第89話 乙巳の変
秦河勝が赤穂へ漂着した6年後(西暦628年)、推古天皇が崩御した。
生前約束したとおり次期天皇は34代、舒明天皇になったが、蘇我蝦夷は猛反対した。
しかし、推古天皇の勅令は覆すことができなかった。
だが、舒明天皇は即位後12年で崩御してしまう。
舒明天皇には皇子が3人いた。
皇后「皇極」との間に「中大兄皇子(天智)」、皇極の連れ子「大海人皇子(天武)」。
そして、蘇我馬子の娘「ホテイノイラツメ」との間に「古人大兄皇子」がいるが、直系の中大兄皇子であっても満15歳であったため、皇后が「皇極天皇」として即位した。
数年が過ぎたころ、蘇我蝦夷は皇極天皇の許しも得ず息子の「蘇我入鹿」を大臣にした。
入鹿は乱暴者だった。
父の蝦夷の制止も聞かず、わずかに天皇になる可能性のある、厩戸皇子(聖徳太子)の一子「山背大兄皇子」を一族もろとも殲滅したのである。
この事件によって、蘇我氏の野望を見抜いた男がいた「中臣鎌足」である。
鎌足の父、御食子は秦河勝からヤマトを託された。
鎌足は父の願いを叶えるべくある男に近づいた。中大兄皇子である。
「皇子、山背皇子は入鹿に殺害されました。次はあなたです。殺られる前に殺りましょう」
提案に乗った中大兄皇子は、皇極天皇が即位して3年目(西暦645年)に、その皇極天皇の目の前で蘇我入鹿を殺害し、軍を用いて蘇我蝦夷も殺害した。
いわゆる「乙巳の変」である。
これによって蘇我氏宗家は滅亡した。
そして、ヤマトの歴史も大きな転換を迎えたのである。




