第10話 違う釜の飯でもいいじゃないか(前編)
雨脚も次第に途絶え、日照りが少しずつ増してきた七月。生徒会メンバーや里奈と辰巳の協力もあって無事に考査も乗り切り、今はバスに揺られながら和気藹々とした雰囲気に少し、心の緩さを感じる。
「次のSAで休憩取るから手洗いとか行っておけよー」
「「「はーい!」」」
クラスメイトの快活な声が車内を飛び交う。バスが停車すると皆好きなように散らばっていった。俺を含めた各クラスの担当者は、一号車の前で今後のタイムスケジュールを確認する。
外の気温は高く、じわりと額や首筋から汗が滲む。初夏の吹く風はまだ春の残り香を僅かに含んでいるようで、汗を拭うように肌に沿って吹き抜けていく。この中途半端さが何だか心地よい。
「ここから先、一時間ほどかけて目的地に到着予定になります。その後、各班に分かれてキャンプ場まで自然遊歩道を散策、十二時半には調理開始が出来るように準備をお願いします」
伝達事項に不備がないように丁寧に順を追って説明する。本当に、こんなことをするキャラじゃないんだけど。ただの情報共有でさえ、声が少し震える。高校生になり、まだ数か月程。少しは人間力が成長したのではないかと自分で思うほどには頑張っていると思う。そう思いたい。
他生徒に目をやると、某コーヒーショップで涼んでいる者もいれば、早くもお土産屋でわちゃわちゃしているグループも見受けられる。
「暑い中の散策となるので、水分はこまめに取るように周知してください。では以上になります」
バスに戻ると辰巳がニヤニヤとこちらに目をやる。大体想像はつくが、今はツッコむ元気も持ち合わせていない。席が隣でなくてよかったと今日は心底思う。朝早くから校門をくぐり、バインダーに纏められた書類の文字とにらめっこしていれば誰でもこうなるさ。
疲れによる睡魔に襲われて、走行する揺り籠に揺られていたら、目を覚ましたころには既に緑が深くなっていた。そういえば大型駐車場の山道入り口前で開会をするんだったな。
「はい、これだよね」
「ん?なんで辰巳が隣に座ってるんだ」
「なんでだろうね、でもそろそろ到着だよ」
手渡されたパンフに目を通す。どうやら辰巳に体重を預けてしまっていたようだ。気を利かせてくれたのだろう、優しい奴め。俺が女子ならとっくに惚れていたに違いない。罪な男だ。
全生徒が下車したことを確認し、開いてるとも閉じてるともいえない目をこすって開会を行う。とはいっても「楽しんでいきましょー」と開会の言葉を述べるだけだ。教師陣のありがたいお言葉もそこそこに、各班ごとに分かれて順次散策が始まる。
「さて、いくか」
実を言うと、体を動かすことは嫌いじゃない。今回のキャンプと山登りに至っても賛成派ではなかったものの、そこまで抵抗感はなかった。むしろ、久々に自然に触れられることに楽しみさえ感じていた。幼少の頃は父親とよく出掛けていたが、腰を悪くしてしまって以降、あまり外出もできていない。
「おー、マイナスイオン」
山道に入って少し歩くと樹々のおかげで日は届かなくなり、体感気温がぐっと下がる。時折、空が開ける場所に出ると揺らめく極光のように光の筋が差し込み、河川の水面に反射して優しく輝く。今まで忙しない日常だったが、今日くらいは自分のペースでゆっくりできそうだ。
ここは山道が二手に分かれていて、舗装された遊歩道とケーブルカーのコースと、登山者用の岩肌が隆起している獣道のようなコースがある。班ごとにコースを決めるのだが、大半が遊歩道を選択していったため、前方の視界が良く開けている。
「やっと追いついた。神田は登るの早いな」
話しかけてきたのはクラス担当者の一人である松井雄という男。活気ある性格でよく聞き、よく話す。第二の三宅と心の中で呼んでいる。彼ほど大人びてはいないが、年相応の活力と純粋さを感じる好青年だ。
「まあ、山にはよく遊びに行っていたから」
「なるほどな。お前だけ遊歩道じゃなくて山道に入って行くから皆心配そうにしていたけど、杞憂だったか」
「遊歩道は人が多いから」
なんともつまらない返答をしたが、松井とはそのままキャンプ場まで他愛のない話をしながら岩々を登る。途中、中継地点と思われる小さなベンチがある場所で小休憩がてら水分補給をしていると、唐突に松井から礼を言われた。
「俺等のクラスさ、文化部の割合が多かったしあんまり体を動かすことが得意じゃない人も結構いたんだよ。多分、うちが一番反対の声が上がってたと思う。でもさ、お前が頑張って交渉してくれたおかげで、バスにいた時から皆楽しそうにしてたんだ。だから、本当にありがとな」
「どういたしまして」
身内以外から正面切って感謝を言われる経験がない俺からしたら、どう反応したらいいのか分からず、ぶっきらぼうな言い草が口から出てしまっていた。耳がじわじわと熱を帯びていく。キャップで顔が隠れていてよかったと、心底思った。
腰を休めるのもほどほどに、二人で登り始める。途中、遊歩道のコースの道とぶつかり石畳の舗装路が現れた。目的地に近づくにつれて生徒の姿もちらほら見えるようになった。
「もうすぐだな」
その言葉を聞くとほぼ同時に特徴的な煉瓦色の建物が見えてきた。公園のように開けた場所に出ると石畳は芝生の絨毯へ様変わりする。どうやら時間内に目的地に到着できたようだ。
辰巳たちは先に着いていたらしく、こちらに気づくと大手を振って小走りする。その後ろからは里奈も顔を覗かせていた。班ごとに集まり次第、順次昼ご飯の準備に取り掛かるようで、既に食材と調理器具は用意してくれたようだ。
「それにしてもデイキャンプなんて良い案出したじゃん」
宿泊を伴うとテント設置や男女間のいざこざ等が出てくることが課題としてあったため、日帰りでスケジュールを組めるように提案したのだ。これが思いのほか好評で、気軽に参加できるというのが皆の好感を得たらしい。
「あ、神田君!」
急な声に反射的に振り向く。引率を担当している教師の古谷が名簿のバインダーを強く握りしめて足早に寄ってくる。表情が硬く、まずは落ち着くように促したが終始焦っている様子だった。
第一声を聞いた瞬間、俺と松井は顔を合わせ、すぐに登山道に駆け戻った。
「実は――松井君の班の二人が登山道に入ったきり、まだ到着していないのよ!」




