表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空色の恋模様  作者: 氷室冬彦
+ + +
9/19

7 一方の解決とちらつく願望

ふと気が付くと一日が終わっていた。厳密には、気付くと自分はベッドの上にいて、時刻は朝の七時ごろだったのだ。ここ最近の睡眠不足でぼんやり霧のかかっていた頭の中はやけにすっきりとしているが、昨日の日中に勇來と会ってからの記憶がなく、自分がいつ寝具に横になったか、そのあたりがさっぱり思い出せない。


静來が懸命に昨日の記憶を辿っていると、部屋の扉がノックされた。この時間帯に自室を訪れてくる人物に心当たりはない。出てみるとそこにいたのは勇來で、彼は部屋に入るなり床に手をついて大きな声で謝った。突然のことに静來は戸惑いを隠せない。


「ゆ、勇兄ゆうにい? なにを――」


勇來はなおも顔を上げず、声を絞り出すようにして事情を話してきた。頭の悪い彼の説明は非常にわかりづらいものであった。話の時間が前後し、必要なことを言い忘れ後から補足し、言わなくても支障がないことを言い、相変わらず要領が悪いが、まとめるとこうであった。


勇來が自分自身に使うつもりで千野原医師に譲ってもらった睡眠薬を、紅茶に混ぜて静來に飲ませた。自分よりも静來のほうがよっぽど疲れているように見え、自分が休むよりまず静來を休ませなくてはならないと咄嗟に判断した。それは静來のことを心配したが故の行動であったのだが、薬を盛ったことをどうしても謝りたかった。


静來はその話に大きな衝撃を受けた。兄に睡眠薬を盛られたことがショックだったのではない。勇來が睡眠薬だの催眠術などという、相手の意思を奪うような類のものをいたく嫌っていることは静來も知っていた。その彼にそこまでさせてしまった自分があまりにも情けなく、憤りを感じたのだ。勇來は馬鹿で愚かな人であるが、その分まっすぐで正義感の強い人でもあった。静來に飲ませる紅茶に薬を混ぜた瞬間から、今こうして静來に謝罪するまでの間、彼がどれほど強い罪悪感に苛まれてきただろう。


静來はじっと床に頭をつけたままの勇來の傍に屈んだ。なんと声をかければいいのかわからなかった。兄のごめんという言葉はこれまで何度も聞いてきたが、土下座までされたのははじめてだった。ただ、薬の効果でしばらく眠ったおかげか、昨日までよりずっと頭が冴えていた。静來は完全に覚醒していたのだ。


だから、このシチュエーションに最も似合う自分なりの言葉は、すぐに見つかった。


「この馬鹿兄」


静來は開口一番にそう言った。


「貴方は本当にどうしようもないほどの馬鹿ですね。このギルドで――いえ、この国で一番の馬鹿と言ってもいいでしょう。勇兄ほど愚かな人を私は知りませんよ。きっと世界中のどこを探したってそんな人はいないでしょうね。まったく、こんな人が兄だなんて私は――」


私は、


「……どうして謝るんですか。私のためにしてくれたんでしょう? 誰に何を言われても、きっと私は素直には休まなかった。だから勇兄は間違ってません。謝る必要なんてないんです」


情けない。


自分が情けない。


もうこれ以上、彼に心配をかけるわけにはいかない。まったく今まで何をしていたのだろうか。不安に押し潰されて動けなくなっているわけにはいかないのだ。風音空來の実姉として、勝手にいなくなってまわりに心配ばかりかけた弟をさっさと見つけて、頬でもひっぱたいてやらなくては。


意識は非常に明瞭だ。勇來のおかげだろう。


「さあ、さっさとあの馬鹿弟を捜しましょう。これまで私が休んだ分は考えることで返しますので、今どこまで進んでいるのか詳しい話を教えてください」


ようやくいつもの自分に戻れた気がした。



*



昨夜に露臥から受け取った書類を静來と手分けして読んでいった。何時頃何処で誰とどのように過ごしていたかが事細かに記されている文章には露臥が気を遣ってくれたのか、場所には青、人名には赤の蛍光ペンで印がされて見やすくされていた。きっとこれを見るのが勇來であることから見落としや捉え違いを危惧した結果の対策だろう。


ひたすら紙面に並んだ文字を目で追う作業に取り掛かった数分後に柴闇がやってきた。柳岸柳季からの伝言があると言ってその内容を述べる。空來がいなくなったことにカルセットが絡んでいるようなら相談してほしい――というようなことだった。柳季はバケモノについて詳しいのだ。勇來が礼を言うと柴闇は進歩はあったかと聞いてきた。


「ああ、柴闇。露臥に空來のことを調べるよう掛け合ってくれたんだってな、ありがとう。今静來と二人で手がかりを探してるところだ」


「礼なんかいらねえよ。……それよりお前はもっと別に、俺たちに言うべきことがあると思うんだがな」


「え?」


言うべきこと? 勇來は聞き返す。柴闇は何も言わず、俺はしばらく癒暗の部屋にいるからとだけ言って去って行った。部屋に戻ると全ての書類に目を通したらしい静來が目を閉じてため息を吐いた。


「情報を整理しましょう。まず、空來がいなくなったのは今から五日前。その日は私も勇兄も空來の姿を見ていませんが、その前日にはギルドにいたところを見ているので、その日よりも前にいなくなっていたことはありません。空來がいなくなった日から三日ほど日を遡ってみた結果、傍目にも様子がおかしいことがわかります」


「様子がおかしい――って、具体的には?」


「まず、人と会うことを避けています。姿を消す四日以上前は普段通り、ほとんど部屋に戻らずに昼間は外出しています。ギルドの中では誰かしらと一緒にいますし、大抵友達とお喋りしたりして遊んでいました。ですが、三日前からは外に出ている時間が極端に短く、一日の半分以上は自室で過ごしています。部屋から出て、誰かに声をかけられれば愛想よく対応しますが、自分から話しかけることはないです。二日前からは話しかけられても軽くあしらうようにしていて、露骨に他人との接触を避けるようになっています。この日はギルドの敷地から一歩も外に出ておらず、表情もあまり明るいものではなく気怠そうであったようです」


「前日と当日の様子はどうだ」


「前日。この日は昼頃に一度中庭を五分ほど散歩したことと、夕方に礼拝室へ行ったことが記されていますが、それ以外はずっと部屋にいます」


静來から今話している部分の情報資料を受け取る。つらつらと並ぶ文字列の真ん中あたりに空來が礼拝室と訪れたときの様子が綴られていた。


「それ以外はずっと自室にいるみたいだな。誰かが部屋に来たりしても居留守を使ってやりすごした。それで、いなくなった当日。この日は昼頃まで部屋から出てない。夕方の三時ぐらいに急に外へ出て、そのまま列車に乗ったきり――か」


「行き先は――わからないでしょうね。露臥の監視が届くのはロワリア国内だけのはずですから。空來が今この国にはいないということがわかっただけで、肝心の居場所はさっぱりです」


「いなくなる前日の夕方に礼拝室へ行って、それ以来誰とも会ってない――ってことは、空來と最後に話したのはアリアってことになる」


アリアというのは聖導音せいどういんアリアという少女のことだ。アリアは礼拝室を管理しているシスターで、普段は来客の対応やギルド内の清掃などの雑用を仕事としている。


「なら、アリアに聞いてみれば何かわかるかもしれないな。それから、空來がいなくなった前日に空來と話をしたやつにも、何か覚えていないか聞いてみよう」


「わかりました。まず礼拝室へ行きましょう」

次回は五月十八日に更新します。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ