閑話 「聖女」の夢①
長くなったので2話に分けます。
フィリアの話は毎回長くなる……
「あら……フィリアったらもう寝てしまったのですね」
ノルス教国までの旅の途中、「聖女」フィリアの世話役をしているクレシュは野宿用のテントに入るとすっかり眠っているフィリアの姿を見つけた。
故郷のハルフンクでフィリアの指導を担当していたクレシュはかわいい教え子のために自ら同行を願い出たのだ。
出発から数カ月。旅の過程はすでに3分の2を超えており、「勇者」のいる教会本部まであともう少しといったところまで来ていた。
北に進むごとに気温は下がり旅は徐々に厳しいものとなっていたのだが、本部から送られてきた神殿騎士隊が毛布などの物資を持ってきてくれたことでいくらかましになっていた。今も騎士たちは護衛としてフィリアを本部へと無事に送り届ける任務についている。
「こんなに小さな手で、たくさんの人々を救う使命を与えられるとは……かわいそうな子」
そう言ってクレシュは毛布からはみ出ている冷えたフィリアの手を優しく包み込んだ。クレシュはあどけないフィリアの寝顔に愛おしさと同情心が同時に湧き起こるのを感じた。
フィリアの旅は特に大きな障害が立ち塞がることもなく、予定通り順調に進んだ。とはいってもそれは万事問題がなかったというわけではない。
もともと旅慣れていないフィリアは、ただ馬車に乗っているだけの旅路とはいえ大きなストレスを感じていた。がたがたと絶えず騒がしく揺れる狭い馬車の中に長時間座り続けるのは慣れていない者には相当な苦痛である。
また、当然野営などしたことがないためテントの中では十分に疲れが取れないという問題もあった。
彼女が今のように旅に慣れるまでには相当な時間がかかったものである。
「んっ……」
クレシュがこれまでの旅を振り返っているとフィリアからかすかな声がした。一瞬目を覚ましたのかとも思ったが、顔を覗いてみるとその目は閉ざされたままだった。
そしてやはりテントでは寝難いのか、うなされているように眉根を寄せている。
「よくお休み。せめて夢の中では彼に会えるように……」
クレシュはフィリアの艶のある黒髪を優しく撫でた。フィリアの髪は生まれつき癖がなく、簡単に指で透けるほどさらさらとしている。その髪質は不自由な旅の間も全く損なわれていない。
クレシュはフィリアが立ち寄った町で密かに人探しをしていることに気づいていた。それが誰であるのかも。
長くハルフンクで暮らしてきた彼女は当然イオのことを知っていた。母子揃って無属性で、領主と大商会の嫡男の恨みを買った少年。フィリアから相談を受けたこともあって何度か直接顔を合わせたこともある。
といってもクレシュが初めてイオと会った時にはすでに今の無感情な人格が形成されつつあり、頑なに教会と関わろうとしてこなかったのだが。
いかに女神教といえども領主に対して教会を置かせてもらっている立場である以上、その行いが教義に反するものであっても強く出ることができない。下手に干渉すれば追い出されることもあり得るし、最悪政治に干渉されたと言われて本部に迷惑をかけることになるかもしれないのだ。
結局のところ、宗教は人の心に訴えかけるものであって、教徒でもない者に考えを強制することはできない。
そのためクレシュもイオについては随分と胸を痛めていた。
クレシュはイオとフィリアの2人に救いが訪れることを切に願って、もう一度フィリアの髪を撫でるのだった。
♢ ♢ ♢
積み重なった疲労は睡眠にまでも影響を及ぼす。
フィリアにとって長く険しい旅の疲れと、欠片ほどもイオの情報がないことにフィリアの精神はすっかり参っていた。ままならない現状は水面下で不満の種を成長させ、不条理な世を恨ませすらする。
かつてのように。
クレシュの願いはある意味では叶っていた。なぜならフィリアは今、探し求めてやまないイオの夢を見ていたのだから。
辛く悲しい、過去の夢を。
♢ ♢ ♢
ペスター・イデルミンドとフリック・シクトレンの2人にいじめを受けたフィリアはその日からずっと閉じこもっていた。
もともと外出を好むような性格ではない。それでも毎日イオに会うことを楽しみに感じていた彼女は、今回の件で外の世界に対する恐怖を心に直接叩き込まれた。
色々ありながらも幸せに暮らしていたフィリアが初めて受けた害意。それは彼女の心に大きな傷跡を残したのだった。
それから一年半以上、フィリアは家から出ずに引きこもり続けた。
イオとの約束も覚えていたが、それでもフィリアは家から出ることができなかったのだ。できるだけそのことを思い出さないようにしながらも、ただ安穏とした日々は続いていく。
そんなときだった。彼女の父がある情報を家に持ち帰ったのは。
「大変だ! イオって子どもが領主の息子に怪我を負わせやがったらしい!」
知った人物の名前が、思いもしない行動を起こしたと聞いてフィリアは凍りつく。
幼いフィリアでも貴族に怪我を負わせればどうなるかなど分かり切っている。罪に問われるのは当然として死刑になることもあり得る。
そしてフィリアは不幸なことに領主の息子のことを知っていた。いじめられている時に相手がそう名乗ったのだ。
(もしかして……あの時助けてくれたのは、イオくん? じゃあ、私のせいで……?)
フィリアは薄っすらとしか覚えていないが、あの時誰かに助けられた記憶があった。それが誰かを確認する前にその手を振り払って逃げしまったために、その人物が誰なのかはずっと謎だったのだ。
しかし、あの場にイオがいればまず間違いなく自分を助けるために動くだろう。フィリアはその確信があった。
そして不敬にも貴族の前に割り込んだイオは、自分の代わりに標的にされて--
「イオくんは!? イオくんはどうなるの!?」
「やっぱりフィリアの友達だったか……安心しろ、罪には問われないそうだ。怪我と言ってもかすり傷だしな」
「よかった……」
父親の言葉を聞いたフィリアは安堵の息をついた。
所詮は子供どうしの喧嘩による怪我である。曲がりなりにもこの町の領主であるペンターの父は、その程度のことで事を荒立てて恐怖政治を敷いているなどと噂されれば、王都から監査が入る恐れがあるという考えに至ったのだ。
だからといって、それで許してもらえるほど貴族という人種は優しくはない。
「……だがな、今すごい勢いでイオが無属性だって話が広がっている。本当かどうかは知らないが……」
「本当だよ。前にイオくんが言ってた」
「そうか……」
ごく短い期間だったがイオと話したことを今もフィリアは覚えている。このことが原因でガートたちと喧嘩したということもきちんと覚えていた。
フィリアの裏付けを聞いてフィリアの父親はさらに苦々し気な表情が浮かべた。
「さっきの話と同時に、無属性の人間もどきに物を売るな、売るとしても価格を吊り上げろっていう圧力がシクトレン商会からかかってるんだ。このままだとイオって子はこの町で暮らせなくなるぞ」
「そんな!」
フィリアは悲痛な声をあげた。
そもそもの発端は自分にあるのにイオばかりが悪い目に合う。そのことにフィリアの胸はきりきりと痛んだ。
(私のせいで……)
フィリアは自責の念に押し潰されそうになるのをかろうじて堪える。本当に苦しんでいるのはイオであるという思いが、すんでのところで彼女の精神を立ち直らせたのだ。
自分のせいでイオの人生を狂わせた。この思考はこれから先永きにわたって彼女を縛る鎖となる。
「行かないと……」
ぽつりとフィリアの口から言葉が漏れた。
「ん?」
「お父さん、私イオくん探してくる! 謝らないと!」
「あ、おい、フィリア!?」
父親の静止も聞かずフィリアは走り出した。
フィリアが住んでいるのは小さな家だ。数秒もすれば家と外とを隔てる障壁、すなわち玄関がある。
これまでドアの前に立つだけでも足が竦んでいたフィリアは一瞬だけ怯んだが、それでも勢いそのままに思い切りドアをあけ放ち飛び出した。
一年半ぶりに外に出たフィリアは体が羽のように軽くなるのを感じながらイオを探しに行くのだった。
初めこそやる気に満ち溢れていたフィリアだったが、当然そう簡単に見つかるはずもなく。
できる限り広範囲を探し回ったものの、日が暮れかける時間になっても結局イオを見つけることはできなかった。
そして、別の問題も発生していた。
「ここ、どこ……?」
フィリアは完全に道に迷っていた。
一年半も家に引きこもっていては当然地理も分からなくなる。ましてやフィリアはもともとこの町のどこに何があるかなどほとんど知らない。
「う……」
イオを探そうという熱意は1人で知らない場所にいるという不安に塗りつぶされる。夕暮れの不気味な空も彼女の不安に拍車をかけた。
不安は恐怖を、恐怖はトラウマを呼び、フィリアは必死に泣きそうになるのをこらえていた。辺りにはまだ人がいるが、その人たちに道を尋ねるという行為すら彼女には実行する勇気がない。
やがてその足は止まり、涙を堪えるのも限界になる。通行人もそんなフィリアの様子に異常を感じ始めた。
自分が注目を集めているのを感じ、フィリアの恐怖はさらに大きなものになる。
さすがに見かねたのか、修道服を着た1人の女性がそんなフィリアへと声をかけようとした、その時--
「……フィ、リア?」
自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
ゆっくりと顔を上げると、そこにいるのは探し求めていた人物。
顔を隠すようにボロボロのローブをまとっているが、フードの隙間から除く懐かしい顔を見間違えることはない。
「イオくん……?」
「やっぱり、フィリアか」
互いに身長が伸び、イオの顔つきはかつてと違ってやや大人びたものになっていたが、それは奇しくも2人が初めて出会った時の状況と酷似していた。
「イオくん!」
「お、おい……痛って」
「え? 大丈夫!?」
感極まってイオに抱き着いたフィリアは、その体を受け止めたイオが苦鳴を漏らしたことに驚いて体を離す。
よく見てみるとイオの右腕は青く腫れあがっていたのだ。
「は、早く治療しないと!」
「気にするな。そのうち治る」
「だめだって!」
見るからに痛々しそうな怪我なのにイオは気にした様子もない。対するフィリアはどうにかしなければと思いながらも、何をすればいいのか分からないでいた。
(……なんでもいいから治って!)
治療ともいえるそれは単なる神頼みだった。フィリアはイオにぎゅっとしがみつき固く目をつぶる。
もちろんそんなことをしたところでイオの怪我が治るということはない。奇跡は起きない、はずだった。
「なっ!」
「……え? わあ!」
驚いた声をあげるイオの視線を追うと、イオの腕は柔らかい光に包まれていた。
そしてみるみるうちに腕の青みは消えていき、最終的に健常なものへと治った。
その様子を2人はぼんやりと眺める。
「おい、これは……」
「魔法だよね! 私、魔法使えるようになったんだ!」
一年半前と同じく素直で純粋な反応を返すフィリアだったが、イオは周りをさっと確認するとフィリアの手を取って早口に告げた。
「ここは人が多い。場所を変えよう」
「? 分かった」
そして2人は駆け足でその場を離れた。幸いなことにイオの治療はローブに隠れて行われていたので、1人を除いてこの場にいた人間でフィリアの魔法に気づいた者はいない。
「あれは……まさか、聖属性なの?」
そうつぶやく修道服の女性の視線の先にはすでに2人の姿はなかった。




