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空色の恋模様  作者: 氷室冬彦
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8 無機質と暗々裏の表立ち

「はい。たしかにその日の午後四時三十分ごろ、風音空來様はこちらへおいでになりました」


聖導音せいどういんアリアはやけにかしこまった口調で淡々と答えた。彼女のその冷淡な応対はまるで機械のようであると、彼女を見るたびに思う。


昼間のギルドは何処にいても一定のざわつきが聞こえる。この建物の壁には防音性があるらしいのだが、しかしギルド員の寮がある三階などは、それでも廊下の声が室内に響いてくるのだ。雑音を厭う性質の者にはただ不快なだけかもしれないが、勇來はこのギルドの賑やかなのが好きだった。


しかし礼拝室だけは違った。同じギルドの中だというのに、まるでここだけ隔離された空間であるかのように静かで、隣に立つ人の呼吸する音が聞こえてきそうなほどの沈黙に包まれている。探偵の部屋もここのように静かなのだが、礼拝室のほうはそこに居座っているシスターもやや異質である。だから勇來や空來は用がない限りこの部屋に近付かないのだ。


等間隔に並べられた木製の長椅子。真ん中の通路に敷かれたワインレッドの絨毯。正面の青白い壁には大きな金色の十字架が、窓から差し込む光に照らされ輝いている。


「それで――空來の様子はどうだった? あいつと何か話したか? 覚えてることがあったら教えてくれ」


「……いいえ、何も。一度お声をかけましたが、一人にしてほしいと仰られましたので。しばらく図書室で読書をしておりました。なので、当時の空來様の様子というのも、よくは」


「そうか……わかった、ありがとう」


「お役に立てず、申し訳ございません」


アリアが深々と頭を下げたので勇來は少し焦った。


「いいっていいって、気にすんな!」


静來を連れて礼拝室を後にする。廊下に出ると急にあたりが騒がしくなった。やはり、あの部屋の空気はこのギルドでは異質だ。


「アリアのところでも手がかりなし、か。いよいよ八方塞がりかもなあ」


「勇兄、『八方塞がり』なんて言葉知ってたんですね」


「知ってるよ……」


大きくため息を吐きながら壁に凭れる。静來も腕を組んでじっと黙ってしまった。これからどうするか考えているのだろう。勇來は難しいことを考えられない性質なので、情報収集のために体を動かすことはできても、推理や推測をすることはできないので、頭を使うことは一緒にいる誰かに任せることになってしまう。


「空來と話した事実があるギルド員たちに話を聞いて回って、それで何かわかることがあればいいんですけど……それも、あまり期待はできないでしょうね。人の記憶なんていい加減なものですから、日常の一コマを逐一覚えている人なんて滅多にいません。もし収穫がなければ手詰まりですね」


静來は再び黙り込む。自分の代わりに頭を働かせている妹の真剣な表情を横目に見ながら、勇來は空來が行きそうな場所でまだ当たっていない場所がないか考えてみた。結果は言わずもがなである。


開いたままの窓から緩やかな風が吹き込んでくる。外の世界は現在の我々の世界とは反対に、嫌になるほど平和であった。


「――なんや、えらい困っとるようやの、お二人さん」


唐突に男の声が響いた。聞き慣れた声であるがその独特な言葉遣いはいつになっても耳慣れない。勇來の知り合いでこの特徴的で独特な話し方をする人物は一人しか思い当たらない。鈴鳴龍華はいつからそこにいたのか、勇來たちから少し離れたところの窓枠に腰を掛けながらこちらを見ていた。袴姿の神主がとる行動としてはいささか粗暴な印象だ。


「龍華……」


勇來が名前を呼ぶと龍華はニッと口角をあげた。


「お前ら、いっちゃん身近におる存在を忘れとんのとちゃうか?」


「身近な存在?」


「にッぶいやっちゃな、勇來。ええ加減わざとやっとるんか。お前ら二人だけで失踪した人間を捜すなんざ無茶やねん。借りれる手は借りんといかん。空來をはよ見つけたいんやろ? そんなら遠慮しとるヒマあらへんがな。そもそも今更、遠慮やの何やの言う仲でもないやろうに。お前の幼馴染はお前がたった一言声かけるだけで動いてくれんのやで?」


龍華は二人に向かって歩を進め、すれ違いざまに勇來の背中を叩いた。


「――行っといで。二人とも、お前が来んのずっと待っとるわ」



*



「お前はどう思う?」


と柴闇が問いかけてきた。どう思う――というのは勿論、失踪した風音空來のことについてだろう。空來が何処へ行ったかの予想と、彼が突然姿を消した理由の推測など、いろいろな意味を込めての言葉だ。癒暗は少し考え込む。


「調べてみないとわからないね。僕らには情報がなさすぎるよ」


「調べればわかることか?」


「わかるだろうね。でも、まだ調べるつもりはないんでしょ?」


「野暮なこと聞くんじゃねえよ」


柴闇はくっくっく、と喉を鳴らして笑いながら右目の眼帯を外した。左の青い瞳とは対照的な赤い瞳が黒い布地の下から姿を現す。癒暗も同じように自分の左目を覆っていた眼帯を解いた。いつも露出している赤い瞳とは正反対の、柴闇の左目と同じ青い瞳の視界が開けた。


普段から二人でいるときや一人で過ごしているときなどはこうして眼帯をはずして生活している。長時間目を塞いだままでは視力が低下する恐れがあるからだ。片目だけの生活にも今ではすっかり慣れたが、気を付けるに越したことはない。


龍華と玲華の二人のように、柴闇と癒暗の二人も一人一色、赤と青の瞳を持つ対照的な兄弟になるはずだったのだろう。だが、きっと母の胎内にいる間にお互いの目がひとつずつ入れ替わってしまったのだ。二人に割り当てられた天風家の力――平たく言うと超能力のようなもの――も、その時に分割されたに違いない。


柴闇には癒暗ほど気配りはできないし、癒暗には柴闇ほどの決断力はない。癒暗は精神的な力を操るが、柴闇は物理的な力を操る。こういった、お互いの足りない部分を補い合うような性格と能力から、この兄弟が双子などではなく一人の人間として生まれていたならきっと完璧な人間に育っていたであろうことが推測できる。


柴闇と癒暗が天風の力を使って空來の捜索に手をかせば、多少は捜査が楽になるはずだし、比較的短い時間のうちに空來の居場所を突き止めることができるだろう。


ならば何故、自ら進んで彼らの手伝いをしないのか――それが二人の性質だからである。


柴闇も癒暗も、自分の――あるいはお互いや周囲の人間の――身を守るために力を使うことはよくある。これまでもカルセット討伐などの任務で戦いを余儀なくされたときは惜し気もなく力を使って周りを援護して、戦闘が有利になるように尽力してきた。


しかし今回の場合は空來がいなくなったといっても、事件性はないと見て間違いないだろう。自分たちが勇來の話を聞いて考えてみてもそう感じたし――この判断基準もどうかと思うが――探偵やロア・ヴェスヘリーなども問題ないと言っているのだから、空來は無事なのだ。そもそもこれは彼らの問題であるのだから、今回の件で柴闇たちが自らしゃしゃり出ていくほど焦る必要はまったくない。


故に、当人たちから頼まれるまでは柴闇も癒暗も、彼らを気に掛けたり多少の手伝いをすることはあっても、天風の力を持ち出すつもりはないのだ。薄情だと思われるかもしれないが、天風はいつもそうなのである。


ただ、勇來たちが自分たちの力で突然消えた空來の居場所を捜し当てる――などということは、空來自身が何処かに出かけることを誰かに言いでもしていない限りは難しいだろう。彼らが焦っていることも接していてわかる。不安や焦燥を表に出さないようにしているようだが、人生の半分以上を共に過ごしてきた幼馴染の目はごまかせないのだ。そうでなくても柴闇と癒暗は他人の感情などに敏感なのだ。


だから柴闇も――ほんの少し、焦った。


当初の、頼られるまでは様子見をして、頼られたら手をかそう――という他人事な姿勢と考えよりも、早く自分たちを頼ってくれ――という願望のほうが強くなってきたのだ。それに関しては癒暗も同感で、勇來が癒暗を頼ってくる気配がないので、ここ最近はなんだかそわそわと落ち着けないでいた。


放っておいても大丈夫だ。事件にはならない。何かあっても簡単に死ぬような男でもない。そのうち帰ってくる――頭ではそう思っていても、やはり柴闇も癒暗も空來のことが心配なのだ。


その時、扉をノックする音が鳴ったので二人は同時に眼帯を着けなおした。癒暗が立ち上がり、部屋の扉を開ける。そこには二人の男女がいた。


うなじを覆うほど伸びた青い髪。垂れ下がっているとも吊り上がってるとも言えない青い目はいつもより活気がなく疲労の色が強い。癒暗よりも背が高いので、まともに目を合わせようとするとこちらが僅かに見上げる形になってしまう。


男は風音勇來であった。


その後ろ。


腰まで伸びた黄緑の長い髪。前髪を顔の右側に寄せ髪留めで固定し右目を隠している。目尻の吊り上がった左目は目つきが悪く見えるので初対面だと怖気る者が多い。


女は風音静來であった。


「――頼みがあるんだ」


と勇來が言った。柴闇が椅子から立ち上がりながらそうか、と言った。


「言ってみろ」


柴闇が勇來たちのほうを向くとその動きに合わせて彼の長い髪が揺れる。勇來はいつになく神妙な面持ちで柴闇と癒暗を見ていた。


「お前たちの力を――かしてほしい」


癒暗たちが待ち望んでいた言葉だった。

次回は五月二十日に更新する予定です。

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