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第92話 賭けの結果

 アルバートとルーは連れ立って皇都の西区を歩いていた。

 ここは多くの商人が集い、物を売り買いする別名「商業区」。必然的に観光客も多く、往来は人で溢れかえっていた。


 しかしそんな場所であるからこそ見るべきものも多い。

 その中の一つにガラス細工を扱う店があった。宝石のような輝きをもちながらも、貴族や大商人でなくても手の届く値段。

 南から伝わってきたというそれは、他ではなかなかお目にかかれないものだった。


「きれいですね」

「そうだね。この透明感をどうやって出すのか想像できない」


 ガラス球を透かして見ながら2人は語らう。玉の内部にはアルバートとルーの顔がきれいに映り込んでいた。



 また、ある場所では楽団のパフォーマンスが行われており、派手な音楽に耳を傾けることもあった。

 広場で歌物語を歌う詩人に、その場で似顔絵を描くという絵師。様々な職種の人間が自らの技術を存分にふるい、西区はかつてないほどの賑わいを見せていた。


 その原因が、約一月後に迫った「勇者」一行の到着パレードである。

 国を挙げて大々的に盛り上げられるそれに向けて各地から多くの人間が集まり、またその機会を利用して稼ぎを得ようとこの西区でしのぎを削り合っていたのだった


「だから思ったよりも人が多かったみたいだ。ごめん、事前の調査不足だったね」

「いえ、そんなことはありません。こういった明るい雰囲気は好きですし、すごく楽しいですから」

「ならいいんだけど」


 事実ルーは心の底からこのデートを楽しんでいた。憧れの皇都を、思いを寄せる男性と歩いているのだ。楽しいのも当然だろう。

 身長の低いルーはすぐに人ごみに埋もれてしまう。しかしはぐれないようにとつないだ手から伝わる温もりが、アルバート以外の人間など思考から押し流されてどうでもよくなっていく。


 そしてそんな状態だったからだろうか。ルーはアルバートが何かに頭を悩ませていることを、なんとなく察知したのだった。




 太陽が頂点をまわり西に傾いていく中、人ごみも少しだけすっきりしてきた大通りを2人は歩く。

 奮発して買った戦利品の数々は当然のようにアルバートが持っており、ほとんど手ぶらのルーは申し訳そうにしていた。


「今日はありがとうございました。とても楽しかったです」

「俺もだよ。前に住んでいたと言っても、こうして改めて見てみると違って感じたからね」

「でもその頃のアルバートさん、たぶん買い物なんてあまりしてなかったんじゃないですか?」

「……よくわかったね。訓練ばっかりだったよ」


 アルバートは敵わないとばかりに首を横に振った。


「ルーは本当に俺のことがよく分かってるね」

「あ……すみません。あまりいい気分はしませんよね」

「そんなことはない。理解されないよりは、ずっといいことだよ」


 それは騎士時代に親の言いなりになって嫌な自分を演じてきたからだろうか。そんな裏事情まで察せてしまう自分にルーは呆れていた。


「それならついでなんですけど……」

「何かな?」

「アルバートさん、最近悩んでいることがありませんか? 皇都に着いてからです」


 その指摘にアルバートは今度こそ目を丸くして本気で驚いた。いや、その鋭さに恐れさえ覚えた。


「なんでそんなことを?」

「いえ、なんとなくです。でも、そうじゃないのかなって」


 証拠があるわけではなく、直観のようなもので確信にまで至っているようだった。


「いや、驚いた。本当にルーはすごいよ」

「では本当に?」

「まあね。ちょっと悩み事があるんだ」


 アルバートは素直に白状した。あまり広めるべきことでもないが、心配されてまで隠すほどでもないからだ。


「そうですか……。もしよろしければ相談に乗りますけど」

「いや……そうだね。ちょっと聞いてもらおうか」


 逡巡したのは今がルーとのデートであり、他の人の話題を出していいのかと思ってのことだ。しかし対象となる人物は自分にもルーにも深いかかわりがあるので、それくらいはいいだろうと思い語り出す。


「イオのことなんだけど」

「パーティーに戻ってくるか、ですか?」

「いいや、それとは別。前にギルドマスターと会って、俺の怪我を治してもらった時のことなんだけど」


 それだけでルーは結論に達した。


「まさかイオ君の怪我も……」

「ああ。あの後ギルドマスターにお願いしてみたんだ。お金は払うからって」


 報告が終わった後もしばらくアルバートはドロシアの部屋から出てこなかった。その理由がここで明らかになる。


「聖属性ならイオの右肩も治って、武器を持つこともできるようになるんじゃないかって思ったんだ」

「たしかに……そうですね」

「まあ断られたんだけど。イオは絶対に治療を拒否するから、という理由で」


 はっとした顔でルーはアルバートの顔を見る。


「その後、ギルドマスターと賭けをすることになった。イオが治療を受け入れるなら、無料で怪我を治してくれるって。イオにどうやって受け入れさせるかというのが、俺の悩みだよ」


 そう打ち明けると2人は数歩の間は無言になった。

 やがてルーが口を開く。


「イオ君には言っていないんですよね?」

「ああ。もしダメだったらそれで話は終わってしまうからね」


 イオの問題に無理やりアルバートたちが介入すると、本人は意固地になって治療を断固拒否することになるかもしれない。それにアルバート自身、ただ訊ねるだけではイオが断る予感しかしないので下手に口にすることができなかったのだ。


 だからルーにもイオを自然に説得する手助けをしてほしかったのだが、ここでルーから予想外の意見が出た。


「イオ君が治療しなくていいって言うのなら、私はそれでいいと思います」

「え……何を言っているんだい?」

「私たちが言いくるめて治すのは、ちょっと違うと思うんです。決めるのはイオ君ですから」


 その言葉にアルバートは軽いショックを受けた。ルーがそんなことを言ったことと、自分の考えは間違っているのかという思いに。


「でも……普通は治したいんじゃないかと思うけど」

「アルバートさんはそうだったんですか?」

「それは、うん。体が痛かったり動かしにくいのは嫌だし……火傷の痕も消したいと思った」


 アルバートが大怪我をしたのはまだ最近のことだ。人の前では気丈に振る舞っていたが、体の機能や見た目、それらがこれからどうなっていくのかという不安は決して小さなものではなかった。

 聖属性を除くと地道な治療に任せるしかないので割り切ることもできたが、身近にすぐ治せる手段があるなら別だ。怪我を抱えていて良いことなどないのだから、この機会を逃すべきではないとアルバートは思う。


 だがルーの考えは違った。


「私はまだ大きな怪我をしたことはありませんが、お気持ちは分かります。でも、その怪我に思い入れを持つ人もいると思うんです」

「イオがそうだと?」

「それは分かりません」


 あくまで一般論だ。魔物と近づいて戦うことが少なく、あまり怪我をしないルーにはそこまで深い確信を持つことはできない。

 それでも他者に寄り添って考えることのできる彼女である。口数の少ないイオが内心で自分の怪我をどう考えているか想像をしてみる。


「イオ君が怪我をしたのはもう随分前のことです。左に剣を持って戦うことにも慣れています。たぶん、たくさん特訓や試行錯誤を繰り返してきたのではないでしょうか」


 アルバートたちは知らないが、イオはかつて「雷光の槍」の3人に回避に重きを置いた特訓をつけてもらっていた。また、生存率を上げるために万全を尽くすイオが、右腕を使えなくても戦える方法を模索している姿は容易に想像できた。


「それをあっさり治すことは、それまでの努力をなかったことにすることだと思うんです。これまで使えなかったものが突然使えるようになることに、戸惑ってしまう人もいるんじゃないでしょうか」


 あくまで想像ですけど、とルーは付け加えた。

 今述べたことはすべて一般論だ。世の中には自身の傷に深い思い入れを持つ者もいるという。

 イオがそうだという確信はない。それでもアルバートのように思考を誘導するなどして相手の傷を治すのは、あまり褒められたことではないのではないかと思うのだ。


「だからイオ君に直接訊いてみませんか? 治療はいらないと言うのならそれでいいと思います。アルバートさんは約束を取り付けただけで十分頑張ったんですから」


 ルーはそう締めくくった。


 いまだにアルバートは納得しきれていないのか、歩きながら考え込んでいる。

 仲間の怪我を治したいと思うのは決して悪いことではない。ただしそれが本人の意思を尊重したかどうかが大切だとルーは言っているのだ。


「……たしかにイオの気持ちは無視していた」


 アルバートはまずそれを認めた。本人の意思を問わず治療を受け入れさせようと考えていたことは事実なのだ。


「でも、やっぱり分からないよ。怪我が治ればイオも実力で悩むことはなくなるはずなんだ。本当に思い入れとか、そんな理由でこの機会を無にすることがいいことなのかい?」


 それでも引き下がろうとは思えない。この時点でアルバートは自分の考えに固執しすぎていることに気づいていたのだが、それでも訊かずにはいられなかった。

 だがルーがこれまで言ってきたのはすべて想像でしかない。よってこの問いの答えも想像によるものだった。


「ならもしイオ君が断った時は、怪我があっても強くなる手段を見つけているんじゃないですか?」


 ただしその想像は、限りなく現実に近かった。






 ♢ ♢ ♢






「お忙しいところすみません」

「いいわよ。ただし要件は短めにね」


 アルバートはドロシアの下に訪れていた。そこは人魔の報告を行った場所と同じ部屋だったが、今この場にいるのはアルバートとドロシアの2人だけである。


 ドロシアは冒険者ギルド総本部のギルドマスターであるだけでなく、これから「勇者」一行を招くための重要な立場にも就いている。アルバートに対して冷たい態度をとっているが、彼女の仕事の多さから考えるとそれも当然のことだった。


「本日面会をお願いしたのは賭けの件です」

「ああ、あれね。ずいぶん時間がかかったようだけれど、説得でもしてたの?」


 2人が賭けを行ってからすでに数日以上経っていた。本人に訊ねるだけならその日のうちにでも結果は明らかになっていたのだ。


「いえ……説得といいますか。少しずるい真似をしようとしていたのは事実です」

「ルール違反と言いたいところだけれど、明言しなかった私が悪いわね。それで?」


 ドロシアは続きを促す。その軽い口調は勝敗がどうであろうとまったく気にしていないようだった。


 実質彼女にとっては勝とうが負けようがどちらでもいい。勝てば自分の考えが正しかったと分かるだけであるし、負けたところで魔力が少し減る程度だ。

 局部の治療程度、ドロシアからすれば片手間でできる程度のものだった。


「賭けは……私の負けです」

「ということは、治療はしなくてもいいのね?」

「はい」


 やはりと言うべきか、イオは治療を断っていた。その理由を彼は次のように述べた。




『治したところで大した違いはない。むしろ下手な特攻ができなくなったから怪我は減っているくらいだ。……それに、戦闘は3人で何とでもなるだろうからな』




 そう語るイオの目は何かしらの決意を秘めているようだった。

 その完全に割り切った表情にアルバートもそれ以上の説得ができなかった。


「あたしの言った通りだったでしょう?」

「ええ。……俺はまだ納得できていませんが」


 アルバートは本人以上に諦めきれていない。ルーの話もイオの言い分も、頭では解っているにもかかわらず。


「見苦しいわよ、そういうの。男ならスパッと切り捨てなさい」


 ドロシアは鼻を鳴らしてその態度を叱る。


「体はもちろん、怪我もその人の一部なの。部外者が不用意に手を出せるものではないわ」

「あなたがそれを言いますか?」


 聖属性はその怪我にあっさりと干渉することができる。いくらドロシアが相手でも呆れ声を出さずにはいられなかった。


「あたしだからこそよ。簡単に触れられるからこそ、きちんと意思確認しないといけない」

「その割に私は無断で治療されたと思いますけど」

「あら、誰が直接訊くなんて言ったかしら。あたしが見るのは目よ、目。緊急時ならそんなこと一々訊いているうちに怪我人が死ぬわ」


 ドロシアはあけすけに言い放つ。

 ここまで厳しい物言いをされたことはあまりないアルバートだが、この女性には世間の常識など通用しないのだろう。


「君に確認をしなかったのは、一目で治療を欲しがっているって分かっていたからよ。そうでなかったら、依頼であっても無視してたわ」

「それで大丈夫なのですか?」

「ええ。文句があるなら言えばいいのよ。それも言えないなら相手にする価値無しってことね」


 聖属性で公爵位をもつドロシア・ユティシーノ。謎の多い人物だが、その性格は極めて苛烈だと実感したアルバートだった。



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