2話 調査、二人
椅子に座り、襖さんは片肘をカウンターに付ける。その横で私は長袋――私の胸下ほどの長さだが――を抱くように持ちながら席に座る。先ほどまでいた男はカウンター裏の扉に姿を消して、二人だけの空間で、ただ音もなく静寂が流れていた。
19区画に着くと、私と襖さんはまず歩き回った。そこは一段と喫茶店やファーストフード店などが多く、また、すれ違う人々や、反対側の歩道には防寒着の内に同じような服を着た団体が目立つ。
複数人のグループが車道越しに笑い声を飛ばし、見てみれば「部活の先輩が一段とウザい」や「次とテストの範囲って」などのかみ合ってない話しが聞え、すれ違った別のグループからまた別の会話が聞こえる。
それに混じって髪の毛を金色にした若い男が革靴を鳴らしながらいそいそと歩いていたり、スーツを着た中年がカバンを大事そうに抱えて歩いていた。
そうして同じ道を何回か通った後、襖さんの足が止まり、とある小さなビルにたどり着く。階で店が違うようで、ビルに掛かっている色とりどりの看板にはそれぞれの店の名前が書かれている。
ビルの階段を上る襖さんに付いて行くと、襖さんは三階にある札が掛かっている扉を叩く。すると暫くして扉が少し開くと、面倒くさそうに男が顔を覗かせた。
目尻に大きな吹き出物があり、顎が前に出ていて、ここから見てもしゃくれていることがわかる。
その男は襖さんの顔を見るなり顔をしかめ、隙間から腕を出して扉に掛かっている「清掃中」の札を指差した。これを見ろ、とでも言いたいのだろう。
「こういう者だ。今日ここで人と会うことになっている、聞いてないのか?」
襖さんは懐から警察手帳を出して見せると、しゃくれた男は驚き、言葉を詰まらせながら「警察が……?!」と呟いた。しゃくれた男は扉を開け、男に案内されように扉を潜ると、そこは小さなバーと呼ばれるところだった。
カウンター席に、テーブル席が二つ。カウンターの奥には棚があり、そこには数々のビンが置かれている。他に目に付くところと言えば、置かれているバケツとモップ。今まさに清掃していたのだとわかる。
そして何かを待つようにカウンター席に座り、会話もなく時間だけが経つ。気まずいとは感じない、こうして襖さんの隣にいられることが普段できないこと。心地よい静寂とでも言うのだろうか。
だが、対して襖さんはどうだろうか。多々良と喋ったように、時順先生に『チンピラ顔』と言っていたように、襖さんは無口な人と言うわけでもない。それなのに車を降りて、今まで発言を一切しないと言うことは、少なくとも私との会話を求めていない証拠だ。だからこそ、私も口を開かない。
そんな沈黙が続く中、壁に掛けられていた時計の長針が二の数字を指した頃に、扉が開く音が転がる。見てみると、店の出入り口から白髪交じりの男性が現れた。
深青いダウンジャケットを着ていて、そのポケットに両手を入れている。白髪交じりの男性は私と襖さんを気にしていないかのようにそのまま店内に入り、何食わぬ顔でそのまま歩いて来る。
私と襖さんの後ろを通り過ぎようとするが、それよりも早く襖さんが席から立ち上がり、立ちふさがる。同時に私は手に持つ長袋に力を込める。不審な動きを見せれば、直ぐにでも動けるようにとの準備だ。
「まさかとは思ったが……東郷、お前か」
だが不意に、襖さんは呆れたように言葉を吐き、思わず私の視線は襖さんに引き寄せられる。
「おいおい、それはこっちのセリフだぜ。見ない間に寂びれた探偵みたいな風貌になりやがって……あの男に伝えろ、約束は守るものだってな。それとも手柄の横取りか? 公安6課って言ったって、そこらの企業とやること変わらないな」
「そっちはどうなんだ? こっちの奴に声を掛けて、本格的に6課に情報提供をする気になったのか?」
「馬鹿言うじゃねえよ。旦那の支払いが悪いから、新しい食い扶ち稼ぎだ。旦那が定額どうりに払ってくれるなら、こんなことしなくても良いんだがなぁ」
東郷と呼ばれた白髪交じりの男性は、からかうように焼け焦げている頬を二ィッと上げる。その見た目通りに、焼けたようなしゃがれた声だった。
対して襖さんは顎を撫で、肩を竦める。
「残りの人生豚箱で暮らすか、うちのマッドサイエンティストに突き出されないだけありがたく思え。本当ならそのどちらかだ」
「へぇ、へぇ、お優しい旦那なことで。まるで正月に子供のお年玉を預かる親のようにお優しい」
「そう思うなら知ってる情報を素直に話せ。こっちは仕事で――」
「親父ッ!?」
また不意に、今度は襖さんの言葉を遮る第三者の声が響く。見てみれば、声の主は何時の間にかに姿を消していたしゃくれた男だった。
カウンター裏の扉から上半身を覗かせ、東郷と呼ばれた白髪交じりの男性に何度も、それも勢いよく手招きを続ける。東郷は「おお……」と軽く驚きながら返事をし、横目で襖さんを見た。
襖さんは顎を動かして答えると東郷はカウンターの台を上げ、カウンターの内側に入る。そしてそのまましゃくれた男の肩を掴み、扉に入って行く。
すると後ろ手で力任せに閉められた扉に遮られて、声がくぐもってこそこそと、いや、ハッキリと会話が聞こえて来る。言い争っているのが良くわかる。
「お前、場所を空けとくように言ったじゃねぇかよ! 何でいるんだよ!?」
「ここはオレの店だ、いて何が悪い!? て言うか、親父ッ! なんで警察が来てるんだよ、なにしたんだよ?!」
「『オレの店』だぁ!? 肩代わりしてやってる借金がなくなるまで俺の店だ、馬鹿! 三十路までふらふらして、やっと職につくと思ったら親の金を使ってこんなバー開いてだ!」
「それは今いいだろ?! なんで警察が来るんだって話だ! 親父、もう若くねぇんだから、トラブルなんか起こさないでくれよ……」
そんなやり取りが聞こえ、次に「この馬鹿息子が!」と東郷の声と共に殴る音が聞こえる。
襖さんが額に手を当て、軽く首を左右に振り、息を吐く。頭痛がする、というわけではなさそうだが、顎を動かすように、また別の意味があるのだろうか。
「あの、襖さん。あの人はお知り合いですか?」
言い争いが続く中、私は口にした。東郷と呼ばれた白髪交じりの男性は、襖さんの名前を口にしなかったものの、関係を持っているような言動をしていた。
そもそも、襖さん自体が白髪交じりの男性を東郷と呼んだのだ。知り合いであると言うことは明白だろう。
こうして調査に同行するのは初めてで、襖さんは自身のことを話してはくれない。施設の外にいる、襖さんの知り合い。時順先生などの公安6課の人間ではない、外の、襖さんの知り合い。初めてその存在を知り、初めて見た。知りたい、恐らくそんな感情が私の口を動かした。
「ああ、情報屋だ。本名は不明だが、東郷と名乗ってる。まあ、東郷もこうなるとは思ってなかったようだな」
無言が返って来るかと思ったが、襖さんは答えてくれた。
「情報屋……?」
「個人的な協力者だ。いや、ビジネス相手か? 6課のことを知ってる者は突き出すか、口を封じた方が良いんだがな……」
「では、どうして突き出さないんですか。6課のことも、吸血鬼のことも知ってるってことですよね?」
公安6課。超常現象や都市伝説、様々な理由で調査出来ないブラックボックス。それらを一挙に扱うのが公安6課と言われる場所だった。
つまりは学校の七不思議や、神隠しとされ捜索を打ち切られた失踪者。地縛霊が出ると言われる路地から、人食いポストまで、そんなものを取り扱う課だと言うことだ。
他の課からは変人ぞろいの巣窟や、窓際部屋など様々な呼び名があるように、6課はきな臭いところだと誰もが言う。しかし表向きの実態がなんと言われようが、知ったことではない。逆にそう思って貰えればこちらも都合がいい。
公安6課は怪奇現象を相手にした表向きの仕事とは別に、本来の仕事がある。私の役目は本来の方で、つまり、人間ではない存在を秘密裏に『狩る』こと。
そしてその対象は、吸血鬼と呼ばれるもの。そもそも吸血鬼とは、その正体を隠して人間社会に溶け込み、内から蝕む存在。
高い身体能力は容易に人を殺すことができる力を持ち、また傷も簡単に治癒する生命力もあり、まず普通に殺すことはできないだろう。
そしてその吸血鬼を『狩り』治安を維持するために創立されたのが公安6課。日夜吸血鬼の存在を追い、見つけ出しては処分する。
だがその本来の仕事は極秘とされ、施設の外、世間には知られていない。人間と吸血鬼の外見の違いはなく、それに怯えた人間が魔女狩りを起こすのを避けるため。又は、本来の公安6課の動きを隠すためなのだと言う。
もしそれが知られたのならば、襖さんが言うようにその者は突き出される方が良いのだろう。そうすれば、世間に知られていない状況が維持できるからだ。
そして東郷は公安6課の、本来の仕事を知っている。しかし、襖さんは東郷を突き出さないのはなぜなのか、よくわからない。
「……利用価値があるからだ」
襖さんの知り合いは特別、そう思ったが、襖さんはただそうとだけ答えてくれた。ほんの少しだけ間があったが、襖さんがそう言うなら、そうなのだろう。
程なくして奥の扉から「いいからサッサと買ってこいッ!」としゃがれた声が叩き付けるように聞え、東郷が扉から出て来る。
そのまま東郷は頭を掻きながら、カウンターの裏にある棚からビンを一つ取り出し、カウンターをビンの底で叩く。
「恥ずかしいところを見られたなぁ。場所だけ貸すように言っといたんだが、たくっ、出来の悪いヤツだ」
バツが悪そうにビンの蓋を開けると、立ちっぱなしの襖さんに向かって「座ってくれ」と言い、カウンターの下からグラスを取り出す。
襖さんは言われた通り椅子に座ると、東郷は取り出したグラスを襖さんの前に置く。そしてビンから液体を注ぐと、東郷はビンの口から直接飲み、大きく息を吐く。
「でだ、なんで旦那がここにいるんだ、若林ってガキはどうした? まさか、本当に横取りか?」
「残念だが死んだよ。『狩られた』その穴埋めに、俺がこうして駆り出されたわけだ」
そう言った襖さんに、東郷は更にバツの悪い顔になる。それを誤魔化すように、またビンに口を付け、大きく息を吐く。
「そうか……そいつとは親しかったのか? 知り合いだった、とか」
「どうだかな。だが担当組は数が多くないからな、若林を知らない奴はいないさ……それはいい、今の問題はお前がなぜ若林と接触したのか、何を吹き込んだのか、だ」
「さっき言っただろ、食い扶ちだ。おいおい、旦那。まさか俺が殺したとか言うんじゃねぇだろうな」
「そうじゃなくとも、こっちはお前を突き出す理由はある。それにさっきも言ったように、関係者が死んだんだ、気分が悪い」
襖さんはグラスに手を掛け、グラスの中の液体を呑む。それに合わせるように東郷も三度息を吐く。そして口のから垂れた液体を腕で拭う。
一拍間が空き、東郷が口を開いた。
「旦那はもしかしたら知らねぇと思うが、俺はその手じゃ名の知れた情報屋でな、旦那以外に客が多くいるんだ」
「それについては疑問に思わない、6課のことを知っていたからな」
「でだ、若林は俺のことを知っていて、まあ、新規のお客さんになりたいってコンタクトを取って来たんだ。調べてみれば公安6課の回し者、俺を捕まえに来たのか、それとも旦那の知り合いなのか……少しの間、振り回したんだ。やれここに来い、あそこに行けってな」
「それで?」と襖さんは話しの続きを催促するように尋ねると、東郷は直ぐに次の言葉を口にする。
「後ろに誰がいるでもなく、個人的に会いに来たんだとわかったから、情報を流してやった。旦那の時みたいにな。五人の名前と、今回の密会場……つまりここだ。熱心なヤツだったよ、聞き逃すまいとメモを取ってたな」
五人の名前と、密会場。その言葉を聞いて、私はふと思い出す。抱えていた長袋を一度カウンターに立て掛け、自由になった手をコートの懐に入れる。そして取り出したのは真新しい背表紙に、線と点を書くように黒い汚れが付着している手帳。施設から出る時に襖さんから預かった手帳だ。
数ページめくり、目的のページを見つけると、記憶通り。そこに書かれていたことは、確かに五人分の名前と店の名前。店の名前はここ、現在、襖さんと私がいるバーだった。
するとそれに気が付いた東郷が「おお」と軽く口にする。
「そうそう、確かそんな手帳に書いてたな。いや、そもそもソレか? 持って来たのか」
確認するためか、東郷は私が持つ手帳に手を伸ばす。取られる、そう思った瞬間、東郷はカウンターに張り付いた。
私が伸ばしてきた腕を引き、カウンターに倒れ込んだ所で頭を上から手で押さえ込む。そして手早く手帳を懐に戻すと、頭を押さえながら立ち上がり、もう片方の手を立て掛けていた長袋を掴み、振り上げる。
狭い室内を長袋が風を切り、振り落されるその瞬間、眼前に飛び出す生暖かい液体が辺り一面に広がり――
「ルリチシャッ!!」
だがそうなるよりも早く私の名前が呼ばれ、振り上げた腕は動かなくなる。
襖さんを見て、その表情に、反射的に私は掴まれた腕の力を抜く。されるがまま腕を下ろすと、私のもう片方の手からうめき声が聞こえる。つられて見ると、カウンターと私の手の間に東郷の頭が挟まっていた。
指の間から見える東郷のその顔は、痛みに耐えるように歯を噛み、目も閉じている。そしてゆっくりと片目が開くと、周りを確認するように目玉を動かし、苦笑いを浮かべた。
手を離すと、東郷は「痛てててぇ」と顔の半分を手で摩りながら上半身を起こす。
「……すまない、邪魔したな。五人の名前だな、調べさせてもらおう」
そう言うと、襖さんは財布を取り出し、中に入っていた万札を見ずに掴みだすと、そのままカウンター置く。そして私に向かって顎を動かし、コートを着直すと出口に向かって歩き出す。
私は長袋の紐を腕に通し、長袋を肩に掛けると急いでその後を追う。
襖さんが見せた表情。この手帳は襖さんが私に『持っていろ』と渡してくれたもの。私が持っていなくてはならないもの。私はそれを護りたかったのだが……
「今度のは随分と血の気が多いんだな」
襖さんがドアノブに手を掛けた時、東郷が口にする。
「ルリチシャって言ったか? その子だろ、旦那の新しい担当の子は。前の子と違って直ぐに手が出るんだな。それとも今回はそういう教育方針なのか?」
私は振り向き、東郷を見る。カウンター上に倒れたビンとグラスを直していた。私が先ほど東郷をカウンターに叩き付けた時に倒れたのだろう。
そして直ぐに襖さんに視線を向けるが、襖さんは背中を向け、ドアノブに手を掛けたままだった。
「お前はどうだ? 名の有る情報屋が、実の息子の存在がバレるってのは死活問題なんじゃないか?」
「へっ、ガキは情報みたいに素直じゃねぇんだよ。結婚して子供を持てばわかる。それにここはな旦那、俺が金を出して造った城なんだぜ? それにここに呼んだのは誰だ?」
そう言う東郷に襖さんは肩を竦めて返すとドアノブを捻り、冷気が入り込む。室内から出で行く襖さんに続き、私も冬の外へと足を出す。
襖さんはそのまま階段を降り始め、懐から携帯電話を取り出す。会話を聞くに、どうやら先ほど話に出た五人の名前を尋ねるものだった。更に電話の相手に資料をまとめるよう指示を出すと、出来次第、携帯電話に送るように付け加える。
私はその後ろ姿に声を掛けようとするが、微かに漏れ出た言葉は風にかき消された。その背中は私との会話を望んでなく、合わない歩調で進んで行く。私など無視するかのように。
階段を降り、そのままビル前の歩道まで出ると、襖さんは携帯電話を懐に戻す。暫く無言が続いた後「おい」と襖さんから声を掛けられた。
「行くぞ、勝手な真似はするな」
「はい、襖さん……!」
口から白い息が出で、私は一人驚く。私が息や言葉を出すとそれが目に見えて白い靄のようなものになる。試しにハーっ、と息を吐くとそれは白い雲となって、何も出来ずに消えていく。それを襖さんに見られていて、私はただ微笑んだ。
襖さんはふらりと歩き出し、私もまた足を運ぶ。変わらないコンクリートの道を進み、通り過ぎる店や車を横目で見る。
店の中では比較的に若い人が多いが、それに混じってスーツを着た人も見える。中には私と同じ背丈の子供がいて、手に持つジャンクフードに口を付け、隣に座っている女性に向かって笑っている。親子、なのだろう。向けるその笑みは私がするものとは大きく違う。
寒さは施設を出た時よりも増していて、風が吹くとコートの袖や首元から寒さが入り込み、私の身体をこわばらせる。通行人を見れば背中が丸くなっているが、その首や手にはマフラーや手袋などの防寒着をしている。
だが襖さんを見れば私のようにコートだけで、背中は真っ直ぐに立っている。襖さんは寒くないのだろうか。服装から見て重ね着をしている風には見えず、スーツの上にコートを一枚だけ、と言った感じだ。そのコートも色あせ、長く使っているのが見て取れる。
コートを一枚、と言うのは私もそうだが、私は襖さんがいれば大丈夫で、寒い、とはやはり感じない。ただ今は少し、寒いとは思わないが、冷たい気がする。
途中、襖さんは立ち止まり、また携帯電話を取り出す。先ほどの件だろう。内容を確認して携帯電話を戻すと、また歩き出す。その歩調は今度は目的があるもので、しっかりとしたものに変わる。進み、曲がり、そうしてまた建物へとたどり着く。今度はビルとはまた違う大きな建物。
襖さんは建物の中に入って行くが、私は建物の中に入らず、外で待つようにと言い渡された。襖さんの姿が見えなくなるまでそのまま見ていたが、襖さんが振り向くことはなかった。そのまま道の真ん中で立っているわけにもいかず、私は道の端に寄り、待機する。
「あーあ、なんでこんな寒い休日に学校なんか来なくちゃいけないんだろ。サークルなんか疲れるだけだし、入らなきゃよかった」
「いいじゃない。あんたは将来有望視されてるんだから、先輩からの人望も厚いしさ……あら?」
その建物から出て来た二人組の女子が、ふと私を見る。そのまま二人は通り過ぎて行くが、通り過ぎてなお私に視線を向ける。「誰かの妹さんじゃない?」と言った会話が私の耳に届き、私は何気なく視線を向けると、向こうは顔を背けた。
学校、そう言えばこの建物に入る門の横にそんなことが書かれていた。見てみれば確かにそう書かれている。学校からは声が聞こえ、それが笑い声なのか怒鳴り声なのかはわからない。また音楽が聞こえてきたリと様々。
それに合わせて数多くの人がいる気配があり、窓から見えるのはほとんど同じ年齢の人々。時折建物から出で来る男女もそうだ。どういうわけか、出て来た人は一度は私を見て、何かしらの反応を見せる。こそこそと喋ったり、中には笑ったり。
長袋を持ち直し、ふと空を見上げて、ハーっ、と息を吐けば、変わらずに白い霧が出る。何時の間にかに空は灰色の雲に覆われていた。
「雨……」
こういう時は確か雨が降る。個人的にはこういう薄暗い方が落ち着くのだが、私も襖さんも雨を防ぐための傘を持っていない。もし降れば、調査は中止になるのだろうか。だったら、嫌だ。
折角こうしてチャンスを得たんだ、どうにかしてモノにしたい。他の者のように、仕上げだけではなく調査にも同行させてもらえるようになりたい。
しかし、私に何ができるのだろうか。何をすれば、調査の役に立つのだろう。どうすれば、襖さんに喜んでもらえるのだろうか。
思考が巡り、答えを求める。だが、考えがまとまるよりも先に、答えが出ないまま私の頬は緩んでしまう。
「襖さん、どうでしたか?」
襖さんの姿が見えて、私は自動販売機の影から飛び出した。どうでしたか、と聞いたものの、いったいどういう理由で襖さんがこの建物に赴いたのかは、わかっていない。
恐らくは調査のため。東郷が言っていた五人の名前に関係しているのだと思うが、憶測でしかない。私が調査のことをもっと理解していれば、わかったことなのかもしれない。それでもそう尋ねたのは、会話の切り口を見つけられれば、そんな思いだった。
「ああ、的は絞れた。五人はここの学生で、その内二人は今回の犠牲者の二人だった。知ってるヤツから話しを聞くに、この五人はツルむ中だったらしい。学校曰く『一般的な学生』らしいが」
「えっと、つまりは残りの三人の誰かが標的……吸血鬼と言うことですか?」
「もしくはこのグループに恨みがある者か、だな。そっちの方がよくあるパターンだ。下手に理性がある分、自分が疑われないように相手を選ぶ」
「吸血鬼が、ですか?」
なるほど、吸血鬼も考えると言うことか。何時もはただ処分対象として対峙するだけで、そう言うイメージはなかった。だが、考えて見ればそうなのかもしれない。
吸血鬼は正体を隠して人間社会に溶け込んでいる。溶け込むというと言うことは、それだけ周りを騙すことが出来ていると言うことになる。そしてそれを公安6課が調査して見つけ出すわけだ。
尋ねた私に襖さんは「そうだ」と答えると歩き出だし、その後ろから私は付いて行く。
「だが、所詮は浅知恵だ。二人も殺されれば、殺された方には嫌でも見当がつく。馬鹿じゃなければな」
そう言って、襖さんは手帳を開き中身を確認する。新しい情報を手に入れたのだろう。
「そう言うものなんですか?」
「誰しも心当たりがあるものだ。まあ、少なくとも次はこの三人から話しを聞くことになるな」
私は微笑んで頷くが、襖さんに見えないように唇を硬くする。どうやら次の予定は決まったようだ。だが、話し合いとなればまた私の出番はないだろう。
それ以外なら力になれるのに。例えば、襖さんを護るとか、誰かを追うとか。運動神経を使うことなら、私でも出来る。
しかし、そう言う訳にはいかないのだろう。仕上げと違い、調査は力を振るうだけではダメだ。逆に求められることはそれこそ、力以外なのかもしれない。
私が調査に手伝えることは少ない、と言うのは自分でもわかっていたことだ。が、ただでさえ先ほど東郷の時に失敗してしまったのだ。なにか一つでも役に立てることがしたい。
「はい、わかりました襖さん。どこまでも付いて行きます」
「いや、お前は来なくていい」
「えっ……」
ゾッと背中が冷たくなるのがわかった。口がポカンと開いて、言葉が出なくなる。襖さんを見上げる。だが、その背中は進むだけで、顔を私に向けることもない。
「この後は仕上げに使う、ここの区画の6課が所有している建物の下見だけだ。今日はそれで切り上げる」
今日は? ならば、明日また調査に同行させてもらえる。いや、そうじゃない、襖さんはそう言うことを言ってるわけではないだろう。
私は喋ろうとするが、その口は何も発することが出来ないまま、何度も閉じてしまう。言葉が出ないのもそうだが、そもそも何を言えば良いのかが思い付かない。
自然と視線が下がり、襖さんの革靴の踵が視界に入る。そこから聞こえるコンクリートを踏み鳴らす音が、考えられなくなった頭に響く。一歩一歩が大きく聞え、頬に当たる風でさせ耳に届く。
そんな中、コツコツと等間隔に聞こえていた音が一度リズムを崩し、私は視線を上げる。すると襖さんは更に視線を上に向けていて、何かを確かめるように軽く手を前に出していた。
「雨か」
ポツリと、襖さんの声に合わせて私の鼻先に小さな水滴が降る。私も襖さんのように灰色の雲を見上げると、小雨が降り始めたのがわかった。手の平を差し出せば、そこに一粒、二粒と濡らしていく。
「雨、ですね……」
やっと言葉が出たが、そんなことしか言えなかった。言いたいことは、もっと、別のことなのに。
襖さんを見れば、軽く辺りを見渡していて、一つの店に近付く。それはビルのような大きな建物でもなく、入り口の横に、店の名前とロゴが描かれた小さな看板がある。
襖さんは入り口から中の様子を窺うと、私に向かって顎を動かす。雨を避けるように建物の中に入って行く襖さんに続いて、私も置いて行かれないように中へと向かう。中に入ると店員に全席禁煙だと言われたのち、案内されてテーブル席へと向かう。店内には私と襖さんの他に数人いて、テーブルの上にはティーカップや軽食が乗っている。
案内された場所に着き、隣に座るわけにはいかず、テーブルを挟んで襖さんと対面する形で座る。必然的に襖さんと顔を合わせて、私は長袋を抱きながらうつむいてしまう。
耳ではテーブルの上にコップが置かれる音や、注文する襖さんの声。そしてそれも聞こえなくなり、今度は私が口を開く。小さく、小さく。
「襖さん、私……」
襖さんは、私のことを邪魔だと思っている。だから襖さんはこれまでに私を調査に同行させなくて、今回はそう言われたから仕方なく、嫌なのを我慢して私を連れている。
調査の邪魔になる私をこれ以上連れて行きたくなくて、調査の続きは私がいない明日にしようと、そう考えているのだろう。
残念ながらそれは事実で、実際にこうして初めて同行させてもらったが、迷惑しかかけていない。こんな私を、どうして連れて行こうと思うのだろう。
わかっている、それでも私は――
「連れて行ってください」
「……なに?」
「私を同行させてください!」
襖さんの顔を見て、私は口にする。
「今回の件、相手はカマキリを『狩った』相手だと、そう言いましたよね。話しを聞く三人の中に対象がいて、襖さんが……そんなの嫌なんです!」
襖さんが言ったのだ、担当していた者が『狩られた』と。いつ死ぬかわからないと。それが私たち6課だと、そう言った。
邪魔でも構わない。役目なんて言わない、私はただ、襖さんに何かあって欲しくない。そんな思いじゃダメなのだろうが、私はそれしか言えない。それが、純粋な私の思いだから。
襖さんは眉を動かし、椅子の背もたれに寄りかかり、腕を組む。
「いきなりどうした、施設で待つのは何時ものことだろう」
「そう、ですが……私は、私は襖さん……襖さんになにかあったら嫌なんです! 私は襖さんが――」
「ルリチシャ」
襖さんは私に手の平を向け、私の名前を呼ぶ。気付けば私の身体が前のめりになっていて、声も大きくなっていた。口を閉じて、軽く視線を落とす。
程なくしてトレイにティーカップを二つ乗せた店員が来て、それをテーブルに置く。襖さんは紅茶で、私も同じ物だった。襖さんが手に持ち、一口。
「……状況次第だな」
呟いた襖さんのそれが、遠回しの否定なのか、ご厚意なのか。
わかってはいるつもりだ、結局は私のわがままで襖さんを困らせている。一人で逸って、それでいて勝手なことを言って。
真似して私もティーカップを両手で包むようにして持つ。中の水面に私が映り、もう一人の私は私を見る。その顔は情けなくて、私の内情を映し出しているのかと思うと、余計に情けなくて。
そんな私を消すために、私が砕け散る。手の中に納まるティーカップの破片と、納まらずに流れ落ちる紅茶を残して。




