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失われた断片 ― 風の環 ―  作者: 半々月光
ビグトラス島編

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62話 ― 白標星槍――終頁封鎖

>第62話では、港区中央広場で続く戦闘が、

ついに限界へ達しようとしています。


ガサンとタリスは、崩れた地形と雨の中で、

押し寄せる新生バリシャハの群れに追い詰められながらも、

最後の一線を守り続けます。


統率のない黒い群れは増え続け、

戦場はすでに崩壊寸前。

それでも二人は退かず、

「ここを抜かせない」というただ一つの理由だけで立ち続けます。


この話は、

前線に残った者たちの覚悟と、戦場そのものが変わる瞬間 を描く回です




時刻:3670シヴン年12月25日 AM 08:45

場所:ビグトラス島・港区中央広場


 最後の一頭が地面を滑り、崩れた岩壁へ激突した。


 黒い外殻が砕け、破片が石床に散る。


 ガサンは振り抜いた武器を戻せなかった。


 刃には幾筋もの亀裂が走り、柄を握る手から力が抜けていく。


 隣では、タリスも大きく肩を上下させていた。


 全身を覆っていた術式光は途切れ、腕や頬にはいくつもの傷が残っている。


 二人は周囲を確かめる余裕もないまま、その場に崩れるように腰を落とした。


「……終わったか」


 ガサンが掠れた声で呟く。


 返事の代わりに、地面の奥から硬いものが擦れ合う音が届いた。


 タリスは伏せていた顔を上げる。


「いや」


 前方の亀裂から、細い爪が一本突き出した。


 別の爪が縁を掴み、黒い頭部がゆっくりと持ち上がる。


 一頭目が這い出すより早く、その背後から二頭目が体を押し込んだ。


 さらに奥では、無数の影が重なっている。


 新生バリシャハだった。


 その姿は揃っていない。


 幼獣ほどの小さな個体が、まだ形の定まらない脚を忙しなく動かしている。


 タリスの腰近くまで育ったものは、分厚い外殻で前列を押し退けた。


 頭部だけが異様に膨らんだ個体。


 細長い胴に複数の口を備えた個体。


 二つの頭が別々の方向へ進もうとして、その場で体を捩らせているものまでいた。


 前列は後ろから押され、横へ逃れた個体が仲間の脚を踏みつける。


 統率など、どこにもない。


 それでも亀裂から溢れる数は増え続け、黒い群れが戦場を埋め始めた。


 クシャハーだった頃の習性が、分かれた体にも残っている。


 獲物を前にしても意見はまとまらず、隣の声に苛立ち、互いを押し退けていた。


 その時、群れの隙間から一つの頭が突然突き出した。


「左だ!」


 首を大きく振り、すぐに反対側を向く。


「いや、右だ!」


 鼻をひくつかせたあと、そいつはガサンたちを見つけて口元を歪めた。


「肥えた鼠……へへへ」


 別の頭が横からその頬を殴りつける。


「俺が先だ!」


「黙れ! 鼠は右だ!」


「左だと言っている!」


 怒鳴り合う声が亀裂の奥まで広がり、群れ全体が騒がしく揺れた。


 ガサンは地面に片手をついたまま、その光景を見つめた。


 疲れ切った顔に、苦笑が浮かぶ。


「……まったく、腹の立つ奴らだな……!」


 タリスも肩を揺らした。


 笑った拍子に咳き込み、口元から血が一筋こぼれる。


 彼は手の甲でそれを拭い、迫り来る群れへ歯を見せた。


「こいつら、家の隅に湧く虫と同じだ!」


 血の混じった息を吐きながら、それでも声を張る。


「全部、きれいに掃除してしまえばいい! アハハハーー」


「その体で、よく言えるな」


「隊長にだけは言われたくない!」


 二人の視線が、一瞬だけ重なった。


 勝てるとは思っていない。


 次に倒れれば、もう立てないことも分かっている。


 それでも、ここを抜かせるつもりはなかった。


 ガサンは亀裂の入った武器を石床へ突き立てる。


 柄に体重を預け、震える膝を伸ばした。


 タリスも片膝を立てる。


 一度よろめきながらも踏みとどまり、ガサンの隣へ並んだ。


 新生バリシャハの群れが二人を見つけ、押し合うように前へなだれ始める。


「行くぞ、タリス」


「遅れるなよ、隊長」


 二人は同時に武器を構えた。


 次の瞬間、新生バリシャハの群れが雪崩れ込んだ。


 ガサンは真正面から飛びかかってきた一頭の顎を、武器の柄で打ち上げる。


 体勢を崩した頭部へ刃を叩き込み、そのまま横へ薙いだ。


 黒い外殻が裂け、後方から迫っていた二頭まで巻き込まれる。


「右だ!」


 タリスの声が飛ぶ。


 ガサンは振り返らずに身を沈めた。


 頭上を細い爪が掠め、その個体の脇腹へタリスの一撃が突き刺さる。


「左だと言っただろう!」


「お前まで言うな!」


 二人は背中を合わせ、互いの死角へ入り込む個体を次々と払い落とした。


 だが、倒しても群れは途切れない。


 前方を斬り開けば、横から新たな頭が伸びる。


 一頭を踏み越えた直後、その下に潜んでいた小型の個体がガサンの脚へ噛みついた。


「ぐっ……!」


 ガサンは足を振り上げ、石床へ叩きつける。


 その一瞬の遅れを狙い、別の新生バリシャハが背後から飛びかかった。


 鋭い爪が左肩を深く引き裂く。


「隊長!」


 血が飛び散り、ガサンの体が前へ傾いた。


 それでも倒れず、傷口ごと肩を捻って敵を振り落とす。


 振り向きざまに刃を突き入れたが、左腕はすでにまともに上がらなかった。


「俺に構うな!」


「そう言われて、放っておけるか!」


 タリスがガサンの前へ踏み込み、迫っていた二頭を強引に押し返す。


 しかし、その背後へさらに影が集まった。


 一頭。


 二頭。


 左右から回り込んだ個体が退路を塞ぎ、タリスを黒い外殻の輪の中へ閉じ込める。


「タリス!」


「余所見をするな、隊長!」


 タリスは襲いかかる顎へ武器を差し込み、噛み砕かれる寸前で押し止めた。


 別の個体が背中へ爪を立てる。


 布が裂け、血が滲んだ。


 それでもタリスは笑った。


「虫なら、まとめて潰せばいい!」


 武器を手放し、噛みついていた頭部を両腕で抱え込む。


 そのまま体を捻り、周囲の個体ごと地面へ叩き倒した。


 包囲の一角が崩れる。


 ガサンは左肩を押さえながら駆け込み、残った力で刃を横へ振り抜いた。


 タリスの前を塞いでいた外殻が割れ、血と黒い欠片が宙へ散る。


「走れ!」


 二人は崩れた群れの隙間へ飛び込んだ。


 左右から伸びてくる爪を払い、足元へ食らいつく個体を蹴り飛ばす。


 何度も体を掴まれ、そのたびに互いの腕を引いて前へ進んだ。


 ようやく包囲を抜けた時、二人は崩れた柱の陰へ転がり込んだ。


 ガサンの左肩からは、止めようもなく血が流れている。


 タリスも背中を壁に預けたまま、息を吸うたびに喉の奥で血を鳴らしていた。


 それでも新生バリシャハの群れは、すぐに向きを変える。


 黒い影が押し合いながら、再び二人へ近づいてくる。


 ガサンは、崩れた壁の向こうに広がる空を見上げた。


 厚い雲から、再び細かな雨が降り始めている。


 冷たい雫が額を濡らし、頬を伝った。


 雨に滲む空を見つめた瞬間、これまで交わしてきた言葉や、背を預けてきた仲間たちの姿が、胸の奥を静かに通り過ぎていく。


 その一つ一つが、ここに残ると決めた理由だった。


「……どうやら」


 ガサンは濡れた息を吐き、迫る群れへ視線を戻した。


「あいつらは、もう十分遠くまで行っただろう」


 タリスも雨の向こうへ目を向ける。


「ああ」


 しばらくの沈黙のあと、血に濡れた口元を緩める。


「隊長」


「なんだ」


「最後に隣にいるのが、あなたで良かった」


 ガサンは一瞬だけ目を伏せた。


 やがて、僅かに笑う。


「俺もだ」


 タリスは壁に頭を預け、息を切らしながら声を上げた。


「あの日の酒……本当は、もっと飲ませてやりたかったんですけどね! アハハハーー」


「飲ませる、じゃない。お前が勝手に注ぎ続けただけだ」


「同じでしょう」


「まるで違う」


 ガサンは残った右手で武器を握り直した。


「もし、またそんな日が来るなら」


 タリスが顔を向ける。


「その時は、お前の言う通りにしてやる」


 タリスの笑みが、ほんの少しだけ柔らかくなった。


「約束ですよ、隊長」


「ああ」


 二人は崩れた柱から身を離した。


 再び迫る黒い群れへ向き直り、残された力で武器を構える。


 その時だった。


 沈黙していたガサンの腰元で、通信術式器がかすかに震えた。


ザッ――


『……ガサン。聞こえるか』


 掠れてはいたが、聞き覚えのある声だった。


 ガサンの目がわずかに見開かれる。


「ルシアン准教授……?」


『その場から動くな』


 通信の向こうで、何かが激しく擦れる音がした。


『今、そちらへ向かっている』


 次の瞬間、崩れた通路の奥で白い光が走った。


 途切れていた通信術式の線が、壁面を伝って一本ずつ灯っていく。


 床の亀裂。


 折れた柱。


 崩落した階段。


 死んでいたはずの術式節点が、奥から順に繋がり始めた。


 新生バリシャハの一頭が、その光へ顔を向ける。


「なんだ?」


「光だ!」


「食えるか?」


 別の個体が横からその頭を殴りつけた。


「光なんぞ食うな! 鼠が先だ!」


 怒鳴り声が重なり、群れがざわつく。


 その隙間を縫うように、白い術式線が戦場全体へ広がっていった。


 やがて、崩れた通路の先から一人の男が姿を現す。


 上着は肩口から裂け、頬には煤がついていた。


 片手には、複数の導線を無理やり繋ぎ直した通信術式盤。


 その表面では、白い光が不安定に明滅している。


「ハロから聞いた」


 ルシアンは荒い呼吸を押し殺しながら、ガサンとタリスを見た。


「君たちが、まだ前線に残っているとな」


 タリスが血のついた口元を歪める。


「遅いですよ、准教授」


「それだけ喋れるなら、まだ倒れる暇はなさそうだな」


 ルシアンは二人の横を通り過ぎ、押し寄せる群れへ視線を向けた。


 亀裂の奥では、形成途中の新生バリシャハまで互いを押し退け、地上へ這い上がろうとしている。


 ルシアンは通信術式盤を持ち上げた。


「ガサン、タリス」


「はい」


「三歩下がれ」


 ガサンが眉を寄せる。


「ですが――」


「命令だ」


 短い一言だった。


 二人は顔を見合わせ、武器を構えたまま後方へ下がる。


 ルシアンの指が術式盤の表面をなぞった。


「術式節点、再接続」


 白い通信線が一斉に空中へ立ち上がる。


 それは声を運ぶための線ではなかった。


 崩れた戦場の位置を読み直し、距離と角度を刻み直す、白い座標線へと変わっていく。


「生成反応、捕捉」


 縦。


 横。


 斜め。


 無数の白線が交差し、群れの上空に巨大な座標面を組み上げた。


 術式盤の表面には、前列、中列、亀裂の奥、まだ外殻すら完成していない個体まで、細かな光点として浮かび上がっていく。


「な、なんだ!?」


「俺の頭が光っている!」


「ずるいぞ! 俺にもつけろ!」


 群れのあちこちで喚き声が上がる。


 その額に。


 胸に。


 首の付け根に。


 白い標が一斉に灯った。


「白標、固定」


 ルシアンは術式盤へもう片方の手を重ね、静かに詠唱を始めた。


「断たれし声の路よ、今ひとたび白き座標へ還れ!


 散りし標を拾い、  群れの核と生成の門を余さず記せ。


 星の槍よ――その記録を穿て!


 開かれた裂け目に、  最後の頁を与えよ!


 新たな名を刻ませるな。


 この戦場を、ここで閉じよ――!」


 攻撃術式・完全展開——〈白標星槍・終頁封鎖〉!


 上空の座標面が、静かに反転した。


 そこから細長い白銀の光が無数に伸びる。


 槍だった。


 星の尾を引くような、鋭く細い白銀の槍。


 白標が一斉に輝く。


 次の瞬間、星槍が落下した。


 轟音はなかった。


 爆炎も上がらない。


 ただ一筋ごとに、新生バリシャハの白標を正確に貫いた。


 先頭の個体が地面へ縫い止められる。


 後方から飛びかかろうとした個体は、胸の新生核を射抜かれ、そのまま崩れ落ちた。


 亀裂から半身を出していた個体も、頭上から貫かれ、奥へ押し戻される。


「右だ!」


「左へ逃げろ!」


「俺の槍を抜け!」


「それは俺のだ!」


 怒鳴り声が飛び交う。


 逃げようと互いを押し倒した個体にも、次の星槍が容赦なく突き刺さった。


 黒い群れに、初めて大きな断層が生まれる。


 タリスが目を見張った。


「全部……位置を読んでるのか」


「違う」


 ガサンは上空の座標面を見上げた。


「位置だけじゃない。出てくる場所ごと押さえている」


 最後の星槍が亀裂の縁へ突き立った。


 その根元から、白い直線が床を走り出す。


 一本の槍から次の槍へ。


 さらにその先へ。


 光の線は互いに繋がり、亀裂を囲む巨大な四角い枠を作った。


 左右に広がった白い術式面が、開かれた書物のように立ち上がる。


 ルシアンの額に汗が滲んだ。


 通信術式盤から煙が上がり、繋ぎ直した導線の一部が赤く焼けていく。


 それでも、彼は手を下ろさなかった。


「この頁に記された生成座標は、すべて取得した」


 亀裂の奥から、新たな爪が伸びる。


 白い術式面が、それを押し返した。


「ならば、これ以上書き加えることは許さない」


 ルシアンが掌を閉じる。


「終頁封鎖ーー!」


 左右の術式面が、中央へ向かって閉じた。


 白い光が亀裂を挟み込み、そこから溢れていた黒い気配を押し潰す。


 最後まで外へ出ようとしていた新生バリシャハの腕が、光の向こうへ引き戻された。


「待て!」


「まだ鼠が!」


「俺は右へ――」


 声ごと、亀裂の奥へ消える。


 二枚の術式面が重なった瞬間、白い光が一本の細い線へ収束した。


 直後。


 戦場から、すべての物音が消えた。


 黒い波は止まっていた。


 白銀の星槍に貫かれた新生バリシャハも、もう動かない。


 ルシアンの手から、ひび割れた通信術式盤が滑り落ちる。


 石床へ触れる直前、ガサンが右手でそれを受け止めた。


「准教授」


「動くな」


 ルシアンは術式盤を受け取るより先に、ガサンの左肩へ手を伸ばした。


 裂けた傷口の上に、淡い白緑の術式環が開く。


「治癒術式――止血固定」


 柔らかな光が傷の奥へ染み込み、流れ続けていた血を押し止めた。


 完全に塞がったわけではない。


 それでも裂けた筋肉が支えられ、垂れ下がっていた左腕に僅かな感覚が戻っていく。


 ルシアンは続けてタリスの背へ手を向けた。


 もう一つの術式環が広がり、爪傷から滲んでいた血と、呼吸のたびに胸を締めつけていた痛みを和らげる。


 タリスが短く咳き込み、肺の奥に溜まっていた血を吐き出した。


「応急処置だ。傷を治したわけではない」


 ルシアンは二人の顔を順に見る。


「これ以上無理をすれば、今度こそ立てなくなる」


 白い封鎖線の手前には、星槍を逃れた新生バリシャハがまだ数頭残っていた。


 外殻を引きずりながら立ち上がり、低い唸り声を漏らしている。


 ルシアンはそちらへ視線を移した。


「まずは、残ったこいつらを片づける」


 ガサンが武器を握り直そうとすると、ルシアンはすぐに手で制した。


「君たちは下がっていろ。重傷を負ったばかりだ。治癒術式も、傷を一時的に支えているにすぎない」


「ですが――」


「これは命令だ」


 ガサンは何かを言い返しかけたが、動かない左肩を見て口を閉じた。


 タリスが隣から小さく笑う。


「今度は、素直に従いましょうよ、隊長」


「お前に言われると腹が立つな」


「元気そうで安心しました」


 ルシアンは通信術式盤を抱え直し、残った新生バリシャハへ白い標を灯した。


 短い光が走る。


 星槍が続けて降り注ぎ、残っていた個体を一頭ずつ石床へ縫い止めた。


 最後の唸り声が途切れる。


 ルシアンは封鎖された亀裂へ目を向け、白い線が保たれていることを確認した。


「この区画は、ひとまず封じた」


 遠くでは、雨音に混じって避難する者たちの足音が微かに残っている。


「急ぐぞ。避難隊に追いつく」


 ガサンとタリスは互いに肩を貸し、ゆっくりと立ち上がった。


 ルシアンが先に進み、二人はその背を追う。


 細かな雨は、崩れた戦場の血と煤を静かに洗い流していた。


>読んでくださり、ありがとうございます。


第62話は、ガサンとタリスという二人が、


「勝てるかどうか」ではなく


“ここで止めるべきだから止める”


という覚悟だけで戦い続ける姿を描きました。


新生バリシャハの群れは統率こそないものの、

数と勢いだけで戦場を飲み込む脅威であり、


二人の体力も術式も限界に近づいていきます。


そんな中で、


途切れていた術式線が再び繋がり、

戦場の構造そのものが変わる瞬間が訪れます。


この回は、


前線の絶望と、そこへ差し込む一筋の光

その両方を描くための一話です。


次の話では、

この封鎖が何を意味し、


ビグトラス島の戦況がどこへ向かうのか、

さらに深い層が明らかになっていきます。


どうか、この先も見届けてくださいね~


(^∇^)ノ♪



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