ。えぐ。ゆうな――――」
「うるさいちょっと黙ってて。あとここから一歩も動くな。動いたら助けてあげないよ」
「え……? ひっぐ。ぶぇぇぇええええ! ぐぇええええええ」
サッチをまた引剥して、早歩きでまた段差に足を掛けて下を覗く。
あれ?
でも男子生徒はどこにも居なかった。
私が見えなくなってから、いきなり走ってどっかに行ったのかな。とてもそんな様子には見えなかったけど、私の中で納得の行く説明が出てくる事はなかった。
あの男子生徒はなんの為にそこに居たんだろう。
「…………はぁ~」
深呼吸も兼ねて、一つ深い溜息をついてみる。サッチに近寄ると、また抱きつかれた。いい加減、抱かれ疲れた。
理解不可能な出来事が山積みだ。
サッチの飛び降り自殺、亜因果、吉祥天、謎の男子生徒。そして私の、
「亜因果……『光輪』」
その上、自殺は防いだというのに、サッチはゾンビと化してしまっている。
一体どうすればいいんだろう。




