第五章:無謀という名の産声・ノンフィクション
二十一歳の冬、私は袋小路の中にいた。
兄代わりの義兄に結婚を反対され、人間関係に疲れ果てて転がり込んだ新しい職場は、一階が理容室、二階が美容室という小さな店だった。かつての大規模店とはあまりに違う環境に、私の心は燃えカスのように冷え切っていた。
そんな空虚な日々を埋めてくれたのは、二階で働く女性だった。
仕事終わりに飲み歩き、いつしか彼女は私の六畳一間のアパートに居つくようになる。その事に気づかれ、マスターの視線が痛い。居心地の悪さと将来への不安が、私を一つの極論へと突き動かした。
「もう、どこへ行っても同じだ。自分の店を持つしかない」
二十三歳の、あまりに無知で無謀な決断だった。彼女は「手伝う」と言って仕事を辞めた。貯金はない。収入もない。あるのは根拠のない焦燥感だけだった。
食いつなぐために、彼女が親に頭を下げて借りてきた金でその日を凌ぐ毎日。物件探しに明け暮れる中、ようやく見つけたのは道路から奥まった場所にある小さな空き店舗だった。
「ここなら、不動産屋を通さずに大家さんと直接契約できる」
大家さんの温情だけが頼りだった。だが、敷金も前家賃も払えない。追い詰められた末、私は彼女の親に「結婚して二人で店を持ちたい」と申し出た。
愛の誓いというよりは、生きるための、そして店を出すための「成行き」の結婚だった。
内装の見積もりは四百六十万円。
十数坪の空間にカット椅子三台、シャンプー椅子一台。若さゆえの「怖いもの知らず」が、私を崖っぷちへと走らせた。
銀行にもクレジット会社にも、実績のない若造は門前払いを食らう。申し込みが断られるたび、内装工事の金槌の音は止まった。静まり返った工事現場を見るたび、冷や汗が背中を伝う。
結局、手を出したのは高利のローン会社だった。
私は、保証人として親に頼んだ。実家は田舎の集落で担保価値がなく、結局、親戚や彼女の兄まで巻き込み、四人もの保証人を立ててようやく資金を搔き集めた。
一九八〇年六月。
看板に灯がともった。二十三歳の店主の誕生である。
開店数日前、狭いアパートには親戚一同・友人がひしめき合い、ささやかな結婚披露の宴が開かれた。だが、そこで私は父の信じがたい行動を目の当たりにする。
「みんなを連れてくるのに旅費がかかった」と言い、父は嫁の親が包んでくれた十万円までも、祝儀のすべてを懐に入れて持ち帰ったのだ。
だが後日、旅費は全て各自が払っていたことを知った時の、あの情けなさと嫁への申し訳なさは、生涯消えることのない棘となった。
開店初日、レジの中は空っぽだった。
最初のお客様が一万円札を差し出した時、私は震える声で「少々お待ちください」と言い残し、郵便局へ両替に走った。あの一万円札の重みを、私は今も忘れない。
それから七年。
「保証人にだけは迷惑をかけられない」という恐怖心に突き動かされ、私は一度も支払いを遅らせることなく完済した。長男、次男と授かり、ようやく食えるようになった頃、肩の荷が下りた私の中に別の感情が芽生え始めた。
三十二歳。
毎日、狭い店内で妻と顔を合わせる生活。成行きで始まった結婚生活には、言葉にできない歪みも生じていた。
「一度、別の世界を見てみたい」
そんな時だった。かつて夜間の運転代行でアルバイトをしていた時の社長が、まるで私の心を見透かしたかのようなタイミングで店を訪ねてきたのだ。
「共同経営で、会社を作らないか」
お互い二百万円の出資で有限会社を設立する事になった。
妻と話し合い、私は決意した。コツコツと貯めていた二百万円を握りしめ、私は理容師とは別の、新たな荒野へと踏み出すことにした。




