第93話 目覚めと大氾濫
突然の急展開です。
イオたちは皇都にて比較的穏やかな毎日を過ごしていた。
途中からは冒険者としての活動も再開し、Cランクの物を中心に成功を重ねていった。
ランクも上がったということで気持ちも引っ張られたのか、皆目に見えて手慣れた様子で戦っていたのだが、その中でもアルバートは一味違った。単独でAランク級の魔物と戦ったことで壁を乗り越えたのか、剣技、魔法共に大幅な向上を遂げていたのだ。
一度短時間ながら魔石の補助なしに「不死鳥」を発動した時には、本人含め驚愕に目を見張ったことは記憶に新しい。
そしてイオの方にも変化があった。いつもならカナリアとルーの前に出て相手を牽制するなど、少なからず戦闘に参加していたのだが、それが見られなくなったのだ。
イオの役割はルーが代わり、イオは完全にサポートに徹するようになる。この間イオ自身が直接倒した魔物の数はゼロだった。
一方でかねてより大きな効果を発揮していた索敵能力はさらにその精度を増した。近づいて来る魔物の察知はもちろんのこと、目的の魔物がどこにいるのか、どうすれば隙をつけるのかを指示するのはイオだ。
時折、遥か遠くを見るように意識を飛ばしていることもあったが、その後には周辺のはっきりとした情報を持ち帰る。「不死鳥の翼」が効率よく依頼を成功することができたのは、間違いなくイオの尽力が大きかった。
(魔道具発動までの時間はかなり短くなった。「感覚延長」も本気で集中すれば発動できるようになってきた)
宿の一室でイオは日課の特訓をしながら考える。同室者のアルバートは今はいない。
イオが指につけている「変色の指輪」は見る見るうちに台座の石を血のような赤に染め、そのまま定着した。再使用できるようになる毎に特訓をしてきたおかげか、今ではこの簡単な魔道具を数秒で使えるようにまで成長していた。
それに伴い「感覚延長」も気軽にとまでは言えないが、依頼中でも十分に使えるようになっている。
ただし欠点として、発動中は自分の周囲の警戒が疎かになるというものがあった。意識を遠くに飛ばすのだからそれも当然だ。
だがその解決法も至ってシンプル。自分の代わりに周囲を警戒してくれる仲間がいればいいだけの話だ。
今ではイオの役割は完全にサポートだけで、戦闘は他の3人に任せきりにしている。以前なら自分を足手まといだと見なしたところだろうが、現在はこの斥候の役割に誇りすら持ち始めている。
自分だけができること。他の人には真似できない技術。それを確立したことによってイオの中に自信のようなものが芽生えたのだった。
(あともう少し発動にかかる時間を短くできたなら、パーティーの再加入を頼もう。それと、Bランクの昇格も。これでパーティーのランクもBに上がるはずだ)
「イオ? そろそろギルドに行くよ」
決意を胸に込めていると、扉の向こうからアルバートが呼びかけてきた。今日はこれから冒険者ギルドに行って依頼を受けることになっているのだ。
「ああ、今行く」
そう言って部屋の外に出ようとした、その時だった。
Woooooooouuu……
それはどこか遠くでから響いてきた、狼の遠吠えのようなものだった。
「これは……?」
扉の取っ手にかけようとしていた手を思わず止め、イオは耳を澄ませる。遠吠えは長く長く尾を引き、やがて彼方へと飛んでいったかのように消えた。
「イオ、聞いたかい?」
向こうから扉を開けてアルバートが問いかけてくる。イオはそれに強く頷いた。
「人が出した音とは思えない」
「うん。俺も魔物の声に聞こえた。……嫌な予感がする」
「……ギルドに急ごう。何か情報が得られるはずだ」
意見が一致した2人は、同じく『遠吠え』を聞いて混乱していたカナリアとルーを伴い冒険者ギルドへと走るのだった。
♢ ♢ ♢
「今の声! 奥方様だよね!?」
泥だらけの状態で地面に倒れ込んでいたウィスプは、間近で響いた遠吠えに声をあげた。
その視線の先で木刀をもって佇んでいるリュビオスも神妙な顔で聞き入っていた。
「ああ……ついに、お目覚めに……!」
「よし、見に行かないと! ということでリュビオスのじいちゃん、今日の特訓は終わり!」
この機会に地獄の鍛錬から逃れようと、ウィスプは素早く起き上がるとそのまま集落へと舞い戻ってしまった。
「まったく、ムシのいいやつめ……」
そう苦笑するリュビオスの黒く染まった顔は喜色に染まっていた。彼もまた、この瞬間を待ちわびていた1人なのだ。
と、そこにリュビオスの名を呼ぶ人物が現れる。
「おい、じーさん!」
「む……トーマか。どうした?」
駆け寄ってきたのはトーマだった。石のように白く無機質な顔には焦燥の色が見えた。
「さっきの声……!」
「分かっておる。奥方様がお目覚めになったのだろう。それと一緒に『孤狼』も……」
「いや、それは分かってますって。問題はその『孤狼』のせいでここら一体の縄張りが支配されたんですよ」
これにはリュビオスも目を見張らせる。
「なに、本当か?」
「へい。ここを中心に周辺はすべて『孤狼』の縄張り。おかげで他の魔物が一斉に山を下り始めました」
「なんと……!」
顔いっぱいにこれ以上ないほどの驚きを表したリュビオスだったが、次の瞬間には真剣な表情に戻っていた。
「とにかく、すぐに館に戻ろう。奥方様でなくとも旦那様が指示を出されるはずだ」
「と言っても、魔物が下の街に向かうのを止めるのはできんでしょうけどね」
トーマも彼らの頂点である「嘆きの魔女」の目覚めという興奮は冷めたらしく、今はいつものように無気力な姿に戻っていた。
「想定外ではあるが、これで「勇者」に打撃を与えられるなら願ってもないことだ。そう思わんか?」
「まーそうですね。働かなくてもいいっていうのなら『孤狼』様様です」
♢ ♢ ♢
「これは……!」
冒険者ギルドは多くの人で溢れかえっていた。これから依頼を受けようとしていた冒険者たちがすべて待機している形だ。
「ほらそこ、ぼさっとしない! あなたたちはこっち! もしものときはしっかり働いてもらうわよ!」
その中心で切り盛りをしているのはギルドマスターであるドロシア・ユティシーノだった。この屈強な冒険者たちの中にあってもその存在感はまったく薄れていない。
「あ、そこの君たち! こっち来て!」
イオたちに気づいたドロシアが大声で彼ら呼ぶ。近くにやって来たアルバートは事情を訊ねてみた。
「あの、これは一体?」
「見て分からない? 緊急体制よ。「嘆きの跡地」から大量の魔物が押し寄せてきてるの!」
「なっ……!」
「詳しくは他の人から聞きなさい。君たちはあっちのグループよ」
そう言い残してドロシアは別の冒険者の方へと言ってしまった。
仕方なく言われた集団に合流すると、そこには見知った人物がいた。
「ヴァナヘルトさん!」
「よう。こっちは地獄行きだぜ」
そう言って不敵な笑みを浮かべるヴァナヘルトはどこか楽しそうだった。
「どうも……地獄行きとは?」
「一番激しいと思われる正面を任されるのがこのグループだ。運が良かったな」
「それは運がいいとは言いませんよ……」
アルバートが肩を落とし、カナリアとルーが肩を強張らせているとシャーリーとグロックもやって来た。
「後衛は合図に合わせて魔法を撃てばいいだけだよ。カナリアちゃんとルーちゃんもこっちにくれば安全」
「……前は危険だがな」
それぞれこれから始まるであろう戦いについて語る。
「その前に今の状況を詳しく教えてほしいのですが。魔物が攻め込んできたんですか?」
「そうだ。あの遠吠えは聞いただろ?」
ヴァナヘルトの言葉にそれぞれが頷く。
「そのあと、「嘆きの跡地」の見張りから大量の魔物が迫ってきていると伝令があった。ついさっきのことだ」
「人の多い朝だったおかげで、こうしてみんな緊急依頼に駆り出されているの」
「遠吠えが何の魔物かは分からないが、相当強いだろうな。久しぶりに暴れられそうだ」
ヴァナヘルトだけは楽しそうに肩を鳴らしていたが、イオたちはそんな楽観的にはいられなかった。
「これってまずいわよね?」
「たぶん……いや、間違いなく「魔女」の仕業だろうね」
「そんな……まだ「勇者」様もいませんよ?」
まだ「勇者」一行はこちらに向かっている途中だ。皇都の防衛に回ることはできない。
不安を滲ませるルーをアルバートは力強く励ました。
「これだけ人数がいればなんとかなるさ。それに魔物をルーのところまで行かせはしないよ」
「でも、私は……」
「今日は「飛沫の鞭」を使う必要はない。カナリアと一緒に後ろから援護をしてくれ」
ルーの技量ではまだ大群を相手取ることは難しい。そのためアルバートはシャーリーの言う通りに、彼女を後方で待たせることにしたのだ。
緊急依頼は怪我などの理由がない限り断ることができない。文字通り、街の危機なのだ。戦力を出し惜しむことはできない。
「はぁ!? 他の街にも魔物が押し寄せてるですって!? こっちも忙しいから、防衛はそっちでやりなさい! たぶん少し耐えれば騎士が来てくれるって言っといて!」
ドロシアの苛立った声がどこからか聞こえてくる。どうやら魔物が大量に表れたのはここだけではないらしい。
「……皇帝は随分前に騎士団二つを他の街におくっている」
「これを見越していたとすれば、すごい洞察力ですね」
グロックの解説にイオは感心した様子を見せた。しかし騎士団の内情を知るアルバートには別の目的があったと思われた。
(「聖騎士」に選ばれなかったことに対する反発を避けるため、皇帝は『鷹』の隊と『鷲』の隊を皇都の外におくったんだろうな)
野心が強い2人の騎士隊長なら、皇帝相手でも不満をぶつける可能性がある。それを嫌った皇帝が2つの隊を何かしら名目をつけて遠征におくったのだろうとアルバートは考えたのだった。
「注目!」
ここで編成を終えたと思われるドロシアの声が響いた。皆、話を止め声の方向に視線を向ける。
「知っての通り、こっちに魔物が来てるわ。数はたくさん、強さは未知数! おそらくこれまでで最大の危機ね」
強力な魔物が巣くう「嘆きの跡地」から現れた魔物なのだ。強さは最低でもC以上が予想され、どのくらいの数がいるのかも分からない。これを聞いた冒険者たちは名状しがたい不安に襲われる。
「気を強く持ちなさい! 冒険者が戦わなくて誰が戦うっていうの!? 騎士や兵士!? そんなことになったらあたしたちの居場所はここからなくなるわ」
本当の危機から逃げ出したとなれば冒険者の信用は地に落ちる。それが総本部ともなると、この地にいない冒険者も含め全体が非難されることだろう。
「あたしの属性は知っているわね? 今日は特別よ。どんな怪我でも死んでさえなければ治療してあげる。ついでに一年くらい寿命も伸ばしてあげるわよ?」
その言葉に多くの冒険者がごくりと喉を鳴らした。大金をはたかなければ受けることのできない魔法の施術を、怪我の治療も含めて無料で受けられるというのだ。気を引かれない者はほとんどいない。
「けっ、年増が」
そのうちの1人であるヴァナヘルトが忌々し気に吐き捨てたが、それを耳にした者はいない。
「いい? あなたたち一人一人の肩に百人の命が乗せられていると思いなさい。あたしたちが負けるということは、皇都が魔物に滅ぼされるということよ」
ドロシアはまとめに入る。
「大切にしている人や守りたいものがあるなら死に物狂いで戦いなさい! そして決して死なないこと! それさえ守れば治療を含めて報酬は約束するわ。分かったら割り当てられた場所に出発!」
大いに士気を向上させた冒険者たちは次々とギルドの外へと出て行った。彼らは街や人を守るため、言われた通り必死に戦うことだろう。
「じゃ、俺様たちも行きますかね」
「行こう、みんな」
ヴァナヘルトやアルバートも仲間に声をかけて歩き始めた。向かう先は、一番の激戦が予想される北区正面。
「勇者」の到着を待つことなく、「嘆きの魔女」との戦いはこうして大々的に幕を上げた。
向かって来るは千にも及ぶ高ランクの魔物。対するは皇都中から集まった冒険者に騎士、兵士。その数約2千5百。
数だけで見ると人間側が優位ではあるものの、強い魔物は何人がかりかで挑まなければ渡り合うことすらできない。このことを考慮するなら皇都の蹂躙は避けられないだろう。
しかしその中には例外もいた。1人で一国を潰せるほどの戦力をもちSランクに昇格間近の「風雷坊」。
そしてこの戦いにて頭角を現していく未来の「英雄」。その者の後の異名は「神獣使い」。
戦いの行方はこの2人を筆頭に少数の実力者にゆだねられる。
だが彼らは知らない。本気の進行とも思えるこの魔物の大氾濫が、「魔女」の目覚めと共に起きたまったく意図しない出来事であったことに。
そして遥か奥地で、目覚めたばかりの1人の女性が妖しげな笑みを浮かべていたことに。




