第3話 スキル『ワープ』
酒場で待たされる事しばらくして、先程の女性が迎えに来た。菊子から面会を承諾されたらしい。
女性に案内されて3人はとある一室へと案内された。
「ん? 誰も居ないじゃない」
通された部屋は椅子や机といった調度品等が一切無い殺風景な部屋。明らかに客人と応接する場所ではないと訝しんでいると、突然足元が光り出した。
「転送魔法!?」
驚いてる一瞬の内に視界が一変する。
気が付けばどこかの豪邸の庭園に立っていた。
眩しい日光が降り注ぎ、足下には白亜の大理石が敷かれ、周りには美しく整えられた緑が水と調和して3人を歓迎する。
その庭園に設置されたテーブルで1人の女性が優雅に紅茶を呑んでいた。
年齢は20代半ばといったところだろうか。
艶のある黒髪を流し、眼鏡の奥にはキリとした目を覗かせる。しかし人を威圧する様なキツさは無い。むしろ安心感を与える様な優しげな顔立ちをした女性だ。
「ようこそ。久しぶりやね〜笑亜ちゃん」
抑揚のある上品な訛り口調で笑亜に挨拶する。
「菊子さん……。ご無沙汰しています」
借金の事もあってか緊張した面持ちで返す笑亜に、菊子は優しく微笑んだ。
「急にどっか行ってもうたから心配してたんよ? でも戻って来てくれて嬉しいわあ。それで魔王は倒せたん?」
「それがあと一歩のところで逃げられました」
「そう。そら残念やったね。ほな魔王を倒したら借金を帳消しにする約束はまた今度や」
その言葉に笑亜は「仕方ないかぁ」と肩を落とす。
どうやら彼女も無計画に借金を背負ってた訳ではないようだ。まあその条件が魔王討伐というのはめちゃくちゃだと思うが。
勇者仲間に軽く挨拶した菊子は次にアルケーと三郎に視線をやった。
「さて、そこのお姉さん。見た事あるような無いような顔やね。どっかで会うた事ある?」
「は?」
その言葉に呆れと怒りが込み上げてきた。
「貴方に魔王討伐の使命と力を与えた女神アルケーよ! よくもまあ平気な顔でほざけたものね!」
使命を放っぽり出して贅沢三昧している上に、女神の顔を忘れるなんて許せないと、アルケーは声を荒げる。
しかし菊子は動じる事なく綺麗な所作で貴人を迎える様に一礼した。
「ああ、女神様。お久しゅうございます。御息災ですか?」
「貴方達が逃げてくれたおかげで私自ら魔王を倒すハメになったわ」
「そらまあ難儀な事で。ささ、立ち話もなんですからお座り下さい。ああ、笑亜ちゃんはそのまま」
そう言うと菊子は指をパチリと鳴らした。
刹那、笑亜の足下に魔法陣が現れて彼女を飲み込む。
「え!? 何ですかぁーー!?」
「笑亜!?」
慌てて笑亜に手を伸ばすが間に合わず、彼女は光に消えた。
「アンタ!! 笑亜をどこにやったの!?」
「心配せんでも笑亜ちゃんは無事です。ほらお侍さんも刀を仕舞て下さい」
見れば三郎は既に抜刀して切先を菊子に向けていた。
笑亜が無事と聞いてもやった側の言い分など、簡単に信じる訳でもなく三郎は切先を向け続ける。
その話を聞かなそうな様子に菊子の眉がピクリと動く。しかし直ぐに平静を装って事情を説明し出した。
「笑亜ちゃんにはようけお金を貸しとりましてなあ。なかなか返してもらえんでこっちも困っとるんです。勇者仲間やから言うて、なあなあには出来ませんし。せやから少しでも稼いでもらおう思て、そういう所にワープさせたんです」
「そう言う所って何だ? 身体でも売らせるのか?」
「フフフ、ご安心を。別にやらしい所で働かせたりなんてせえへんよ〜」
言い方は至極丁寧だがどこか怪しさが残る笑いをする。
「笑亜は本当に無事なんでしょうね?」
「ええ、うち嘘は苦手なんです」
確かに一般人の3ヶ月分生活費に当たる2テイラーなんて大金が、債務者としての信用を取り戻す最低金額として提示されるあたり、笑亜の借金は大きいのだろう。
こればかりは笑亜の自業自得と言うより他はない。
「三郎、刀を仕舞いなさい。これじゃあ話が進まないわ」
菊子の言葉はどこか怪しい所がある。それでも笑亜ならどこに飛ばされたとしても最悪強行突破して危機を脱する事が出来るだろう。
ならばこちらは予定通り、菊子に戦線復帰するよう説得するまで。
アルケーは三郎に太刀を収めさせて椅子に腰を下ろした。
やがて彼女の使用人が2人の紅茶を持って来る。
「さて、改めて自己紹介を。うちの名前は綾無 菊子。冒険者ギルドのマスターで、人や物を瞬間移動させるワープのスキルを持っとります。女神様御自らお越し下さったのは、うちに魔王討伐に行けいう催促やろか?」
「分かってるなら話が早いわ。貴方をこの世界に送ったのは魔王を倒すためで、ギルドでお金儲けをさせる為ではないの。さあこんな所で油売ってないで、私と一緒にカラミティを倒しに行くわよ! 勇者としての使命を果たしなさい!」
アルケーは怒りを孕んだ強い口調で言い放つ。
今までは勇者の使命を捨ててなかった笑亜だったから見せる事は無かったが、彼女の中では今でも逃げた勇者に対する嫌悪感があった。
何ならカラミティを倒したら次は勇者達を探し出して神罰を与えてやろうと考えていたくらいだ。
「生憎とうちは争い事には向いとらんのです。せやから魔王討伐やなんて恐ろしい事ようしませんわ」
我関せず。
女神の怒りを前にしても、菊子はその涼やかな態度を変えない。
それが更にアルケーの怒りを勝った。
「そんな勝手な理由で勇者の使命から逃げられると思っているの!? 女神の力を貰ったなら私の為に働きなさいよ!」
「そう言われましてもなあ。アルケー様に力を頂いた時に言いましたやん。『最善を尽くします』と。だからうち頑張ったんですよ? 頑張って頑張って最善を尽くした結果、ああこれはうちには無理や思て諦めました」
「あのねぇ! 諦めたらそこで世界終了なのよ!!」
激昂するアルケーの言葉に菊子はクスリと笑う。
別に馬鹿馬鹿しかったとかではなく、元の世界でこれに似た台詞があったなぁと笑ったのだ。だがこの場にそれを知る者は居ない。
「そもそもや。アルケー様に召喚された人間は皆、元の世界で死ぬ運命やった者なんですやろ? 魔王討伐を断って死ぬか、生きて魔王討伐に行くか。そないな事言われたら、そら魔王討伐を選ぶに決まってますやん」
「ッ! アンタ最初からカラミティを倒す気なんて無かったの!?」
「そう言う人も居ったやろなぁって話です」
自分は違うとも、そうだとも菊子は言わない。だが彼女は今、魔王討伐から離れている。それが何よりの事実であり全てだ。
それでもアルケーにとって彼女の力は必要な事に変わりない。
「戦いなさい綾無 菊子! 貴方は女神の勇者なのよ! 魔王カラミティを倒す義務があるわ!」
アルケーは椅子から立ち上がり、机を叩いて、勇者としての使命を盾に強く訴える。
だが、そんなの知らんがなとでも言うように菊子は嗤った。
「紅茶のお代わりどないです?」
「ば、バカにしてぇ!!」
遂に堪忍袋の緒が切れたアルケーはアーリーライフルを召喚し、怒りのままに銃口を向ける。
その瞬間、菊子の目が鋭く光った。
アルケーの姿が消え、直後に側の池から悲鳴と水に何かが落ちる音が聞こえた。
言うまでもなくアルケーだ。
「短い距離ならノーモーションでワープ出来るんですわ」
菊子は自分の能力を誇る様に説明する。
当然、彼女には聞こえてないが。
「qうぇrちゅいおp!! たしゅけて溺れるぅぅ!!」
泳げ事が出来ず手足をバタつかせて助けを求めるアルケー。
そんな彼女に三郎は呆れ顔で衝撃の事実を教えてやった。
「落ち着けー。そこ足つくぞー」
「アババ、あ……? ホントだ。浅い」
水に落とされた事がよっぽど怖かったのだろうか。膝くらいの深さの池で慌てる姿は何とも面白かった。
「話しはここまでやね」
そう言うや菊子はテーブルに置かれたベルを鳴らした。
「ちょっとまだ話は終わってないわよ!」
「これ以上は平行線です。まあ今日はうちの屋敷に泊まってって下さい。それくらいのおもてなしはさせてもらいます」
ベルは使用人を呼ぶ合図だったのだろう。
屋敷から白と黒を基調としたメイド服姿の、どこか凄く見覚えのある少女がやって来た。
「お呼びですか!? ご主人様ぁ!!」
やけくそ気味に定番のメイド台詞を笑亜は吐き捨てた。




