第80話 答え
エナと別れた後、イオは成り行きでそのままカナリアと共に宿まで戻ることとなった。
ちなみに宿の部屋には養生中のアルバートが残っており、ルーがその世話を買って出ていた。
さすがに意識のはっきりしている怪我人1人に対して2人掛かりで世話をするのもどうかと思い、カナリアは暇を持て余して外を歩いていたのだった。
「イオも用事があるっていうし……1人でやることがなかったのよ」
「部屋にいれば2人と話すくらいはできたんじゃないのか?」
「それはそうなんだけど。なんだか気分が乗らなかったのよね」
ここでイオはおや、と思いカナリアの表情を窺った。
イオの記憶が正しければカナリアはアルバートに好意を抱いていたはずである。そのことを匂わせる言動はこれまでに何度もあった。
親友とはいえ同じくアルバートに好意を持つルーは彼女にとって恋敵のはずだ。そのルーをアルバートと2人きりにして、あまつさえ世話を任せているという現状にイオは疑問を感じたのである。
だが一瞬眺めた限りでは、カナリアは悔しさをにじませることもなくごく自然に話をしている。
本当に今の現状について思うところはないようである。
「それよりもよ。イオの用事って、あの子に会うことだったの?」
それどころかカナリアはイオの用事について興味津々な有り様だった。
この件についてイオは内容を適当にはぐらかしていたので、カナリアは今初めてイオがエナと会っていたことを知ったことになる。
「ああ。依頼の報酬で買い物に付き合っていた」
「あの子って、イクアシスに来た時に花を売っていた子でしょ? 依頼って?」
カナリアはエナのことを覚えていたようだった。とはいえ彼女に関しては目立つ要素がいくつかあったので、印象に残っていてもおかしくはない。
依頼という言葉が出てカナリアはイオに疑惑を感じていた。人に頼ることを極力良しとしないイオが、なぜエナに依頼を出すことになったのか分からなかったのだ。
「草花を採ってきてもらっていた。これ以上は察してくれ」
「……あ」
周りを歩く人の耳を気にして返ってきたイオの答えは、それだけでカナリアも理解することができた。
まだイオの作った毒を目にしてから一晩しか経っていない。その中に乾燥した草もあったため、イオの依頼が毒の材料をとってきてもらうことだったとすぐに思い至ったのだ。
しかしそうなるとさらなる疑問が湧いてくる。カナリアは続けて問いかけた。
「どうして報酬が買い物になるの? 普通お金を渡して終わりじゃない?」
「あちら側の要望だ。報酬は金じゃなく物がよかったらしい」
「それで一緒に買い物ってわけね……なんだか意外だわ」
イオの性格から考えると、それこそ金を払ってその場で関係を切っていた方が似合う光景である。
だが別れの様子を見た限り、エナはひどくイオに懐いており、イオもそれを邪険にすることはなかった。さらには再会の約束までしたとなると、意外すぎてどう反応するかに困ってすらいた。
「俺も意外だと思う」
だが他ならぬイオ本人が同意したことで、カナリアは落ち着いているように見えるこの少年も内心で自分の言動に戸惑っているのだと感じた。
イオは表面上は淡々としたまま言葉を紡ぐ。
「前なら問答無用で突き放していただろうな。そうしなかったのは……」
「……あの子が、無属性だから?」
「……そうかもな。似た境遇に同情でも湧いたんだろう」
あくまで推定の形はとっているものの、イオは答えがこれだと確信していた。
初めに野花を買った時から、イオは無属性という枷を負わされたエナに同情心を抱いていたのだ。
だがそれがすべてでもない。
初めは同情だったとしても、それは時が経つうちに一種の希望へと変わっていた。
もしかしたらあり得たかもしれない自分の別の人生を、イオは無意識ながらエナに重ねていたのだ。
「そういえばこの町の衛兵も感じ悪かったし、良い環境とは言えないわよね……」
神妙な顔をしてカナリアもエナに同情の念を寄せる。しかしそう言いつつも彼女は何かもの言いたげにイオをちらちらと見ていた。
「……なんだ」
「え、あ、ううん、何でもない」
「言いたいことがあるならはっきり言え」
下手な誤魔化しを試みるカナリアにイオは憮然と告げた。
なおも口ごもる彼女だったが、気まずげに視線を逸らしながら口を開く。
「あー、イオが育った町も、こんな感じだったのかな、なんて」
ようやくイオもカナリアが言い難そうにしていた理由を悟った。
さすがのカナリアもイオに過去のことを尋ねるのはよくないと分かっている。しかし聞きたいと思ったことまでは隠すことができず、こうしてイオに追及されてしまったのだ。
自分から質問を促す形になってしまったイオはため息交じりにぼやいた。
「……なんでそう昔のことを知りたがる」
「ううん、別に聞き出そうとか、そんなつもりはないから。ただ思っただけよ」
こうしてイオに対して譲歩できるようになったのは、まぎれもなくカナリアの成長した点と言えるだろう。
相手のことを考え自分の感情に振り回されることが少なくなってきた彼女は、時を経るごとに落ち着いた雰囲気を出すようになってきていた。
だが一度気まずくなった空気を払うことができないくらいには、まだ彼女も精神的な未熟さを残している。
無言で通りを歩くイオとカナリア。通りと言っても鉱山都市ルピニスなどの都市と比べると幅は狭い。
今2人が歩いているのは馬車一台がぎりぎり通れるくらいの狭い道である。通行人はいるが、もともとそれほど栄えた町でもないため閑散としており、静かな空気がやけに鬱陶しく感じられた。
「……実際のところ、ハルフンクはイクアシスによく似ている」
「え?」
仕方なくイオは少しだけ語ることにした。とはいっても大したことを言うつもりはない。
驚くカナリアを余所に、イオはちらほらと人の姿が見える道の先を眺め言った。
「栄えているわけでも、廃れているわけでもない。何年住んでも変わり映えのしない町だった」
「……へぇ」
突然話し始めたことに驚きつつもカナリアは何とか相槌を打った。
「大体の住民は親の仕事を継いで暮らしていた」
「イオの家は、たしか薬を売っていたのよね?」
「いや、別に俺の家が薬屋だったわけではない」
「そうなの?」
カナリアはイオの母親が薬師をしていたと聞いていた。イオが調合の技術を持っていたこともあり、イオの家は薬屋だと思っていたのだ。
だがそれはイオによって否定される。
「ああ、薬師だったのは母親だけで、それも知り合いに安く売る程度だった」
「じゃあ、お父さんは?」
「冒険者上がりの衛兵だ。今頃どこかでのたれ死んで……」
話の流れで父親のことが出てきたのは仕方のないことだった。
つい嫌悪感を滲ませながら口にしてしまった言葉をかき消すようにイオは早口で言う。
「話はここまでだ。さっさと帰るぞ」
「あっ、イオ」
イオたちが泊まっている宿はもう目に見える場所にある。早く帰るためにカナリアを置いて歩く速度を速めた。
自分と母親を置いて逃げ去った父親は、イオが最も憎んでいる存在である。直接イオを陥れたペスター・イデルミンドやフリック・シクトレンとどちらをより憎んでいるかと聞かれれば、イオは迷いなく父親を指すだろう。
彼はイオと母親が無属性だと分かった瞬間に、これまで注いできた愛情も受けていた信頼もすべて棄てたのだ。
それどころか家を出る際に貯金や金目のものは尽く持ち去り、経済的な危機にもさらされた。
なによりあれだけ母親に精神的負担をかけたのだ。自分のことを棚に上げてもイオは父親を許すことはできない。
「待ってよ、イオ」
と、そこで後ろからカナリアが追い付いてきた。
突然イオの雰囲気が変わったことで何か嫌なことを思い出したのだろうと思いつつも、彼女はイオにそのことを訊ねるような愚は冒さなかった。
「今のうちに聞いておきたいんだけど」
代わりに訊ねたのは別のことだった。
「前に言ったわよね、私のことを許すか許さないか、自分で決めろって」
「……ああ」
足を止め、少し間を置いてイオは思い出した。
これまで食い下がるような許しの請い方しかされたことのないイオにとって、自分の目で見て決めてほしいと言われたことは初めてだったため印象に残っていたのだ。
「それがどうした?」
「あれからもう半年よね。できればイオの答えを聞かせてほしいの」
何を、と言うまでもなくその意味は理解している。
すなわち、出会った当初のカナリアの失礼な言動を、イオが許しているかどうかを聞いているのだ。
「聞いてどうする?」
「許してくれたのならそれでいいし、ダメならもっと頑張るまでよ」
実際のところ、カナリアはイオが許していないと言っても諦めずに努力を続けるのだろう。呆れるほどの気持ちの真っ直ぐさはイオも否定することができない。
「……また今度に」
「今じゃないとダメ。イオとちゃんと話せることなんてそんなにないんだから」
この通り、先延ばしにしようとするイオをカナリアは逃がしてくれない。一度その瞳に決意が宿れば、彼女の意向を曲げるのはそう簡単なことではないのだ。
「お願い。どれくらい許してる、とかでもいいから」
真剣に訴えかけるカナリアにイオの心も揺れる。
ここで許していない、と一言告げるのは簡単だろう。2人の関係はこのまま維持され、また次に彼女が言い出すまで結論は先延ばしにされる。
だがそれは自分に対して正面から向き合ってくれるカナリアの信念を貶める行為だ。ここで嘘をついてしまえば、責められるべきはイオということになる。
これまでイオは一度ガートたち幼馴染に何度許しを請われてもそれを聞き入れることはなかった。
ここでその原則を変えてしまえば、自分の中で積み上げてきた何かが脆く崩れ去ってしまいそうな気がしてならない。
「イオ……?」
不安そうに答えを待つカナリア。いつもの気丈な振る舞いは形を潜め、審判を告げられる罪人のように不安で顔を曇らせている。
その表情がイオに覚悟を迫らせる。
(いつまで逃げてるつもりだ。変わろうとするこいつを少しは見習え!)
自分をきつく叱りつけ、イオはカナリアの顔を正面から見据える。そして口を開いた。
「カナリア、悪い」
謝罪から始まったことでカナリアの不安が悲哀に塗り変えられる。そこに対抗心が残っているのは彼女ならばこそだろう。
だが続く言葉に彼女は思わず耳を疑ってしまった。
「ついさっきまでそのことを忘れていた」
「……は?」
間抜け面を晒すカナリアに、イオはいつものまま淡々と言い直す。
「考えてなかったんだ。今言われて思い出した」
「は、はあぁぁぁ!?」
往来にも関わらず控えめな絶叫があがった。
肩透かしを食らったカナリアは混乱と怒りをないまぜにしてイオに食い掛かった。
「ど、どういうことよ!? 忘れてたって……」
「言葉通りだ」
「じゃあ、本当に……?」
こくりと小さく頷くイオ。それを見てカナリアの中で怒りの緒が切れた。
「あんたねぇ、私がどれほど悩んでたと思ってるのよ!」
「その割にはいろいろ言われた記憶がある」
「それはそれよ。私なりに考えてたの」
「悪かったな」
この謝罪は本心からのものである。
事実、イオはいまだにカナリアが本気でそのことを気にしているとは思っていなかったのだ。それにこの半年間で考えることがたくさんできたため、この問題についてまで頭が回らなかったという事情がある。
それに忘れていたということはすなわち、別の意味も持ち合わせている。
「いつまでもここで立っていると邪魔になる。帰るぞ」
「ちょっと、話は終わってないわよ! せめて今考えて教えなさい!」
再び歩き始めたイオをカナリアが声で引き留める。
気持ちが乱されたことで最初の殊勝な態度は消え去り、いつものように遠慮のない口調に戻っていたが、そのことを気にした様子はない。
3歩先行したイオは半身に振り返り、いつも以上に感情を抑えた声で肩越しに言った。
「忘れていた。つまり気にしていなかったんだ」
「何言って……」
「これが普通で、自然なことだと感じていた」
何を言っているのか、カナリアの疑念は深まるばかりである。
だがそんな彼女にもある一つの可能性が浮かんだ。だがそれはあまり現実味がなく、いまいち確信を持つことができない。
その様子を見て自分が言わんとすることにカナリアが辿り着きながらもそれを信じられていないことを察したイオは、前に向き直る際に一言付け足した。
「……察してくれ」
「!」
この言葉と、顔を隠すように背を向けた仕草からカナリアもようやく確信を持つに至る。
そのカナリアを置いて歩きながら、イオは揺れ動く心を鎮めていた。
(……これが今の限界だ。だが、これでいいんだろう)
押し込め続けた本心は、今更晒そうと思ってもそううまくいくものではない。むしろ凍り付いた心を融かすには長い時間を要するものだ。
心の安定性を保つためにも、今のイオには決定的な言葉を口にすることはできない。
だがそれでも、こうして変わろうと行動したことこそがより良い未来への糧になるのだと思うことができた。
そうして内側に注意を向けていたイオは、不意に手首を掴まれることで現実に引き戻されることになる。
「っ、カナリア?」
「ほら、早く帰るわよ! アルバートとルーが待ってるんだから!」
「お、おい」
イオはカナリアに腕を引っ張られながら宿までの残り少ない道のりを歩き出す。
混乱するイオを連れて歩くその表情は、まるで雨があがった後のように晴れやかだった。
次にフィリアの話を入れて第四章は終わりです。




