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閑話 「聖女」と「勇者」

 整備された道の両端に薄っすらと雪が降り積もり、外気は肌を刺すように冷たい。しかし人々はそれを慣れたものとして気にせず、白い息を吐きながらその道を行く。

 隣町まで荷を運ぶ商人や、依頼を受けて素材や魔物を探しに行く冒険者。昼過ぎとなれば早朝よりその数は減るもののそれでも多くの人が見られるのは、その道の先にこの国、ノルス教国の中心たる街があるからだろう。


「ん? おい、あれ……」


 初めにそれに気づいたのは冒険者の男だった。仲間に知らせるように、ある一点を指さす。

 するとちかちかと光を反射しているものに仲間も気づいた。


「あれは……鎧?」

「馬鹿、ありゃ騎士だ! 道を開けろ!」


 1人がそう叫んだことで冒険者たちやその周辺にいた人々も次々と道の端に寄っていく。そうこうすうるうちに、こちらに近づいてくる集団は目前まで近づいてきてその正体が誰の目にも明らかになった。


「神殿騎士様……」


 そんな呟きを、誰かが漏らす。

 道を下ってこちらに向かってきた集団は、2台の馬車とそれを守るようにして展開する騎乗した神殿騎士だったのだ。その特徴的な白銀の鎧は太陽の光を美しく反射させて輝いており、そこにいるあらゆる人の目を釘つけにした。

 騎士たちが道を開けている人々の間を通り過ぎる際に、先頭のおそらく隊長と思われる男が全員に声をかけた。


「感謝する!」


 短い一言。ただそれだけの言葉を残して神殿騎士たちと馬車は彼らの目の前を通り過ぎて行った。

 通常なら権威を笠に着た傲慢な態度であると捉えられるかもしれないが、見送る人々は皆、尊敬の念を込めた眼差しで騎士たちを見送っていた。


 神殿騎士。それは天の女神を敬う「女神教」という信仰の下に仕える騎士たちのことである。

 騎士と言えば、例えばノルス教国の南に隣接するセントレスタ皇国では武の象徴として幅を利かせているのだが、神殿騎士は大きく異なる。まずその仕事は戦闘だけにとどまらず、飢えや寒さで苦しむ人のために食事を振る舞ったり仮設の寝床を作ったりというように、明らかに騎士の職務を逸脱している。もちろん貧民以外にも困っている人間があれば無償で救いの手を差し伸べるなど、慈善事業に大きく力を注いでいるのだ。

 女神教の本部が置かれており、最大の宗教国家であるノルス教国は寒さが厳しく土地もそれほど肥えてはいない。そのためそこに住む人々の生活は苦しく、どうしても誰かの助けを必要とする時があるのだ。それを実行するのが神殿騎士という人間である。


『天が誰のものでもないように、人は皆平等で何者にも束縛されない』


 この教義の下、敬虔な信者で構成された神殿騎士は苦しむ人に手を差し伸べ、見返りを求めずに救いをもたらす。

 ノルス教国の、それも本部が置かれている教都シーネルンに住む人間は何かしら彼らに助けてもらった経験があり、そんな彼らに尊敬の念を抱くのは至極当然のことだったのだ。






 ♢ ♢ ♢






 神殿騎士が護衛する馬車ということで注目を集める中、ついにフィリアはその長い旅の第一段階を終えた。


「ここが、教都シーネルン……」

「私も来るのは初めてなのですが……よく栄えておりますね」


 馬車の小窓から外を覗きながらフィリアと、その上司兼、この旅におけるフィリアの世話役であるクレシュは街を観察する。

 印象としては灰色や白など目立たない建物が並んでおりどことなく暗い感じがするのだが、予想以上に多くの人が(にぎ)わっていて実際の気温以上に暖かく感じられた。雪や寒さからフィリアは閑散とした静かな街を想像していたのだが、それがいい意味で裏切られたのである。


 そして街の人々はフィリアの乗った馬車が通ると皆、神殿騎士たちに向かって笑顔で手を振っている。それ自体は道中でもよく見られる光景だったのだが、フィリアはいかに神殿騎士という存在が人々に受け入れられているかを改めて実感し嬉しく思うのだった。


 街の景色を眺めているうちに、フィリアとクレシュの乗った馬車はよく見慣れた建物へと向かっていった。2人の仕事の場であり、また食事や睡眠をとる生活の場であった教会。しかし、その規模は見たことがないほど大きなものだった。

 これこそ大陸中に存在する「女神教」の総本山。教皇も住まう最大規模の教会である。


「ご案内します」


 そう言われて2人は馬車から降り、神殿騎士に付いて建物へと向かった。一般の人が祈りを捧げる聖堂への入り口とは別の、関係者以外立ち入れない扉から中に入ると、そこは調度品なども飾られておらず外見と比べて質素なつくりだった。

 そうして何度か角を曲がり、階段を上り、また歩いて、彼女らは一つの部屋の中に通された。


「よく参った。さあ掛けるがよい」


 その部屋は執務室のようだった。来客用の長椅子と書棚、そして正面奥にはこの部屋の主の物であろう大きな机が置かれてある。

 その机の上で両手を組んでいた女性がフィリアたちに労いの声をかけた。

 明らかに重要人物である女性の指示に従い彼女らが長椅子に座ると、その女性も体面に座って自己紹介をする。


(わらわ)はメルフィス・リーンハート。当代の女神教の教皇であるが……ああ、そう畏まらずともよい」


 メルフィスの位を聞いた瞬間クレシュが床に膝をつけて(こうべ)を垂れようとしたが、メルフィス自身はそれを押しとどめた。フィリアはどうすればよいのか分からず狼狽えるだけだった。


「フィリアです。初めまして、教皇様」

「クレシュでございます。こちらのフィリアの世話役として参りました。先ほどはとんだ御無礼を……」


 何とかクレシュを落ち着かせて自己紹介を返すことができたのだが、クレシュはこれ以上ないほどまでに畏まっていた。

 それも当然なのだろう。なにしろ目の前に座るこの女性は、自身の所属する集団の中で一番偉い人物なのである。加えてノルス教国を取りまとめる人物でもあり、他国で例えるなら国王が目の前に座っているといった状況なのだ。

 ちなみにフィリアはメルフィスがどれほどすごい人物なのか理解しきれていないため、クレシュに比べると自然体だった。


 一通り挨拶を終え、ある意味怯えさえしているクレシュを宥めると、メルフィスはフィリアに向けて申し訳なさそうに言った。


「すまぬな。お主には辛い役目を負わせてしまった」

「いえ、そんな……」

「だが、お主しかおらんかったのだ。「聖女」の役割を担えるような者は……」


 そう語るメルフィスは沈鬱そうな顔を覗かせていた。彼女とて好きで過酷な戦いにフィリアを送り出そうとしているわけではない。


「それは、私が聖属性だからですか……?」

「うむ。聖属性はほとんどおらぬからな。それも教会にいて力を貸してくれるような者はまったくおらぬ」

「まったく……それほどまでに少ないのですか?」

「そう。教会に属する者はお主を除いて2人。しかしどちらも年老いており、とても駆り出すことはできん。国に所属する者はおそらく許可が得られんだろう」


 国の王やその重鎮にとって聖属性は、自分たちが病や怪我に倒れた時のために常に傍に居なくてはならないのだ。それを動かすどころか、命の危機がある場所に連れて行くとなれば誰も首を縦に振らないだろう。

 冒険者ギルド本部のギルドマスターの地位に就くなど、比較的自由を認められているセントレスタ皇国の聖属性の使い手、ドロシア・ユティシーノであってもそれは同じ。「老いの抑制」という規格外の魔法を使える彼女を、国がそうやすやすと手放すことはないのだ。


 自分に関わることであるからだろう、フィリアはメルフィスに次々と疑問をぶつけていく。


「ですが私は戦闘の経験などありません。同行してもお役に立てるかどうか……」

「お主に戦えとは言わぬから安心せよ。お主はただ傷ついた仲間を癒すことに専念すればよい」

「もう魔女は復活しているのでしょうか?」

「おそらくは。そのため完全に活動を始める前に討たねばならない」


 そんな話をクレシュを交えてしていると、外から扉を叩く音がした。次いで入室を請う声が室内に響く。


「神殿騎士・第1部隊所属、リアン・エストレッチェ。ただいま参……」

「よいから早く入れ」

「はっ、失礼します」


 長々と口上を垂れる声をメルフィスが遮り許可を出すと、部屋の中に白髪の青年が入ってきた。

 青年はメルフィスの前まで進むと膝をついて頭を下げ始める。


「リアンよ……何度言えばわかる。お主は勇者。神殿騎士を名乗るのも妾に頭を下げるのも止めぬか」

「不肖の身ゆえ、まだ勇者を名乗るわけには……」

「お主が名乗らずして誰が名乗る。さっさと顔を上げい」

「はっ」


 そう言うとやっとリアンは顔を上げ、今度は突然のことに目を丸くしているフィリアたちの方へと頭を下げた。


「リアン・エストレッチェ。未熟ながら、聖剣に選ばれた勇者と呼ばれる存在です。聖女様、お初にお目にかかります」

「え、あっ……フィリアです。初めまして、勇者様」

「私のことはリアンとお呼びください」

「ではリアン様と。私のこともフィリアとお呼びください」

「分かりました」


 格式ばったコチコチの挨拶を終えた2人を見てメルフィスは呆れた声をあげた。


「はぁ……驕るよりマシとはいえ、もう少し堂々と出来ぬものかのう」


 リアンはSランク冒険者を父に持つせいか自分の実力をまだまだだと思い込んでいる節がある。メルフィスからしてみれば若いながら神殿騎士で他の追随を許さない強さを持つ傑物なのだ。神殿騎士なだけあって内面も問題はなく、日々の努力を絶やさないといった真面目さも持ち合わせている。

 一方でフィリアは普通の生まれで、聖属性を持つとはいえそれを笠に着ることもなくとても温厚な性格をしている。そのため戦闘などという荒々しいものとは縁遠く、とてもではないが似合うものではない。

 どちらもこちらから頼んで役目を負ってもらった人物であるが、対外的に見て少々心配に思うメルフィスだった。


「これで勇者と聖女の顔合わせは済んだな。聖騎士と魔導士もこの建物の中におる。後で正式に顔を合わせる場を設けよう」


 メルフィスの言葉で一同はいったん解散となった。フィリアとクレシュは長旅だったことからすぐに休めるよう手配がなされる。




 個別の部屋でフィリアはベッドに座り、1人物思いに耽っていた。


(長かった……けど、まだ始まってすらない。なにもかも)


 フィリアはこれからさらにセントレスタ皇国まで行って、嘆きの魔女が封印されていた土地である「嘆きの跡地」に行かねばならないのだ。ハルフンクからここまでの旅路よりは少ない日程とはいえ、これからまた長い旅が始まるのだ。

 さらに到着してしまえば今度は嘆きの魔女と生死をかけた戦いに赴かなくてはならない。まだフィリアは目的のスタート地点に立ったばかりなのだ。


(……怖い)


 フィリアは胸を抑えてぶるりと身を震わせた。

 彼女はこれまで生命の危機に立ったことなど一度もない。そんな彼女が突然最大級の敵に立ち向かわなければならないとなれば恐怖を抱いて当然だ。

 なぜ自分が、という思いは当然ある。それでも聖属性を持つ以上やらなければならないと感じ、何とか気持ちをもたせているのだ。


(「勇者」、「聖騎士」、「魔導士」、そして「聖女」……かつて魔女を討った、いえ、封印した4人)


 この4人は魔女の名と共に物語で語られる有名な人物だ。その中で「聖女」は癒しの力を持つ女性だったと明確に記述されている。他に適任となる人物がいない以上、自分がやるしかないのだ。


 フィリアは不安を抱えながらもそのまま久しぶりとなる柔らかいベッドで朝まで眠るのだった。



 翌日。

 フィリアは「聖騎士」、「魔導士」とも顔を合わせた。どちらも実直そうでたしかな実力を匂わせる人物でありフィリアは些か気後れしたのだが、もう引き下がれないところまで来ている。


 この日、大陸中の教会や冒険者ギルドから「魔女復活」とそれを討伐する「勇者一行」の存在が知らされたのだった。

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