レイズ・ミー・ハート
◆
初雪が街を彩った十一月が過ぎ、今は十二月。
成海市はすっかり冬の空気だ。
十一月の終わりに降った雪は流石に解けたが、いつまた降り出してもおかしくないような曇り空が広がっている。
先日俺の愛車はタイヤとワイパーの交換を終え、冬への備えは万端だ。
肩には薄っすら残る筋肉痛。
やれやれ。
「もうすっかり冬だねぇ。今年もドカ雪になるらしいじゃん」
何だか久しぶりの喫茶店「ふくろう」よりお送りします。
カウンター席に座った結衣がコーヒーを口に含みながら言う。
「雪は嫌いじゃないけど、ドライバーとしてはほどほどにしてもらいたいよな」
小さい頃は天気予報に雪だるまが並ぶと、テンションが上がったものだが。
車を運転する機会が増えれば増えるほど、雪が厄介者でしかなくなる。
悲しい成長だね。
「さてキョータ、今年もクリスマスパーティーの季節が近づいてきた訳ですが」
「……嫌な季節だ」
「何でそんなリアクションするかねぇ。楽しい楽しい宴じゃないの」
「毎年毎年、大切なものを失ってるんだよ、俺は」
今年はどんな悲劇が待っているのだろうか。
考えるだけでも恐ろしい。
「言っとくけど、欠席なんて認められないからね」
結衣は満面の笑みだ。
「バイトが――――」
「楓が友達を呼んで家でパーティーをするらしくてな、イブもクリスマスも休みだ、喜べ」
椿さんがクールに言い放つ。
「ワーイウレシイナー」
くそぅ。
また風邪でも引かねぇかな。
などと、ろくでもない思考回路に陥ってしまう。
ちなみに楓、というのは椿さんの娘さんだ。来年から中学生になる。
「今年はメイっちの家で予定してるよん。楽しくなりそうだねぇ」
「マジで……」
ああ、胃が痛い。
「キョータ、メイっちと進展があったのかな?」
「何だよ唐突に」
「いやね、最近やけにテンション高いっていうか」
「いつもだろ、あいつは」
「うーん……キョータの看病で、お泊りしたくらいからなんだよねぇ……身に覚えは?」
探るような目つきで俺を覗き込んでくる結衣。
「さぁな。身に覚えは無いが」
「ふぅん……『キョータさんが優しくしてくれました』って嬉しそうに言ってたけど」
「あいつの妄想だな、確実に」
ありもしない事をベラベラと……
困ったもんだ。
「でも、キスしたってのは大進歩じゃない?」
「……何のことだか」
「分かりやすいなぁキョータは。それは本当なんだ。ししし」
ああもう。
こいつと話してると余計なボロを出しそうで怖い。
やましいことは無いけどな!
「こんちわ~」
と、間の抜けた声と共に鳴ご本人がご登場。
「お、渦中の人物がご来店ですねぇ」
「え、私ですか? キョータさんが私の魅力について熱弁でもしてたり?」
「安心しろ、お前の虚言癖についてどうしたものかとみんなで対策を考えていた」
「虚言癖って。私は事実をありのまま伝えているだけで」
「だとしたら、お前の言ってる『十波響太』は別人だな」
「キョータさんがもう一人……それはそれで」
それはそれでじゃねぇよ。
自分で何を言ってるか分かってるのか?
「キョータは照れちゃって教えてくれないんだよねぇ。実際のところどうなの? お二人はどこまで進んじゃってるの?」
「照れてもいないし、俺が言ってる事は事実だし、それ以上の事は無い」
「あっはっはっ! 照れてるじゃないですか。……あんなに強引に私の唇を奪ったくせに」
「……そうだっけ」
「え、キョータ」
「おいキョータ……お前」
結衣と椿さんの呆れた声が聞こえる。
「風邪で頭がぼんやりしててな……ぶっちゃけ記憶が曖昧で」
自分で言ってて何だが、今の俺、第三者が見たら最低だろ。
高感度がガリガリ下がってるな。
「……そう来ますか」
意外にも、鳴は冷静だ。
「いいですよ、そういうことにしておきましょうか」
「メイっち……」
「メイ……お前……」
お二人は驚いた視線を鳴に向ける。
「風邪で弱ってたキョータさんをオトしたところで、何の達成感もありません。私からじゃなく、キョータさんの方から、好きだって言わせてみせます」
指を銃の形にして、俺に照準を合わせる。
「覚悟しておいてください」
ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべる鳴。
……マズイ。
ちょっとグラっときたぞ、おい。
「――――私の恋の魔弾は、キョータさんのハートを撃ち抜くまで決して止まりませんよ」
ばん、と俺の胸を架空の弾丸が貫く。
「メイっち格好良い……」
「それに比べてキョータ……お前、本当にどうしようもないな」
鳴の株は爆上げ。
俺の株は爆下げ。
あはは。
死にてー。
「そこがキョータさんの魅力でもありますけどね。それに――あんな形で迎えるエンディングが不本意だったのは、キョータさんも同じですよね?」
じっと、見透かすような視線を俺に向ける鳴。
参ったね。
「……ポジティブな受け取り方、どーも」
「素直になりたいけど、プライドが邪魔をする。そんなキョータさんも大好きです」
自分の発言に、頬を歪めて照れる鳴。
「仲のよろしい事で。こりゃゴールインも時間の問題かな? にひひ」
「そうですね……あと一押しだと思うんですけど……なかなか決め手が」
「なるなる。押してダメなら――もっと押す!」
「おぉ! 嫌いじゃないですよ、そのシンプルさ!」
二人はヒートアップしていくが、周りからしてみれば何とも頭の悪い会話である。
「真っ向勝負とはいえ、多少の変化球は必要かもね」
「変化球、ですか」
「キョータが前に、お風呂上りのメイっちを見て欲情したって話があったよね」
「ええ、すごく火照った瞳で私を舐めまわすように――――」
風邪引いてたからね、俺。
熱すごかったからね、俺。
そしてナチュラルに話が盛られていく。
歴史はこうやって都合の良いように改ざんされていくんだろうな。
「やっぱり、ギャップが重要だと思うね」
「ギャップ……」
「少なくとも、この前のキョータはそれにぐっと来た訳で」
「むぅ……そういう事ですよね」
鳴は腕を組んで唸りだす。
ていうか、ターゲットを目の前にして作戦会議するのはどうなんだろうな。
「ねーねー、キョータもギャップ好きでしょ?」
「ま、人並みには」
作為的なものとは分かっていても、心動かされる時もある。
「――――よし、キョータさん!」
目を閉じて思案に暮れていた鳴が顔を上げ、そう叫ぶ。
不敵な笑みはいつも通りだ。
「何じゃい」
「キョータさんに、メイギャップの破壊力を味わわせてあげましょう!」
「はあ」
「そんじゃメイっち、レッツスタート!」
結衣の掛け声で、幕が切って落とされる。何のかは知らないが。
え、俺どうすればいいの、これ。
とりあえず話しかけてみようか。
「あー、メイ?」
「はい、何でしょうキョータさん」
そう言って、俺に微笑みかける鳴。
その笑顔はいつもとは別物だった。
いつものヒロインらしからぬ笑顔ではなく、爽やかな透明感のある笑顔。
すげぇ、まるでどっかのお嬢様みたいだぜ!
「……今日のコーヒーは俺が淹れたんだけど、どうかな、味の方は」
「とても美味しいです。まるでキョータさん自身のような、優しい味がします」
「……そ、そっか。甘いものでも、どう?」
「そうですね……」
メニューに目を走らせる鳴。
今更メニューを見る必要が無いくらいには常連の鳴だが、その突っ込みは今はしないでおこう。
ん~、と小さく声を漏らしながら可愛らしく小首を傾げる鳴。
とりあえず、ギャップ云々より違和感しか感じない。
「では、キョータさんのスマイルを頂けますでしょうか」
「…………」
ぎこちない笑顔を作ってみる。
頬が引きつってるよ。
「……ごちそうさまです。お腹も胸も、一杯になりました」
やんわりと、上品そうに微笑む鳴。
うーん、何だか飽きてきたな。
ふと俺の心に、鳴の演はどこまで持つのか?と悪魔が囁く。
俺のギャップに、鳴はどこまで耐えられるのか。
いざ。
「――――そう? でも、俺にはまだ食べ足りないように見えるけど」
俺はカウンターを出て鳴の隣りに腰を下ろす。
「キョータもギャップで対抗してきた!? 趣旨がブレ始まったよ!」
結衣が騒ぐ。
鳴も一瞬反応しかけるが、思いとどまったようだ。
「そ、そうですか? 私は別に……」
「そんなこと言わないで――注文を貰えれば鳴の欲しいもの、何でもあげる」
鳴の目を見据え、俺も主人公らしからぬ笑顔を向けてみる。
すると鳴は顔を紅潮させ、酸欠の金魚みたいになりながら、次の言葉を必死に探す。
まだ耐えるつもりのようだ。
ならば俺もそれに応じよう。
……だんだん楽しくなってきたし。
「初雪のように淡く、儚い――――口づけなんて、いかかでしょう?」
「え、でも、そ、そんなことしたら……」
「そんなことしたら?」
「……赤ちゃん……できちゃうじゃないですか……」
『……うわぁ』
結衣と椿さんの呆れたような声が聞こえる。
うん、俺もその設定は無いと思う。
「ただでさえアレですけど、メイっちが言うと違和感マックスですね」
「あぁ……同じ脳内お花畑でも、あいつの場合麻薬か食虫植物かってところだしな」
散々な言われようであるが、事実だ。
普段の鳴の言動を鑑みれば当然とも言えよう。
「メイは純粋だなぁ――――汚したくなっちゃう」
じっと目を逸らさずに言い放ち、鳴の髪を撫でる俺。
顔の赤さは変わらずだが、素に戻りそうで戻らない。
しぶといな。
「でも私――――キョータさんにだったら――――」
「そう? なら――――」
俺は強引に鳴を抱き締める。
「――――っ! ――――キョータさ……」
体を震わせる鳴。
「…………」
「…………」
む。
これも耐えるか。
仕方ない、これ以上は流石にマズイ。
結衣も椿さんもいらっしゃるし。
べ、別にいなかったら、って訳でもないけどさ!
「……はい! ここまで――――」
と、言って鳴から離れようとするが、鳴の両腕ががっちりと俺の体をホールドしている。
「あの、メイ? もう演技は終わりで」
「――――そうですか、分かりました」
俺の胸に顔を埋めていた鳴がゆっくりと顔を上げる。
「じゃあ――――演技は無しでいかせてもらいますよ」
ニヤリと笑い、そう呟いた鳴の瞳はどす黒く濁り、おぞましい輝きを放つ。
ホラーだよこれ!
「ひ――――」
「いや~、素晴らしかったですよキョータさんの演技! 見つめられて囁かれるだけで妊娠しちゃいそうでしたよ! うへへ……!」
言いながら、鳴は俺の胸に頬ずりを始める。
「や、やめろ、おい!」
「キョータさんをギャップでメロメロにするつもりだったのに、逆に私がされちゃいました」
「分かったから、とりあえず離れろ! 結衣、椿さん! 助けて!」
俺は纏わりつく鳴を引き離そうともがきながら、結衣と椿さんに助けを求める。
「それじゃ、会計七百円な」
「ごちそうさまでした、また来ますね~」
見事にスルー!
「ちょっと! 二人とも! スルーは無いでしょう!?」
「いやいやキョータ、完全に自己責任でしょ」
「全くだ。鳴を挑発したのはお前の方だろ? どうせ鳴をからかうつもりだったんだろうが」
正論過ぎて言い返せない。
ぐすん。
「キョータさん! あれで終わりだなんて鬼畜すぎますよ! 私の迸るリビドーはどこに向かえば良いんですか!?」
「知らねぇ!」
「分かりましたよ……キスしてくれたら許しましょう」
「え。何でそんな上から目線なの」
「シャラップ! とっととキスして下さい!」
「お前な――――」
俺がそう言いかけたところで、鳴のホールドが解ける。
顔を伏せたまま、鳴が呟くように言う。
「……ごめんなさい」
「え、メイ?」
「ウザかったですよね。調子乗りました。すいません」
「あ、えっと……」
「こんな女じゃ、振り向いてもらえなくて当然ですよね……ぐす……」
な、泣いてる――――の?
マジで?
結衣と椿さんに無言のSOSを向ける。
返ってきたのは冷ややかな視線。
「流石に泣かせるのは無いわー、メイっち可哀相」
「キョータ、客を泣かせるような店員は首を切るぞ」
女性陣も切れ気味だ!
どうしよう。
「メイ……とりあえず顔上げてくれよ……俺も悪かった」
俺は鳴の頭を撫でながら謝罪する。
肩を震わせる鳴の反応は変わらずだ。
うあー、キョータさん女心なんて分かりませんよ……
解決策を模索しながら、鳴の顔を覗き込もうとしたその時。
「――――隙ありっ!」
鳴の呟きが聞こえたと思った瞬間――――
がちん。
『痛い!!』
鈍い音と共に、俺と鳴の声がこだまし、前歯と唇に痛みが広がる。
「何やってるんだ……お前ら」
椿さんが苦笑しながら言う。
「俺の前歯……折れてないよね?」
「おおぅ……キョータさんの隙を伺っていたらとんでもないことに……痛い……」
ロマンチックとは程遠い光景だった。
二人とも出血は無さそうだ。
「ま……二人して痛み分けってことで手を打とうじゃないか、メイ」
「そうですね……でもどうでした? 私の泣きの演技は」
「ま、それなり、かな」
「何ですか、その微妙な評価は! 騙されたとか、惚れ直したとか、ムラっときたとか、色々あるでしょうに」
女の子の泣いてる姿を見てムラムラするって上級者過ぎるだろ。
「いいですけどね。心配はしてくれたみたいですし」
にひひ、と悪戯っぽく笑う鳴。
騙されていたのは事実だが、何だか悔しい。
「亀のような歩みではありますが、一歩一歩キョータさん攻略に邁進して行きますよ!」
高らかに鳴はそう宣言する。
「おー、頑張れメイっち。結婚式には呼んでね」
「ええ。そう遠くない内に」
鳴と結衣は笑い合う。
やれやれ。
俺は苦笑し、窓の外に目をやる。
陽の傾き始めた街に、雪がちらつき始めていた。
もうすっかり、成海市は冬だ。