3 延々連なる遥か上
だらだらと続く石畳の階段をようやく上りきったところに鈴鳴神社はある。赤い鳥居をくぐってまずはじめに目に入ったのは、傍で境内の掃除をしていた少女――鈴鳴玲華の姿だった。
知性を感じさせる青い瞳と、同色のリボンが薄茶色の短髪と一緒に揺れる。玲華はこちらに気が付くとふわりと微笑み、物腰柔らかに会釈した。
「ようこそ……いえ、おかえりなさいませ」
落ち着きの感じられる声色で玲華は一言そう言った。いつ見ても可憐な娘である。彼女の微笑にみとれない者などいないだろう。その品性たるや、同じ十七歳だとはとうてい思えない。
柴闇は片手を軽く挙げ、おう、と玲華の挨拶と比べることすらもおこがましい、なんとも品に欠ける挨拶を返す。自分にはこの神社の巫女である彼女のような礼儀を重んじた態度はできない。
ふと自分の隣を見ると、つい今までそこにいたはずの癒暗の姿はなく、正面に視線を戻したころには玲華は手に持っていたホウキを取り落としていた。
「れーいーかぁー!」
「来て早々か、癒暗」
玲華にぴったりくっつく癒暗に呆れ顔で柴闇が言う。彼の玲華に対する挨拶は熱烈な愛情表現の一環だ。玲華は抵抗するでもなくただ苦笑している。恋人同士のスキンシップというより女友達同士ではしゃいでる様子に似ている気がする。この二人はいつでもこうなのだ。柴闇がため息を吐くと玲華はご案内致しますと言ってホウキを拾い上げ歩き出した。
境内には神社としての設備の他に大きな屋敷があり、玲華とその兄はギルド員でありながら神社での仕事もこなしており、ギルドの寮ではなくこの屋敷で暮らしている。柴闇と癒暗はロワリア国へ移住し、ギルド員となるその日まではここで玲華たちと共に暮らしていた。鈴鳴とはもはや家族のような間柄で、屋敷の構造も隅々まで記憶中枢にインプットされているから、案内もなにもないのだが。
玲華と共にひとつの座敷へ入っていく。部屋には既に一人の男がいた。玲華と同じ色の髪と、はっきりと吊り上がった目は玲華とは正反対の赤い色だ。鈴鳴龍華――玲華より一つ年上の実兄であり、この鈴鳴神社の神主だ。木製の孫の手で背中を掻いているところだった。
「おう、眼帯双子か。どないしたんや」
龍華は柴闇と癒暗を見るなり独特な発音の言葉遣いでそう言った。ギルドの者は大抵、柴闇と癒暗が一緒にいると二人をまとめて双子とか眼帯双子とか呼ぶ。二人で揃って眼帯を着けているからだ。
テーブルの周りに敷かれてあった座布団に腰を下ろすと、いつの間にかいなくなっていた玲華が四人分の茶を盆に乗せて持ってきた。龍華がそれまで手に持っていた孫の手をしまって胡坐をかく。彼は十八歳という年の割に老いを感じさせるような言動が目立つ。
「大した用はないんだけどな。最近、何処かで空來を見かけなかったか?」
「空來? いンや、俺ぁしばらく見とらんけど」
「私も見ておりません。空來さんがどうかなさいましたか?」
玲華が尋ねる。癒暗は「いなくなったんだってさ」と軽く言って玲華の髪に触れようとする。しかしその手は龍華が再び手に取った孫の手によって弾かれた。
「癒暗、俺のおる前で玲華に手ぇ出すんやない」
「龍華のいない場所でならいいの?」
「けったいなこと聞くんちゃう。節度を持てっちゅうとんじゃ、だらしないやっちゃな。俺はお前を玲華の旦那としては認めた覚えないねん。そこんとこわかっとんか」
「兄さん」
「ホンマ最近の若い連中は、女ができたらすぐ手ぇ出しよんねや。ええか、俺の目が黒いうちは玲華に余計な手出しさせんからな!」
「兄さん、落ち着いてください」
「おい落ち着けよ龍華、そんなだからシスコンって言われるんだぞ」
彼は玲華のことになるといつもこうだ。妹への心配が過ぎる。
癒暗と玲華は恋人ではなく、俗に言う許婚という関係なのだ。柴闇たちの故郷であるダウナ国には天風神社という一つの神社があり、そこが柴闇と癒暗の生まれ育った場所だ。つまり、柴闇と癒暗は龍華と玲華に同じく神社の人間で、何事もなく時が進んでいれば柴闇か、もしくは癒暗が天風の当主となっていただろう。
玲華たちの両親と柴闇たちの両親は住む土地が離れてはいたが同業者という共通点があり、ふとした出会いをきっかけに交友関係を築き上げ、いつしか両親たちは親友と呼べる関係となっていた。そして――詳しい経緯はわからないが――鈴鳴の長女と天風の長男を結婚させるという話になった。しかしその話を聞かされた柴闇がそれを強く拒絶したので、柴闇と玲華ではなく、癒暗と玲華が将来結婚する流れとなったのだ。最初は不仲だった二人だが同じ時間をともに過ごすうちに打ち解けていき、今では癒暗は玲華にゾッコンで、玲華もまんざらでもない様子だ。すっかりお似合いである。
天風は鈴鳴よりも宗教の色が強く、しかし長男である柴闇は宗教的なものに否定的な態度だったので、きっと彼は当主の座ですら癒暗に譲っていただろう。最も、いろいろあって天風家は滅亡の一途を辿ったのだが。二人が鈴鳴家に引き取られたのは、他に二人の幼児を育てられる人がいなかったのと、親友のよしみからだ。めちゃくちゃな半生ではあったが、柴闇はこれでよかったと思っている。亡くなった両親のことを思えば胸も痛むが、跡継ぎがどうとかいう話をせずに済むし、家業と比較すればギルドの仕事のほうがずっとラクで楽しいのである。
玲華が咳払いをしてその場を鎮める。
「話を戻しましょう。空來さんがいなくなった――と仰いましたね」
「ああ。三日前――いや、もう四日前か。それくらいからギルドに帰ってこないらしいんだ」
それから柴闇は龍華たちに、空來と連絡がとれないこと、空來に遠出の仕事はしばらくなかったらしいこと、勇來にも静來にも出かけることを告げなかったことを話した。
「はあ、なるほどなあ。あの空來が勝手におらんようになったっちゅうのは、とんでもないことやで。俺らもまあ、お互い連絡は極力欠かさんようにしとるけども、あの三つ子は特にそのへんに執着もっとるからなあ」
「三人はお互いに、生まれる前から一緒にいた仲だもんね。何か思うところがあるんだよ」
「お前らも双子やさけ、気持ちはわかんのとちゃうか?」
「まあな……俺たちもあいつらの幼馴染として、空來の行方が心配だ。今回の件、場合によっては俺と癒暗が手を貸すことになるだろう。でもその前に出来ることを出来るだけやっておきたいと思ってな。それでお前たちにも何か知らないか聞きに来たんだが……」
「残念ながら、私は何も。お力になれず申し訳ありません」
「俺も、四日前っちゅうたらたしか、一日中本殿の掃除しとったはずやからなあ」
龍華は顎に手をあて、その日の記憶を探りながら唸るが、やがて大きく息を吐いて、残念そうな顔で知らんなあと言った。しかしすぐに顔を上げ柴闇を指さし、にい、と口角をあげる。
「そんな地味な聞き込みと違うて、なんぞもっとええやり方あるやろうに」
「もっといいやり方?」
癒暗が小首を傾げる。龍華は得意気な笑みのままそうや、と言った。彼の思考は常にポジティブで、その表情はいつでも自信に満ちている。
「情報収集すんねやったらな、ここより先に行く場所あんのとちゃうか?」
双子ははっと顔を見合わせた。
次回は五月十日に更新します。