第130話「忘れてた〆」
厨房に入ると、ムワッとした熱気とおいしそうな匂いが一度に押し寄せてきた。
かまどでは薪がぱちぱちと燃え、大きな寸胴鍋から白い湯気が上がっている。
「おや? 坊ちゃまじゃないですか」
声をかけてきたのは料理長のヒューゴだった。
「ヒューゴ、あのね。お昼のことでお願いがあるんだけど」
「ほう、なんですかい? 食べたいものでも決まってるんですか?」
「うん、今日はお鍋が食べたいの」
「お鍋……ですかい? 料理を入れる道具のことじゃなくて?」
太い眉が不思議そうに寄せられる。当然の反応だ。
「ううん、そういう料理の名前なの! 具材をスープで煮込んで、お鍋ごとテーブルに出して食べるんだ。……でね、今日はミルク鍋を作ろうと思うんだけど牛乳ってある?」
「牛乳なら朝の絞りたてがたっぷりとありますぞ」
「やった! じゃあね、お鍋でいつものスープと牛乳を半々で割って、そこにお肉とかお野菜をいっぱい入れて煮込んでほしいんだ。牛乳だけだと甘くなっちゃうからスープで割るのがポイントだよ!」
力説するとヒューゴは「ほうほう」と髭を撫でた。
「なるほど、ミルクだけで煮るんじゃなく、いつもの出汁で割るんですな。それなら、しっかりした味になりますわい」
「うん、そうして! あ、それとね、最後にチーズもたっぷりのせてね!」
「ええ、任せてくだせえ」
「でね、ここからが大事なんだけど……」
じっと見上げ念を押すようにお願いを続けた。
「そのお鍋、食堂じゃなくて僕の部屋に運んでほしいんだ」
「お部屋に? そりゃあ構いませんが……食堂で食べた方が広くていいんじゃありませんか?」
「ううん、部屋がいいの。今日はそういう気分なんだよ」
頑固に言い張ると大きな笑い声が返ってきた。
「はっはっは、坊ちゃまのこだわりなら仕方ねえ。分かりやした! とびきり濃厚で温まるやつを、すぐに仕上げて持たせますんで!」
「ありがとうヒューゴ! じゃあ、部屋で待ってるね!」
大きく手を振り足早に厨房を後にした。
◇
部屋に戻ると、さっそくコタツに潜り込んで待った。
外は相変わらずの雪景色だ。でも、もうすぐ熱々の鍋がやってくる。想像するだけで口の中によだれが溜まってくる。
「お待たせいたしました、メルヴィン様」
しばらくして、お盆を持ったエリスがやってきた。
そこには蓋をした鉄鍋と食器類が載っている。
「わあ、いい匂い! ありがとうエリス。……あ、そこのコタツに置いてくれる?」
「はい、かしこまりました」
言われた通り慎重に鍋がコタツの天板へ運ばれる。
「作っている最中も厨房ですごくいい匂いがしていましたよ。ヒューゴも傑作ができたと胸を張っていました」
「それは楽しみ! 蓋を開けてみて」
「はい」
鍋の蓋が取られると、ふわぁっと真っ白な湯気が立ち上りミルクとチーズの濃厚な香りが部屋いっぱいに広がった。
中には、とろりと煮込まれたお肉と色とりどりの野菜がたっぷりのスープに浸かっている。
「おいしそう……!」
でも、この寒さだ。火から下ろせば、すぐに冷めてしまう。
『ナビ、保温お願い。焦げないように、この温度をキープして』
《了解しました。魔力出力を最小限に設定。持続供給を開始します》
魔力を流すとナビが出力を調整して温度を一定に保ってくれた。
スープの表面からは、ふわりと白い湯気が立ち上り続けている。
煮詰まらない絶妙な温度加減で、いつまでも熱々のままだ。
「よし! これでずっと熱々だ!」
「まあ、魔法で温め続けるんですね。さすがメルヴィン様、器用ですねぇ」
「お鍋は熱さが命だからね!」
コタツに潜り込んでクッションの位置を整え、まだ立ったままのエリスの服の裾をクイっと引っ張った。
「ねえ、こっち座ってよ。一緒に食べよう?」
「ええっ? い、一緒にですか?」
エリスは目を丸くして慌てて手を振った。
「いけません、メルヴィン様。使用人が主人と同じ食卓につくなんて……それに、これはメルヴィン様の昼食でしょう?」
「いいの。一人じゃ食べきれないし冷めちゃうから手伝ってよ。……ほら、座って」
「……あの、先ほどご自分で『これでずっと熱々だ』と仰っていましたが」
「うっ……。こ、細かいことはいいの! ほら、座って!」
手首を掴み強引にコタツの中へ引きずり込む。
「あわわ」という声が上がったが抵抗しきれずにエリスはぺたんと座り込んだ。
「もう……メルヴィン様はいつも強引なんですから」
「えへへ。さ、食べよう。はい、これ」
手渡したスプーンが鍋に入ると、とろりと溶けたチーズがスープと混ざり合い最高の粘り気を見せている。
僕もチーズの絡んだ厚切りベーコンとカブをすくい上げた。
「いただきまーす!」
ふうふう、と息を吹きかけてから口に運ぶ。
「熱っ! うま!」
濃厚なミルクの甘みとベーコンの塩気。そこにチーズのコクが加わって口の中が旨味の洪水になる。
カブもとろとろに煮えていて噛む必要がないくらいだ。
「んーー! たまんない! ほら、エリスも早く食べて!」
大興奮するぼくの横で、エリスも味を確かめるように一口食べる。
「……ん! 熱い……けど、美味しいですね!」
パッと目を輝かせ頬を赤く染める。
「ミルクがすごく濃厚です。それに、このお野菜……甘くてとろとろで」
「でしょ? それに足元はどう?」
「足元……コタツ、ですか?」
「そう。足元はぬくぬく、背中はふかふか。窓の外は寒い雪景色。そこで熱々のお鍋を食べる……。これが最強の贅沢なんだよ」
得意げに力説するとエリスはくすくすと笑って、また一口スープを飲んだ。
「ふふ、本当ですね。体が芯からぽかぽかしてきます。……メルヴィン様の発明は、いつもみんなを幸せにしてくれますね」
「そんな大げさだよ。自分がぬくぬくしたかっただけだし。ほら、もっと食べて! お肉まだまだあるよ!」
ふうふう息を吹きかけながら二人で夢中で鍋をつついた。
山盛りだった具材は、あっという間になくなり鍋の底には旨味がすべて溶け出したスープだけが残った。
(ふぅ……おいしかった。でも、まだ終わりじゃないぞ)
鍋の醍醐味は、むしろここからだ。
旨味がすべて溶け出した、このスープに〆(シメ)の麺を投入して……。
(あっそもそも麺がない……)
『……ねえ、ナビ』
震える声で脳内の相棒に呼びかけた。
『なんで……なんで「〆の麺がないよ」って教えてくれなかったの!? 鍋といったら〆の麺でしょ!? 常識でしょ!?』
《メルが求めたのは「鍋を熱いまま食べること」です。それに現在の知識データにおいて、この国で「麺」という料理は確認されていません》
『そこを察して「ないから作ろう」って提案するのが優秀なAIの仕事でしょー!』
《仮にあの場で提案していたとしても、小麦の選定から製麺までには最低でも数時間を要します。昼食の時間には到底間に合いません》
『うっ……』
《それにメルの現在の満腹度はすでに85%を超過しています。これ以上食べるとお腹が苦しくなり午後の昼寝に支障をきたすため推奨されません》
『ウウッ……たしかにそうなんだけど……!』
この「あともう一口」の気持ちが分からないなんて。
僕はガクッと項垂れて、目の前のスープを見つめた。
「……メルヴィン様? どうされました?」
急に黙り込んだのを心配しエリスが顔を覗き込んでくる。
「ううん……なんでもない。……スープ、飲もっか」
「はい。とってもいい出汁が出てますよ」
結局、二人で残ったスープをスプーンですくって飲み干した。
それはそれで涙が出るほど美味しかったけれど、やっぱり物足りない。
この濃厚なスープを受け止めるガツンとした炭水化物が欲しい。
『ナビ、パンもいいけど、やっぱり鍋にはうどんだと思うんだ。うどんって作れるかな?』
《現在の小麦品種でも製粉度と加水率を調整すれば十分なコシを持つ麺が再現可能です》
『本当!?』
《はい。製麺プロセスの最適化、完了しました。いつでもレシピを出力できます》
よし、ナビのレシピをヒューゴに教えて、この領地産のうどんを打ってもらうんだ。
その打ち立ての太麺を、この濃厚なミルクスープにぶち込んで……。
「……メルヴィン様? 何だか楽しそうですね」
ふいに横から不思議そうな声がした。
「へへ、ちょっとね。次のおいしいものを思いついただけだよ」
「まあ。ふふ、メルヴィン様は本当に食べることがお好きですね」
目を細めエリスは幸せそうにへにゃりと笑った。
いつものキリッとした表情とは違う、すっかり気の抜けた顔だ。
「ふぅ……。お腹いっぱい」
「はぁ……美味しかったぁ。ごちそうさまでした、メルヴィン様」
「うん、美味しかったね! ヒューゴにお礼言わなきゃ」
「コタツで熱いものを食べるのって、すごくいいですね。なんだか悪いことをしているみたいでドキドキしましたけど……癖になりそうです」
「へへ。でしょ? またやろうね」
「はい。ぜひ誘ってくださいね」
にこにこと笑う顔を見ていたら、まあ、これはこれで良かったかという気になってくる。
「では、私はそろそろ片付けますね。……ふふ、少し食べすぎて体が重いです」
エリスは「よいしょ」と可愛らしく気合を入れて立ち上がりテキパキと食器をお盆にまとめた。
「メルヴィン様は少しお昼寝ですか?」
「ううん、起きてる! ちょっと調べたいことがあるから」
エリスは僕の顔を見つめた。
「ええっ? 食後すぐに勉強ですか? ……メルヴィン様が、そんな殊勝なことを言うなんて明日は槍でも降るんでしょうか」
「失礼だなあ! 僕だってやる時はやるんだよ!」
「ふふ、冗談ですよ。……でも珍しいですね。あまり根を詰めすぎないでくださいね?」
「はーい」
本当はナビに答えを聞いて、それを書き写すだけなんだけど、それは内緒だ。
エリスはニッコリと微笑み、お盆を持って部屋を出ていった。
パタン、と扉が閉まり部屋に静寂が戻る。
窓の外では、まだ静かに雪が降り続いている。
絶好のお昼寝日和だけれど頭の中は、もう次なる野望で埋め尽くされていた。
『ナビ、さっきのレシピ出して。あと、うどんに合うスープのリストも!』
《分かりました。まとめて表示します》
僕は立ち上がり机の引き出しからメモ帳を取り出した。
コタツの魔力は強力だけれど食い意地も負けてはいない。
この冬、僕の部屋から「うどん」という新たな革命が生まれるのだ。
「ふふふ……待ってろよ、至高のミルクうどん……!」
ペンを握りしめ表示された情報をさらさらと書き写し始めた。




