理由
維心は、まだ月の宮に居た。
義心が戻って来て、志夕からの文とその状況の報告を受けて、眉根を寄せているところだった。
「…ならば我があちらへ参るよりないの。」維心は、維月を横に言った。「その状況では志心に来いとは申せぬわ。途中で命を落としでもしたら元の木阿弥ぞ。それにしても、神の体に次元の亀裂が?…どうも解せぬが。」
義心は、膝をついて維心の前に居たのだが、顔を上げて頷いた。
「は。我もそのように。とは申して、あれは他に考え付きませぬ。覚えのある感覚で、それがごく最近のことでしたので我とて思い当たりましたが、そうでなければまさかと思いますところ。いったい、どうなればああなるのか、何が影響しておるのかは分かったのですが、その原因が皆目分からぬ次第で。志心様の気がぷっつりと消える場所の前に封じを設けて何とか只今は気を留めておりまするが、その封じも破られるのは時間の問題かと思われまする。我の力では、完全に閉じてしまうことが出来ませぬので…何より、我には別次元というものが見えませなんだ。」
維心も、面倒そうに眼を細めた。
「我にも見えぬのかもしれぬな。どういった経緯でそうなっておるのかも分からぬし、分かっても我にも対処できぬ可能性まであるのだ。とはいえ、何とかするよりほか志心を救う方法はあるまい。我より他にそのようなことが出来る者がおらぬのだから、参るよりないわ。」と、名残惜し気に立ち上がった。「維月よ、我は参らねばならぬ。せっかくに政務を片付けてやっと参ったのに、この有様よ。志心の命か懸かっておるとなると、我も休んでおるわけにも行かぬわ。」
維月は、立ち上がって頭を下げた。
「はい。どうぞお出ましあそばして。私も此度はひと月とは申さず早めに帰るように致しますので。そのように志心様のお命に危機がと言う時に、維心様がお手を貸されるのに宮を離れておるのもと思いますので。」
維心は、それはそれで嬉しいようで、パッと明るい顔をした。
「誠か。主が戻って参るのなら、我とて励もうぞ。確かに我が宮を空ける時に主が居らぬと臣下も困ろうしな。」
里帰りに追って来るから臣下は王と王妃が両方居ないという事態に晒されて常、困っているんだと思うんだけどな、と維月は思ったのだが、それは言わずにおいた。それよりも、今は長く共に神世を治めて来た志心の一大事なのだ。
維心は、機嫌良く義心に言った。
「では、一度宮へ戻ってから志心の所へ参ろうぞ。そうよ、炎嘉にも連絡をせよ。あれも案じておったしな。」と、維月を見た。「では、行って参る。主も早う帰るのだぞ。」
維月は、また頭を下げた。
「はい、維心様。行っていらっしゃいませ。」
そうして、維心は義心を連れて、月の宮を飛び立って行った。それを見送って、維月は次元のことだから父に聞いておこう、と思っていたのだった。
志心は、突然に体が軽くなったので、次の日朝から庭を散策していた。
とはいえ、いつ何時と義心には言われていたので、筆頭軍神の夕凪がぴったりと付き従い、いつ倒れても大丈夫なように控えている。
志心は、まるで老人のようだと思いながらも、久しぶりの庭を清々しく歩いていた。
すると、次席軍神の雲居がやって来て膝をついた。
「王。龍の宮より龍王様、本日お越しとのことでありまする。先ほど先触れが参りました。」
志心は、足を止めた。
「おお早いの。維心にも世話を掛けるものよ。」
頷いて、雲居は続けた。
「それから炎嘉様からもお見舞いの文と品が届いておりまする。あいにくあちらも今お忙しいらしく、見舞いに来られぬことを詫びておられました。」
志心は、それには苦笑した。維心に言うたら炎嘉にも筒抜けだな。
「分かった。礼の書状と品を送れと申せ。」と、足を宮へ向けた。「では維心を待たねばなるまいて。あれももうそこまで気配が迫っておるわ。急いで来ずともまだ問題ないのにの。」
それには、夕凪が言った。
「そのような。義心殿もこれは一時的な処置に過ぎないと申しておりました。早う龍王様に治して頂かねば我らも安心出来ませぬゆえ。」
志心は、歩き出しながらそれに頷いた。
「誠維心には頭が上がらぬな。面倒を仕掛けずにおいて良かったことよ。」
そう言って宮へと歩く志心に、夕凪も雲居も顔を見合わせた。確かに普段の生活では龍に世話になることなどなく、対等に渡り合い話すことも出来るが、こんなことがあった時、神世で対処出来るのは龍王以外に居ない。
例外は月の宮の碧黎だが、あれは基本こちらの頼みなど聞くことはない。月は力があるが、対処の仕方を知らない。
つまりは、こんなどうにもならないような事に対応するためには、どうしても龍には抗うことが出来ないのだ。
そんな現状に今さらながらに気付いた白虎の軍神達は、複雑な気持ちになりながら志心の後に続いたのだった。
その頃、維月は月でのんびりしている十六夜に無理に降りて来いとは言いづらいので、父の碧黎の対へと来ていた。
最初、そこには碧黎は居なかったが、維月が呼ぶとすぐにパッと現れた。
「お父様!」維月は大喜びで碧黎に飛びついた。「良かった、十六夜は降りて来ないし維心様は帰られたし蒼は相手をしてくれませぬし。お父様までお忙しかったらどうしようかと思いましたの。」
碧黎は、苦笑した。
「我は主が呼べばどこに居っても来るわ。とはいえ今は、少し気になる事があっての。維心は志心の様子を見に参ったか。」
維月は、驚いて目を丸くしたが、よく考えてみるとこの父が知らない事などあるはずはない。なので、頷いた。
「はい。志心様のお加減がお悪いのはご存知でありましたか?」
碧黎は、抱き着いている維月を見下ろして頷く。
「知っておった。とはいえ我には詳しいことは申せぬし、黙っておるしかないのだがの。しかし早いとこ何とかしてくれねば、我とて面倒だなと思うておったところ。うまい具合に維心が義心をやって、あれが気取って維心に知らせたゆえ、何とかなりそうよ。今度ばかりは維心がどうにもならぬと申すなら手を貸しても良いかと思うておるぐらいよな。」
維月は、驚いて口を押えた。
「え、お父様が御手を出さねばならぬほど大変なことでありますの?」
碧黎は、自分にくっついたままの維月を慣れたように抱き上げると、椅子へと座った。そういうところは子供の頃から同じで、維月が大きくなったので少し見た目がおかしいのだが、二人の間ではいつものことでなんらおかしい事などなかった。
「まあ、もう話しても良いか。義心が気付いて維心も知っておることであるしな。志心はの、体の一部と別次元の一部が接しておる状態なのだ。なので、命の気が物凄い勢いでそちらへ流れ出しておって、それを志心がまた物凄い勢いで補充しておってあの状況よ。もっと気の小さな神なら既に死んでおったろうの。志心であるからあれで済んでおったのだ。」
維月はびっくりして茫然と碧黎を見上げた。ということは、かなり危ない橋を渡っている状態だったのでは。
「ならば…少しでも風邪のようなものをひいたらそれでお命が危うかったのでは?」
碧黎は、頷く。
「その通りよ。分かっておったが、我にはどうしようもない。志夕はまだ未熟とはいえあそこまで育っておるし、志心は確かに長く生きておるゆえ、命を落としたとしても仕方のないことだと思うておった。しかし…我が皆に与えておる命の気、限りがあるとは申したことがあったよの。」
維月は、素直に頷いた。
「はい。幼い頃からそのように。なので、生命は入れ替わるのだと申されておりました。気の量は変わらずで、それを地上の生き物で分け合っておるのだと。なので、人も神も、老いて黄泉へ逝くことで新しい命にその気を譲るのだと申しておられましたわ。」
碧黎はそれに頷き返した。
「そう。だが、その限りある我の気を、あれは吸い上げては別次元へと流しておる装置のようになってしまっておったのだ。我全体の気としては僅かであるし、最近、観、箔翔、将維、炎託など大きな気を持つ神々が軒並み黄泉へと休息に参っておったゆえ、そう損失は出ておらぬのだが、それでも長引けばまずいと思うておった。我は己の気を己自身で回しておったのだが、外から補充せねばならぬようになっておるほど。まあ、我と十六夜しか外から気など補充出来ぬし、足りぬならいつもそうするのだがの、己の身ぐらい己で賄いたいと思うておるから。別次元などに気を分けてやることは無いのだ。」
維月は、碧黎を見上げた。つまり、意味も無く別次元に碧黎の気が流されてしまっているという事なのだ。
「ではお父様、お父様の気が無くなることは無いということですか?」
碧黎は、頷く。
「あのぐらいではの。そもそもはこの広い我らが浮いておる空間のエネルギーと申すものは、全て一つであるのだ。我などその中では小さな命でしかない。そして我が失った気は、この次元の中であればどこかの何かに吸収され、そうでなくともこの空間の中に何らかの形で存在し、全ての大きさと申すか、量と申すものは、変わらない。我が気を失ったとしても、同じようにどこかでそれを失ったものがこの空間の中に放った気を吸収して生きて参ることが出来る。主には想像もつかぬかもしれぬが、それは大きな空間があって、それは尚も大きくなっておるが、しかし全ては同じなのだ。」
維月は、どんどんと眉を寄せていく。何となく分かるような気がするが、しかし完全に理解するのは難しいのだ。
碧黎は、苦笑して維月の頭を撫でた。
「主にはまだ難しいかの。しかし全ては同じということぞ。とはいえ、別次元となると話は別。」と、息をついた。「我らが居るこの次元の空間は一つであるが、隣りの次元には他に同じような空間が存在する。主が知っておる通り、無数に存在して生命が存在しておる場もあれば、全く何もない空間もある。次元の数だけ空間もあり、その中ではこちらと同じように命の気が巡っておるのであろう。しかし、志心が繋がってしもうた次元には、偶然命の気が存在しなかった。なので、こちらの命の気がそちらへと流れ出しておるのだ。つまり、本来同じ空間の中で巡るはずのものが、別の空間へと流れてしもうておるということぞ。このまま流出が進めば、数千年もすれば結構な量の気が出て参ろう。まだ僅かな間に、引き離してしまわねばならぬとそろそろ何とかせねばと思うておったのだ。」
維月は、分からないながらも必死に考えて、言った。
「…ということは、同じ空間で巡るべきものが別の次元へと流れておるから、こちらの命の気が失われて減ってしまうということですわね?このままでは、こちらの命の気が無くなって、黄泉からこちらへ命が出て参れなくなると。」
碧黎は、何度も頷いた。
「よう理解したの。その通りよ。すぐにどうにかなることも無い微々たるものではあるが、これ以上流出させとうないからな。義心が少し封じておるから、昨日からしみ出る程度になっておるのだが、維心にはこれ以上進まぬように、さっさと志心と別次元を切り離してもらいたいものと思うておる。ま、あれならさっさとやるだろう。」
維月は、この父の知識の一部は理解できているつもりだったのだが、やはりまだ、話していても理解出来ていないことがたくさんあった。何しろ、命を繋いでいるので、本当なら記憶もみんな知っているはずなのだが、碧黎の記憶は膨大過ぎて全てを受け入れて理解出来ているわけではないのだ。
維月は、碧黎にずいと顔を近づけた。
「お父様、私にはまだ少しも理解できておりませぬの。お父様のご記憶をいくらか理解出来ておると思うておりましたのに…自信が無くなりました。」
碧黎は、また苦笑した。
「すぐに全ては無理よ。我がどれほどに生きておると思うておるのだ。それに、全てを一気に受け入れたら主は狂うてしまうやもしれぬから、我とて小出しにしておるのだ。少しずつ我の知ることを理解して参れば良いから。」
維月は、何度も頷いた。
「でしたら、今から。お父様、命を繋いでくださいませ。」
碧黎は、仰天した顔をした。そもそも碧黎のような命から見ると、命を繋ぐとは、人や神の体を繋ぐと同義に感じるのだ。
そんなことを己から言い出す維月に、困ったような顔をしたが、その頬に触れた。
「こら、そのようなことを己から申して。他の者の前で口にするでないぞ?」と、微笑んでそのまま椅子に横になった。「しようのない奴よ…そら、目を閉じるが良い。」
維月は、まだ碧黎の反応が今一分からなかったのだが、嬉し気にそう言うので素直に従って碧黎と共に大きなソファの背に沈んだ。そうして目を閉じると、碧黎の声が頭の中に響いた。
《我を理解したいと申す、主の心地は嬉しいものよ。だが主が受け入れられる範囲だけ、本日も知るが良い。》
そうして、そのまましっかり着物を着たままで、体は重なることなど無いまま、二人は命を繋いで並んで横になって夜までを過ごしたのだった。




