第13話 神頼み
神にも父や母、子供は居る。
ただし出産の場に立ち会う事はほとんど、いやもしかしたら無いかもしれない。そういうのは医療を司る神がやってのけるからだ。
だからアルケーもこんな経験は初めてだった。
「うぐ……うぅ~! 痛い……苦しい……」
まるで死んでしまいそうなうめき声を上げてジュリは苦しんでいる。
その断末魔の様な声にアルケーは恐々とした。
彼女だけではない。この場に居る誰もが顔を強張らせている。
「女神様。どうかジュリさんと赤ちゃんをお助け下さい……」
とある笑亜くらいの少女がその女神の横で祈りを捧げた。
お産と言うのは新しい生命が産まれるおめでたいイベントでは無い。むしろ母子どちらの命も失うかもしれない死と隣り合わせの試練であった。
それを助ける彼女達の責任は重大だ。もしかしたら昨日まで親しくしていた隣人を、自分が原因で死なせてしまうかもしれないのだから。神にも祈りたくはなる。
そんな時にカエナが言った。
「しかし騎士共の慌てようは面白かったねえ! 昼間あんなに威張っといて、産まれる前の赤ん坊が怖いらしい! アタシ等の方がよっぽど騎士に向いてるんじゃないかい?」
カエナのジョークに彼女達は笑い緊張が解れる。それによって気後れしていた皆に活が入り顔色が変わった。
「良いかいアンタ達。ジュリや赤ん坊に触れる時はこの解毒薬を混ぜた水瓶で手ぇ洗うんだよ」
その的確な指示にアルケーは驚かされた。
(この人、解毒薬の殺菌作用に気付いてるの?)
解毒薬に使われる薬草には殺菌作用がある。手を洗う行為も現代医療でも基本中の基本だ。
だがこの世界ではそういった細菌学や微生物学はまだ無かった筈。だとするとカエナは自らの経験によってこの最適解に辿り着いたのだろう。
「すぐにお湯を沸かすんだ! それと綺麗な布も持って来な! 古着でもいい! とにかくいっぱい、たくさん持ってくるんだ!」
カエナに指揮されて女達がお産の準備に走る。
「アルケー!」
「は、はい!」
突然の呼び掛けにらしくない声を上げる。
「いざって時、頼りにさせてもらうよ!」
「え? ええ! 任せなさい!」
なんて事はないただの新参者に対する声掛けだが、アルケーは妙に気合いの入った返事をしてしまった。
女達は湯を沸かし、布を掻き集め、解毒薬で消毒液を作る。
皆が新しい命の誕生へと動いている中、ジュリは泣きながら叫んだ。
「もういい! もう無理! もう嫌!」
「頑張んな! アンタが頑張らないで誰がこの子に世界を見せて上げられるのさ!」
「もうそんなのどうだっていい! だってハルトが居ないんだもの! この子もきっとお父様がどこかの孤児院に預けるに決まってる! 苦しいだけで意味が無い! 私には何も残らない!」
愛する夫が捕まり実家に帰される。そしてその後の事も分かってしまっている彼女にとって、これは希望の無い苦行でしかなかない。
そんな母体を死神は狙っている。
「だいぶ心が弱ってる。不味いねぇ。気持ちが滅入ってちゃどうにもなんないよ」
心と身体。どちらかが不足していれば死ぬ。どちらも十分でも死ぬ時は死ぬ。
ポーションや回復魔法があるこの世界でも出産とはそういうものだ。
「何か手はないの」
「こう言う時は旦那が一緒に居てやるもんなんだ。それだけで女ってのは安心するもんさ」
「じゃあ私がハルトを連れてくるわ」
「出来るのかい? 騎士達がうんと言わないだろう?」
「脅してでも連れて来る。ジュリ、待ってなさい!」
そう言うとアルケーは家を飛び出した。
「早くシャルディを探さ――くっさ!」
家から出た瞬間、どこからともなく生臭い匂いが鼻を突く。何だと思って見れば家の壁に、木の枝に刺した魚の頭が掛けられていた。
(え? 何これ? 嫌がらせ?)
こんな時にどこの誰がこんな不衛生な物を持って来たのかと腹が立ったが、今はそんな事を気にしている場合じゃない。
「早くシャルディを探さなきゃ!」
謎の嫌がらせは無視して騎士達を探す。
(今だけで良い。今だけは何としてでもハルトをジュリの隣に居させないと!)
だが昼間あんなにいた騎士の姿はどこにも無い。
どうして肝心な時に居ないのかと文句を言ってると笑亜を見つけた。
「笑亜! シャルディはどこ!?」
「え、アルケー様? ええっとあそこで師匠と……」
何故か困惑した顔で笑亜は指を差す。
そこは昨日、彼女達が修行した川であり、何やら肌色の集団が屯していた。
ザバァーー!
「うおぉ!! 冷たい!! 僕達は一体何をやらされているんだ!?」
「分かりません!! あと三郎殿の唱えてるこれは何なんですか!?」
「観自在菩薩 行深般若波羅密多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 無色無受想行識……」
屈強な肉体をした男達が、裸で川の水をバケツで汲んではそれを頭から被っている。山からの湧き水が集まって流れる冷たい冷たい川の水をだ。
「えぇ……、なぁにあれ?」
さすがの女神アルケーの思考を以てしても理解が追い付かなかった。
「水垢離というらしいです。水を被ってジュリさんの安産を神仏に祈ってるんだとか」
「私が神仏なんだけどぉ!?」
この世界の女神が直々にお産の手伝いをしているのに、あのバカ共は一体誰に祈っているんだろうか?
(いや騎士達は許す。ただし三郎、アンタはダメだ!)
後できっちり女神として分からせてやろうと思っていると、笑亜も呆れ調子で言った。
「さっきも魔除けだって言って、木に刺した魚の頭を玄関に掛けてましたし、鎌倉時代の人ってよく分からないです」
アレもあのバカの仕業だったらしい。
だがそんな事で怒ってる場合じゃないと頭を切り替え、アルケーはそのカオスな場に脚を踏み入れる。
なお相変わらず足場が悪いので、平均台を渡る子供の様に手をバタバタさせながら彼等の元に向かった。




