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空色の恋模様  作者: 氷室冬彦
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9 協力開始の合図

也川露臥から提供された情報の束にざっと目を通した後、柴闇は近くにあった紙に走り書きのメモをとると、書類を勇來に渡して立ち上がった。


「状況はわかった。少しの間二手に別れて行動しよう。俺と静來は空來と接触した記録の残っているやつに話を聞いてくる。癒暗と勇來はもう一度る礼拝室へ向かってくれ。ニ十分後に一階の応接室で合流だ。それでいいな?」


「了解。出来る限り調べてみるよ」


行こう勇來、と癒暗は勇來の背中を手の甲で叩いて部屋を出て行った。勇來がじゃあまた後で、とこちらに手を向けて癒暗の後を追う。柴闇と静來は勇來が出て行った後、しばらくの間を無言で過ごしたが、やがて静來が立ち上がったことで沈黙は破れた。


「……あいつがいなくなる前日と前々日、空來と接触があったのは柑奈かんなと白黒姉妹、一罪かずさ、それからロアの五人だ」


「一罪には既に勇兄が話を聞いていますが、彼は何も知らないそうです。接触――といっても、一罪が落としたライターを空來が拾って届けた、ってだけだそうです。ロアは……そういえば、まだ聞いてなかった気がします」


一罪というのは第五軍のギルド員である水流一罪すいりゅうかずさのことだ。何かと運が悪く苦労の多い少年で、柴闇たちと歳は同じなのだが早くも煙草を吸っている。彼の生まれた国では十六歳からが成人なので、十七歳である彼の喫煙は全くの合法なのだが、大抵の人間からの第一印象はあまりよくない。


「他の四人のところに行ってみるか。ただ白と夜黒は二日前に任務へ出かけたらしくて、まだ帰ってきてないかもしれないけどな」


「とにかく、一番近いところ―――柑奈の部屋に行ってみましょう」



*



礼拝室は常に清潔であった。全部で二十台、二列に分けられ整然と並ぶ木材造りの長椅子。列の間の通路に敷かれた赤い絨毯。正面の壁にかかっている大きな十字架。部屋の何処を見ても塵ひとつ見当たらないのだから全く見事なものである。


礼拝室の管理をする傍ら、ギルドの清掃や雑用をもこなすシスター、聖導音アリアはずらりと並んだ長椅子のうちの、通路から見て左側の最前列に腰掛けていた。アリアは勇來と癒暗が礼拝室に足を踏み入れると同時に腰を上げ、腹部のあたりで両手を重ね、滑らかな動作で振り返ると二人に向けて深々と一礼した。品性溢れる所業であったが、何処か機械的である。


アリアのその礼儀正しい立ち振る舞いは癒暗の恋人である鈴鳴玲華と類義しており、彼女の機械的な言動も、癒暗は彼女よりも機械的で、本当の機械人間である少女――藍那夜黒というギルド員――を知っているため、別段驚きもしないのだが、しかし彼女らとアリアでは決定的に何かが違った。


聖導音アリアは人間らしくないのだ。彼女と比べれば、例の機械人間のほうがよっぽど人間らしい。アリアからは生気や生活感といったものが感じられない。人間の匂いがしない――アリアという少女からにじみ出る異質さや違和感はそれが原因だ。彼女とコミュニケーションをとる際は、相手は人間ではなく機械だと思って接した方が気が楽かもしれない。


一日のスケジュールを一分一秒まで正確に、きっちり完璧に実行し完遂してみせるその機械のような様と、聖導音アリアがただの人間であるという事実が一種のギャップを生んでいるのである。彼女のその性質について、何とも思わない者もいれば、素晴らしく堅実で真面目な女性だと好い印象を抱く者も勿論いる。しかし彼女の持つギャップを「不気味さ」として捉えてしまい、生理的に受け付けないという人間がいることも事実だ。


癒暗は彼女に対して好い印象も悪い印象もなく、アリアは一風変わった少女なのだという風に受け取って、他の皆と同じように接しているが、例えば雷坂郁夜のような人間に聖導音アリアという人間は全く異様な生き物として見えていることだろう。


人間なのに、人間らしさが微塵も感じられない。


まったく彼女は変わっている。


頭を上げたアリアに勇來は何度も悪いな、と一言詫びた。アリアは一言いいえ、とだけ言った。感情のこもらない淡々とした声である。アリアがちらりと癒暗に一瞥をくれたので、癒暗はにこりと笑んだ。


「ちょっと調べたいことがあるんだ。ああ、でも、別にあちこち触って調べまわるわけじゃないし、うるさくするわけでもないから、僕らのことは気にしないでいいよ。一分も掛からず済むことだしさ、終わったらすぐに出て行くから」


「かしこまりました」


「あ、でも一つだけ聞いていいかな?」


「何でございましょう」


「空來がここに来た日。えっと、今からたしか――」


「七日前のことです」


「そう、七日前。その日、空來はこの部屋のどのあたりにいたの? 椅子に座ってたなら、どのあたりに座ったとか、覚えてないかな?」


アリアは「記憶しております」と言い、赤い絨毯を歩くと、部屋の右側に並ぶ長椅子の、前から二番目の長椅子を手のひらで示した。


「空來様はこちらの席の、丁度右端の方ににおかけになっておりました」


「そっか。……このあたりかな?」


言われた通りの場所に癒暗が腰掛けると、アリアははいと言って頷く。


「ここに座ったのって空來が最後? 今僕がここに座るまでに、他の誰かが座ったとかはない?」


「いいえ。わたくしの見ていた限りでは、その席をお使いになったのは空來様が最後でした」


「そっか、ありがとう。ごめんね付き合わせちゃって。もう何も質問はないから、好きにしてていいよ」


癒暗がそう言うとアリアはもう一度深々とお辞儀をし、癒暗たちが来るまでに座っていた位置に戻って再び腰を下ろした。


「癒暗、どうするんだ?」


勇來が尋ねる。癒暗はすぐ済むよ、と笑って左目の眼帯を外した。



*



「一週間も前のことなんて覚えてないよォ。たしかに話したかもしんないけど、何の話したとかまでは全然!」


甘夏柑奈あまなつかんなは白衣の袖の余った部分をひらひらと振りながら眉の端を下げて困ったように言った。予想通りの返答に静來がため息を吐く。柴闇はううんと唸りながら頭を掻いた。


「やっぱ、そうだよなあ」


「日が経ちすぎましたね。覚えていないということは、気になるほどおかしなことはなかった――ということなんでしょうけど」


「覚えていたとしても大した情報ではない、か」


「なんかごめんね。あ、でも空來、ちょっと元気なかった気がする。あんまし覚えてないけどさ」


申し訳なさそうにそう言って柴闇たちから僅かに視線をそらし、柑奈はあっと声を上げた。そして柴闇と静來の肩越しにその背後へ声を張り上げる。


「白黒ォー!」


柴闇が振り返ると、こちらに手を振っている、胸元に時計を提げた少女と、その隣を歩く髪の長い少女――藍那白あいなはくとその妹、夜黒よるくがいた。白黒、というのはこの二人の通称のようなものだ。例の遠征から帰ってきたらしい。


白は両側の側頭部でくくった青紫の髪を揺らしながらこちらに駆けてくると明るい声でただいまァと言った。夜黒はその後から歩いて追いついてくると柴闇たちに軽く会釈した。姉であるはずの白よりも妹の夜黒のほうがよっぽど落ち着いている。仕方ないと言えば仕方ないのだが。


「ちょうどいい、白黒姉妹。お前ら一週間くらい前に空來と会っただろ? その時のことについて何か覚えてることはないか?」


「え、空來? そうだっけ、覚えてなぁい」


白は首を傾げてそう答えた。直前に聞いた柑奈の答えもあってか、彼女の記憶に関してはたいして期待していなかったので、あまり落ち込む気持ちはなかった。手短に事情を説明すると、柴闇は次に夜黒を見た。白と同じ色の髪は腰のあたりまで伸びている。よく見ると左目に一本の線のようなものが透けて見えた。


「厳密に言うと八日前の昼頃のことだ。夜黒、空來との会話の内容と、当時の空來の様子に何かおかしな点はなかったか教えてほしい」


柴闇が問うと、夜黒の左目の線に一瞬小さな光が横切った。それは彼女が能力を使うときの合図である。


夜黒は元々は能力を持たない普通の少女であったのだが、過去にひと悶着あって体脳系の能力――体の一部に宿る能力――が覚醒し、子細は割愛するが今では機械人間アンドロイドと言われるような存在となってしまったのだ。


機械と人間の割合が七対三なので、夜黒は元々人間だったにも関わらず、機械的な人間というよりは人間らしさのある機械だ。機械――といっても、例えば右手が義手であるとか内臓の一部が人工物であるとか、そういった部分的でちぐはぐなものではない。青い水と赤い水が混ざって紫の水になるように、夜黒の中では機械部分と人間部分が完全にムラなく混ざっていて、つまり彼女は正確には人間とも機械とつかぬ第三の存在なのだ。複雑な事情であるのでとりあえず人間機械ということになっている。その表現もあながち間違いではないからだ。


彼女の体内に能力が宿ったことにより彼女は機械化し、その結果として彼女の脳はまるでコンピューターのようになった。つまり夜黒にとって「一週間前の出来事を思い出す」ということは、過去の記憶を辿る、というよりも一度保存したデータを再び開くという感覚に近い。地図を覚えたり空間を把握することも得意なので、彼女といればたとえ森の中をやみくもに走り回ったとしても、帰り道がわからなくなることはない。


その性質から、彼女も也川露臥のように情報管理や情報収集の腕は優れている。しかし露臥のように広範囲の情報を一度に収集することはできず、自分自身が見聞きした事柄以外は記録することができない。それでも監視カメラのように視覚的なデータしか扱えない露臥とは違い、五感の全てをデータとして残しておけるので、他人と話をしたならたとえ一年前の何気ない会話でも必ず覚えているのだ。


夜黒はもう一度左目に光を走らせるとニ、三度瞬きをした後に頷いた。


「普段とは明らかに様子が違ったことを記憶している。目の下に薄く隈が出来ており、顔色も良くなかった。いつもの活気は完全に失われていので体調でも悪いのかと思ったが、体内に異常はなかった」


彼女の左目は目の前に立つ人間の体を頭から足までスキャニングし、ウイルスなどに侵されていないか調査することができる。例えば具合が悪いと言う人間がいればその人の体をスキャンして見て、胃腸が弱っているとか喉が腫れているとか、具体的に何処が悪いかを調べることができるのだ。わざわざそんなことをしなくても医療室へ行けば診察と薬の処方などを一度にしてもらえて手間がないのだが、柴闇は医療室の空気がなんとなく苦手なので、体調を崩した際はよく彼女の世話になっている。前もって何処が悪いのかわかっていれば、医療室での滞在時間を短くすることができるからだ。


白が思い出したようにそうだそうだ、と言った。


「たしかね、空來に顔色悪いよって声かけたの。そしたら空來は大丈夫だよって言ってどっか行っちゃった。多分それだけだったよ」


夜黒が頷き、それ以上の会話がなかったことを柴闇に告げた。柴闇が礼を言うと白と夜黒は報告書の作成があるからと去って行った。柑奈は何か思い出したら知らせるからとだけ言い残して自室に戻った。


「……さっそく手詰まりだな」


「まだです。ロアのところに行ってみましょう」

次回は五月二十二日に更新する予定です。

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