2 求む協力の届かない要請
司令室の扉は開きっぱなしだった。部屋の奥にあるデスクに支部長――來坂礼の姿を確認すると中に入り、彼の名を呼ぶ。紫色の大きな瞳がこちらを見た。童顔だが整った顔立ちをしている。独特な色合いの綺麗な青髪が窓から差し込む日の光に照らされ、白く輝いている。礼は勇來を見ると開口一番にこう言った。
「空來なら知らないよ。ここ最近は遠出の任務もなかったし、何処に出かけるとかって話も一切聞いていない。いつからいないのかすら知らない。俺をアテにしても駄目だね」
礼は勇來が今まさに尋ねようとしていた問いの答えを、勇來が問いかける前に答えてしまった。
「じゃあ――」
「探偵は仕事で留守だよ。連絡をとろうと思えばとれるけど、事件性がない内部の問題にあいつが手を貸してくれるとは俺は思わないなあ」
またしても問う前に答えが返ってくる。まるでこちらの考えが全て見透かされているようであるが、実際、彼には勇來の考えが視えている。礼はエスパー系の能力者で、他人の思考、感情、過去などの一切がその目に視えるのだ。つまり礼は勇來の姿を一瞬見ただけで、勇來が今どんな気持ちで、何をしにここへ来たのか、ここへ来るまでに何をしていたのか、礼に何を言おうとしているのかが全てわかってしまったのだ。勇來がこのギルドに来たのは六年は前のことなので、こんなやりとりもすっかり慣れてしまっているが、初めて彼と話す人は彼の言葉に驚き、時に不快感を覚え、時に怯えることだろう。勇來もはじめは驚いた。
「礼が最後に空來を見たのはいつごろだ?」
「俺は――そうだなあ、一週間くらい前に女の子は難しいとか何とか言いながら赤くなった頬をさすっていたのを見たのが最後だ」
「嫌な思い出だな」
「そんなに心配しなくてもさ、案外すぐ戻ってくるかもしれないぜ? 気持ちはわかるが、あいつももう子供じゃないんだ」
「でもさ、もう三日だぞ? 三日間も帰ってこないまま音信不通で何処にいるのかもわからないんだ。もし何かあったんだとしたら――」
「わかったよ。何か思い出したり、わかったことがあったらすぐ知らせる。それと、ダメ元で探偵にも声をかけてみる。無駄だろうけどな」
「一言多いぞ」
「悪い悪い」
*
「じゃあ、その件については今話した通りに進めてくれ。ああ、署名はこれでいいかい?」
「ばっちりだね」
ロワリアギルド第二棟の一階にある応接室にて、ロワリア国の化身、ロア・ヴェスヘリーはダウナ国の化身、ダウナ・リーリアとの会合をたった今終わらせたところだった。ロアから受け取った書類を大事そうにしまった青髪の男はこの時を待っていたと言わんばかりに身を乗り出し、にこにこ笑顔になる。彼はいつも仕事の用事が終わった後も二時間は帰らない。
お互い住む場所が遠いので共同で取り組む仕事でもない限り普段は滅多に顔を合わせないのだ。積もる話もあるのだろう。ロア自身もダウナとは仕事だけでなく個人的な会話もしたいし、彼が話している間はロアもそれに応じるが、ひと通り喋り終えた後も彼はしばらく帰らない。しかしダウナはロアを見ているだけでも楽しそうな顔をするので、帰国を促すこともなんとなく気が引けてしまう。
要するに、ロアはダウナにえらく気に入られているので、一度会ったらなかなか解放してもらえないのだ。
なにもダウナが嫌いなわけではない。むしろ両者の仲は非常に良好であると言えるだろう。ロアがまだ幼かった頃からダウナにはいろいろと世話になってきた――つまり彼はロアの幼馴染でもある。ダウナとのお喋りもロアには楽しいし、帰り際にいつも言っている「またいつでも好きな時に来るといい」という言葉は社交辞令などではなく本心からの言葉だ。
しかし。
それでさ、この間はこんなことが――、その時の皆の表情といったら――、その様子は是非ロアさんにも見せたかったね――上機嫌に言葉を連ねるダウナの背後、彼の背中を睨みつけている少年を取り巻くまがまがしい空気にロアは苦笑する。
翡翠のような緑色の瞳。この世界では珍しい黒色の髪。長い前髪が右目を覆っている。ロアの部下であり護衛である少年――ジオ・ベルヴラッド。部下――といってもロアからすれば心配性な弟のような存在だ。
「ジオ、なんて顔してんのよ」
ダウナの隣に座っていた、リワン亡国の化身――リン・ヴェスワテルがジオの頭を軽く叩いた。青髪に紫色の瞳を持つロアとは反対に、紫の髪に青い瞳を持った少女は仏頂面のジオの頬を指でぐりぐりと押し上げるが、ジオに左の側頭部で一つにまとめてある髪の束を引っ張られて悲鳴をあげた。ジオの頬をつまむ指に力が込められる。ジオもリンの髪を離さない。
「なにすんのよ」
「お互い様だろ」
「二人とも相変わらず仲良いねえ」
ダウナが愉快そうに笑った。
国の化身であるロアたちの体は十年から三十年の間に止まってしまう。ロアは十三年、リンは十二年で体の成長がストップしている。だからロアは実年齢は千を超えているが見た目は十三歳で、リンは実年齢は八百ほどあるが、外見は十二歳の少女だ。ジオは国ではないが領主という、国の化身と似たような存在であり、見た目と実年齢のギャップがあるのはロアたちと同じで、実年齢は五百ほどだが外見は十四歳の少年だ。
つまり本来はリンよりもジオのほうが年上であり、ジオとリンがロアの弟妹ならばジオはリンの弟であり、リンはジオの姉ということになる。しかしリンには姉としての威厳はおろか国家としての威厳すらまるでなく、見た目のせいもあって完全に兄と妹のじゃれ合いに見えてしまう。
ちなみにダウナの外見年齢は二十歳で、見かけも内面もロアたちよりずっと年上である。第三者から見れば今のこの状況は「仕事仲間との談笑」というよりも「子守を任せられたお兄さん」に見えるだろう。
じゃれ合いをやめたジオがロアの隣に腰掛けると、リンが座りなおしながら、そういえば――と言った。
「今日はやけに勇來がうろちょろしてるわね」
勇來とは風音勇來というギルド員のことだ。
「勇來が?」
「よくは知らないけど、空來がいなくなったらしいわ」
「また女の子の友達と遊んでるんじゃないのかい」
「私もそう思ったけど、なんか結構深刻そうな顔してたわよ」
「へえ」
ロアはコーヒーの入ったカップを手に相槌をうつ。ダウナはじっとリンを見つめながら彼女の話を聞いていた。ジオは興味なさげな顔をしている。
「空來くんが行方不明なのか。そりゃ大変だ!」
ダウナが眉を八の字にしながら言った。空來やその兄姉である勇來や静來は今でこそロワリア国民としてこの国で暮らしているが、元はダウナ国で生まれ育ったダウナ国民なのだ。国の化身からすれば、国民は皆自分の子供のようなものである。それが行方知れずとなったと聞けば、心配になるのも無理はない。
「とは言え、誰か一人くらいは何か知っている子がいるだろう。行き先を聞いたわけじゃなくても、直前に何をしていたとか、そういう情報から何処へ行ったか想定できる場合もある」
「けど、何かの事件に巻き込まれた可能性はあるよ。捜すなら急いだほうが――」
「落ち着きなよダウナ。私たちが動くまでもなく解決するようなことさ。放っておいても何ら問題ない。今回の件に事件性は見られない――故に、現段階じゃ探偵も動かないはずだ」
空になったカップをテーブルに置く。ダウナは不可解そうな顔でロアを見ている。
「ロアさん、どうしてそんなことが言えるんだ?」
ロアは悪戯っぽい笑みを浮かべた。彼女はこういうとき、いつも腹に一物ありげにこの表情をしてみせる。普段は国家やギルドの責任者として大人の顔を見せることが多いため時折忘れそうになるが、ロア・ヴェスヘリーという少女は古今を通じての悪戯好きなのだ。
「――なあに、ただの勘さ」
だからこの顔をするときの彼女は大抵、本音を言わずに敢えて自分の意見を隠すのだ。
次回は五月八日に更新します。