第8話 準備は大切だって話(前編)
梅雨に入り、ジットリとした湿気が肌に絡む。ここ数日は傘が手放せなくなってしまった。ここは山々に囲まれた盆地、湿った空気がたまりやすく雲が滞留しやすいせいで今の時期は中々お天道様を拝むことができない。
普段は家に引き籠ってぐうたらしているが、こうも降り続いていては気分が落ちて、更に引き籠ってしまう。うん、どっちもどっちだな。
「幸ちゃん。なんか、変な顔しているね」
今は昼休み。辰巳が顔をのぞき込み、こちらを見つめながら冗談を飛ばす。そりゃ、変な顔になる理由が今さっき出来たからだ。
「すっかり忘れてた…」
学年行事、うきうきキャンプの前にある特大イベントが控えている。そう、どきどき定期考査だ。我ら橙山高校の定期考査は学期ごとに一回ずつ行われる。一般的な高校では中間・期末とやるものだが、どうやら先人が二回もやるなんて面倒くさいと直談判したようで。
そんな怠け者のおかげで、中学のように二回も試験を受けずに済むという大きいメリットがあるのだが、それ以上のデメリットが存在する。それは考査が一回しか行われないため、学業の成績はその結果に準じて大きく変わるということ。
勿論、そんなことをすれば試験範囲も広がるし問題数も増えていく。正直言ってそんな膨大な量をこなす自信などない。リミットは三週間程。何科目かは赤点回避を目標としなければ間に合わないだろう。
「ここ最近、生徒会で慌ただしかったからね。でも一応下駄は履かせてくれるんでしょ?」
「それなんだけどさ…」
本来生徒会役員はその仕事量もあってか、多少考査の結果が悪くても日頃の生徒会業務の実績で上乗せ出来る制度がある。そのため、出席日数や考査結果はほかの生徒よりあまり重視される項目ではない。仮役員でなければ。
仮とは言え生徒会に属している以上、制度を受ける対象ではあるがその内容は本会員の一部しか適用されない。つまり、今回のテストは自力で何とかしろよ、ということだ。何とも無慈悲なことだろうか。
「優柔不断が牙をむいた、そんなとこでしょ。これだからお兄は」
横から里奈がため息まじりに会話に割って入る。自業自得なのは自分でもわかっているというのに、上から正論パンチを打ち下ろすのは本当にやめてほしい。
「でもどうにかしないとだよね。僕教えるのは苦手だからなあ」
「まあ、自力でなんとかするよ。なんとかできねえかな…」
コンビニで買ったサンドイッチ片手にそんな話を繰り広げていると、聞き馴染みのある声が外から聞こえてくる。その声は段々とこちらに近づいてきて、ついにはその声の主と顔を合わせる距離になった。
そこには三宅の姿があった。何やら用事があるとのことで声を掛けてきたらしいが、きっと行事絡みの話だろう。というか、毎度のことながら教室の外から呼び出しだの声かけだのすればいいのに何故こうも席に近づいてまで話しかけに来るのだろうか。きっと俺のことが好きなんだろうな。いやあ、モテる男はつらいぜ。
違うか、違うな。まだそんな冗談を考えることが出来るくらいには余裕があるということなのだろうか。それもそれで良くはないな。
「ちょっといいか、話がある。ついでに二人も時間があれば付き合ってほしい」
三人で顔を合わせる。はて、てっきりキャンプについて何か話をすると思ったのだがどうやら違うらしい。時間は放課後すぐにでもということだったので、取り敢えず首を縦に振ることにした。
「では、また迎えに来る」
そう言うと颯爽と帰っていった。二人と顔を合わせるが、指名制で呼ばれる用事に思い当たる節はない。俺だけならまだしも、公務員である辰巳を含め、直接的には関係性がない里奈までお呼びがかかっている。
結局よくわからないまま時間だけが過ぎ去っていた。五限の古文が教師の体調不良で授業変更の連絡があり、二時間連続で英語の授業になったせいで苦痛を味わうことにはなったが、午後の授業は無事に終わりを迎えた。
HRも終え、荷物をまとめていると既に廊下には三宅の姿があった。教室から生徒がある程度いなくなると、タイミングを見てこちらに話しかけてくる。
「待たせたな」
「あ、いえ」
待っていたのは三宅のほうだろうに、言葉の節々に気遣いを散りばめている。視線を下すと、左手には生徒会室の鍵を握っていることに気が付く。いつもは鷹原が施錠を行っているのだが、今日は別件ですぐに下校したそうだ。
後輩の迎えに上がるだけでなく、前準備もできるだなんて。これが出来る漢というやつなんだろう。さすが我が神、尊敬しかない。
「ええと、三宅…先輩?ですよね。わざわざありがとうございます」
「ああ、構わない。生徒会室前に集合でもよかったんだが、廊下で待たせるのも悪いしな」
里奈はすこし体を固くする。人見知りをするタイプではないが、これだけガタイのいいインテリ系な見た目をしている人に話しかけられたら誰だってこうなる。妹よ、兄貴も最初は緊張したぞ。だが大丈夫、その人は仏の心を持つ優しい人だ。
ただ、今日は雰囲気がどこか違った。直感だが、そう感じた。
「時に神田よ。率直に聞くがテストは大丈夫そうか?」
一瞬、肩が跳ねた。純粋な疑問であると同時に問われて当たり前のことだ。学内統治を行う生徒会にとっては他生徒の模範でいなければならない。本来であればもっと優秀な人間が入会をするはずが、鷹原の独断で生徒会への侵入を果たしたわけだ。
そもそも、ほかの会員はどれも優秀と聞く。正直言って制度をがっつり鵜呑みにしようとしたこの怠惰極まる己には過ぎた立場であることは自覚している。
「聞くまでもなかったな。底上げがあるとはいえ、やはり学徒である以上は勉学に励むことが俺たちの意義である。それはわかるな?」
パイプ椅子との間にじんわりと熱が籠る。蒸し暑さのせいだろうか、危機感に襲われたせいなのか、汗が背を伝う。勉強が得意ではない俺には、相性一致でゴリゴリ削られた感覚があった。
「すみません…」
「あー、言い方が悪かったな。別に責め立てようなんて思っているわけじゃない。もし部活動ならここまで他人の勉強にとやかく言わないんだ。ただ、俺たちは生徒会だからな」
その意味はよくわかる。正直今の学力ではどれだけ頑張っても平均点まで持っていくのが関の山だろう。見合わない肩書だ、所属した時からわかっていたことだ。
「ま、そこでなんだが。一つ提案がある」




