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失われた断片 ― 風の環 ―  作者: 半々月光
ビグトラス島編

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59話 ― 空痕風環――外側を切る風

>第59話では、学院内部で起きた“予期しない連結”から始まります。


術式の逆流、義肢の暴走、そして二人を縛る見えない線。


誰もが理解しきれない状況の中で、

イランだけが“外側”にある何かを捉え始める話です。


今回は、戦闘よりも


「見えないものが見え始める瞬間」


に焦点を置いていますw


本編の核心には触れず、


ただ、イランの視界が変わる“最初の一歩”を感じてもらえる内容になっていますよん~~



時刻:3670シヴン年12月25日 AM 09:00

場所:ナイトヴァル破口施設内


「待て――!」


 キリム教授の声が、破れた建物内部に鋭く響いた。


「連結するな!!」


 だが、その声が届いた時には、もう遅かった。


 ルキの足元に展開していた術式起点が、甲高い音を立てて弾けた。


 同時に、ミドの左腕の超合金義肢を走っていた青い回路が、逆向きに脈打つ。


「っ……!」


 ミドの体が硬直した。


 ルキもまた、胸元を押さえたまま、その場に縫い止められたように動きを止める。


 空気が震えた。


 床に刻まれていた古い紋様が、一瞬だけ白く浮かび上がる。


 その光は、ルキとミドの足元から伸び、二人の体を貫くように絡みついた。


「何だよ……これ……!」


 ミドが歯を食いしばる。


 左腕の義肢の内側で、青白い光が細かく跳ねた。


 関節の隙間から火花が散り、焦げた匂いが広がる。


「からだ……動かない……!」


 ルキの声は細かった。


 けれど、その声の奥には、明らかな痛みが滲んでいた。


 キリム教授はすぐに二人へ駆け寄ろうとした。


 だが、踏み出した足が止まった。


「教授?」


 俺は戸惑ったまま、キリム教授を見るしかなかった。


 何を見て止まったのか。


 何が危険なのか。


 その時の俺には、まだ分からなかった。


 床の紋様から伸びた光が、ルキの足元とミドの義肢へ同時に絡みついている。


 ミドの超合金義肢に組み込まれた人工攻撃術式の回路が、逆流するように明滅していた。


 その脈動に巻き込まれるように、ルキの周囲を覆う光も不規則に揺れている。


 キリム教授の視線が、床の紋様からミドの義肢へ、そしてルキの胸元へと素早く走った。


「ミドの人工攻撃術式起動回路が逆流している……ルキの魔力流まで巻き込まれているのか」


 教授の声が低くなる。


 さらにその奥。


 建物の深部から、別の気配が押し寄せてきた。


 俺にはそれが何なのか分からなかった。


 けれど、キリム教授には見えていたのだと思う。


 彼の顔色が、はっきりと変わった。


「学院中枢の攻撃回路が、戻ってきたのか……!」


 ヘペニーが雷をまとわせた手を構える。


「教授、切るわよ!」


「駄目だ!」


 キリム教授は即座に叫んだ。


「強引に切るな! 今切れば、二人の中枢ごと裂ける!」


「じゃあどうするのよ!」


 ヘペニーの声に、苛立ちではなく焦りが混じる。


 彼女は雷をまとわせた手を構えたまま、ルキとミドの間へ視線を何度も走らせた。


 灰色の霧の向こうでは、異獣の影がまた動き始めていた。


 モファイクスが低く唸り、炎をまとった腕で正面の大型異獣を押し返す。


 だが、左右の崩れた通路からは、湿った足音がいくつも近づいていた。


「外部中枢の連結を先に落とす!」


 キリム教授は、ルキとミドの足元に膝をついた。


「その後で人工回路を止める。順番を間違えれば、意識が持っていかれる!」


「長くは止められないわよ!」


 ヘペニーが雷撃を放つ。


 灰霧の中で、何かが悲鳴のような音を上げて弾けた。


「分かっている!」


 キリム教授は歯を食いしばる。


「だが今、無理に動かせば二人が壊れる!」


 俺は、その場から動けなかった。


 目の前で何が起きているのか、すべてを理解できているわけではない。


 キリム教授は「外部中枢の連結」と言った。


 人工回路


 学院中枢


 攻撃回路


 防御回路


 言葉だけは耳に入ってくる。


 けれど、それがどこにあって、何がルキとミドを縛っているのか、俺にはまるで分からなかった。


(外部って……どこだよ)


 喉が乾く。


(どれが学院の術式で、どれが二人の中にある回路なんだ)


 学院は研究機関であり、風脈体系の管理中枢でもある。


 かつて、そう聞いたことがあった。


 風脈の調整、結界の修復、儀式の運用。


 高位術式を起動するには、正しい許可と、正しい流れが必要になる。


 周波数を一つ間違えれば、風塔全体が逆流する。


 管理者であっても、鍵を持たぬ限り、その扉は決して開かない。


 そのはずだった。


 けれど今、ルキとミドの体には、まるで別々の鍵で同じ扉をこじ開けようとしているような、歪んだ力が重なっている。


 俺は二人を見た。


 青白い光が絡みついている。


 床の紋様が脈打っている。


 ミドの義肢の回路が逆流している。


 どこを見ても、全部が絡み合っているようにしか見えなかった。


 けれど、その中で一瞬だけ。


 ルキとミドの体そのものではなく、その少し外側に、何かが引っかかっているように見えた。


「……違う?」


 思わず、声が漏れた。


 キリム教授が振り向く。


「イラン?」


 俺は答えられなかった。


 ただ、ルキとミドの体ではなく、二人を囲む空間の外側を見つめていた。


 キリム教授の目が細くなる。


「お前……何か見えているのか?」


「分からない」


 俺は喉を鳴らした。


「分からないけど……二人の中じゃない気がする」


「何?」


「体の中じゃない。義肢の中でもない。もっと外側から、何かが二人に食い込んでる」


 震える指で、ルキとミドの間ではなく、その背後へ続く空間を示した。


「建物の奥へ、引っ張られてるみたいに見える」


 キリム教授の表情が変わった。


「外部中枢の接続線か……」


 小さく呟き、すぐに俺を見る。


「イラン、今見えているものを追え」


「俺が?」


「そうだ」


「でも、俺は術式なんか――」


「理解しようとするな」


 キリム教授の声が鋭く遮った。


「今のお前に必要なのは、術式を読むことじゃない。見えているものを見失わないことだ」


 俺は息を詰めた。


「中を触るな。二人の体内に走る線には手を出すな」


 キリム教授は、ルキとミドの状態を抑えながら続ける。


「お前が言う外側だけを追え。そこに外部中枢との連結があるなら、落とすべきなのはそこだ」


「もし、見間違えたら……?」


 声が掠れた。


「俺が間違えたら、二人は――」


「だから、分からないものには触るな」


 キリム教授は低く言った。


「見えているものだけを追え。お前にしか見えていないなら、今はそれに賭けるしかない」


 拳が震えた。


 自分にしか見えていない。


 その言葉が、逆に怖かった。


 もし間違っていたら。


 もし俺の勘違いだったら。


 もし、俺が余計なことをして、ルキとミドを壊してしまったら。


 息がうまく吸えない。


 足が床に縫い止められたように動かない。


 その時、ミドの義肢から、短い破裂音が響いた。


 青白い火花が、関節の隙間から散る。


 その瞬間、いやな記憶がいきなり目の前に浮かんだ......


 研究室。


 あの時の光。


 焼けた金属の匂い。


 ミドが左手を失った瞬間。


 そして、あの叫び声。


 全部が、目の前の青白い火花と重なった。


(やめろ……)


 喉の奥で、声にならない声が震える。


(もう、やめろよ……)


 まただ。


 また誰かが、自分の前に立っている。


 また誰かが、自分の代わりに傷ついている。


 また、俺は何もできないまま見ているだけなのか。


(違う)


 拳を握りしめた。


(もう、違う)


 研究室で起きたことを、なかったことにはできない。


 ミドの左手は戻らない。


 その時、ルキの体を縛る光が、さらに強く脈打った。


「っ……」


 短い苦しげな声が漏れる。


 ルキは顔を歪めながら、それでも俺の方へ目を向けた。


「イラン……」


 ただ名前を呼んだだけだった。


 助けて、と言ったわけではない。


 何とかして、と求めたわけでもない。


 けれど、その声だけで十分だった。


 ミドの左腕の超合金義肢が、青白い光を逆流させていた。


 関節の隙間から細い火花が散り、腕全体が、内側から焼けつくように震えている。


「ぐっ……!」


 ミドの喉から、押し殺した声が漏れた。


 それでも彼は、歯を食いしばったまま、無理に口角を上げた。


「イラン……!」


 痛みで顔を歪めながら、それでも笑っていた。


「早くしろよ……!」


 義肢の回路が、また一つ弾ける。


 焦げた匂いが空気に混じった。


「左手が駄目になっても……まだ足がある!」


 ミドは荒い息のまま、冗談みたいに叫んだ。


「あの時みたいに、噴水まで蹴り込むくらいはできるだろ!」


 胸が、強く締めつけられた。


 それなのに、なぜか少しだけ口元が歪んだ。


 苦笑だった。


 こんな時まで、こいつはそんなことを言うのか。


 こんな痛みの中でさえ、笑ってごまかそうとするのか。


「……いいさ」


 俺は震える息を吐いた。


 そして、顔を上げる。


「噴水でもどこでも、何度だって蹴られてやる!」


 その声は、自分でも驚くほど強く響いた。


 でも。


 これ以上、奪わせるわけにはいかない。


 これ以上、笑ってごまかさせるわけにはいかない。


 その時だった。


 胸の六角切面箱の奥で、かすかな風が鳴った。


 それは音ではなく、声に近かった。


「目を逸らすな」


 古い風が、低く告げる。


「お前が守りたいものは、そこにある」


 俺は息を呑んだ。


 逃げるように逸らしかけていた視線を、もう一度ルキとミドへ向ける。


 その瞬間、胸元で小さな音がした。


 カチリ、と。


 閉じていた何かが、内側から噛み合うような音だった。


 視界が、さらに変わった。


 最初に見えたのは、ルキの足元から伸びる細い青白い線だった。


 それは床の紋様と繋がり、さらにその奥、建物の深部へ向かって引き延ばされている。


 次に見えたのは、ミドの義肢の中を逆流する複雑な回路だった。


 無数の細い線が絡み合い、その一部が赤く焼けるように明滅している。


 キリム教授の手元からも、淡い補助術式の糸が伸びていた。


 ヘペニーの雷術式は、空気中を走る鋭い枝のように震えている。


 モファイクスの炎は、古い文字の帯となって獣の腕を包み込んでいた。


 多すぎる。


 線が多すぎる。


 俺は息を詰まらせた。


 どれに触れればいいのか分からない。


 どれを切ってはいけないのかも分からない。


 ただ、一つだけ分かった。


 二人の中を走る線には、触れてはいけない。


 切るべきものは、そこではない。


「そこじゃない……」


 無意識に呟いた。


 ルキとミドの体の奥ではない。


 義肢の中でもない。


 胸の中を走る魔力の流れでもない。


 もっと外側。


 二人を縛り、建物の奥へ引きずり込もうとしている線。


 それだけが、他の線よりも強く脈打って見えた。


 その線を見失えば、もう二人は戻れない気がした。


「中じゃなくて、外側……!」


 迷いが生まれた、その一瞬だった。


 脈打つ線の端が、ルキとミドの体内を走る流れから、わずかに浮き上がって見えた。


 そこだけが、二人の中ではなく、外から食い込んでいる。


 切るなら、そこだ。


 そう思った瞬間、胸元の六角切面箱が熱を帯びた。


 風が、指先へ集まる。


 その風は、ただ流れているだけではなかった。


 俺の震える手の前で、細く、薄く、輪を描き始める。


「こ、これは……!?」


 小さな環が、ゆっくりと浮かび上がった。


 手のひらに収まるほどの、青白く透き通った薄い風環。


 外縁には細かな青白の符文が走り、中央は何もない空洞のように澄んでいる。


 それは大きな魔法陣ではなかった。


 攻撃のために展開された刃でもなかった。


 ただ、そこにある線を見つめるように、静かに水平に浮かんでいた。


 手は震えていた。


 それでも俺は、目を逸らさなかった。


 外側の線が、少しだけ鮮明になった。


 建物の深部から伸びてくる、細い術式の痕。


 それはルキとミドの体そのものに食い込んでいるのではない。


 二人を包む魔力の外層に噛みつき、そこから奥へ、奥へと引きずり込もうとしていた。


 一度脈打つたびに、ルキの肩が震える。


 もう一度脈打つたびに、ミドの義肢が軋む。


「中を見るな!」


 キリム教授の声が飛んだ。


「お前が見ている外側だけを追え!」


「分かってる……!」


 声が震えた。


 分かっている。


 そう答えたのに、指先は動かなかった。


 動かしたら、切れる。


 切れるということだけは、なぜか分かった。


 けれど、何を切るのか。


 どこまでなら触れていいのか。


 少しでもずれれば、ルキの中を走る流れか、ミドの義肢の回路を傷つける。


 そう思った瞬間、喉が詰まった。


 小さな風環が、俺の指先の前でわずかに傾く。


「っ……!」


 風環の縁が、ミドの義肢の内側へ寄りかけた。


 俺は反射的に手を止めた。


 その瞬間、指先に鋭い痛みが走る。


 見えない刃で皮膚を薄く裂かれたような感覚だった。


 胸元の六角切面箱が、さらに熱を帯びる。


「止めるな!」


 キリム教授が叫んだ。


「集中して!外側だ!」


 外側。


 俺は歯を食いしばった。


 もう一度、視線を絞る。


 線は多すぎる。


 光は絡みすぎている。


 でも、全部を見る必要はない。


 教授が言った。


 理解しようとするな。


 見えているものを見失うな。


「中じゃない……」


 俺は低く呟いた。


「義肢じゃない……」


 ミドの腕の中を走る赤い明滅から、目をそらす。


「ルキの中でもない……」


 ルキの胸元を巡る細い流れから、意識を外す。


 もっと外側。


二人を縛り、建物の奥へ引きずり込もうとしている線。


(エン叔父様、力を貸して)


 俺は深く息を吸い、穏気術で風環をもう一度安定させた。


 奇妙なことに、風環は少しずつ鋭く荒ぶる気配を失い、指先を包む微風へと変わっていく。


 切り裂くための刃ではない。


 壊すための力でもない。


 外から食い込んだものだけを、そっと剥がすための風。


 そう思った瞬間、震えていた指先が、ほんの少しだけ静まった。


 そこだけを見ろ。


 そこだけを、切れ。


 次の瞬間。


 ピシ、と。



 ガラスに細い亀裂が入るような音がした。


 同時に、風が断ち切られるような、乾いた響きが耳の奥で弾ける。


 ルキの体を縛っていた光が、一瞬だけ緩んだ。


「ぐっ……!」


 ルキの膝が崩れかける。


 けれど、まだ完全には解けていない。


 ミドの義肢は、なお青白い逆流を起こしていた。


「おい……」


 ミドが荒い息の中で、歯を食いしばったまま声を絞り出す。


「今の……効いてるぞ……!」


 その声で、かろうじて息が戻った。


 効いている。


 間違っていない。


 でも、まだ終わっていない。


 もう一本。


 ミドの側へ伸びる外部の線が、義肢の外層に絡みついている。


 それはさっきよりも細く、けれどずっと深く食い込んで見えた。


 近すぎる。


 少しでも入りすぎれば、義肢の中の回路を切る。


 俺の指がまた震えた。


 風環も、それに合わせるように小さく揺れる。


 胸の箱の奥で、風が低く鳴った。


 さっきの声は聞こえない。


 ただ、眠っていた風が目を開けたような気配だけが、胸の奥で渦を巻いている。


 俺は息を止めた。


 ミドの義肢の内側ではない。


 その外側。


 食い込んでいる端だけ。


 見失うな。


 そこだけを見ろ。


「そこだけ……」


 喉の奥から、声を押し出す。


「そこだけ、切れろ!」


 風環が二度目に走った。


 今度は、さっきより速かった。


 青白の輪がミドの義肢の外層をかすめる。


 だが、触れたのは金属ではない。


 義肢の中を走る回路でもない。


 外から噛みついていた線だけを、薄くなぞるように通り抜けた。


 キン、と。


 硬い糸が弾けるような音がした。


 床の古い紋様が、短く白く爆ぜる。


 建物の奥から、低い反響が返ってきた。


 怒りとも、呻きともつかない重い音だった。


 ルキとミドを縛っていた固定感が、同時に崩れる。


「ルキ!」


「ミド!」


 二人の体が前へ倒れかけた。


 キリム教授がすぐに両手を伸ばし、二人の術式流を押さえ込む。


「倒れるぞ! 支えろ!」


 俺は反射的にルキの方へ手を伸ばした。


 けれど、足がもつれる。


 力が抜けたのはルキたちだけではなかった。


 俺の腕にも、熱と痺れが一気に走っていた。


 ヘペニーが振り返ろうとする。


 しかし、灰霧の向こうから異獣の影が飛び出した。


「ヘペニー、前を抑えろ!」


 キリム教授が叫ぶ。


「モファイクス、左を塞げ!」


 モファイクスが咆哮し、炎をまとった巨腕で崩れた通路を叩き塞いだ。


 ヘペニーは舌打ちしながらも、すぐに雷を正面へ放つ。


「二人は私が止める!」


 キリム教授の両手から、淡い補助術式の糸が伸びた。


 ルキとミドの体内で暴れ続ける残留攻撃魔力が、まだ細かく跳ねている。


 外部中枢との連結は落ちた。


 けれど、二人の中に残った衝撃は、まだ消えていない。


 俺は荒い息を吐きながら、震える手を見下ろした。


 小さな空痕風環は、まだ俺の前に浮かんでいた。


 静かに。


 次に切るものを、待っているように。


>ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


第59話は、イランが初めて


「自分にしか見えないもの」


と向き合う回でした


術式の理屈でも、知識でもなく、


ただ“見えてしまう”という事実だけが、

彼を次の段階へ押し出していきます。


空痕風環は、攻撃でも防御でもない


“外側を切るための風”として、


ようやくその輪郭を見せ始めました。


物語はここから、


術式の内部ではなく “外側” をめぐる戦いへ進んでいきます。


次の話も、ぜひ見届けてくださいね~


(^∇^)ノ♪

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