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第71話 決戦前日の雨

 イクアシス周辺地域では、数日間空を覆い続けていた雲がさらにその厚さを増し、ついにしとしとと雨を降らせ始めた。


 天候は冒険者が依頼を受ける際に注意しなければならない不確定要素の一つである。

 例えば雨が降れば地面はぬかるみ体は冷えて、本来の動きを発揮できなくなる。他にも霧や雪など、厄介な天候は数多く存在する。


 冒険者に限らずとも天候によって日々の暮らしに影響が出る職業は少なくはないのだから、近い将来の天候を大まかにでも予測できる者はそこそこ多い。

 当然そんな人たちは長く続く曇り空を見て近くイクアシス付近でまとまった雨が降るだろうということは予測していたし、それに合わせて各々仕事などを調整していた。冒険者もわざわざ雨の日に依頼を受けたいとは思わないので、よほど金に困っている者以外は酒場などで飲んだくれて一日をすごしていることだろう。


 例外は高原の麓にいる3人と、彼らの後を追っている1人くらいのものだろう。


「ちょうどいいタイミングだったね」


 岩でできた天然の屋根の下で雨露を凌いでいたアルバートが外を見ながら口を開いた。その様子は想定外の事態に途方に暮れている冒険者のそれではない。


「雨の中歩くのも嫌だものね。この場所を見つけた後でよかったわ」


 それに続くカナリアも悲観した様子はない。むしろことがうまく進んで安堵しているようである。


 仮にも冒険者であるアルバートたちは当然、そう遠くない頃に雨が降り出すだろうということは予測していた。出発前にあれほどあからさまに薄暗い雲が広がっていたのだから、気づけなければよほどの馬鹿者だ。

 本来なら出発を見送るところだろうが、3人はむしろそれを知っていながら出発を早めたのだ。


「止むのはいつなのかな……?」

「明日の朝くらいには止んでいるんじゃない? この感じだとそう何日もは続かないでしょ」


 ルーがこぼした問いにカナリアが答える。冒険者になる前は農作業を手伝っていた経験があるため、天候を読むことにはそれなりに長けているのだ。

 それを受けてアルバートが口を開いた。


「明日の朝まで降り続ければ十分だろう。草木も地面もしっかりと水気を吸い、やつの炎の効果は半減する」


 この言葉こそが、今回雨が降ると知っていながら強行した理由である。

 ヘルフレアタイガー変異種と戦うにあたって最も警戒しなければならないのは高熱を帯びる爪だ。その爪で切り裂かれれば、それが例え掠り傷でも傷口から焼き焦がされて一瞬で死に至ることもあり得る。

 同時に歩くだけで地面を焼くというのも厄介な点である。もし辺りに火が燃え広がりでもすれば逃げ道を塞がれてしまう恐れもある。


 水属性のルーが消火するという手もあるが、彼女も貴重な戦力の1人。できるだけ戦闘以外で魔法を使わせることは避けたかった。


 そこで利用するのが雨である。

 雨上がりの湿気の多い環境ではどうしても火を維持することは難しいし、発生源が爪の先であるため常に地面に足をつけておかなければならないヘルフレアタイガー変異種にとっては嫌な環境だと思ったのだ。

 この戦いに有利な場を作るために、3人はわざわざ雨の日を狙ってここまで急いだのだった。


「でもそれはアルバートも同じなんじゃない? 火属性の魔法も使いにくくなると思うけど……」


 カナリアが心配そうに尋ねた。

 火を使うのは相手だけではなく最大戦力であるアルバートもなのだ。彼の弱体化はそのまま全体の敗北にもつながるため問いかけたのだがその心配は杞憂だった。


「問題ないよ。これを使うから」


 そう言って彼が手元に出したのは2個の綺麗な石だった。


「これって……魔石、よね? しっかり見たことはないけど」

「そう。魔道具の材料であると同時に、強力な魔法を使う際の触媒にもなるんだ」

「アルバートさんは、これを使うんですか?」


 2人は初めて間近で見る魔石に興味津々だった。領主の館でアルバートがロナルテッドに違約金として手渡した際は本当に一瞬しか見ることができなかったのだ。


「俺の本来の戦い方は魔法生物の使役と剣術だからね。強力な魔法は魔石がないと使えないから、普段からやれるわけじゃないけど」

「簡単にはできないっていうのは分かったけど……なんでもっと早くに教えないのよ」

「そうですよ。隠してたんですか?」

「いや、だって……魔石をそんな使い方すれば疑われると思ったから」


 実際にリュビオスを撃退した直後にヴァナヘルトからそう言った追及を受けている。高価な魔石を使い捨てにしていると知られれば、当時のカナリアとルーであっても警戒を抱かせていたかもしれない。


「……確かに、今だから納得できてるけど……なんだか信用されてないみたいじゃない。ねぇ、ルー?」

「だね。だめですよ、アルバートさん。私たちは隠し事なんてしてないんですから」

「う……ごめん……」


 言葉だけ見ると責めているように見えるが、その実はただアルバートをからかって楽しんでいるだけだ。このような機会はめったにないので、2人とも実に楽しそうだ。

 ひとしきり楽しめたのか、たじたじとしているアルバートにカナリアは次の問いを投げかけた。


「それで、このことをイオは知ってるの?」

「あ……うん。イオの前ではもう2回使っている」

「いつそんなことが……私たちがいない時ですよね? あ……クイーンホーネット討伐の依頼でですか?」


 パーティーを組んでからは基本的に全員で依頼を受けていたので、例外はすぐに思い当たった。

 別行動していてアルバートが本気を出さなければならないような相手として、真っ先に浮かび上がったのがクイーンホーネットである。


「そう。イオの前ではっきりと使ったのはあれが初めてだね」

「じゃあ、もう一つは……」

「パーティーを組む前の、イオが未知の魔物に襲われた時だよ。あれが人魔だったらしい」

「ああ……」


 カナリアはそれで合点がいったようだった。イオがリュビオスと戦闘になった時、まだ彼女はイオと親しいと言える間柄ではなかったため選択肢に数えていなかったのだ。

 カナリアの知らないところで何かと事情を共有しているイオとアルバート。そのことを思うと今度はからかいなどではない、本音の愚痴がこぼれてきた。


「本当にもう秘密はないんでしょうね? 探せばどんどん出てくる気がしてきたわ」

「さすがにもうないから。昔のことも今のことも全部語り尽くしたよ」


 これは本当のことだった。生まれに始まりどんな少年期をおくってきたかや、冒険者になるに至った過程も戦い方もすべて打ち明け尽くしていた。

 語る前は幻滅されないかと恐れを抱いていたものだったが、今になっては全部出し尽してむしろすっきりとしている。


 しかしカナリアは何が気に入らないのか不審な目を向け続けている。ここ最近ですっかり彼女に頭が上がらなくなってきているアルバートはそれに耐えきれず、無情にもここにいない人間を売った。


「それを言うならほら、イオなんて秘密の塊みたいなものだよ? 俺なんか足元にも及ばないって」


 その言葉による変化は劇的だった。雷が落ちたかのように硬直したカナリアは、その後暗い笑みを浮かべながら呟く。


「そうね……イオには色々と聞かなきゃならないことがたくさんありそうね……」

「カ、カナリア?」


 矛先を変えることには成功したのだが、代わりに何か別のスイッチが入ったらしい。引き気味に名前を呼ぶアルバートの言葉は彼女の耳に届かない。


「いつも何かありそうで何にもない振りしてるんだから……帰ったら根掘り葉掘り聞き出してやるわ」

「カナリアちゃん、優しく! 優しくだからね!?」

「もちろんよ、ルー。優しく、吐くまで逃がさないんだから」

「全然優しくない!」


 ルーの絶叫は壁面や天井に木霊(こだま)するも雨音にかき消されて外まで聞こえることは免れたのだった。






 ♢ ♢ ♢






 そして同時刻。こちらにとってこの雨は都合の悪いものだった。


(……ここで足止めか)


 イオはローブのフードから伝う雫を拭いながら歩みを止めた。

 しばらくは雨に濡れながらも気にせず先を急いでいたのだが、ここに来てさらに雨脚が強くなってきたので進むことができなくなったのだ。


 索敵に特化しているイオだが雨の中では強化した目や耳でも機能が落ちてしまう。

 1人で行動しているだけに魔物との遭遇は避けなければならないイオは、これ以上無理をして進むのは危険だと判断したのだ。


(早朝に出たとして、昼前に着けば御の字か)


 イオは素早く目的地までにかかる距離を概算する。向かう先には目印となる高い山がそびえているので計算は比較的容易だ。

 順調にいけばアルバートたちはすでに麓までたどり着いているはずである。今日は休息に当てるとして、戦闘が始まるのは早くて明日の朝だ。

 イオが間に合うかどうかは正直ぎりぎりだった。


 本当に間に合わせたいのならば時間を惜しんでこの瞬間も移動に充てるべきなのだろうが、それでへまをして魔物に囲まれでもしたなら目も当てられない。

 無事に手元の品を届けるのが仕事なのだから、イオは急ぎつつも安全には重きを置いていた。


(着いたらすべて終わってた……なんて冗談はよしてほしいが……)


 もちろんヘルフレアタイガー変異種に圧勝してすでに討伐し終えていた、というのなら言うことはない。イオのしていることは余計なお世話だったと笑い話にでもすればいいのだ。

 しかし到着したころには全員死んでいた、という展開はあまりに気分が悪い。全員でなくても誰か一人が欠けてしまっていたなら、イオは雨の中走っていればよかったと後悔することになるだろう。


 無論、ヘルフレアタイガー変異種にイオの作った毒が効かなければ結局は徒労に終わる。効いたとしても使いどころは見極めなければ効力を発揮しないだろう。

 イオは戦闘に参加するつもりがないので、そのツケが返ってくるかもしれない3人を思うと不安と恐怖にかられてしまう。


(今どれだけ考えようと、結果が分かるのは明日次第だ)


 体が冷えたことによる身震いが悪い想像を頭に浮かばせるのを、イオは無理やり思考の隅に追いやった。

 今必要なのは、明日少しでも速く走れるように体を休めておくことだ。休息場所に選んだ木陰は完全に雨を防いでくれはしないが、そんな悪環境に慣れているとばかりにイオは警戒を怠らないよう浅い眠りにつくのだった。






 ♢ ♢ ♢






 さらに別の場所では2人の人影がイオと同じように木陰で雨露をしのいでいた。


 2人とも身をすっぽりと覆うような大きめのローブを着ているため、その容貌は隠されて見えない。


「雨が止んだら、出発しようか」


 2人のうち、背の大きい方がもう片方に語り掛けた。声から察するに大人の男のようだった。

 対する背の小さい方はまだ声変わりの途中のような少し高めの、少年のような声で答えた。


「了解。明日が楽しみだなぁ。僕もついに”儀式”ができるんだから」

「そうだな。いい相手が見つかるといいな」


 この話を他の人間が聞いていたとしてもその内容を汲み取ることはできないだろう。

 だが声の調子から察するに背の小さい方にとって”儀式”というものが特別な意味を持つということは感じられた。


「あそこにはどんな魔物がいるのかな。成功したら僕を泣かせた奴らに仕返しができるかな」

「おいおい……それはもう500年も前の話だろう。とっくに死んでるよ」

「それなら代わりの奴でいいよ。もう誰にも僕を雑魚呼ばわりさせない」


 その目には深い憎悪が浮かんでいた。

 歯を食いしばり復讐を誓う彼に、片割れの男は低く窘めるように告げた。


「……勝手な行動は旦那様が許していない。力を得たからと言ってそれを振りかざすのは奴らと同じだ」

「はーい。 ……奥方様が目覚めてたら違うのになぁ」


 一応は返事を返したものの、心の底では納得できていないようだ。それを見て男はやれやれという風に頭を掻く。


 その手には、墨を垂らしたような黒い筋が何本も浮かび上がっていた。


 彼らが見据えるのはイクアシスの近くにある高原地域。

 3つの思惑が、その麓で交差する。

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