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第24話「捕獲作戦グラビティ・ケージ」


 作戦本部は、第七ダンジョン地上管制棟の3階に置かれた。


 壁一面のモニターで、第44層の立体図が回っている。青い光点が30。S級探索者だけを、30人。単独クランとしては前例のない布陣だった。前例がないのは布陣だけではない。費用もだ。会見から3日、世論は「口だけの会社」と「お手並み拝見」に割れている。今夜の結果が、どちらかの札を確定させる。


 搬入は3晩かけて行った。協会への申請書は42枚。第44層周辺の民間立ち入り権限は、作戦期間中すべて凍結させた。渉外担当が付け加えた。例外は協会が直接発注する緊急案件のみですが――まあ、起きないでしょう。起きない前提の例外は、契約書の飾りだ。王城もそう処理した。


 机の端に、人事部の封筒が載っていた。極秘の判が捺してある。中身は開けなくても分かる。灰崎湊の現住所だ。王城巧はそれを引き出しの奥へしまった。雑用の再雇用など、幽霊に首輪を付けた後でいい。物事には順序というものがある。


「予測班。最終確認を数字で頼む」


 立ったのは、高額で引き抜いた解析官だった。眼鏡の縁を押し上げて、グラフを展開する。


「《ファントム》の活動記録、確定分39件を解析しました。出現は深夜0時から5時に集中。活動層は緩やかに深度を上げており、進行モデル上、次は第44層です。本日深夜の出現確率、91パーセント」


「残りの9は」


「対象の活動には、周期的な休止日があります。本日はその周期に該当しません。ただ……その」


「その、の先も数字で言え」


「休止の規則に、もうひとつ別の変数が絡んでいる兆候があります。相関は出ています。ですが、意味がまだ取れていません」


「意味は市場が後から付ける。91で張れるなら張る」


 技術主任が続いた。


重力結界発生装置グラビティ・ケージ、12基の設置を完了しました。起動後、半径200メートルの空間重量が8倍になります。竜でも膝をつく重さです。総工費は――」


「言うな。決裁した俺がいちばん覚えている」


 純利益の2年分。株主には「先行投資」と説明した。成功すれば安い買い物で、失敗すれば――失敗の欄は作らない主義だ。


『第1班より本部。全班、配置に着きました』


 通信席のスピーカーから、与野の声がした。第40層で語尾から溶けたはずの軍隊調が、完全に復元されている。あの夜の借りを今夜返すつもりの、声だった。


「与野。生け捕りが最優先だ。傷物は値が下がる」


『了解。捕縛術式、全班携行済みです』


 王城はマイクを取った。原稿はない。3行で足りる。


「諸君。相手は単独で深層を落とす、正体不明の何かだ。世界中が名前も知らずに騒いでいる。なら、最初に首輪を付けた者が次の秩序を握る。――ファントムを捕らえ、わがクランの管理下に置く。今夜は、世界がゼノギアにひれ伏す夜だ」


 拍手は求めない。明日の株価が拍手の代わりをする。


 23時50分、装置起動。


 モニターの中で、第44層の大気が目に見えて歪んだ。12基の装置が低くうなり、床の砂粒が先に潰れて平らになる。岩肌から粉塵が落ち、落ちた粉塵はもう舞い上がらない。見えない檻。数億円の重さが、通路の交差点を静かに塞いだ。


 0時。本部の全員が、息の音を消した。


 センサーは沈黙。熱源、なし。振動、なし。


 1時。なし。


 与野の班が二度、配置を直した。解析官はグラフを睨んだまま動かない。王城は腕を組み、モニターの隅の数字だけを見ていた。出現確率91。夜は、まだ4時間ある。


 沈黙は、余計なものを机に載せる。引き出しの奥の封筒が、ふと頭をよぎった。5年間で一度も名を呼ばずに済んだ男。数字の土台を毎晩磨いていた男。首輪の後で迎えに行く、と決めたはずの順序が、なぜか逆に見える夜だった。……徹夜は判断の質を落とす。王城は連想ごとコーヒーで流し込んだ。冷めていた。


「本部へ、観測班です。現場の魔素汚染値が上がり始めています」


「侵入者か」


「いえ。……装置です。高出力術式の排気で、廃魔素が滞留しています。基準内です。基準内、ですが」


 また、その語尾か。うちの会議室で聞き飽きた日本語だった。あのときは基準内のまま、拠点で人が倒れた。


 2時。センサーが初めて鳴った。


 全班が武器を構え、本部の椅子が半分浮いた。モニターに映ったのは、汚染だまりに引かれて湧いた低級魔物の群れだった。スライム。それも小型。30人の包囲の中央で、のんきに震えている。


『……第3班、掃討します』


 与野の声に、抑えた咳払いが混ざった。誰かのぼやきが回線に乗る。S級を30人並べて、初戦果がスライムか。


「私語は数字にならん。締めろ」


 言いながら、王城は自分の爪を見ていた。捕獲対象を待つ罠が、先に現場を汚している。汚れた現場に、雑魚だけが集まってくる。何かの縮図に見えかけて、やめた。縮図は数字にならない。


 3時。汚染値が基準線を跨いだ。モニターの床が、うっすら曇り始めている。廃魔素の油膜だ。精鋭たちの鎧も、裾から順にくすんでいく。数億円の檻は獲物を待つあいだに、現場を着実に汚し続けていた。解析官が眼鏡を外して拭いた。レンズは汚れていないはずだった。


 4時。センサー、沈黙。


 5時。ダンジョンの夜が明けた。


 誰も、来なかった。


 本部の空気は、徹夜の会議室の匂いがした。渉外担当が入ってきて、耳打ちする。各社が、昨夜の戦果の確認を求めてきています。昼のうちに「戦果なし」が漏れれば、見出しは決まったようなものだ。捕獲宣言、空振り。第52層の札の写真が、また巡回を始めるだろう。


 オペレーターの若手が伸びをして、隣の席にぼそりと言った。


「そういえば今日って祝日ですよね。休日手当と深夜手当って、重なるんでしたっけ」


 王城の耳は、それを経費の話として処理した。処理して、捨てた。


 拾った人間が、ひとりだけいた。解析官の手が、グラフの上で止まっていた。祝日。周期。意味の取れなかった、もうひとつの変数。眼鏡の奥の目が細くなり、口が薄く開いて――閉じた。91パーセントと言い切ったのは、自分の口だ。


「作戦は継続。今夜も張る。確率は」


「……本日深夜は平日です。97パーセント、と申し上げます」


「言い切れ。97だ」


『第1班、了解。全班、交代で仮眠に入ります』


 与野の声だけが、まだ折れていなかった。王城は席を立たず、モニターに残った1本のグラフを見た。魔素汚染値のグラフだけが、右肩上がりを続けている。この作戦で唯一の右肩上がりが汚染値とは、報告書に書けない冗談だった。


 ――同じ朝。協会の観測端末が、第44層の汚染急上昇を自動検知した。


 判定、重度汚染。原因欄、空白。担当官は「原因不明」と打ち込み、あくびをひとつして、指定業者への発注ボタンを押した。作戦区域の立ち入り凍結には、例外がひとつだけある。協会が直接発注する、緊急案件だ。


 駅裏の雑居ビル3階。くまがいクリーンサービスの壁のシフト表に、新しい紙が1枚貼り足される。


『特別清掃・重度汚染(原因不明)/第七ダンジョン・第44層/夜間・特別手当あり』


 公休明けの清掃員は、まだそれを知らない。知ったら、たぶんこう言うのだ。


 ――特別手当。いちご、買えるな。



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