閑話 旅立ち前日の「聖女」
イオの故郷の話です。
今回更新するにあたって、いくつか過去の話を大幅に修正しました。活動報告に変更点をまとめたので、11/6日以前に読んだ方はそちらで確認することをお勧めします。
どこにでもあるありふれた片田舎の町。人々の営みは今日も変わることなく繰り返され、平凡でありながら平和な光景が繰り広げられている。
そんな町に置かれている「女神教」の教会。そこから修道服をまとった1人の少女が姿を現した。少女は薄暗い雲がかかった空を見上げ、憂いの表情を見せた。
(……なんだか不吉な空色ですね)
少女の名はフィリア。イーストノット王国に20人もおらず、大陸中の人間を集めても100人はいないと言われている聖属性を持つ少女である。先日16歳を迎えたフィリアは女性らしさが増し、その儚げな印象もあって多くの男性の心を惹きつけていた。
とは言っても彼女は教会に務め女神に仕える身。これまでで浮いた話は一度もない。今日も黒髪をベールの中に隠し、清楚であることに努めている。
「フィリアじゃねえか。どうしたんだ?」
その声は男のものだった。普通なら将来を有望視されている神職者の女性に男が気安く呼びかけるなど許されることではない。しかし、フィリアの数少ない友人である彼は例外的にそれが許されていた。
フィリアも彼の名前を呼び返す。
「ガートさん。……いえ、両親のところに行こうと思いまして」
フィリアに話しかけたのは、イオの元親友であるガートだった。ガートは幼い頃から大きかった体が成長し、今では大人顔負けの体格を誇っている。
ガートは友達に接するような気さくさでフィリアに言った。
「ふーん、そうなのか。……1人でか?」
「いえ、ちゃんとお付きがいますよ」
そう言って振り返ったフィリアの視線をたどると、神官服を着た男の姿がガートの目にも映った。男はフィリアとガートのやり取りに介入するでもなくただ見守っている。
「……お願いして後ろにいてもらっているんです。横にいると息が詰まっちゃいますから」
「あーなるほどなぁ。ご苦労なこって。俺はそんな生活1日ももたねえわ」
辟易した表情でガートはそう言った。大雑把で自由な気質のガートには確かに教会での生活は向かないだろうとフィリアも苦笑する。
こうして話しているとフィリアは不思議な感じが拭えない。幼少期には窓越しでしか見られなかった人たちと、自分が親しい関係を築けている。家に籠りきりだったあの頃では考えられないことだろう。
そのうちの1人が今も欠けていることに関しては、フィリアはいまだに自責の念を感じえない。
「フィリアは親父さんとお袋さんのところに行くんだよな。途中まで俺も行っていいか?」
「あ、はい、大丈夫です。行きましょう」
そうして2人は連れ立って歩き出した。当然後ろからは神官服を着た護衛の男が一定の距離を保って着いてきている。
歩いているとガートがおもむろに訊いてきた。
「で、暗い顔してどうしたんだよ」
「私そんな顔してますか?」
「今はしてねえけど、教会から出たときにそんな顔してたな」
ガートは教会から出た瞬間のフィリアを見ていたらしい。常に儚さを醸し出しているフィリアだが、ガートはその表情の違いを見抜いていた。すなわち、何か不安があるのだろうと。
フィリアは返答に困る。曇り空に自分の行く先を重ね合わせてしまったなどと言うと、ガートも本気で心配してしまうだろう。
この日はフィリアがこの町を旅立つ前日であった。そのことは厳重に秘され、ガートたち親友や家族にさえそのことを告げていない。理由は魔女の復活について可能な限り秘匿し、市民に無用な不安を与えないようにするためである。
もちろんフィリアはこのことに納得できていなかった。教育係のシスターであるクレシュに頼み込み、前日に両親だけに告げることを許されたのだ。つまり、フィリアはこれから最後になるかもしれない家族との会話をしに行くのだ。
魔女を討つ勇者の仲間に加わるということは死の危険性があるということ。フィリアは恐怖を押し隠しながら、とうとう出発の日を迎えてしまうのだ。
向かう先は「女神教」の総本山であるノルス教国。馬車に乗っての長い旅路が始まる。
しかし、これをガートに明かすことはできない。もし明かせば後ろにいる護衛に反応で気づかれてしまうだろう。フィリアは代わりに別のことを話すことにした。
「いえ……ただイオさんはどうしてるのかなと思いまして」
イオの名が出た瞬間、ガートの表情が凍り付いた。イオの話題は仲間内で半分タブー視されていたのだ。
「最近、魔物の活動が活発になっています。冒険者のイオさんは、危険なことになっていないでしょうか」
魔女を倒すメンバーに数えられているフィリアには様々な情報が入ってくる。隣国であるセントレスタ皇国に現れた黒い肌を持つ人型の魔物が、魔女と行動を共にしていた仲間であることもフィリアは知っていた。
セントレスタ皇国は約500年前に「嘆きの魔女」が封印され、後にその場所にできた国である。領土内に「嘆きの跡地」をもち、皇国に魔女の手先が現れたとなれば魔女の復活はまず間違いないと思われる。
イオが今どこにいるのかフィリアが知る術はないが、魔物の活動の活性化は大陸中で見られる。魔物の討伐を生業とする冒険者の危険度は増しているだろう。
「……俺はもうイオと会うことはないと思ってる」
「ど、どういうことですか!?」
口を開いたガートの衝撃的な言葉にフィリアは珍しく感情を露わにして詰め寄った。ガートは諦念のこもった声でフィリアに訊いた。
「イオがこの町を出るって言った時のこと、覚えてるか?」
「はい。イオさんはまた会えると言ってくれました」
「機会があれば、だろ? それはもう会うつもりがねえってことだよ」
「そんなこと……!」
その言葉にフィリアは反論せずにはいられない。イオはまた帰ってくると思うことが希望となり、今までフィリアを少なからず支えてきたのだ。
ガートは理解していないフィリアにその具体的な根拠を話す。
「この町の次の長はペスターだ。シクトレン商会とのつながりも残ったまま。そんな町にイオが帰ってくると思うか?」
フィリアは今度は反論できなかった。
この町ハルフンクを治める領主の息子であるペスター・イデルミンドと、領主と手を組んでこの町の商業を牛耳っているシクトレン商会会長の長男であるフリック・シクトレン。どちらもイオの人生を大きく狂わせた人物である。
イオは11歳の頃、この2人の大物の息子を敵に回していた。といってもイオから手を出したわけではない。2人に一方的に目をつけられ、イオが少し対応を誤っただけだけである。その内容はよくある子供どうしの喧嘩でしかない。
しかし、親に権力者を持つ高慢な2人は、イオを目の敵にして事を大袈裟にした。それこそ親を巻き込むほど大袈裟に。これによってただでさえ苦しかったイオの家の生活はさらに苦しいものとなる。
そして、イオがこの2人に目をつけられた過程にはフィリアが密接に関係していた。そのためフィリアはこの件についてイオに負い目を感じている。
「イオが帰ってきたところであいつらが町に流した噂やデマは消えない。大っぴらに匿えばこの町の2大権力者に睨まれる。この町にイオの居場所はねえんだ」
その言葉にフィリアは泣きそうに顔を歪めた。自分の行動が原因でイオに追い打ちをかけてしまい、居場所まで奪ってしまったと思うと自責の念で胸が潰れてしまいそうになる。
そして、責任を感じているのはガートも同じ。町の現状を話すその声は心なしか震えていた。
ガートやハック、ミリなどの昔馴染みはイオが大変だったときに何一つしてやれなかった。イオが無属性だったことに気まずさを覚えて距離をとってしまったのだ。イオがどんな状況かを知った時にはもう手遅れで、両者の間には埋められない溝が出来上がってしまっていた。
「俺はもうイオに許してもらうことはできない。だからせめてここであいつが幸せになることを祈ってるさ」
「幸せを……」
フィリアは想像してみる。イオにとっての幸せとは何なのだろうか。
イオは無属性のせいで多くの人に顔を背けられていた。ペスターとフリックによってイオが無属性であることは町中に知られている。ならば、無属性に対する偏見がなくなった時に幸せになるのだろうか。
また、イオは家族を、特に母親を大切にしていた。妻と子を裏切った父親とは違い、ただ1人最初から最期までイオの味方であり家族だった母親がイオの心の支えとなっていた。ならば、結婚して家庭を築けばイオは幸せになるのだろうか。そう思った時、フィリアの胸がちくりと痛んだ。
勇気を出して外へ踏み出したあの日、迷子になり自分がどこにいるのかも分からなくて泣いていたフィリアにイオは声をかけてくれた。助かったという安心感と、やっと会えた喜び。それらに混じってフィリアはイオに恋心を抱いていたのだろう。イオがいなくなって初めてフィリアはそのことを認識した。
どんなに苦しい状況でも決して折れない心の強さと、人に儚い印象を与えると言われている自分なんかとは比べられないほどの、脆さを併せ持ったイオ。しかし、どれだけ人との間に壁を作ろうとも、その本質が優しいものであることをフィリアは知っていた。
「……そうですね。イオさんには幸せになってほしいです」
フィリアは本心を押し隠してそう言った。自分はイオを幸せにするどころか不幸に追いやったのだ。そんな自分にイオを想う資格などない。フィリアは自分の恋心をそっと胸の内にしまった。
しんみりとした空気が漂う2人の頭上でゴロゴロと音が鳴った。空を覆う雲はどんどんと濃くなっている。
「……こりゃあ一雨きそうだな。急ごうぜ」
「そうですね」
2人は歩みを速めることにした。周囲の人も雨が降る予感がしたのだろう、皆歩く足を速め、商人は店先に並べた商品を片づけている。
そうしてしばらく歩いていると、ガートが思い出したように言った。
「そういえばハックとミリに子供が生まれることは聞いたか?」
「あ、はい。教会まで報告にきてくれました」
イオが町を出て1年と少し。その間に彼らの間にも変化があった。それがハックとミリの結婚である。
16歳と言えばもう成人である。この小さな町では女性が成人を迎えてすぐ嫁に行くことは珍しくもない。予てより想い合っていた2人は成人後すぐに結婚し、そしてもうすぐ第一子が生まれるらしい。
「ハックも大変だな。商会を立ち上げたばっかで忙しいだろうに」
「それでも幸せそうでした。ミリさんも」
子供が生まれることを報告しに来たときの2人の表情をフィリアは思い出す。ハックはもちろん、膨らんだお腹をさするミリはこれ以上ないくらいに幸せそうだった。それを見たフィリアが羨ましく思ってしまうほどに。
またフィリアの胸にちくりと痛みが走ったが、フィリアはそれに気づかない振りをした。
「それにしても、ハックさんはなんで新しく商会を立ち上げたんでしょう。これまで見習いとして通っていたところでそのまま働くんだろうと思っていたんですけど」
「あー、これは内緒の話なんだが、シクトレン商会に対抗するためらしいぜ」
フィリアの疑問にガートが声を潜めて答えた。その答えにフィリアは少なからず驚いた。
「シクトレン商会にですか? なぜそのようなことを……」
「1つの商会が町の商業を独占するのは不公平だから、ってあいつは言ってたが、多分別の理由もあると思うぜ」
「それってまさか……」
「そう、イオに対する罪滅ぼしのためだろう」
シクトレン商会の会長の息子であるフリック・シクトレンはイオを地の底へ突き落とした張本人の片割れである。イオをよく思わなかったフリックは、父親に頼み込んでイオやその家族がこの町で物を買う際に、売るのを拒否したり不当に値段を吊り上げるよう店に圧力をかけたのだ。
ハックはそのような行いをする商会の影響力を削ぐと同時に、何もできなかったイオへの罪滅ぼしとするつもりなのだ。
「今はまだ駆け出しだからな。目をつけられないよう細々とやっていくらしいぜ」
領主のお墨付きをもらった商会を相手取るなど危険極まりないことである。もし途中でばれでもしたら、ハックは妻子共にこの町に居場所を失うことになるかもしれないのだ。それこそ第2のイオになりかねない。
フィリアはハックの胆力に驚嘆の意を抱いた。そして同時に希望も湧いてくる。
「もしハックさんが成功すれば、イオさんも戻ってこられるかもしれませんね」
「あー……どうだろうな。それはイオが戻りたいと思うかどうかじゃねえのか?」
そう言いながらもガートはイオがこの町に戻ってきたいと思うとは考えていなかった。この町はイオにとってあまりにも悪い思い出が多すぎる。
まあなんにせよ、とガートは前置きをして言う。
「成功したとして、イオにそれを伝えるには町を出て会いに行かなきゃならんな」
王国の小さな町の1つでしかないハルフンクで、商会どうしがどれだけ争おうとそれが外部に広まることはない。ましてやイオは故郷の情報を意識的に遮断するかもしれないのだ。
ハックが何をしようとしているかやその結果を伝えるには、誰かを介するにしても直接会わなくてはならない。どこにいるのかも分からない相手と偶然出会うなど天文学的な確率だろう。
それにハックとミリはもちろん、ガートも町を出るつもりはない。ガートは農民で、親から継いだ畑を耕さなくてはならないのだ。家族もいるため出たいと思っても出られないのが現状である。
しかし、フィリアは違った。
(町を出たら、旅をしていたら、イオさんに会えるんでしょうか。もし会えるのなら、会って伝えたい)
ハックとミリが結婚して、子供が生まれること。
ガートはまだイオのことを心配していること。
ハックがシクトレン商会と戦おうとしていること。
そしてーー
(訊いてみたい。嘘も誤魔化しもない本音の言葉を)
ーー町を出て、あなたは今幸せですか?
その質問の答えを。
フィリアの中に明確な旅の目的ができた瞬間だった。
それからガートと別れ、フィリアはかつて暮らしていた懐かしい我が家へと帰ってきた。暖かく出迎えてくれた両親に、明日町を出る旨とその公的な目的を話すと当然2人は反対した。
フィリアはこれが世界の危機であることを繰り返し話して説得を重ねる。世界のためであってもかわいい一人娘を危険に晒したくないと思うのは親にとって当然の気持ちだろう。説得は困難を極めた。
しかし、イオに会うという個人的な旅の目的ができたフィリアもここで引くことはできなかった。そして、その努力はとうとう実を結び、必ず無事に帰ってくることを約束して了承を得たのだった。
その後はしとしとと雨が降る中、教会に帰るのは体に悪いということで家に泊まることになった。護衛の神官は早朝に迎えに行く旨を語り、このことを教会に伝えに雨の中帰っていった。
そのおかげでフィリアは教会に務めるようになって久しぶりの家族団欒のひと時を過ごすことができた。フィリアの両親はかつてのようにひたすらフィリアを甘やかし、フィリアも両親に甘える。そんな幸せな時間はあっという間に過ぎていった。
早朝、フィリアは家を出る。雨は夜の間に上がっており、今は雲の隙間から朝日が差し込んでいた。
フィリアは両親に見送られながら、馬車で生まれの地ハルフンクを旅立った。向かう先はノルス教国。そこには既に勇者がいるらしい。
フィリアは馬車に揺られながら、道中の安全とイオとの再会を願うのだった。
適性属性において、女神に愛された少女と見放された少年が再会するのは、まだまだ先の話である。




