魔王
「魔王……?」
魔王? 魔王だって?
シアンの脳裏に浮かぶのはスウェットを着た金髪のだらしないサボリ魔。好きな事は映画鑑賞、嫌いな事は仕事。最近サブカルチャーに手を染めている彼が、わざわざ人間界に来てトリネコを進化させた。そして何かを命じた?
「(あり得ないな。そんな面倒な事、彼奴がするわけがない)」
あれは人間界には興味がない。例え人間に何を思われていようとどうでも良いと思う奴である。興味がないのなら干渉はしてこない。勇者の事は深い事情があるからこそ、干渉して来たが。
「そうだよ! 魔王様だ! 魔王様は言った! 人間界を滅ぼすと! その先駆けとして、私を進化させ、トリネコ達を増やせと命じたんだ!」
傷の深さからか、明らかに感情が爆発しているトリネコから発せられた言葉は、シアンにとって到底信じられないものだった。
あり得ない。先程からこの言葉ばかりが胸の中を巡る。
あの魔王は人間界に関心がなく、勝手に魔王を恨んでいても何も思わない。人間界を滅ぼそうだなんて思考も存在しない。魔族の敵である人間のシアンが魔王に受け入れられている事から、昔からある人間と魔族の確執にも興味が無かったのがわかる。
そんな奴が今更、人間界を滅ぼす?
「あり得ない」
そもそも、あの魔王一人で人間界である大陸を吹き飛ばす事ができるのだ。我ら人間が今も生きているのは、偏に彼が本気を出さないから。
人間界を滅ぼすと言ったら数秒で目標達成できるほどの力。最早神に等しい力を持っていると言える。もし本当にそう言ったのなら、人間という種族はこの世から消え去っているだろう。
シアンの呟きを拾ったトリネコは両方の目尻上げてシアンを睨んだ。切り傷から血が噴き出して飛び散った。黒い毛に覆われていてわからないが、人間であったなら血管が浮き出るほど怒っているのだろう。どうやら、あり得ないという言葉が癪に障ったらしい。
「嘘ではない! 確かに私は会ったんだ! あの圧倒的な力量差!! そしてカリスマ! 自らを魔王と名乗った! ならば魔王だろう!?」
あぁ、五月蝿い。
「ちょっと黙れよ」
「ひっ……!」
殺気と共に魔力を放出しぶつけてやれば、面白いくらいに彼女は怯んだ。
ニタァと笑う。特徴的なギザギザの歯が姿を現した。
「これぐらいの殺気と魔力を耐えられないとか、雑魚か?」
ぶつけている魔力量は魔導師並みである。人間界で強い部類に入る魔術師よりも強い魔力、しかも現最強の魔法使いと同じ魔力量をぶつけているのだ。Bランク程度の魔物に敵うわけがない。
歯を鳴らし、ガクガクと膝を震えて恐怖の表情を浮かべる彼女にシアンは眉を寄せて口を開いた。
「正直に答えろ。お前が会った魔王ってのは、この魔力量より上だったか?」
ぐっと口を結ぶトリネコ。言いたくないのだろう。あの様子からすると、魔導師並みの魔力量はなかったらしい。
魔物は実力主義だ。従わせるには口八丁では通じず、全て力を基準としている。魔人や悪魔ならば、交渉次第で仲間になってくれるだろうが、実力が相手より確実に上ならば力を示すだけで従ってくれる。
まったく、便利なものだ。その性質を利用して自称魔王はトリネコに知恵を吹き込んだらしい。
「なかったんだな」
確信を持ってそう言うとびくりとトリネコは震えた。図星だ。
ため息を吐きたくなる。シアンが放出している魔力は人間最強の部類に入る魔導師程。これを越してなくて、どうやって人間界を滅ぼすというのだろうか。
新たに出てきた問題にシアンは頭を抱えたくなった。
「……仕方ないな」
怯えてしまった相手にはもう意味がない。久し振りに運動はできたし、良しとしよう。
少し戦闘狂のきらいがあるのには目を背け、シアンはトリネコへと近づいた。新たに造り出した刀剣は“収納箱”へと入れた。
武器も持っていない相手に怯えるトリネコ。近づくたびに震える肩に、たまもやため息が溢れそうになるがぐっと我慢する。シアンの歩みはあと一歩で触れられるというところで止まった。
「何か言うことはあるか」
それはつまり遺言という事だろうか。トリネコは笑う。さっさと殺せば良いものの、温情のつもりだろうか。そうと言うのならば、要らないものだった。
震えていた手を抑え、目尻をキッと上げる。一歩先にいる自分より大きい人間を見上げた。
「ハッ! 今更、何もないよッ!!」
爪を魔力でコーティングして硬化する。それを思いっきり振り上げるが、体力が落ちたトリネコの一撃は弱々しい。あっさりとシアンに避けられてしまい、たたらを踏んだ。
「最後まで悪足掻きするとは……その根性は認める」
コツ。コツ。
シアンの履く革靴の音がドーム状洞窟内には良く響いた。そして———。
「じゃぁな。楽しかったぜ」
「ぁっ……」
———その内部にいた気配が一つ消えた。
「ただいま」
キィと扉が開けられる。貸し切りにしている宿の入り口から入ってきたのは、勇者御一行の一人魔法使いのシアン・アシードだ。
いつものように魔法使い然とした格好で無表情を浮かべながらクエストを達成してきたのだろう。彼から与えられた課題を丁度終わらせた勇者、雄城英二はテーブルに伏せていたテーブルから顔を上げて迎い入れる。
「おかえり。今日は少し遅かったな、先生」
持っていた杖を宙に放って“収納箱”に入れる。とんがり帽子も、上着も入れて比較的楽な格好になったシアンは、英二の隣の椅子を引いて座った。この宿に泊まってから数日、最早定位置となったそこで彼は机に突っ伏した。
疲れた、と本来の彼ならあまり言わない言葉を呟きながら。
「昼飯、師匠が作ってくれたのあるけど食べる?」
ふるふると首を振るシアン。いらないらしい。
普段、犬猿の仲であるドラジェのお陰かシアンは弱ったところを見せない。身体的にではなく精神的にだ。八割方はドラジェの所為であるが、残りの二割は自分達を信用していないからだと英二は気づいていた。
手に持っていたペンを置いて、シアンの顔を覗き込む。藍色の髪に隠れて表情はわからないが、酷く疲れたような雰囲気を感じる。彼の言葉通り疲れたのだろう。強い彼の事だ、体力ではなく心が疲れたという事に違いない。
ただ、その弱った姿を見せてくれた事に英二はシアンを心配する心の中で喜色を感じた。
「何があったんだよ。話なら聞くぜ、先生?」
ゆるりと頭が揺れた。深い海の色の隙間から、また深海を想い浮かばせる青色が覗いた。此方を見ているようだ。真っ直ぐと相手の瞳を見るのは英二の良い癖なのだが、今回は災いした。
深淵を覗く時、深淵もまた此方を覗いているのだ。哲学者であるフリードリヒ・ニーチェの有名なフレーズだ。
深海は光が届かない海の底。海が青く見えるのは天の色を映し出しているだけで、海自体は透明だ。だが深海はどうだろう。映し出す青もなければ、太陽から届く光すら遮断する。故に黒い。底すら見えぬ深淵だ。
引き込まれてはいけないその底に、英二はその生来の性格から引き込まれてしまった。くらりと身体が傾く。
「あ、れ……っ?」
強すぎる眠気は気絶するのと変わりない。徐々に瞼を落としながら、英二が最後に見たのは深い海の色に浮かぶ暗い赤だった。
「っと、危ない」
テーブルに頭を打ち付ける前にそっと手を添える。気絶した人間の頭など重すぎるが、シアンにとっては朝飯前である。
自分よりも少し背が高いくせに、自分よりも重いその身体。体感からして一、二キロの差だがこの世界において背が低い部類に入るシアンはどうやら日本人にすら負けていたらしい。
背の低い種族に負けるって一体、なんて考えながらも英二を持ち上げ彼の部屋へと向かった。ぎしりぎしりと階段を上がる度に床が軋む。
〝マスター、今大丈夫かの?〟
扉を開けて英二をベットに寝転がせたところで念話が入った。此方を気遣うその言葉に大丈夫だと返事しながら部屋を出る。向かう先は自身が使っている部屋だ。
〝ついさっき送られてきた魔人の事なんじゃが〟
「何か不備が?」
〝いや瀕死の状態で時空間魔法を当てられたからか、死にそうになっていたんじゃが……それは些細な事じゃ〟
ある一つの命が死にそうになっている事が些細な事らしい。それよりも重要な事があるようだ。自身の部屋の鍵を開け、後ろ手で扉を閉め施錠した。探知魔法で周囲を確認したところ誰もいない事がわかったので、安心して念話できる。
安い宿特有の簡素なベットに腰掛けて、棚に置いてある本を取り出した。学園にいた頃も読んでいた本である“魔物や魔族の生態”。パラパラとめくっていき、トリネコの項目で止める。
「じゃぁ、何だ?」
“トリネコの魔人から、時空間魔法の適性が出て来ての。珍しいから何か知っておるかと思ってな”
まぁそのお陰で転移して死なずに済んでいるんじゃが、と続けた言葉には感心しているように思えた。
己の使い魔の言葉になるほどと頷きながら、パラリとページをめくる。
「最初に見つけた時、“空間転移”を使って移動していたな。転移するまでの時間から予測すると、そこまで練度は無いようだが」
〝なんと! それは本当かの?〟
「あぁ。あまり気にしてなかったが」
ただ転移したな、としか思っていなかった。よくよく考えてみれば、人間でさえ時空間魔法を使える者は極端におらず、魔法に秀でた魔族すら少ない。その希少性を顧みれば、Bランク程度のトリネコの魔人が使えるのは少々可笑しい。
そもそもだ。そんな繊細な魔法を思考する事を覚えたばかりの魔人にできるなど、今までいなかった。
〝……時空間魔法の使い手が少ないのは知っておるな?〟
呆れた声でそう問われる。これは馬鹿にされているなとシアンは眉を潜めながら、視線は次のページへと移った。
「知っているさ。何せオレ自身が使い手だ。その希少性は見に染みている」
昔の話だ。安易に人に見せてしまった空間転移。それを見ていた周りの人間に驚かれ、詰め寄られ、更には王城に連れて行こうとした。国民総出で時空間魔法の使い手を逃すまいと心が一致したのだ。
当時を思い出して、シアンはげんなりする。
時空間魔法として有名なのは“収納箱”だが、“収納箱”は時空間魔法と言っても比較的簡単に習得しやすく、また適性が無くても使える。だが、空間転移は別だ。これは適性があり、更には転移できるだけの魔力量がないと使えない。つまり生まれながらの才能というのが必要になってくるのだ。
そりゃ使い手の数が少ないというもの。
「けど日常的すぎて、何故トリネコが時空間魔法を使えるという疑問を浮かべることすらなかったな」
〝……それはないじゃろうて、マスター〟
元から周りが超常すぎて感覚が狂っていたのと、勇者パーティの一員である魔法技師のドラジェも確か時空間魔法を少し使える。嫌悪する対象だからこそ、覚えていた事実だ。
〝話を戻すぞ。トリネコがどうして時空間魔法を使えるかじゃな。我はこう考えておる〟
それは予想の域を出ないサタンの想像。
元々その性質ゆえに研究されてきたトリネコ。彼らは鳥なのか猫なのか、はたまた植物なのか。それは長年の研究でもわからなかった。魔力を持っているからこそ魔物とされているが、魔物でなければ奇妙な生物で終わっていた。
そんなトリネコは大体魔法への適性が決まっている。と言うよりあまり無いと言ったほうか良いだろうか。
翼があるのに飛ばず、魔物であるのに魔法を使わない。己の身体能力のみで戦う彼らは、何故か“身体強化”すら発動しないのだ。つまりは魔法は必要ないからこそ、適性もない。
ならば、あの魔人は? 珍しい時空間魔法に適性のあるトリネコの魔人はどうなのだろうか。
〝魔人は魔物から人に近くなるとは言え、魔物は魔物。その身体的特徴や攻撃方法は進化する前と何ら変わらない……変わるとすれば人の言葉を覚える事だけじゃ〟
なら、こういう事じゃろう。
〝誰かに与えられた、という可能性じゃ〟
シアンの脳裏には、先程聞いた悲痛な叫び声が浮かんだ。
『全ては我らが魔王のためッ!』
はぁ、とため息が零れ落ちた。
因みに空間移動、瞬間移動の他に高速移動があります。素早さ?ぐーんと上がるよ。




