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空色の恋模様  作者: 氷室冬彦
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10 手がかり未満と隠し事

礼拝室を出た後、癒暗の提案で勇來たちは空來の部屋を訪れた。合鍵で部屋の扉を開くと、癒暗がつかつかと室内に入っていく。一週間もの間主が留守となっている部屋は机や小棚の上などに薄く埃が被っており、しばらく人が立ち入っていないことが一目にわかった。


机やベッドには漫画本を置いたままで、クローゼットの前には収まりきらなかった分か片付けるのが面倒だったのかよくわからない服が何着かぐちゃぐちゃになって放置されている。ゴミは最低限まとめてあるが、ここの部屋の住民がずぼらな性格であることがよくわかる。


部屋の真ん中に立った癒暗が肩を揺らして大きく息を吐いた。後頭部のあたりでまとめられた、男にしては長すぎる髪が僅かに揺れる。勇來はなあ、とその背中に声をかけ、癒暗の背に一歩近づいた。


「空來の部屋に来たのはいいけど、どうするんだ? 何か手がかりになるような物でもあるか?」


あるようには見えない。空來の部屋は勇來が最後見たときと何も変わっておらず、おかしな点などは全く見受けられない。出した物を仕舞わないのも、服をその辺に置きっぱなしにしてあるのも、勇來のよく知る空來の性質だ。彼は整理整頓をするのが苦手である。


勇來の問いに癒暗は振り返り、ニッと口角を上げた。


「あるさ。たくさんね」


どういうことだ、と勇來が問うと、癒暗はそうだねえと言いながら窓に凭れかかった。そして礼拝室のときと同じように左目から黒の眼帯を外す。いつも見ている赤い目とは正反対の青い目に勇來の姿が映り込む。癒暗や柴闇とはかれこれ十年以上一緒に過ごしているので、二人の性格や能力の性質などはすっかり慣れており、また、理解もしているつもりなのだが、どうもこの、左右で色の違う瞳は慣れない。


二人が外にいる間は滅多に眼帯を外さないので、単純に見慣れていないせいで違和感を覚えただけか、それとも、彼らの持つ不可思議な力の正体が目に見える形でそこにあることに動揺しているのか、はたまた、天風としての二人に対し無意識に畏怖の念を抱いているのか――原因は不明だが、とにかく勇來はこの状態の柴闇と癒暗の姿を前にするとどうも落ち着けない気持ちになるのだ。


「空間や物には持ち主の意思がうつるんだよ、勇來。この空間はいわば空來の個人の所有物だ。所有――と言うと少し大げさかもしれないけれど、とにかくこの空間で最も多くの時間を過ごしているのは空來で、つまりこの空間にある物は誰かの忘れものだとかでない限り全てが空來の物。そこには残留思念っていうのが宿っていてね、空來がギルドを出てもうだいぶ時間は経っちゃったけど、むしろこれくらいのほうが余計な雑念が薄まるから丁度いいかな。思念ってのは強ければ強いほど長くその場に留まってるものなんだ」


「……よくわかんねえけど、手がかりにはなるんだな?」


「空來がここを出る直前に何を考えていたのか――そのあたりのことはわかると思うよ。勇來は……外で待ってる?」


「いや、ここにいる。すぐに終わるんだろ? 外に出てたほうがいいのか?」


「……無理に追い出すつもりはないよ。おすすめはできないけどね」


癒暗がそう言って目を閉じると、次の瞬間に強い耳鳴りがした。全身から力が抜ける感覚と共に一瞬だけ意識が遠退いて、思わず後ろによろめく。痛みはなかったが咄嗟に頭を押さえると、癒暗が心配そうに大丈夫? と聞いてきた。


「前にも言ったことがあると思うけど、僕らの能力はときどき他の能力者に悪い影響を与えることがあるんだ。この眼帯をしていれば防げるんだけど、それだと力の効力まで制限されちゃうから、最高のコンディションで力を使おうと思うなら、出来れば他人は近くにいないほうがいいんだよ。中には僕の左目――兄者の場合は右目――を見ただけで体調が悪くなる人もいるんだ」


「ああ、そういえばそうだったな。……それで、何かわかったのか?」


「この部屋全体のあらゆる物体に対して物体感応サイコメトリーなるものを発動させてみたんだけど……」


「……けど?」


語尾を濁らせる癒暗に勇來が不安げな表情で説明を促す。癒暗はしばし考え込むように眉を顰めると、慎重に言葉を選ぶように、あるいは頭の中の考えを整理するような調子で話し始めた。


「なんだろう。具体的な言葉や考えというよりは、感情ばかりが残っている感じ。悲しみとか、後悔とか、虚しさとか、あまり良くない感情が、ずっとぐるぐる巡ってる。誰かに謝りたがってるような、何かを問いかけているような……いろんな気持ちが入り組んでて、とても複雑な……」


「謝りたがってる……?」


「これはあくまでも空來の残留思念――つまりここに留まった残り香のようなもの。だから、今僕が汲み取った空來の感情は、日が経ったことによって多少は薄まったものってことになる。つまり……空來自身はこれよりもっと強い負の感情を抱えていることになる」


「お――おい癒暗、顔色が悪いぞ」


「空來の心の奥底にこういう負の感情が眠っていることは僕も知ってた。でも、いつからかそれが肥大化して、多分……堪え切れなくなったんだ。バケツから水が溢れるように、膨らました風船が割れるように」


「どういうことだ? ……それが、空來が突然いなくなった理由か?」


「多分――だけどね。何がきっかけだったのか、そもそもきっかけなんてあったのか……。何か原因があって急にそうなったのかもしれないし、頭の隅に合った感情が日が経つにつれて徐々に空來を蝕んでいってこうなったのか、そこまではわからない。ただ、自分の意思でここから出て行ったのはたしかで、そうなるまでに外部からの力が関与した様子はないよ。つまり、カルセットの力の影響でこうなったわけじゃない」


「空來は大丈夫なのか?」


「二度とここに帰るつもりはない――なんて思いはないみたい。感情に潰されて自暴自棄になっているわけでもなくて、むしろ比較的理性的であると言えるよ」


勇來は頭を抱えた。あの空來が自らの意思で――しかも至って正気の状態で――この事態を招いたなど、そう簡単に納得できることではなかったのだ。こんなことをすれば静來や周囲の人間がどう思うか――それがわからないほど彼も馬鹿ではないはずだ。


「……ますますどういうことだよ、空來」



*



このギルドは本館である第一棟と、ロワリア国の化身、ロア・ヴェスヘリーの住居がある第二棟に分かれており、ロアは第二棟の一階にある応接室に一人でいた。少年のような風貌の少女は柴闇と静來に気が付くと薄く微笑んで二人を迎えた。


「おや珍しい、どうしたんだいこんなところまで来て」


「聞きたいことがあるんです。少しだけ、いいですか?」


「構わないよ。……コーヒーでも淹れようかい?」


「いえ、すぐに済みますから」


静來がソファから立ち上がろうとしたロアを手で制する。ロアはその場に座りなおすとそれで? と問う。柴闇が一歩前に踏み出した。


「聞きたいことって?」


「空來がいなくなったことは聞いてるか?」


「ああ、そうらしいね。リンから聞いたよ」


「単刀直入に聞くが、空來がいなくなる前日――つまり今から一週間前。中庭で空來とロアが接触したって記録が残ってる。そのときの空來との会話の内容とか、何か覚えてることがあれば教えてほしいんだ」


「一週間前? さあ、そんなに前のことは覚えてないな」


「露臥の情報によると比較的長い間会話していたみたいだが」


「そう言われても、思い出せないものは思い出せないよ。第一私は、その日に空來と会ったことすら覚えていないんだ。……力になれなくて悪いね」


ロアが申し訳なさそうに言うので静來はそうですか、と肩を落とす。それから一言二言挨拶すると彼女は応接室を出て行ったが、柴闇はしばらくその場から動かずにいた。


「本当に覚えていないのか?」


窓の外を眺めるロアに問いかける。ロアはゆっくりと柴闇に顔を向け、やがて正面から彼と目を合わせた。そして少し悪戯っぽい笑みを浮かべて答える。


「ああ、残念ながら。何もね」

次回は五月二十四日に更新する予定です。

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