第43話 勝ちたい
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
夜。
誰もいない稽古場で、レンは木剣を振っていた。
「九百九十八……」
「九百九十九……」
「千。」
そして最後に。
「千一。」
百一回目の約束は、今も変わらない。
レンは息を整え、そのまま木剣を構えた。
木剣を流す。
半歩動く。
木剣を返す。
最近はこの動きばかり考えていた。
型の中に相手がいる。
相手が動く。
だから次がある。
そこまでは分かった。
レンはもう一度動く。
木剣を流す。
すると不思議なことが起きた。
昨日までは違った。
正面にいたのは、顔もない誰かだった。
だが今日は違う。
そこにいた。
シオンが。
王都大会優勝者。
今日、自分を何度も打ち込んだ男。
木剣を流す。
シオンはそこにいた。
半歩動く。
シオンが動く。
木剣を返す。
シオンはもうそこにいない。
レンは動きを止めた。
もう一度。
木剣を流す。
シオンが来る。
半歩動く。
シオンが追う。
返す。
届かない。
また届かない。
レンは眉を寄せた。
何度やっても同じだった。
速い。
正確だ。
迷いも無駄もない。
型の中の相手がシオンになった途端、今まで曖昧だったものが鮮明になる。
だから分かる。
差が。
圧倒的な差が。
木剣を握る手に力が入る。
悔しかった。
今日の稽古を思い出す。
一本。
また一本。
何度も打ち込まれた。
見えていた。
だが届かなかった。
見えることと、勝てることは違う。
そんな当たり前のことを思い知らされた。
レンは木剣を振る。
シオンがいる。
流す。
届かない。
動く。
届かない。
打つ。
届かない。
何度も。
何度も。
何度も。
届かない。
その時だった。
ふと昔を思い出した。
初めて負けた日。
カイルに負けた日。
山で熊を見た日。
師匠の背中を追いかけた日。
あの時も同じだった。
届かない。
だから振った。
追いつかない。
だから振った。
レンは木剣を握り締める。
胸の奥から湧き上がる感情があった。
強くなりたい。
違う。
それだけじゃない。
もっと単純だった。
もっと昔から知っている感情だった。
レンは静かに呟く。
「勝ちたい」
誰もいない稽古場で。
たった一人。
木剣を握ったまま。
もう一度。
「勝ちたい」
その言葉だけが、夜の道場に残った。
レンはしばらく動かなかった。
勝ちたい。
その言葉は昔から知っていた。
初めて負けた日。
初めて届かなかった日。
いつだって、その先にあった。
だが今は少し違う。
木剣を握る。
正面を見る。
そこにはシオンがいる。
流す。
シオンが動く。
半歩ずれる。
シオンが追う。
打つ。
届かない。
レンは目を閉じた。
今日の稽古を思い出す。
何度も打ち込まれた。
何度も負けた。
だが不思議だった。
嫌ではなかった。
悔しい。
それだけだった。
追いかける相手がいる。
それが少し嬉しかった。
レンはもう一度木剣を構える。
流す。
シオンが来る。
今度は少し違った。
どこを見ている。
何を見ている。
なぜそこにいる。
木剣の軌道ではない。
足運びでもない。
もっと先だ。
もっと奥だ。
王都で見た時からずっと引っかかっている違和感。
師匠に似ている。
でも違う。
その答えはまだ見つからない。
けれど、
今なら分かることもあった。
届かないから振る。
分からないから考える。
見えないから見る。
昔から変わらない。
レンは木剣を振る。
夜の稽古場に音が響く。
一振り。
また一振り。
正面にはシオンがいる。
流す。
追わせる。
打つ。
届かない。
もう一度。
届かない。
それでも木剣は止まらない。
レンは小さく息を吐いた。
そして、ほんの少しだけ口元を緩めた。
明日も振ろう。
そう思った。
その先に何があるのか。
まだ知らない。
だからこそ、振り続けた。
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