3話 誰よりも大事だから
19区画で起こった今回の件。耳を澄ませば担当組の人たちからは随分と不安の声が聴きとれた。公安6課で死者が出るのは、ハッキリと言って珍しいことではない。吸血鬼を駆除しようと言うことはそれだけ危険なことだからだ。
だと言うのに、なぜこんなにも担当組を不安にさせるのか、今度は自分の番だと恐れているから? それとも吸血鬼自体に恐れを抱き始めたのか。チャンス、とでも言うのだろうか。そのお陰か、襖さんに声を掛けて貰ったのは意外にも早かった。
改めて吸血鬼とはいかに人が、国が恐れているものかを思う。その姿は完全に人間と同じで、見た目で判断することはまず不可能。そして社会に溶け込み、淡々とその数を拡大していく。
さらに厄介なのは人間と同じ姿をしているのに関わらず、それをはるかに上回る身体能力。これにより容易に手が出せず、また秘密裏にこれを駆除する私たち公安6課にとって何よりの障害になっている。
何処から来たのか、何時頃からこの国に紛れ込んだのか、それはわかっていない。ただ吸血鬼は民話や伝説とされ、その存在を信じられていないのが一般的なイメージらしい。襖さんはそのことについて一言愚痴を言っていたことがある。「何時も事を騒がすのは何も知らないヤツばかりだ」と。
その襖さんは今私の視線の先にいて、微笑み――とは言っても、事務的なものだが――を浮かべている。そんな襖さんを私は椅子に座り、長袋を抱きかかえながら見詰めていた。
「君に何があったかは理解している。単刀直入に聞くが、被害届は出さないのかい?」
「……貴方には関係ないじゃないですか」
会話が聞こえて来る。襖さんともう一人、女子の声。一つ通路を挟み、斜め前のテーブル席に座っている襖さんの様子を窺いながら、私は耳を澄ます。
襖さんの問い掛けに女子は消極的に答え、時には黙り込む。更に染めた髪の毛を時折指に絡めて、落ち着きない様子を見せる。合わせるように襖さんは言葉を選んだり、沈黙の時間を作り、丁寧に対応する。
暫くそのやり取りを見て、気付いたことがある。襖さんは相手と会話している間、左手をずっとテーブルの上に置いているが、もう片方の利き腕の右手だけは何時でも動かせるようにしていた。
途中、女子に電話が掛かって来て「大丈夫、姉さん。後で掛け直すから」と話しを中断することがあったり、満足に会話が繋がらない。
そんな会話が始まって数十分、返答待ちだった襖さんに対して不意に女子が立ち上がる。横に置いてあったカバンを持つと、襖さんに捨て台詞を吐き、軽く頭を下げると早足に店から出で行く。まるで逃げ出すかのような動作に、私はその背中を追うことも考えなかった。
残された襖さんは去る女子の背中を見ることもなく、右手を楽にすると椅子の背もたれに寄りかかる。そしてテーブル上のカップの持ち手に指を掛け、紅茶が運ばれてから初めて口にする。
他になにかをする様子は見受けられず、私は席から立ち上がる。歩いて襖さんに近付き、気付いた襖さんは一度だけ私に視線を向けるが何かを言う訳でもなく、視線を外す。
「前、いいですか?」
襖さんがいるテーブル席の横に着き、尋ねる。私の言葉に襖さんは返答も反応もない。私は少しの間立ったままでいたが、静かに席に座る。先ほどまで女子が座っていた、襖さんに対面できる場所。
見てみれば、テーブル上には襖さんが飲んでいるのもとは別に、もう一つの紅茶が入ったカップが置いてある。女子が飲んでたものだろう、口を付けた形跡が見て取れる。残りを飲むわけでもないので、私はそれを横に除けようと受け皿を手に取る。だが同時に襖さんの視線が私に向いたため、動かすことなく手を離した。
「……襖さん、今のがそうですか?」
代わりに私は問い掛ける。襖さんはもう一度紅茶を飲み、少し間を置いてから口を開く。
「現状証拠で考えればな。名前は久木原 真央。被害者と同じ学校に通う学生で、例の三人を問い詰めたら洗いざらい吐た。証拠もあった、ご丁寧に携帯の写真でな」
「その三人は吸血鬼とは違ったんですか」
「吸血鬼が俺一人で締め上げられるなら、お前の出番は一生ないだろうな」
そう言って、襖さんはカップを受け皿に戻す。締め上げられるのなら、と言うことは締め上げた、と言うことだろうか。
公安6課の中でも、時順先生のような研究員とは違い、襖さんは吸血鬼に直接接触する立場。一般人と比べるまでもなく腕はたつ。三人同時に相手をしたとしても、それを簡単に対処でき、締め上げている姿は容易に想像できた。
仮にそこに私がいたらどうなっていたのだろう。襖さんの役に立てただろうか、それとも……
「……その、つまり手帳に書かれていた五人が久木原真央の気分を害し、吸血鬼である久木原真央がその五人を対象に『狩り』を行っている、と言うことですか」
先ほどの女子、それが今回の排除する対処と言うことだろうか。その対象が、つい先ほどまでここに座り、襖さんと会話を交わしていた。そう思うと、とてももどかしい。
出来るならばこの場で取り押さえるか、そのまま駆除したいところだ。しかし、対象は混乱を避けるために秘密裏に駆除しなければならない。今ここで、と言う訳にはいかないのがルールだ。
「可能性がある、と言うだけだ。この仕事の厄介なところは、対象がそうであったかを調べるためにまず殺さなくてはならないことだ。共通した痣があるわけでもなく、圧倒的に苦手なものがあるわけでもない。証明するために向こうも大人しく両腕を縛られて、眼球から針を刺されたくはないだろうしな」
ふん、と鼻で笑った襖さんは顎の無精ひげを触る。推測の域を出ない結論を出す襖さんに、私はどう判断すればいいのか悩む。
今一度考える。確かに先ほどの女子の動向を観察していたが、見た目や素振りは確かに人間のそれと変わらなかった。気になったところと言えば落ち着きがなかったことだが、それについては警察手帳を見た東郷の息子にも言える。
もちろん、私が人間のそれを語れるほど詳しくもなく、吸血鬼は駆除する時にしか良く見たことがない。仮に違いがあったとしても、気付けなかっただろう。まあ、それに引き換え、社会に溶け込んでいる吸血鬼を見つけ出している襖さんが言うのだ、見た目で判断できないのは確実だろう。
ならばどうやって吸血鬼を見つけ出し、特定するのか。どうにか襖さんの手を煩わすことなく、自分で判断できるようになれないかと知恵を振り絞る。しかし、そうすると襖さんがテーブルの上の伝票を拾い上げ、立ち上がる。
「お前が考えることじゃない。指示に従っていればいい」
私も慌てて立ち上がり、レジに向かい、会計を済ます襖さんに付いて行く。顔に出ていたのだろうか。口に出していないのに、私が考えていたことがバレてしまった。
支払いが終わり、店の外に出れば冷気が頬を撫でる。今日もあの時のように空には灰色の雲が引き詰められ、太陽の光を遮っている。公安6課から出る時からだったが、襖さんは傘を持たず、通行人もその手には傘がない。どうやら雨は降らないらしい。
今はまた他の区画にいて、そばには大きな車道が通っている。なぜ他の区画に来ているのかと言えば、もちろん今回の件の調査のため。担当していた区画に吸血鬼の影を見つければ、その証拠や関係者が他の区画に存在しても、影があった区画の担当が対処する。襖さんが今は19区画の担当者だとしても、その行動範囲は19区画だけではないと言うことだ。
私は抱いていた長袋の紐を肩に掛け、先を歩く襖さんの背中の後ろを離れないようにと歩く。途中「襖さんの好きな飲み物ってなんですか? この前も紅茶を飲んでいましたよね」なんて話題を考えたが、言葉になることはない。機嫌を損なわせるぐらいなら、とそんなことを考えてしまう。
それともいっそ、考えなしに喋ればいいのだろうか。そっちのほうが言いたいことを言え、こんなことを考えることもないのだろう。
ふと、前を行く襖さんの歩調が緩やかになり、止まる。私も歩みを止め、襖さんを見上げると横を向いている。見てみれば、そこにはショーウインドーがあった。中にはスーツとコートを着たマネキンと、私と襖さんがいる。ほんのりと頬を染めている私と対照的に、襖さんは無表情ながら睨むように眼を細めていた。
コートか、襖さんが着ているコートは長いこと使っているのかよれてる。袖が擦れていたり、背に折り目があったり、私が今着ているコート――とは言ってもこれは支給されて、着たのが今回で二回目になるほぼ新品だが――と比べて随分と傷んでいる。
「コート……ですか? その、今着ているのは随分――」
「ルリチシャ、黙ってついて来い」
「あっ……」
不意に名前を呼ばれ、驚き襖さんを直接見る。だが襖さんはショーウインドーを見たままで、まるでガラスの中の私に話しかけているようだった。
一度声を漏らしてしまったものの、私は黙ったまま待っていると、襖さんはまたふらりと歩き出し、私はそれに倣う。
また機嫌を損ねてしまったのだろうか。私は瞳だけを動かして、襖さんから視線を外す。そして視線を襖さんに戻すと、肩にかけている紐を握る。
「たくッ、血の気の多い奴ばかりだ。こっちの都合なんて考えてくれやしない……それとも、そう思っているのは向こうか?」
顎を撫で、襖さんが小さくぼやく。その声色は通常よりも重く、真面目な物だとわかる。
一度角を曲がると、見えてきた建物へと襖さんは足を運ぶ。コンクリートが剥き出しの、まるで長方形のブロックのような立体駐車場だ。
車が出入りする入り口横にある階段をそのまま上って行くと、少しして私と襖さんとは別に階段を上る足音が聞こえ始める。途中で階段を上るのを止め、扉を通って駐車スペースに出る。比較的上階だからなのか停めてある車の数は少なく、人の気配はない。
そのまま襖さんは進み、剥き出しのコンクリートを革靴で踏み鳴らす。コンクリートの柱を一つ通り越し、二つ目の柱に差し掛かると不意にその音が止まり、振り向いた。
「なにか俺に用か? まあ、用があるからつけて来たんだろうが……こっちはこう見えて随分と忙しいんだが」
襖さんの言葉に、私も同じように振り向く。日差しが射さない薄暗い空間に見えるのは壁際に停められている1台の車。そして先ほど上って来た階段への扉の前に、黒いフードを深く被った人物が一人、そこにはいた。
上下黒色の服で、手袋をはめ、ズボンにだぼっとしたパーカーと上着。首元を口まで上げ、フードを深く被り顔を隠している。服で隠れた体型は男とも女ともとれる中性的で、服装からもその性別を判断できない。そんな人物が片手に携帯電話を持ち、もう片方の手は上着のポケットに突っ込んでいた。
隠れていたわけではない、襖さんの言う通りずっと後ろにいたのだ。恐らくは店を出た時から、襖さんに言われるまで気付かなかった。いや、自分のことばかりにいっぱいになって、気付こうともしなかった。
襖さんの問い掛けに、その者は言葉の代わりに持っていた携帯電話を一度主張するように突き出して見せる。『久木原真央に近付くな』その画面には大きく文字が表示され、ただ一言そう書かれていた。
「近付くな、か。残念だがそれは無理だな、久木原真央にはとある容疑が掛けられている。それが晴れるまでは監視の対象になるが、それがなにか問題か?」
再度の問い掛けに、その者は一度携帯電話を下ろすと操作する。そして再度突き出して見せると、新たな文字がそこにはある。
『後悔するぞ』
「それは興味深いな、どう後悔するんだ? わざわざ忠告しに来てくれたんだ、教えてくれ――」
その瞬間、襖さんの言葉を遮るようにそれは砕け散る。相手が、黒フードがいきなり隣にあったコンクリートの柱を殴り付け、穴を開けたのだ。
鈍い音と共に破片が転がり落ち、細かい物は粉末になって黒フードに漂う。そしてその拳をコンクリートの柱から引き抜くと、その中の鉄筋が悲鳴を上げる間もなく引きちぎられた。まるでビスケットを割ったり、砕いたりするかのような数秒の出来事。
そんな光景を襖さんはただただ見届け、次にどうするつもりだ、とでも言いたげに肩を竦めて返す。相手はそれが気に入らなかったのだろう、舌打ちが聞えたかと思うと手を振り上げる。
ヒュッ、と風を切る音が耳に届く。コンクリートを簡単に砕けるほどの力、そんな力で投げられた鉄筋は迷いなく襖さんに襲い掛かかる。だが、それが当たることはなかった。
「……なるほど、丁寧に教えてくれる気はない、か」
襖さんは無精ひげを撫で、わかりきっていたように言う。当たれば間違いなく、その部位の肉をえぐられるほどの威力はあっただろう。しかしそれは、私の眼の前では起こりえない、起こってはならないことだ。
掴み止めたそれを投げ捨てると、カラン、と鉄筋が音を立て転がっていった。どうやら話し合いで終わるような、平和的解決は見込めないようだ。いや、そんなものは最初からなかったかもしれない。
私は黒フードを睨み付け、一歩踏み出す。もう一歩踏み出そうとしたその時、黒フードが動いた。
壁際に停めてあった車に走り寄ると、車の側面を手を付ける。掴まれた場所がその力に耐え兼ねてへこみ、今度はそれを私と襖さんに向かって振り抜くように押し投げた。
けたたましい音と火花を散らし、転がり跳ねながら迫って来る鉄塊。私はとっさに片腕を横に広げ、襖さんを護ろうとした。だが私は肩に軽い衝撃を受けると、強い力で引っ張られる。そのまま隣の柱の陰へと引き込まれ、鉄塊がその柱に衝突する。
飛び散るコンクリート片や、車の破片。轟音の中、予想もしない出来事に私はただただ驚いて自分の肩を見る。そこには手、襖さんの手が私の肩に置かれたのだ。
後ろから抱かれるように抱き寄せられ、身体がほんの少し密着する。状況が理解できて、ゆっくりと襖さんを見上げる。
「――っ!」
私は思わず息を飲んだ。柱の陰から飛び出し、黒フードを探す。するとそこには壁を乗り越えて、そのまま飛び降りる後ろ姿があった。
私は咄嗟に走り出し、散乱した中を突き進む。同じように壁を乗り越えて下を窺うと、驚いた交通人と、その場から走り去る者を見つける。
「追いますッ!!」
私は肩から長袋を下ろすとそれを片手で持つ。壁の縁にもう片手を掛け、そのままの勢いで外へと飛び出す。襖さんの、待て! と言った声が聞えたがもう遅い。その時には身体が重力によって落下を始めていた。
コートの裾がはためき、サイドテールがなびく。身体全体に風が吹き付け、そのまま立体駐車場の4階から眼下の歩道へと飛び移る。足の裏から突き上がる衝撃を足と片手で受け止め、着地の際の衝撃で下がった顔を上げる。すると黒フードの逃げる姿が遠くに見えた。
長袋を片手に持ったまま、悲鳴にも似た通行人の驚き戸惑う中を走り出す。黒フードとの距離を縮めていたが、追っていることに気付いた黒フードはさらに逃げる速度を上げ、私も足を速める。
走り去る私と黒フードに通行人は何事かと驚き、中には黒フードが押し退け派手に転倒する者もいて、その横を私が抜けて行く。
黒フードは一度振り向き、私との距離を確認する。すると一度足を止め、そこにあった自動販売機に手形を付けると易々と持ち上げ、今度はそれを私に向かって投げつけた。
先の車とは違い、やや放物線を描いて眼前に飛んで迫る鉄塊。横にも、屈んでも避け切れない。私は足に更に力を加える。
逃がさないッ――
地面を大きく蹴り、腰を下ろす。勢いをそのままに地面に身体を擦り付け、投げられた自動販売機と地面の間に滑り込む。それが頭上を通り、瞬間的に影が射す。
大きな物音と人の声を背に、速度を殺さないように立ち上がり、脇目も振らずに走り出す。逃げ続ける黒フードはその先に見えた建設現場へと逃げ込む。追い詰めた、そう思い私も黒フードが通るために開けた出入り口に飛び込んだ。
「なッ……!?」
だが、同時にそのまま私は飛び込むようにして地面に転げ回る。何度か空と地面がひっくり返り、最後には仰向きで止まった。灰色の曇りの空が、視界一杯に広がる。
仰向きのままで上を向くと、裏返った世界で黒フードを見つける。足払いをくらったのだと理解するのに時間は掛からなかった。
「あんた、何者? 追いついて来るし、フツーじゃないわよね。もしかして……同じ?」
すると自分以外の声が聞こえる。不意に黒フードが喋ったのだ。首元でくぐもっているが、確かにそれは女性の声だとわかる。
くるりとうつ伏せから体制を変え、立ち上がると服を掃いながら辺りを見渡す。
休みなのか従業員の姿はなく、辺りは工事用の高いフェンスに囲われ人目から隠れている。それだけわかると私は視線を黒フードに向けた。
「……同じ?」
「そう、驚きね! まさか他にもいたなんて。けど、それ以外に考えられない。もしかしたらって思うことはあったけど、へぇ、そう、嬉しいかな? 仲間を見つけられて。ちょっと第一印象が悪かったかもしれないけど……安心して、敵じゃないわ、むしろ味方よ。あなたと同じ、特別な存在ってところ?」
黒フードは出入り口を閉めると私を中心に円を描くように歩きながら語り出す。先ほど襖さんの時には一言も言葉を発さなかったのが嘘のように饒舌を披露する。
私はそれを黙って聞くも、黒フードから視線を外さない。一歩距離を詰められ、私はその分の距離を取りながら長袋を持つ片手に力を入れる。
「……あなたは私と同じ?」
「ええ、他に説明がつかないでしょ? どこに建物の数階から飛び降りて、そのまま走り出せる人が何人いる? それも女の子が? けど、どうして警察なんかと一緒にいるのよ……あんなの汚職に塗れたクズどもで! 偉そうなこと言いながら他人を見下して! 一度も役にたったこともない! あいつらこそ敵よ!! そう思うでしょ!?」
訴えるように、黒フードは言い放つ。先ほどまで普通に話していたのが、まるで人格が変わったのではないかと思うほどに声を荒らげる。この声には憎悪や、侮蔑。なにより怒りが込められていた。
その怒りが収まらないのか、突如として怒り狂ったように腕を振るい、地面を蹴り上げる。それでも怒りが止まらないのか、そばにあったコンテナハウスの壁を殴り、その腕を貫通させた。
「いい!? あんたが警察や政治の犬だとして、それは間違ってるわ。力は正しいことに使うべきよ!! 警察が捕まえない、身勝手な理由で手を出さないそれこそクズな人間どもを殺る! そのための力よ!!」
「いえ、それは違う。殺されるのはあなた」
黒フードの主張を私は否定する。その言葉に、一瞬、黒フードが凍り付いたかのように動きを止めた。すると「はぁ?」と威圧的な声を出し、フードで隠れた顔を私に向ける。その見えない瞳から、明らかに敵意を放ちながら。
黒フードは壁から腕を抜き、その腕を一度振って見せると鼻で笑って見せた。
「聞き捨てならないわね、殺される? 誰が?」
「あなたよ。あなたが殺される」
「ハハッ、へぇ……そう。冗談は嫌いじゃないけど、その冗談は笑えないわ。それに誰が殺しに来るのよ? そもそも、あんたも見たでしょ? 殺されると思う……?」
一歩、黒フードは私に近付く。敵意は殺気に変わり、今にも飛び掛かかって来る雰囲気を漂わせる。ぎりぎりと硬く握る拳からはそんな音が聞こえるようだった。
近付いて来たが、私は離れることはしなかった。この相手は私と同じだと言った。それはつまり、自白も同然だ。高所から無傷で飛び降り、コンクリートを拳で砕き、軽々と鉄塊を持ち上げる。それは力に自信があるただの人間だろうか?
私は長袋に両手を掛け、長袋の口紐を緩める。口が開いた長袋が垂れ、そこから鈍く光る物が顔を覗かせた。
「『人類の脅威、若しくはその可能性を秘める存在は如何なる法に則らずこれを駆除することを認める』――公安6課の権利に従い、お前を人類の脅威になり得る存在と断定し、駆除する!」
持ち手にはさり気無い装飾が施され、刃は硬く鋭い。だがその刃は決して斬ると言う綺麗なものではなく、叩き割る力を持つ――対人外公安6課開発特殊兵装。その一つ、両刃剣。
長袋を捨て、一歩足を出し、腰を軽く落とす。眼を細め、抜身になった両刃剣を構えるとその刃を一閃の蒼白い稲妻が走り抜けた。
その光景に黒フードは驚いたように足を止め、身体も軽くのけぞる。隙だらけだと言うのは誰の眼から見ても明らかで、私はそれを見逃さなかった。
身を低く走り出す。下げた刃先を地面すれすれに走らせ、一気に距離を詰める。黒フードは一歩下がり、やっと状況を理解し、両手を前に出す。だがもう遅い! 既に間合いに入った!
両刃剣を持つ片手に力を入れ、地面を蹴る足に力を入れる。2撃目は考えなかった、一撃でその首を叩き落とす!
「――そこまでだッ!!」
一発の乾いた音が飛び込み、両刃剣を振り抜くよりも先に私の身体を硬直させる。銃声だ。だが私を止めたのは銃声のせいじゃない、もっと大きな存在だ。
私たちが通って来た出入り口に襖さんがいて、その手には拳銃が握られている。音の通り、握られている拳銃には何時も着けられているサプレッサーは外されて、また銃口を向けられていることを理解する。
「さっきからなんなのよ……ッ」と黒フードは苛立ったように呟くと、私と襖さんに背を向け走り出す。私は追おうとしたが、襖さんの銃口は私を捉えて離さない。黒フードはそのまま走り去り、そしてフェンスをその身体能力を活かして飛び越して姿を消した。
それを見送った襖さんは拳銃を下ろし、私は構えたままの体制を戻す。私と襖さんの二人きりの工事現場で、先に口を開いたのは襖さんだった。
「怪我はないか?」
「えっ……」
「ここまで来る途中、壊れた自動販売機を見つけたが……他になにがあった?」
軽く辺りを見渡し、襖さんはコンテナハウスの穴に気付く。近付いて見て、ため息交じりに無精ひげを触ると愚痴をこぼす。
その姿に私は少し、ほんの少しだけ眉を潜める。それが仕事だとわかっていても、それよりも気にして欲しいものがある。
「怪我しているのは襖さんじゃないですか……! 調査って……襖さんは一人こんな危険な目に遭ってたんですか? この前だって結局三人には一人で話しを聞きに行って……! 襖さんは私と違って普通の人間なんです。もっと自分のことを心配してください!」
私のことを気にしてくれたこと、それは嬉しい。ドッと心臓が跳ね上がるほどに。だがそれとは別に、わかって欲しいと一歩踏み出す。
襖さんの頬に一筋の傷を負っていた。あの迫りくる鉄塊から私を助けた時だ。飛び散った破片の一つ、恐らくは車のガラスか何かがで切ったのだろう。
見上げた時、その傷からは赤い液体、血がにじみ出ていた。今は治まっているが、それを見た時、私は湧き上がる感情に突き動された。
襖さんに怪我を負わせたあの黒フードを許せない。捕まえて後悔させてやる。だが、その中でも一番大きく私を突き動かしたのは自分の不甲斐無さ。私がいながら襖さんを守り切れなかった。私が襖さんを護らなくてはならないのに、結果はどうだ。
逆に護って貰って、そのせいで襖さんが怪我をする。なんのために仕事がしたいと駄々をこねたのか。
「心配……? ルリチシャ、俺がお前を心配していると思ったのか?」
すると襖さんは向けていた背を隠し、その視線を私に向ける。その眼はなんと言えば良いだろうか。突き放すような、そんな眼だ。
「それは……」
「いいかルリチシャ、お前は人間じゃない。カマキリだ。お前が負傷して、お前から出た血の一滴でも他の人間に付着したらどうなるかわかってるのか? それをお前は考えもなしに追いかけ、無駄な混乱を招いた。一般人を巻き込んでな」
淡々とした口調が続く。その一つ一つが刺すように私を責める。
「……すいません。ですが、あの吸血鬼は襖さんを――」
「誰が何時さっきの奴が吸血鬼だと言った? それを決めるのはお前じゃない、勝手な判断をするな」
「はい……すいません」
「なにより俺は『待て』と言ったはずだ、なぜ指示に従わなかった?」
その言葉が、一番大きく押しかかる。私は返答のために口を開けたが、言葉が出ない。何から言えば良いのだろうか。同時にやっと自分がなにをしていたのかを自覚し、余計に口が重くなる。
頭を回せば回すほど、襖さんが怪我を負ったから、と襖さん自身を言い訳にしてしまう。そんなこと口に出来ない。私の失敗を、どうして襖さんに押し付けようとするのか。
結局「すいません……」と力なく答え、視線を落とす。行き場を失った両刃剣を握り締めながら。
「……わかった、もういい」
そんな私に襖さんは背を向け歩き出す。その背中を私は追いかける。置いて行かれないように。
途中で投げ捨てた長袋を拾い上げ、私は両刃剣を隠す。そしてただそれを抱きながら建設現場の入り口に立つ襖さんに寄り添う。時々横目で襖さんを盗み見るも、一度たりともその視線が私に向くことはなく、会話のないまま数刻が経つ。
そうしていると、前の道路に慌ただしく数台の車が停まり、中から建築現場の作業着を着た大人たちが降り出す。するとその一人が襖さんに挨拶を交わし、襖さんから中の状況を伝えられるとその者たちは建設現場に入って行く。その中には見たことのある顔があり、処理班の者だと理解する。
処理班、彼らは――もちろん女性もいるが――公安6課の清掃係のようなものだ。吸血鬼の駆除は内密に済ませなくてはならない。そのため、証拠になるものを全て抹消する必要がある。吸血鬼の死体から、血痕。駆除の際に起こった争いの痕跡まで、その全てを処理するのが文字通りの処理班の仕事だ。
私が黒フードを追っていた時には既に襖さんが連絡を取ったのだろう。恐らく立体駐車場やここまで来る道中にも処理班の者が向かって、今にも手を付けているはずだ。
そんな中、処理班が乗って来た車とは別にスポーツタイプの車が姿を現し、私と襖さんの前で停車する。すると運転席が開き、中からスーツと仕立ての良いコートを着た若さの残る男性が姿を現した。
「病葉さん、大丈夫ですか?」
「多々良か、どうしてお前がここにいるんだ? 呼んだのは処理班だぞ」
「その処理班が僕の担当区画に出て行くって聞いので着いて来たんですよ。聞きましたよ、襲われたとか。怪我はないんですか?」
ドアを閉めながら多々良は襖さんを気遣い、質問する。
すると助手席からもう一人、見てみればこの前廊下ですれ違った少女、シレネだった。赤いコートを着て、ツインテールを揺らしながらその少女は多々良に続くように車から降りて来た。
車の前を通って多々良の隣に立ち、シレネはそのままくるりとした瞳で多々良を見上げる。それに気付いた多々良は一度視線を向けて微笑んで返し、シレネもニッと笑う。
次に私に視線を向けると「ルリチシャ! 外で会うなんて初めてだね」と片手を軽く手を上げて、愛想よく笑みを浮かべた。そのもう片手にはバイオリンケースがあり、持ち手を握っている。それに対して私は一度だけ頷いて返した。
「お前も6課の人間なら俺のことよりも、もっと他のことを気にしたらどうだ?」
襖さんは肩を竦めながら言うと、多々良は首を左右に振る。
「そうは言いますが病葉さん、今回の件、随分と注目が集まってます。吸血鬼が6課の人間を狙って『狩り』を行ったんじゃないかって」
「若林のことか?」
「はい。若林はまだ対象を見つけていなかったんですよね? それなのに先手を打たれた……それって、6課の人間だってバレていたと言うことに……」
「通り魔的犯行の可能性もある。偶然『狩り』の対象にされたとも考えられるだろう」
「ですが若林だけではなく、今しがた病葉さんも襲われた! それが何よりの証拠では?」
襖さんの何時も通りの淡々とした受け答えに、多々良は反論する。襖さんのその態度が、多々良からすれば危機感のないように見えたのかもしれない。
もしくは公安6課の死亡者が偶然と言う言葉で片づけられたのが癪に障ったのか、どちらにしろ、多々良は語気を少し強める。
それに反応して、シレネは一度多々良を見上げ、次に襖さんに視線を向ける。それに対して、私は目を細めた。だが、シレネの視線に気づいた襖さんは一度見返し、何も言わないまま多々良に視線を戻す。
「いいか、多々良。お前のそれはただの憶測だ。それに俺を襲った奴は恐らく若林の――」
「病葉さん、少し構いませんか? ちょっとこれを……」
襖さんの言葉を処理班の一人が遮る。呼ばれた襖さんは軽い返事をすると、呼ばれた方へと向かう。そして少しは離れた場所で襖さんと処理班が会話を始め、どうやら何かを見せているようだった。
私はそれを見るため、何より襖さんの側へ行こうと歩み出す。近付く私に、襖さんの視線が一瞬でも向けられるかと期待したが、そんなことはなかった。
見てみれば、それは服の繊維だった。自分が転がった際に出来たのかと軽くコートを見るもそうではなく、処理班はコンテナハウスに開けられた穴を指差す。ならば、思い当たるのは一人。そもそも私以外だとすれば、この服の繊維の落とし主は決まっていた。
「襖さん……」
私はそれを言おうとするが、言うよりも早く、既に襖さんはそれを理解しているようだった。相変わらず視線は私に向かないまま、襖さんは処理班に指示を出す。
「あのーっ、幸村さん。この前のことなんですけど、あたし……」
一方、話し相手がいなくなった多々良とシレネは二人で会話を始めた。横目でそれを見てみれば、シレネはにっこりと笑って、多々良は目線を合わせるように膝に手を付けて、微笑みながら話している。
内容はわからないが、シレネは楽しそうに喋って、多々良はそれに頷いて返す。そして多々良の手が伸びたかと思うと、シレネの頭に優しく乗せた。
シレネはされるがまま多々良を見上げて笑みを浮かべ、多々良もまた微笑んで見せる。そんな二人の姿を見て、私は襖さんに声を掛けようとしたが言葉になる事はなかった。
「おい、多々良! 後は任せた、代わりにここの指示を取れ」
「あ、はい! わかりました。病葉さんはどちらに?」
「俺は調査の続きだ。それと、こいつを頼む」
次に襖さんは多々良に指示を出す。そして親指を立て、それを私に向ける。それが何を意味するか直ぐには理解できなかった。
多々良は少し驚いた様子を見せ、何か話していた。自分も付いて行くだとか、一人は危険だとか。それに対して、襖さんも何かを話していた気がする。ただその時の私は襖さんが一言呟いた言葉だけが、大きく記憶に残った。
結局連れて来るべきじゃなかった、と。




