②ツンデレ第二王子と負けず嫌いの侯爵令嬢 ~「お前との『離』婚約は破棄させてもらう!」「……はぁ??」~ side ルーク
彼女に初めて会ったのは十にも満たないまだ子どもの頃の事だ。
王太子である兄の婚約者候補を見繕う事を目的として王宮の庭園で開かれたお茶会に、その子はいた。
猫の様に子気味良く眦が吊り上がった大きなアメジストの瞳に、月光をまぶした様に艶やかな白金色の長い髪。
レティシア・オードラン。
教会の壁画から抜け出てきた天使かと見紛うばかりに美しい侯爵令嬢。
しかし、幼いながらに誰もが羨む美貌と高い身分を持ち、周囲の目を引きつけて止まない彼女の存在は、我こそが将来の王妃にと鼻息荒く意気込む年上の令嬢方にとって酷く目障りだったのだろう。
兄に挨拶をしようと歩き出した彼女に、候補者の一人が兄から見えぬ場所でサッと足をかけた。
思わずよろけた彼女を助け起こそうと、急いで彼女の下に走り寄ろうとした時だ。
彼女が立ち上がれない振りをしながら、地面で何かしようとしているのが見えた。
『何をしているのだろう?』
思わず立ち止まり彼女の様子を見守った時だった。
兄の下に無邪気そうな顔をして駆け寄ろうとした令嬢が突然派手にスッ転んだ。
よく見れば脱げた彼女の左足の華奢なヒールは、芝と芝が結ばれた繋ぎ目に引っかかっている。
そう、その令嬢は足をかけた仕返しにとレティシアが作った罠に見事嵌ったのだ!
ポカンと間の抜けた顔をして口を開ける僕に対し、レティシアは自らの行いを恥じ入るどころか、事もあろうにその白くて華奢な人差し指をふっくらと愛らしい唇に当て、黙っているよう小さくウインクして見せたのだった。
「!!!」
天使かと思ったのに!
とんだ小悪魔じゃないか!!
そんな彼女の笑みに一発で胸を撃ち抜かれた僕は、お茶会が終わるなり王妃である母に、レティシアを王太子妃候補から外すよう必死になって頼み込んだ。
兄にはどうせ何をやっても叶わないからと、幼い頃より自分の希望を口にする事が無かった僕が頼み事をするなんて、よっぽどの事だと思われたのだろう。
あっさりその願いは叶えられ、それならばと彼女は同い年であった僕の婚約者に据えられる事に決まった。
レティシアと正式な顔合わせの日、喜ぶ僕とは対照的に彼女はずっと僕から顔を背けたままだった。
その瞬間、僕は自分の愚かさを呪った。
何で気づかなかったのだろう。
彼女は将来の王太子妃となるべく育てられたのだ。
そんな彼女が優秀な王太子などではなく、ただ侯爵家に婿入りしてくるだけの顔だけしか能がないと言われている僕との婚約をどうして喜んで受け入れてくれるなんて思ったのだろう。
そんな当たり前の事をようやく悟っても、僕は自らレティシアを手放す事が出来なかった。
不貞腐れたように頑なに僕から顔を背けるレティシアの横顔にさえ、日々思いは募っていく。
******
しかしそんな僕の思いとは対照的に、何年経っても、彼女が僕の方を真っすぐ見てくれることはなかった。
そればかりか、彼女は入学した学園で、きっと未だに淡い思いを寄せているのであろう兄とばかり楽し気に話をしている。
「なんて可愛げのないヤツだ。少しは妹を見習ったらどうだ?」
嫉妬に駆られた僕が、兄と談笑する彼女に向かい、思わずそんな酷い言葉を吐いた時だった。
初めて彼女が『キッ!』とそのアメジストの瞳を向けた。
……ようやく彼女が僕を見た。
兄ではなく、この僕を!!
向けられた感情が嫌悪であると理解していてなお、長年の思いを酷く拗らせて屈折してしまった僕は、それがどうしようもなく嬉しくて仕方ない。
激情のまま、彼女をこの腕の中に閉じ込め、兄の前から攫ってしまおうかと思ったその時だった。
なにやらしばし思案していた様子の彼女が突然僕に向かい、それはそれは美しく微笑みかけながら最近流行っている詩の話を始めた。
僕が彼女のその声の美しさに、思わずボーッと聞き惚れた時だ。
「それで、ルーク様はその解釈についてどう思われます?」
彼女が突然そんなふうに僕に話を振った。
しかし、大して勉強熱心でも無い僕が咄嗟にその質問に答えられる訳もない。
すると彼女はどこか少し芝居がかった声で
「まぁ、私ったら小難しい事を言ってしまいました。ルーク様はお兄様であらせられるセザール様とは違って、本を読まれるより剣を振われる事の方がお好きなだって知っておりましたのに。本当に、私ったら可愛げがありませんで。大変失礼しました」
そう言って、ちっとも申し訳なさそうに膝を折り頭を下げて見せた。
そして……兄とは違い僕が勉強が出来ない事を、そして彼女は確かに『可愛くない』のかもしれないがそれ以上に『美しい』のだという事を、僕に、そしてこっそり聞き耳をたてていた周囲の者達に散々知らしめた上でレティシアは、初めて出会ったあの日と同じように、兄には決して見えない角度で僕だけに向けて大胆不敵に嗤って見せたのだった。
その妖艶な笑みに、胸がドクンドクンと激しく高鳴る。
思わず耳まで真っ赤になって俯けば、僕が赤面した理由を屈辱からだと捕らえたのだろう。
勝ち誇った様に彼女が膝を伸ばした。
本当は兄とは違い剣が好きな事を他の誰でもなく彼女だけが気づいてくれていた事が嬉しくて思わず赤面し、そんなカッコ悪い表情を彼女の前に晒したくなくて俯いていただけなのだけれど。
また彼女に視線を向けて欲しいと思った欲張りな僕は、敢えてその誤解を解く事はしなかった。
そしてその日以来僕は彼女に少しでもこっちを向いて欲しいあまり、彼女に向かい子供じみた意地悪を言い続けるようになってしまった。
しかし彼女を貶める事を言うのは嘘であっても心が酷く摩耗する。
どうしたものかと、頭を抱えていた時だった。
学園で知り合った男爵令嬢が、何を勘違いしたのか僕の寵を受けるのは自分だとばかりに僕の隣の、本来ならレティシアがいるべき場所を我が物顔で陣取る様になった。
最初はそんな男爵令嬢を諫めていた僕だったが……。
男爵令嬢がやらかす度レティシアが僕に突っかかってきてくれるから、僕はそれが嬉しくなってレティシアに危険の及ばない限りにおいて、男爵令嬢を止めず彼女のやりたいようにさせるようになった。
それからしばらく経った頃の事だった。
正面から男爵令嬢を糾弾する事は無駄だと悟ったのであろう。
レティシアが、男爵令嬢に張り合うため、事もあろうに僕を懐柔しにかかってきた。
演技だと分かってなお、甘く微笑まれ、優しくそっと触れられる度、僕がどれだけ舞い上がったかをレティシアはきっと本当の意味では知らない。
やがて敗北を悟った男爵令嬢はいつの間にか僕の元から去って行き……。
さてこれでレティシアと本当の恋人に、そして夫婦になれるのだと思った矢先、僕は突然彼女から『離』婚約を申し渡された。
これまで自分がしてきた最低の行いを思えば当然の沙汰だと思った。
彼女が僕の妻でいてくれるのは、あとたったの一年らしい。
一年後、離婚を僕が素直に受け入れるとは到底思えなかったけれど、抗う事でその期限を減らされる事を恐れた僕は、それに黙って同意せざるを得なかった。
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久しぶりに堂々と彼女に触れる事に舞い上がっていたのに。
強引に連れ出した夜会で、彼女はたった一曲踊っただけで僕の手を振り払うと、僕一人をホールに残しバルコニーで彼女を待つ兄の下に去って行った。
いい加減彼女の事は諦めねばという思いと、それでも誰にも彼女を盗られたくないという嫉妬がグルグル交錯して酷い吐き気に襲われる。
彼女を兄の目から腕の中に隠すように強引に連れ戻せば、そんなにも兄と引き離された事が悲しいのだろうか。
どんなに胸を痛めながら酷い言葉を吐いても、共に屋敷に戻る為乗り込んだ馬車の中、彼女はもう僕の方を向いてなどくれなかった。
それが悲しくて苦しくて。
どうにかしてもう一度彼女に僕の方を見て欲しくて。
歪み切って、その歪みに耐えきれなくなって、ついに大事な何かが折れてしまった音を自身の内に感じた僕は、もう一度彼女に僕の方を向いてもらう為だけに、世界で一番彼女が傷つく言葉を言って、そして取返しのつかない事をして彼女を傷つけてしまう事にした。
「お前との『離』婚約は破棄させてもらう」
「……はぁ??」
ようやくまたアメジストの瞳が僕の方を見た。
「ずっとだ。初めて会った時からずっと、お前だけを愛してきた。……だからお前は生涯僕だけの妻だ。他のヤツの下になど行かせてやるものか!!」
僕の言葉に、あと少し耐えれば兄の下に逃れられると思っていたのであろう彼女の頬が、屈辱からなのか真っ赤に染まる。
途惑いの色に揺れる瞳をもう二度と逸らされたくなくて、彼女の頬に手を添え逃がさないとばかりに深く深く噛みつくように、喰らいつくすように口付ければ、少しして情事に疎い彼女がハクハクと苦し気に息を乱した。
痛む胸を押さえ、いつも彼女がして見せるように、それくらいの仕打ちで許してやるものかと酷薄そうに微笑んで。
彼女の意思を無視したまま、彼女を寝台の上に押してしまおうと思った。
誰かに盗られてしまうくらいなら、無理矢理抱いて壊してしまえばいい。
そう思おうとしたのだけれど……。
結局最後の最後で非情になり切れず、彼女を傷つける代わりに、両手で自身の顔を覆った時だった。
「ずっと……。ずっとルーク様には嫌われ疎まれているものと思っていました」
レティシアが綺麗な涙をハラハラと零しながらそんな事を言った。
「……ごめん」
こんな風に泣かせたかった訳ではなかったはずなのに。
あぁ、本当に僕は何て馬鹿なのだろう。
「お前が兄の事を思って僕の方を見ようともしないから、少しでもこっちを見て欲しくて酷い事ばかり言った。もう決して傷つけるような事は言わないと誓うから……これからもずっとお前の側に居たい。だから……どこにも行かないで……」
答えを、分かり切った拒絶の言葉を聞くのが怖くて。
今度は僕が彼女の顔を見れぬまま、フイと顔を背けた時だった。
「私の方がずっと前からルーク様だけをお慕いしてきました。いいですか? 私の方がルーク様の倍、ルーク様の事を思って来たんですからね!!」
レティシアがそう言って、そっと僕の唇にその柔らかな唇を押し付けてきた。
信じられない思いでレティシアを見つめれば、してやったりと嗤おうとして失敗した彼女が、顔を真っ赤にして不自然に視線を彷徨わせていた。
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それからあっという間に一年が経った。
見ごろを迎えた庭の薔薇を共に眺めながら、未だ僕を夫の座に据えてくれている彼女に向かい、
「好きだよ」
そう率直に思いを伝えれば、
「まぁ、残念ながら私はルーク様の事を愛してますから。ですからこの勝負、私の勝ちですね!」
レティシアが咲き誇る薔薇なんかよりもずっと美しく笑いながらそんな言葉をくれた。
だから僕はそれに鷹揚に頷いて
「あぁ、僕の負けだな」
そう言った後、心の中で
『でもだったら君が想ってくれる倍、僕は君の事を愛してる』
と負けず嫌いな彼女にバレないようコッソリ呟くのだった。
何だかんだで実はルークも負けず嫌い☆
男爵令嬢のお話は短編版として投稿しました。(R4.1.9)
『男爵令嬢は略奪がしたい ~『離』婚約破棄~ 【短編版】』
作者名もしくはシリーズ名をクリックしていただけると見つかるかと思いますので、よろしくお願いします。
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沢山あるお話の中、見つけて最後まで読んで下さりありがとうございました。
そして、いつも誤字報告、本当に本当にありがとうございます。
今年の初詣では「誤字脱字が無くなりますように!!」と一心不乱に祈り続けたはずなのですが、お賽銭が足りなかったのか一向に改善出来ず……誤字報告に助けていただいてばかりの一年でした(ノД`)・゜・。
来年はお賽銭増額して頑張るので(←『誤字脱字の無いように頑張る!』と言えないのが、目の代わりに節穴を持つ私の悲しいトコロ)引き続き((゜∀゜;)?!)よろしくお願い致します。