これから導かれる結論
翌朝の教室は、いつもより何となく空気が重い気がした。
「おはよう、裕貴」
春樹が席に着くなり、ニヤニヤしながら声をかけてきた。
「おはよう……って、お前昨日逃げただろ」
「悪い悪い、でもあの修羅場に男が二人もいたら余計ややこしくなるだろ? 俺なりの配慮だったんだぜ」
「配慮って言うか、単に面倒くさかっただけだろ」
そんな会話をしていると、教室の扉が開いて佐々木さんが入ってきた。いつものように清楚で上品な雰囲気を纏っているが、俺と目が合うと微かに頬を染めて軽く会釈する。
「……あー、分かりやすいなお前ら」
春樹が呆れたように呟いた。
「分かりやすいって何がだよ」
「いや、見てて微笑ましいよ。佐々木も昨日はキレ気味だったけど、今日は機嫌良さそうじゃん」
確かに、昨日の夜のメッセージの後、佐々木さんとは少しやり取りをした。といっても、他愛もない内容だったけど。
午前中の授業が始まると、俺は集中して勉強に取り組んだ。最近は成績も上がってきているし、沢田先生にも褒められるようになった。昔の自分を思えば、随分変わったもんだ。
そして昼休み。
「裕貴くん」
佐々木さんが俺の席にやってきた。手には例の手作り弁当を持っている。
「今日も屋上で食べる?」
「ああ、もちろん」
俺たちが教室を出ようとした時、
「あ、先輩! 待ってください!」
廊下の向こうから五十嵐さんが走ってきた。手には購買で買ったらしいパンを持っている。
「私も一緒に食べませんか? 一人だと寂しくて……」
上目遣いで俺を見つめる五十嵐さん。しかし、佐々木さんは穏やかな笑顔を保ったまま口を開いた。
「あら、五十嵐さん。でも今日は裕貴くんと二人で話したいことがあるの。ごめんなさいね」
「えー、そんな冷たいこと言わないでくださいよ。佐々木先輩だって、独占欲強すぎです」
「独占欲?」
佐々木さんの声のトーンが僅かに下がった。
「あ、いえ、その……」
五十嵐さんも流石に言い過ぎたと思ったのか、慌てて言葉を濁す。
「まあ、いいじゃないか。三人で食べよう」
俺が仲裁に入ると、佐々木さんは少し不満そうな表情を見せたが、結局頷いてくれた。
屋上では、いつもの俺と佐々木さんの席に五十嵐さんが加わる形になった。
「わあ、ここからの景色綺麗ですね! 海が見えるなんて素敵」
五十嵐さんは素直に感動している様子だった。
「そうでしょ? 私、この景色が大好きなの」
佐々木さんも機嫌を直して答える。
「佐々木先輩の手作り弁当、いつも美味しそうですよね。私も料理得意なんですよ」
「あら、そうなの?」
「はい! 今度、裕貴先輩にも作ってきますね」
その発言に、佐々木さんの箸を持つ手が止まった。
「……そう、楽しみね」
笑顔は保っているが、声に棘がある。
「あ、でも佐々木先輩の方が絶対上手だと思います。だって、毎日作ってるんですもんね」
「ええ、もう慣れたもの」
「羨ましいなあ。私も毎日先輩にお弁当作ってあげたいです」
この辺りから、二人の会話に微妙な火花が散り始めた。俺は弁当を食べながら、どう割って入ればいいか悩んでいた。
「五十嵐さんは、どうして裕貴くんに?」
佐々木さんが突然核心を突いた質問をした。
「えっ?」
「だって、転校してきたばかりなのに、もう裕貴くんを狙い撃ちしてるでしょ? 何か理由があるのかなって」
五十嵐さんは一瞬固まったが、すぐに笑顔を取り戻した。
「別に狙い撃ちなんて……ただ、先輩が素敵だなって思っただけです」
「素敵、ね」
佐々木さんは俺の方を見た。
「裕貴くんの何が素敵だと思ったの?」
「えーっと……優しいところとか、真面目なところとか……」
「それって、話したことほとんどないのに分かるものなの?」
佐々木さんの追及が厳しくなってきた。俺は慌てて口を挟んだ。
「佐々木さん、そんなに詰問しなくても……」
「ごめんなさい。ただ興味があっただけ」
しかし、佐々木さんの表情は全然謝っている風には見えなかった。
「い、いえ、大丈夫です。でも、佐々木先輩こそ、どうして裕貴先輩と一緒にいるんですか?」
今度は五十嵐さんが反撃に出た。
「私たちは……」
佐々木さんが言いかけた時、屋上の扉が開いた。
「よお、裕貴! ここにいたのか」
現れたのは春樹だった。手には購買のパンを持っている。
「春樹? どうした?」
「いや、お前らがいないから探してたんだよ。あ、五十嵐ちゃんも一緒だったのか」
「はい、お邪魔してまぁす」
五十嵐さんは愛想よく挨拶したが、佐々木さんは複雑な表情をしていた。
「まあ、俺も混ぜてくれよ。一人で食うのは寂しいからな」
春樹が俺たちの輪に加わると、さっきまでの重い空気が少し和んだ。
「それにしても五十嵐ちゃん、積極的だよなあ。俺が裕貴の立場だったら嬉しいけど」
「もう、春樹先輩ったら」
五十嵐さんは頬を染めて笑った。
「でも春樹だって、佐々木さんに告白してフラれたくせに何言ってんだよ」
「おい、それ言うなよ」
春樹が苦笑いを浮かべた。
「えっ、春樹先輩が佐々木先輩に?」
五十嵐さんが驚いたように春樹と佐々木さんを交互に見た。
「昔の話かな。今はもう、裕貴くんと春樹くんの友情を応援してるの」
佐々木さんが穏やかに微笑んで答えた。
そんな和やかな雰囲気の中、俺は佐々木さんの表情を窺った。彼女は微笑んでいるが、どこか寂しそうにも見えた。
昼休みが終わり、午後の授業が始まる。しかし俺の頭の中は、昼休みの出来事でいっぱいだった。
佐々木さんの気持ち、五十嵐さんの気持ち、そして自分の気持ち。
全部が複雑に絡み合って、どうすればいいのか分からなくなっていた。
放課後、俺は一人で校舎の裏にいた。今日は春樹との筋トレもキャンセルして、一人で考える時間が欲しかった。
「裕貴くん」
振り返ると、佐々木さんが立っていた。
「佐々木さん……」
「一人? 珍しいね」
「ああ、ちょっと考え事をしてて」
佐々木さんは俺の隣に立った。
「私のこと?」
その直球な質問に、俺は動揺した。
「え、いや、その……」
「昨日、手を繋いだって言ったでしょ? 嘘じゃないよね」
佐々木さんの声は静かだったが、どこか確信を求めているようだった。
「ああ、嘘じゃない」
「なら、私たちの関係も嘘じゃないよね」
俺は佐々木さんを見つめた。夕日に照らされた彼女の横顔は、いつもより大人っぽく見えた。
「佐々木さん……」
「私、五十嵐さんのこと嫌いじゃないの。むしろ、裕貴くんを好きになる気持ちは分かる」
佐々木さんは俺の方を向いた。
「でも、譲れないものもあるの」
「譲れないもの?」
「裕貴くんは、私のご主人様だから」
その言葉に、俺の心臓が大きく跳ね上がった。
「それに……」
佐々木さんは頬を染めながら続けた。
「私、裕貴くんのこと……」
その時、校舎の影から五十嵐さんが現れた。
「あ、やっぱりここにいた」
佐々木さんは慌てて俺から距離を取った。
「五十嵐さん……」
「ごめんなさい、お邪魔しちゃいましたか?」
五十嵐さんの表情は、いつもの人懐っこい笑顔だったが、目だけは笑っていなかった。
「うんうん、そんなことない」
佐々木さんも作り笑いを浮かべて答えた。
俺は二人の間に挟まれて、またしても気まずい沈黙が流れるのを感じていた。
この状況、いつまで続くんだろう……。
「あら、みんなこんなところにいたんだ」
その時、明るい声が響いた。振り返ると、神木さんが手を振りながら歩いてきた。
「神木さん……」
「何よ、この重い空気。また三角関係?」
神木さんは呆れたような表情で俺たちを見回した。
「三角関係なんて大げさな……」
「大げさじゃないでしょ? 見てて分かりやすいもの」
神木さんは佐々木さんの隣に立った。
「悠里、また嫉妬してるの?」
「嫉妬なんてしてないよ」
「はいはい。五十嵐さんも、もうちょっと空気読んだ方がいいわよ?」
神木さんの率直な物言いに、五十嵐さんは少し困ったような表情を見せた。
「え、でも私は……」
「分かってる分かってる。でもね、この二人はもう出来上がってるのよ」
神木さんは俺と佐々木さんを指差した。
「できあ……そんなことない!」
佐々木さんが慌てて否定する。
「そうそう、俺たちはただの……」
「ただの?」
神木さんが意地悪そうに笑った。
「……裕貴、あんたもういい加減に自分の気持ちに正直になりなさいよ」
「神木さん……」
「私だって、あんたに告白してフラれたけど、今はこの二人が一番お似合いだと思ってるの」
神木さんの言葉に、五十嵐さんがハッとしたような表情を見せた。
「神木先輩も裕貴先輩に?」
「そうよ。でも玉砕したの。文化祭の時にね」
神木さんはさらっと答えた。
「だから五十嵐さんの気持ちも分かるのよ。でも、諦めることも大切よ?」
「諦めるって……」
「見てて分かるでしょ? この二人の空気感」
神木さんは俺と佐々木さんを見つめた。
「裕貴は悠里のことを大切に思ってるし、悠里も裕貴のことが好きで仕方ない。傍から見てて分かりやすいのよ」
「神木さん、そんな……」
佐々木さんが顔を真っ赤にして俺の方を見た。俺も慌てて目を逸らす。
「ほら、この反応よ」
神木さんが得意げに笑った。
「五十嵐さんも可愛いし、きっと他にも素敵な人が見つかるわよ。でも裕貴は諦めた方がいいと思う」
「そんな……神木先輩は諦められたんですか?」
「もちろんよ。最初は悔しかったけど、今は二人が幸せになってくれた方が嬉しいもの」
神木さんの言葉に、五十嵐さんは黙り込んでしまった。
「まあ、決めるのは五十嵐さん自身だけどね」
神木さんはそう言って、俺の肩を軽く叩いた。
「裕貴、あんたも優柔不断すぎるのよ。悠里がかわいそうじゃない」
「い、いや、その……」
「ちゃんと自分の気持ちと向き合いなさい。そうじゃないと、みんなが不幸になるわよ」
神木さんの言葉は的確で、俺は何も言い返せなかった。
「じゃあ、私はこれで失礼するわ。あ、悠里、今度一緒にケーキでも食べに行かない?」
「え、ええ……」
神木さんは手を振って去っていった。
残された俺たちは、再び沈黙に包まれた。
「あの……」
五十嵐さんが口を開いた。
「神木先輩の言う通りなんですか? 先輩は、佐々木先輩のことが……」
俺は佐々木さんの方を見た。彼女は俯いて、手をぎゅっと握りしめている。
「五十嵐さん……」
「答えてください」
五十嵐さんの声は、いつもの明るさを失っていた。
「俺は……」
言葉が出てこなかった。でも、沈黙が答えになってしまった。
「……そうですか」
五十嵐さんは小さく笑った。
「分かりました。でも、まだ諦めませんから」
「五十嵐さん……」
「だって、まだ佐々木先輩と先輩が付き合ってるわけじゃないですよね?」
その言葉に、佐々木さんが顔を上げた。
「それなら、私にもまだチャンスはあります」
五十嵐さんは再び笑顔を作った。しかし、その笑顔は少し無理をしているように見えた。
「私、頑張りますから」
そう言って、五十嵐さんも去っていった。
俺と佐々木さんだけが残された。
「裕貴くん……」
「佐々木さん……」
「私たち、どうなるのかな」
夕日が校舎の向こうに沈んでいく。
「分からない……でも」
俺は佐々木さんの手を取った。
「今は、これでいいのかもしれない」
佐々木さんは微笑んで、俺の手を握り返してくれた。
「うん……でも、いつかはちゃんと答えを出さないといけないよね」
「ああ、そうだな」
俺たちは手を繋いだまま、夕日を見つめていた。
この平和な時間が、いつまで続くのかは分からないけれど。
※
翌日の朝、教室に入ると春樹が既に席に着いていた。
「よお、裕貴。昨日は筋トレサボったな」
「悪い、ちょっと色々あって……」
「神木から聞いたぜ。また修羅場だったらしいじゃないか」
「神木さんから?」
「ああ、昨日の夜メッセージ来たんだよ。『裕貴のバカ、優柔不断すぎる』って」
春樹が苦笑いを浮かべた。
「で、どうなんだ? まだ決着ついてないのか?」
「うーん……」
俺が曖昧に答えていると、教室の扉が開いて五十嵐さんが入ってきた。
「おはようございます、裕貴先輩」
「あ、おはよう五十嵐さん」
五十嵐さんはいつもの明るい笑顔を浮かべていたが、どこか作り物のような印象を受けた。
「今日もよろしくお願いします」
そう言って、五十嵐さんは自分の教室へと向かっていった。
「なあ、裕貴」
春樹が真剣な表情で俺を見た。
「お前、ちゃんと決めた方がいいぞ。このままじゃ、みんなが傷つくだけだ」
「分かってる……分かってるんだけど」
「佐々木のことが好きなんだろ?」
春樹の直球な質問に、俺は動揺した。
「それは……」
「俺だって佐々木に告白してフラれたけど、今はお前たちが一番お似合いだと思ってるんだ。だから、ちゃんと向き合えよ」
春樹の言葉は、昨日の神木さんの言葉と同じだった。
みんな、俺の優柔不断さにイライラしているのかもしれない。
そんな時、佐々木さんが教室に入ってきた。いつものように上品で美しい。
「おはよう」
佐々木さんは俺の隣の席に座りながら微笑みかけた。その笑顔を見ていると、胸が温かくなるのを感じた。
ああ、俺は……。
その時、チャイムが鳴って朝のホームルームが始まった。
沢田先生が教室に入ってくる。
「よし、おはよう! 今日も一日気合い入れて行くぞ!」
沢田先生の元気な声が教室に響いた。いつものように頼もしい姉貴分といった雰囲気だ。
そして、先生の視線が俺に向けられた。
「裕貴、放課後時間あるか? ちょっと話があるんだ」
沢田先生の言葉に、俺は胸騒ぎを感じた。
何を話されるんだろう……。
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