第58話 夢からの目覚め
おかしなテンションで書いたので少し違和感があるかもしれません。
夢を見るイオの目の前に、次々と過去の場面が再生されていく。
生活の足しにと町の外から山菜や木の実を取って家に帰ってきたときに目に飛び込んできた、争った形跡の残る家の中。
『……あの人は……お父さんは、出て行ってしまったのよ……家のお金を持って』
散らかった部屋の真ん中に座り込む母から告げられた衝撃の事実。生気が抜けてしまったかのように力なく項垂れる母に、幼いイオがかける言葉などなく。
荒くれ者が集うぼろぼろの冒険者ギルドの中で、イオの顔を覗き込んで酒臭い息を吐く数人の男たち。
『おい、お前が冒険者だって!? はは、笑わせんなよ、無属性の分際で!』
『そんなひょろい体じゃすぐ死ぬぜ? お、そうだ、俺たちのとこに来いよ。荷物持ちくらいはさせてやろう』
『お前、そう言ってこの前も新人を囮に使ってたじゃねえか。ま、それで役に立てるならこいつも本望だろうけどな』
『ははは、違いねえ!』
つまらない存在だと分かっていても、腕力で勝てず口先も通用しない。この時イオは己の無力を嘆き、自分に力があればとどれだけ願ったかわからない。
壁の腐りかけた小さな納屋の中、ぼろきれを敷いただけの寝床に横たわる母親。その姿はかつてとは比べ物にならないほどやつれきっていた。
『……ごめんね、イオ……あなたにつらい思いをさせて……』
彼女は最期の時までイオに謝り続けた。その命が尽きる瞬間の母の涙を、それなのに自分は涙さえ流せずただ黙々と埋葬をすることしかできなかった悲しみを、イオはこれまで一瞬たりとも忘れたことがない。
時は流れて旅立ちの日。見送りではなく、されども引き留めるわけでもなく贖罪のために集った同郷の人間たち。
自分とはかけ離れた場所まで行ってしまった黒髪の少女の不安そうな声が響く。
『……また、また会えますよね?』
この問いに対しイオは、肯定とも否定とも取れない有耶無耶な答えを返した。心の中ではもう会えないだろうとほぼ確信していたが、あえて希望を持たせるようなことを言ってしまったのは、彼女を悲しませたくなかったからなのか。イオは自分でもよくわからない。
「……で」
自分の過去をただ傍観していたイオが、不意に誰もいない方向へと向かって話しかけた。
「人の過去にずけずけと踏み込んで、これで満足か?」
気づけば辺りは真っ暗な空間へと変貌している。上下の感覚さえつかめないそこは明らかに異質な場所であったが、イオは現実ではないと割り切り気にしていなかった。
真っ暗な空間の中では当然何も見えないのだが、イオは確信をもってその存在を掴んでいた。
ややあって薄紫色の亡霊が姿を現す。暗闇にもかかわらずその亡霊が地面につくほど長い髪をしていて、ゆったりとしたドレスを着ている女性だということははっきりと見えた。
亡霊の姿を見てイオはその正体を看破する。
「……レイスか。レイスにこんな能力があるとは聞いたことがないが……上位種か?」
「……」
当然レイスはイオの質問に答えない。ただ前髪越しにイオを見つめるだけだ。
イオはこれがただの夢であるという可能性も捨ててはいなかったが、あまりにも意識がはっきりしすぎていることと、倒れる前の記憶を思い出したことからそれはないだろうと思っていた。すなわち、この状況は目の前の魔物によって引き起こされたものである、と。
ふとイオが自分の姿を見てみるとそこには見慣れたローブと装備がきちんとあった。フードは脱げているため紺色の髪が大気にさらされている。
とはいえこの空間で単純な戦闘能力は役に立たないことは容易に想像がつく。たとえ戦闘になっても魔法の使えないイオにはレイスという実態を持たない魔物にダメージを与える手段を持ち合わせていない。
何が正解かは分からないが、イオはとりあえず刺激を与えないように話しかけてみることにした。
「……おい」
「……」
反応はない。イオは繰り返し話しかける。
「おい、これはお前の仕業か?」
「……」
「用がないのなら帰してほしいんだが」
「……い」
「ん?」
めげずに言葉をかけ続けていると、そこで初めてレイスから反応が得られた。
何を言ったのかよく聞こえなかったイオは耳を澄まして聞く姿勢を取る。
「……悲しい……つらい……苦しい……寂しい……」
さすがは亡霊と言ったところか。ぽつりぽつりと口から出てくる言葉はすべて呪詛が込められているような暗いものだった。
動き始めたレイスの口は止まらない。
「……なぜ……どうして……痛い……痛い……」
さすがのイオでも引き気味である。抑揚のない声でただ淡々と恨みをこぼすレイスにどう対応していいのか分からない。そもそも魔物と意思疎通を図ろうとしたこと自体が間違いだったのか。
行動を起こせずにいるイオの目の前で、レイスがさらなる動きを見せた。
「……1人は、嫌……怖い……寂しい……」
なんとレイスが両手を広げてゆっくりとイオに向かって歩き始めたのだ。イオに触れようと、その身を抱きしめようと、空っぽの器を満たすものを求めて確かな足取りで一歩、また一歩と進んでいく。
イオはじりじりと後ずさる。その抱擁を受けてはならないと警鐘が鳴り響いているのだ。
「……ちっ」
イオは腰の剣を抜いた。夢の世界で亡霊相手にどれくらい使えるかは分からないが、素手よりはマシだろうという判断だ。
すると、意外なことにレイスは立ち止まった。イオの警戒が伝わったのか、それともここでは剣が有効なのか。どちらにせよ場は膠着状態に陥る。
「……なぜ……どうして……!」
レイスの語調が強くなった。先ほどまでの言葉がこの世のすべての物に対する恨みであるならば、こちらはイオ個人に対する恨みだ。レイスの肩はわなわなと震え、自分を受け入れてくれないイオに対し憎悪と悲しみの入り混じった視線を向ける。
「ここにいることはできない。俺を帰してくれ」
自分がやや優位に立てていることを感じ取ったイオは脅すように剣を構えて強く要求した。言葉が交わせる以上無理な戦闘は避けるべきと考え、イオが切りかかるようなことはない。ただ強く拒否の意思を示し続けるだけである。
「……なぜ」
レイスが消え入りそうな声で呟いた瞬間、急に辺りの色が褪せていく。何が引き金になったのかは知らないが、この場所でのイオの意識は急速に薄れていった。
水底から浮上するような感覚を味わいながら、イオの耳にレイスの最後の言葉がかろうじて届く。それは無理解、悲しみ、憐れみ、様々な感情を含んだ記憶に染み付くような言葉だった。
「……あなたも、同じなのに……」
♢ ♢ ♢
部屋の小窓から朝の陽ざしが降り注ぐ。陽光に瞼を刺激され、イオはゆっくりと目を開いた。
「……」
ぼんやりと見上げる先の天井は見覚えがあるもの。というよりもここ最近、毎日寝泊まりしている部屋のものだった。
続いて自分の体を確認する。ベッドに沈む全身はやや重く感じられるが、それでも特に異常は見られない。
そのことを動かずに確認したイオは身を起こした。ベッドがぎしりときしんだ音が朝の空気に似合わず耳障りに感じられる。
「ん……」
するとごく近くから声が聞こえた。
そもそもイオが寝泊まりしていたのはアルバートとの2人部屋である。ならば当然その声の主はアルバートなのだろうと思い、その方向を見てイオは固まった。
(おいおい……)
寝起きのぼやけた思考が一気に冴え始める。イオのベッドにもたれかかるように眠っている人物がカナリアだったのだから、それも当然だろう。
ふと周りを見ていると、アルバートが使っていたベッドにルーが、壁にもたれかかるようにしてアルバートが眠っていた。パーティーメンバー全員がこの部屋で眠っているのだ。
(まあ、看病してくれてたんだろうが……)
部屋の様子を見る限りそれほど時間が経っていないようだ。おそらくそう何日も眠っていたわけではないのだろう、とイオは予想した。とにかくここで3人を起こすのも忍びなく思い、だからといって待つのも時間の無駄なのでイオは行動を起こすことにする。カナリアを起こさないようにそっとベッドから体を引き抜いた。
「……ぅ」
カナリアの口から再び声が漏れたが起きることはなかった。よく見ると彼女は何も羽織っておらず見るからに寒そうだ。
イオは看病をしてもらったであろうことに対する感謝を込めて、カナリアに布団をかぶせた。
全員が眠ったままなのを確認して、イオは朝の支度をしに部屋の外へ出るのだった。
♢ ♢ ♢
イオが出て行ってから数分後。
「ん……ん? あれ……?」
冷えていた体が突然温もりに包まれたことに対して異変を感じ、カナリアの意識が覚醒した。彼女は自分に布団がかけられていることに気づきぼんやりと考えた。
(アルバートがかけてくれたの……?)
昨晩決めたイオの看病の順番はカナリアの後にアルバートの予定だった。自分が途中で眠っていたことに申し訳なさを感じつつも後でお礼を言おうと思い体を起こした。
「……」
起こしたまま、固まった。目の前にはもぬけの殻のベッド。
「はああぁぁ!?」
「ひゃっ! カ、カナリアちゃん!? どうしたの!?」
「うわっ!」
一気に頂点まで駆け抜けた怒りに耐えきれず、カナリアは大絶叫を上げた。当然そんな声を出せば同じ部屋で眠っていたアルバートとルーも目を覚ます。
カナリアは重症人にもかかわらず勝手にいなくなったイオに対してある種の殺意さえ覚えながら吐き捨てた。
「あのバカ! どこ行ったのよ!」
「あれ、もう朝……って、イオは!?」
「イオ君!?」
アルバートとルーも状況を理解して取り乱している。その中でただ1人カナリアだけは座った眼をしてこぶしを握り締めた。
「ふふふ……ちょっと探してくるわ」
イオがまだそれほど遠くに行っていないことは分かっている。おそらくイオによって自分にかけられたのであろう布団にはまだしっかりと体温が残っていたのだ。
静かに怒りのオーラを放つカナリアを止めることなど当然叶わず、部屋の扉に手をかけ乱暴に開け放った。
「あー……」
その向こう側で気まずげに立ちつくす紺色の髪をした少年。
「……ちょっと来なさい」
「……ああ」
不気味に笑うカナリアの命令に逆らうという選択肢はイオにはなかった。
3章で書きたかったところは大体終わりました。あとは時間を飛ばしながら4章につなげる予定です。




