第59話 劉邦、咸陽へ一番乗り
咸陽では事件が起こっていた。
今まで政治に無関心だった皇帝の胡亥が、迫りくる劉邦軍に気づいたのだ。
激しく趙高を叱責し、怒った趙高は、あろうことか胡亥を殺害してしまったのだ。
慌てた趙高は、傀儡の王とすべく王家から子嬰を擁立した。
だが、趙高はその子嬰の手によって殺害されてしまうのだった。
函谷関の前に立った劉邦軍は、既に十万人の大軍勢になっていた。
これから函谷関へ攻め込もうとした矢先、函谷関の扉が開いた。
門の前には、なんと子嬰が土下座をしていた。
劉邦は戦わずして咸陽を取ったのである。
そのころ項羽はというと、章邯とし烈な戦いを繰り広げていた。
そんな中、劉邦が咸陽へ入ったという知らせを双方が受け取った。
章邯は兵20万の命乞いを条件に和睦を提示したが、章邯のみを助け20万の兵は皆殺しにした。
それよりも項羽は劉邦が先に咸陽へ入ったことに激怒した。
咸陽にほど近い鴻門に陣をはった項羽軍は20万に膨れ上がっていた。
そして項羽が激怒していると、項羽軍の項伯が劉邦軍の参謀、張良へ伝えた。
その知らせを聞いた劉邦は震えあがった。
項羽のいる鴻門まで出向き、
「項羽殿、ワシはそなたを待っておったのだ。ゆえに阿房宮の財宝も後宮の美女も手を付けてはおらんのじゃ……」
劉邦は泣きながら釈明した。
その姿があまりにもみすぼらしかったため、項羽は許した。
数日後、項羽による戦功褒賞が言い渡された。
劉邦は先に咸陽に入ったのだから関中王になれると信じていたが、言い渡されたのは「漢中王」だった。
同じ「カン」でも漢は山奥の寂れた所だ。
このカン違いに怒り狂った劉邦は、項羽に抗議しようとしたが、張良が止めた。
「時期を待ちましょう……」
仕方なく劉邦は、漢中へ旅立った。
項羽は咸陽へ残るかと思いきや、阿房宮を全て焼き尽くし、自ら楚王を名乗り、かつての楚の彭城に帰った。
そうなのだ、項羽の目的は中華の統一ではなく、楚の再興だったのだ。
これをきっかけに趙や燕といったかつて秦に滅ぼされた国が再興したのである。
ちなみに、項羽が阿房宮を全焼させるのに三ヵ月を要したことから、無意味に巨大な宮殿を建てる愚かさを揶揄して「阿呆」の語源になった。




