ドラスチック・ドラマチック
◇
雪が降っていた。
辺りは一面の銀世界。
降り続いていく粉雪は、周囲の音を奪っていくかのようだった。
「……ごめんね、キョーくん。私、やっぱり行かなきゃ」
「……カナさん……」
「だから、キョーくんの気持ちには答えられない」
「俺……嫌です。カナさんと離れたくありません」
「それは私も一緒だよ。キョーくんのことも、メイのことも心配だし」
「……だったら」
「でも、このままじゃダメなんだ。いつまでもこのままじゃ、いられない」
「…………それは、どういう」
「だって、このまま――――」
◆
「――――目覚め悪すぎるだろ、これ」
ベッドの中で自分の夢に突っ込みを入れてみる。
ただただ空しいだけだった。
寝起きの脳内は本調子ではないみたいだ。ボーっとして思考がまとまらない。
だるい。
立ち上がってみると目眩がする。視界が歪む。
あれ。
これ不味いんじゃね?
俺の意識はそこで途絶えた。
どのくらい時間が経過したかは分からないが、けたたましく騒ぎ立てるケータイの着信で俺は目を覚ました。
「もしもし」
『ああ、キョータ。私だ。何かあったのか? 出勤時間はとっくに過ぎてるぞ』
椿さんだった。
「すいません、今起きました。何だか体中だるくて……」
『お前、それ風邪じゃないか? 酷い声だぞ』
「言われてみれば確かにそうですね。……体の節々にも痛みが」
『とりあえず医者に診てもらえ。もし無理そうなら誰か呼んでな。最悪私が向かうが』
体を起こし、少し歩いてみる。
多少ふらつきはするものの、全く動けない程ではない。
「医者に行くくらいならなんとかなりそうです。さすがに運転はきつそうですけど」
『そうか……あまり無茶はするなよ。お大事にな』
「えぇ、ありがとうございます。それじゃ」
さて。
身支度を整え、目指すは最寄りの診療所。
十五分も歩けば着くが、この寒さと体調ではなかなかに辛い。
ただでさえ風邪で弱っている上に、筋肉痛のオマケ付き。
正直、洒落になっていない。
泣きそうになりながら、何とか辿り着いた「穂積診療所」。
まずは、穂積先生に呆れられるところから始まった。
「キョータくん、こんな体調で徒歩を選択するのは関心できないねぇ」
あごの髭を弄りながら、丸眼鏡の奥の優しそうな目が困ったように歪む。
一通り診察が終了し、結果は典型的な風邪。
「や、すいません……考えが甘かったです。想像以上に参ってますね、俺の体」
「飲み薬だしとくから、それ飲んで安静にね。喉も真っ赤で辛そうだけど、少しでもご飯も食べること」
「はい。分かりました」
「お大事に」
支払いを済ませ、穂積先生の呼んだタクシーに乗り込む。
ありがたい事に料金は穂積先生持ちらしい。
何だか申し訳ないな。
心遣いに感謝しつつ、自宅に到着。
今すぐにでも眠りに就きたいところだが、何か腹に入れないと。
冷蔵庫の中にはろくなものが無かった。
ご飯の余りに、卵、納豆、ケーキにプリン。
「……固形物は辛い」
喉の痛みも尋常ではない。
栄養云々の点には目をつぶり、喉に優しそうなプリンを選択する。
一分もかからずにかき込み、水を一口。ついでに薬も流し込む。
錠剤三種類。
早く良くなりますように。
時計に目をやれば、お昼を少し回ったところ。
一眠りして、体を休ませよう。
俺はベッドに潜り込み、数分も経たずに眠りに落ちていった――――
ケータイの着信音で目を覚ます。
今日はこの繰り返しのような気がする。
「もしもし」
『あ、キョータ? まだ生きてる?』
電話の主は綾奈。
「何とか」
『さっき椿さんに聞いて、一応の安否確認というか。今から智也とそっち行こうと思うんだけど、大丈夫?』
「ありがたい。ついでに食い物と飲み物を所望したい」
『了解。じゃ、後でね』
ケータイで時刻を確認すると、もう夕方だった。
よっぽど疲れてるんだな、俺の体。
ほどなくして、チャイムの音が聞こえる。
玄関へ移動し、鍵をオープン。
「おっすキョータ」
「思ってたより元気みたいね」
スーパーの買い物袋をぶら下げた智也と綾奈が微笑む。
「いらっしゃい。助かるわ」
俺は二人を居間に招く。
「それじゃ、晩御飯作ろうと思うんだけど……お粥くらいなら食べられるでしょ?」
冷蔵庫を物色しつつ、綾奈。
「うん。いけると思う」
「プリンとか、ゼリーとか、アイスとか、食べやすそうなの買ってきたから、そっちはしまっておくね」
買い物袋をゴソゴソとさせながら智也が言う。
「わざわざ悪いな、二人とも」
「何よ。無駄に素直で気持ち悪いわね」
そりゃ弱ってたら、人間素直にもなるさ。
俺が心の中で小さくため息をつくと、またまたケータイが震える。
「もしもし」
『あ、キョータさん!? 大丈夫ですか!? 生きてますか!? 私が誰だか分かりますか!?』
「大丈夫だし、まだ生きてるけど――――どちらさまでしたっけ」
『酷い! あなたの愛しのメイちゃんですよ! 何で風邪引いてたこと教えてくれなかったんですか!』
「……ごめん」
『もし分かってたら、お見舞いという名目で――――じゃなくて、すぐ看病しに行ったのに!』
「お前は常に正直すぎるだろ」
『と、とにかく! 今からお邪魔しますんで、首を洗って待っていてください!』
電話が切れた。
え、何。
あいつ、とどめを刺しにくるの?
「今のは、メイかな?」
「正解。よく分かったな」
「音声だだ漏れ」
「そうですか」
あいつは小さい体のどこから、あんな大音量を出しているんだ。
「はい、お粥お待ちどうさま」
「お、ありがとう」
綾奈がお盆に載せたお粥を運んできてくれる。
冷蔵庫の中の余りで作ったであろう卵粥。
とても美味しそうだ。
「いただきます」
レンゲですくって口に運ぶ。
美味い。
卵とダシの良いバランス。絶妙な塩加減もグッド。
「綾奈、すげぇ美味い」
「そ」
何という冷たいリアクション。
「余りはコンロの所に置いてあるから、暖めて食べて。おかわりはセルフね」
「えー」
「えーじゃない」
「……ゴホッゴホッ……」
「わざとらしいわ」
テヘッ。
とかなんとかやってると、再びチャイムの音。
こちらが応答する間も無く、玄関のドアが開く。
「お邪魔します!」
「邪魔するぞ」
やって来たのは鳴とマリア。
「お、マリアも来たのか」
「……私が来ては不味かったか?」
少し拗ねたような表情でマリアが呟く。
「ごめん。そういうつもりじゃ」
「しかし、思ったより元気そうで何よりだ」
「ああ、薬飲んで寝てたら大分回復したよ」
鳴の声が聞こえないと思ったら、いつの間にか俺の隣りに腰を下ろし、お粥のお椀を奪い取っていた。
「はい。キョータさん、あ~ん」
満面の笑顔で、すくったお粥を俺に差し出す鳴。
「…………」
「……あぁ」
俺が無反応でいると、何を思ったか自らの口にお粥を運ぶ鳴。
そして目を輝かせ、俺に迫る。
「やめろ馬鹿!」
「……ごくん。え、口移しで欲しいって意思表示じゃなかったんですか」
「都合良すぎの自己解釈だな」
「もう! キョータさんってば照れちゃって! 顔赤いですよ!」
「風邪引いてるんだ、俺。知ってた?」
「私もキョータさんを想うと体が火照って……」
「ごめん、風邪移しちゃったか? 早急に帰ることをお勧めしよう」
「むぅ。風邪を引いて体温は上がっても、私に対する扱いは冷たいですね」
「悪いがそこは平常運転だ――――って、あの、マリアさん? 何で俺の服を脱がそうとしてるんでしょうか?」
音も無く、気配も無く、マリアが俺のジャージを脱がそうとしていた。
忍者か!
「いや、恐らく汗をかきっ放しであろうと思ってな。体でも拭いて差し上げようかと」
「あ、ありがとう。でもマリアにお願いすることじゃないな、うん」
そう言ってる間にもマリアの手が止まらない。
必死に押さえつけるが、なかなか力が強い。今の俺が弱いのか。
「ですよね! ここはこのメイちゃ――――」
「間違ってもお前ではないな」
「 」
鳴が言葉も無くフリーズする。
面倒くさくなるから黙ってなさい。
「こういうのは智也にお願いしようかな」
「え~?」
「予想以上に不服そうだった!」
「野郎の体を拭いても、これっぽちも楽しくないじゃない」
気持ちは分かるけど!
今は流れを汲んでくれ!
「嫌に決まってるでしょ」
綾奈の方を見ただけで拒否られた。
ぐすん。
「なぁキョータ殿。そんなに嫌がらなくてもいいのでは」
「まぁ、そうなんだけどさ」
「私も変な下心がある訳では無いぞ。ただキョータ殿の――――おっと失礼、鼻血が」
「本当に下心無いんだよね!? 何か目も血走ってるし!」
このゴスロリ娘、発言に偽りがあるぞ!
「しかし、そのままでは衛生的にもよろしくは無いと思うぞ」
「そう……だよなぁ……分かった、お願いするよ」
「ほ、本当か!?」
「ただし。智也、綾奈、見張っといて」
「「キョータの半裸なんて見たくないんだけど」」
「声を揃えるな! それにメイ、無言でカメラを取り出すな!」
「ちっ、バレましたか」
「……ったく」
ひと悶着もふた悶着もありつつ、体を拭いて貰ってさっぱりした。
「何だかんだでもう七時だね。外が暗いや」
智也が時計と窓に目をやり、言う。
「そろそろお暇しようか。キョータも安静にしてないとね」
「だな。ありがとさん、助かったよ」
各々が帰り支度を始める中、鳴が口を開く。
「キョータさん、今晩一人で大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だろ」
「でも、ちょっとした事で起きたりするのは面倒じゃないですか? ゆっくりもできないし」
「ん~……」
「私、泊まっていいですか? 単純に、心配です」
「……あぁ、分かった。よろしく」
鳴には珍しく真面目なトーンでのお願い。
目もいつもの濁った輝きが無い。
お前、そんな綺麗な目してたんだな……
面食らってついオーケーしてしまった。
「それじゃ、後はメイに任せるとして、俺たちは帰るね。お大事に」
「おう。またな」
そう言って、智也、綾奈、マリアは去っていった。
「じゃ、キョータさんもお休みになりますか」
「だな。メイ、風呂は勝手に使ってくれ。沸かしてないからシャワーだけになるけど」
「分かりました」
「着替えは、俺の服でよければ勝手に着てくれ。あと、客間に布団があるから引っ張り出してそれ使ってくれ」
鳴自身、この家に泊まった事は一度や二度ではないので細かい説明は不要だろう。
ばあちゃんがいた頃は、よく姉妹揃って泊まりに来てたものだ。
「はい。寝床はキョータさんの部屋でも良いですよ? 布団でも敷きます」
「見舞いに来てくれたやつに移したんじゃ本末転倒だろ」
「キョータさんの風邪なら、移ってもいいですけど……手厚く看病してくださいね」
「……果たしてそれは、本当に俺の風邪なのだろうか」
「そんな! 認知してくれるって言ったじゃないですか!」
「身に覚えが無い」
「ほら、この喉の痛み、発熱、体のだるさ! あなたの症状そっくりじゃないですか!」
「俺は――――ってゴメン、しんどいからそろそろ寝るわ」
「すいません、私もお風呂いただきます」
実にグダグダである。
結局、鳴は俺の部屋で寝ることにしたらしく、風呂上りの体を俺のジャージで包み、布団を抱えて現れる。
ジャージのサイズが合っていない為、ちょっと危なっかしい。
中学の頃のジャージなんだよなぁ。それより小さいの、無いし。
「キョータさん、何か欲しいものありますか?」
「ん~……特に」
「あ、ちょっと失礼」
そう言って鳴は、洗面器の水を取り替えてくる。そして俺の頭の上のタオルを絞りなおしてくれた。
冷たくて心地いい。
「ありがと、メイ」
「どういたしまして」
ニコリ。と微笑む鳴。
風呂上りのせいだろうか、漂う石鹸の香りか、いつもと違う表情の鳴に少しドキリとしてしまう。
「どうしましたキョータさん。私の顔、何か変ですか?」
「い、いや、そうじゃなくて……何でもない」
「そうですか――――キョータさん」
「ん?」
「こんな言い方はちょっとアレですけど……私、今、嬉しいんです」
「嬉しい?」
「ええ。キョータさんのお役に立ててるというか、何と言いますか」
「そっか」
「普段、キョータさんは何でも自分でやっちゃうんで、私の出る幕が無いんですよね」
言われてみれば確かにそうか。
ばあちゃんが亡くなってから、身の回りの事は全部自分でこなすようになった。
こなさざるを得なかった、というのが正しいか。
「――――ずっと――――悩んでました」
「悩んでた?」
「はい。姉さんがフランスに行って、キョータさんは目に見えて落ち込んで」
「…………」
「分かってたんです。私じゃ姉さんの代わりは務まらないって。でも、せめて、キョータさんを元気付けたかった」
「……メイ」
「必死でした。なりふり構わず、ただキョータさんを笑顔にしたくて。面倒な女でも、ウザがられても、キョータさんが笑ってくれれば」
「……そんな風に思ってたのか」
気づかなかった。
気づこうともしなかった。
でも。
「お前がいてくれたから、俺は今、笑ってられるんだ。カナさんの時も、ばあちゃんの時も、お前が隣りにいてくれたから」
「キョータさん……」
「ありがとう」
そう言って、俺は鳴の頭を撫でる。
鳴は顔を伏せて照れていた。
やがて、顔を上げた鳴。
その顔は真剣だった。
「……メイ? どうした」
「キョータさんに……聞いてほしい事があるんです。今まで言えなかった事が、あるんです」
「いつになく真剣だな」
「……今なら、言えるような気がして。懺悔――――みたいなものです」
「うん、聞くよ」
俺が促すと、鳴は意を決した様子で話し始めた。
「姉さんの事なんです。フランス行きが決まった時、もちろん寂しかったですけど、私――――喜んじゃったんです」
「…………」
「キョータさんが、私の方を向いてくれるんじゃないかって――――ホント、最低ですよね。自分の事しか考えてなくて。キョータさんがどれだけ傷ついてるかも知らないで」
鳴は唇を噛み締める。
ゆっくりと、両の眼には涙が浮かんでいく。
「馬鹿ですよ、本当に。『キョータさんを元気づけたい』なんて自分に言い訳して、やってることは結局、キョータさんの傷心に付け込んでるだけで。だから――――」
言葉を途中で遮り、俺は鳴を抱きしめていた。
「――――キョータ……さん」
「もういい。もういいよ、メイ。そんなに自分を責めなくていいだろ」
「キョータさん、私は――――」
「本当、お前は正直だな。誰だって行動の裏には下心くらい、あるもんだ」
「でも――――」
「結果オーライ、だろ。結局俺はメイに元気付けられた訳だし、それに――――」
「悔しい事に、メイの思惑通りになっちゃってるし」
「っ――――キョータさん……今……」
「…………」
「……風邪、移っちゃうかも、ですね」
「言うな!」
今更になって恥ずかしくなってきた!
ヤバイ、熱がまた上がってきた気がする!
「これはもう、そういうことですよね。いいんですよね!?」
「え、ちょ」
「今日はキョータさんの体調もあるし、大人しく真面目に行こうと思いましたが、もう止めです」
両目にはお馴染みの濁った輝きが戻っている。
「長年、心の奥で引っかかっていたものが取れましたし。ありがとうございます」
「ど、どういたしまして」
「ストッパーを破壊したのは、他でもないキョータさんですからね」
「う……」
「もう我慢できません! 私たちを縛るものは何もありませんよ! さぁ、さぁ、さぁ!」
鳴が狂気を孕んだ表情で俺に覆いかぶさる。
案の定、体に力が入らない。
「め、メイ、ちょっと待て――――」
「さっき決めました。もう遠慮はしません。姉さんに負い目を感じるのも止めです。過程がどうあれ、最終的にキョータさんの隣りにいれば勝ちなんです!」
「だ、誰か……」
ケータイに手を伸ばす、が鳴にその手を弾かれる。
「助けなんて呼ばせませんよ……えへへ……」
ヒロインらしからぬ表情で俺を見る鳴。
どうしよう。
どうしよう。
俺は風邪で参った頭をフル回転させる。
「……ゴホッゴホッ」
「……キョータさん」
「風邪が……悪化してきた……」
苦しいか?
恐る恐る鳴の顔を見る。
「……分かりました。今日のところは勘弁しましょう」
「あ、ありがとう?」
「……いつでもチャンスはありますし」
不穏な呟きが聞こえた。
聞かなかったことにしよう。
「じゃあ、お休み」
「ええ、お休みなさい」
俺は目を閉じる。
ゆっくりと意識が途絶えていく。
「キョータさん――――ありがとうございます」
薄れていく意識の中で、鳴がそう呟いた気がした。
その俺の思考も、程なくして眠りに飲まれていくのだった。




