その話
一週間、必死に政務を処理した結果、維心は龍の宮を出て月の宮へと向かうことが出来た。
それでも、二週間後には必ずお戻りくださいと鵬や兆加に言われていたので、維心は気が重かった。維月の里帰りはいつもひと月という取り決めで、それだと維月が帰るまで、また一週間龍の宮で待たなければならないからだ。
とはいえ、今日は一週間ぶりに維月に会えると、維心は逸る気を抑えながら月の宮へと降り立った。
すると、蒼が奥から維月と一緒に急いで出て来るところだった。
「維心様!やっと今先触れが到着したところで、お出迎えが慌ただしくて申し訳ありません。」
蒼は、半分飛んだ状態でそこへ到着する。維月が、後ろから来て維心に抱き着いた。
「維心様!いらっしゃいませ、お待ちしておりましたわ。」
維心は、維月を抱きしめて頷いた。
「先触れを追い越す勢いで出て来てしもうたわ。すまぬの、蒼よ。維月に会えてホッとしておる。」
蒼は、苦笑した。だから何年一緒に居るんだよ、と心の中で突っ込みを入れつつも、蒼は微笑んだ。
「では、いつものようにお好きに過ごしてくださってよろしいので。オレは部屋に戻っておりますので、何かあったらお呼びください。」
維心は頷いて、維月を抱く手を緩めて顔を見た。
「さあ、よう顔を見せてくれぬか。おお、壮健そうであるな。やはり主の顔を見ぬでは落ち着かぬわ。」
維月は、フフとくすぐったそうに笑って言った。
「維心様ったら、いつも共でしたら見慣れて私も見栄えがせぬかと思うてしまいますわ。こうして時にお傍を離れた方が、本当の私より良く見えるのではと策してしまいまする。」
維心は、維月の肩を抱くとハッハと笑って歩き出した。
「またそのように。慣れて見栄えがせぬなどあるはずがなかろうが。そのように申すでない。」
そうやって、いつものように仲睦まじく去って行く背中を見送りながら、蒼は本当に飽きないんだなあといつもながら感心していた。前世自分の母だった時の維月と、今の生まれながらの陰の月の維月、両方を維心は愛して、ああしてずっと傍に置いて愛しているのだ。とても自分には真似出来ない、と、蒼は二人の背を回廊の向こうへと見送った後、自分の部屋へと足を進めたのだった。
維心は、上機嫌で維月の肩を抱いたまま月の宮の、自分に対へと入って来た。
「この七日は何をしておったのだ?十六夜は共ではないのか。」
維月は、微笑んで頷きながら維心と共に正面の椅子へと座った。
「はい、十六夜と共に訓練場に立ったり、父と十六夜の三人で北に見つけた温泉へ行ったりと有意義に過ごしておりましたわ。十六夜は、維心様がいらしたと聞いたら、月へ帰って行きました。最近は月へも帰らずずっと実体化したままでしたので、十六夜にしたら月が恋しくなったところだったようですの。」
維月がフフフと笑ってそういうと、維心は笑い返して頷いた。
「そうか。確かにあれは主よりずっと月に居る時が長いゆえな。主は常地上に居るが、あれはほとんどが上に居るから。して、義心と義将は?」
維月は、それには真面目な顔をして、言った。
「はい。義将は義心に敵わぬと、少し焦っておるところがあるようです。体力も明らかに義心の方が上であって、私達と対峙しても長く時が掛かるとついて来れぬようになりまする。義心はどこまでも食らいつこうとして参りますが、義将は途中でどうしても体力が追い付かずで諦めるしかない状況になってしまって。それでも、本来持っておる気の量のせいだろうと、十六夜も無理をせぬようにと申しておる次第です。」
維心も、それには真面目に頷いた。
「さもあろう。義将は確かに優秀な軍神ではあるが、しかし義心は更に上を行く。しかも、今はまだ伸びておる最中よ。年齢もまだ若い伸び盛り。あれと比べられては、義将も辛かろうな。帝羽か明蓮を代わりに共に来させた方が良かったか。」
維月は、首を振った。
「いいえ…義心ばかりを贔屓してしまっては、同じ父から生まれておる兄弟でありまするし、義心も気詰まりでありましょうから。もちろん、義将はそんなことをとやかく言う性質ではありませぬが、それでも兄より良く出来るとなると…どうしても、父上の義蓮も義心に肩入れ致しましょうし。」と、息をついて、維心を改めて見上げた。「維心様、義心のことでお話がございますの。」
維心は、一瞬驚いた顔をしたが、ふと真剣な顔になって、じっと維月の目を見つめた。
「何かあったか?」
維月は、何があったと推測されているのだろうと思ったが、頷いた。
「はい。あの、なかなかにお話する機会がございませんで…十六夜には、直後に申しておったのですが。この間、私と義心が別次元に落ちて、父に助け上げられる前の話でありますわ。」
維心は、途端に思い出した。
前世、維月と義心は次元の狭間に落ち込んだ。その時、そこは気を消耗してしまう場所であったので、二人の気は極限まで失われ、維心に助け上げられるまで持たない維月を、義心が命を懸けて気を分けることで、助けて生還したということがあった。
あの時、義心は初めて維月に口づけて、その気を維月に与えたのだ。その時、維月は義心からの愛情を知り、維心もそれを知り憤った事があった。
それも前世のことなので、今生、そんなことがあるはずもないと安心していたのだ。
だが、もしかしてそんなことがまた、あの義心の孫との間であったのではないのか。何より、十六夜には直後に話していたのに、維心には話していないということが何よりその可能性を思わせる。
維心は、一瞬の間にそんな考えが自分の中に湧き上がって来て、どうしようもなく不安になった。
「まさか…あの孫の義心と何か…っ、」
そうであったら黄泉の義心のためにも今度こそ許せるはずはない。
維心が言いかけた時、慌てて維月は首を振った。
「違うますわ!維心様が何を思うてそうおっしゃるのか分かっておりまするが、そうではありませぬの!あの、あの時、義心があまりに物を知っておるような言い方であったので。私は、前世の狭間に落ちた時のことを、さりげなく会話に混ぜたのですわ。そうしたら、義心は私と前世の義心しか知らぬようなことを、すらすらと申しました。私は思わず目を見開いたので、義心はしまった、という顔をしましたけれど、誤魔化しようが無いのを悟って、話してくれたのですわ。あれは、義心なのです。前世、私達に仕えてくれた、あの義心が転生した姿なのです。」
維心は、真顔のまま固まった。突然のことに、何を言われたのか、理解できなかったのだ。しかし、維月が今言ったことを頭の中で何度も反芻しているうちに、維心はハッとした顔をした。つまり…。
「…何と申した?我が聞き間違っておらぬとしたら、あれは…あの孫は、義心の転生した姿と申すか。しかも、記憶を持っておると?」
案外に落ち着いた様子でそう言う維心に、維月は少しホッとしながらも、頷いた。
「はい。あの、序列を決める立ち合いの折、義心は維心様の気に当てられたのか具合を悪くしたことがありましたでしょう。あれは、維心様の気に当てられたのではなく、私達の姿を見上げた瞬間、一気に前世の記憶が押し寄せて来て、膨大なその記憶と戦っておったのです。義心は、あの時点から記憶を戻しておったのだそうです。」
維心は、愕然とその話を聞いていた。確かに、あの義心が維心の気に当てられて気分が悪くなるなどおかしいのだ。あの時、初めて見上げた我らの姿から、記憶を戻したのだとしたら合点が行く。
「では…では義心は、黄泉へ参るや否やすぐに戻ったと。あの、偶然誰も入っておらなんだのだろう、義蓮の妻の腹の子の器に入ったということか。」
維月は、深刻な顔をしながらそれにも頷く。
「はい。義心が申すには、黄泉の道を走って門へと飛び込み、迎えに来ていた父上が、転生しようとしていた器を奪うように頼み込んで、すぐに転生したのだと聞いております。その折、龍を助けるための記憶だけは残しておきたいと願ったのだとか。気が付けば軍神の子として精進して生きていて、初めての王との目通りで、全てを思い出したのだと申しておりました。私も驚きましたけれど…あれから、私も義心と二人で話すことなどありませんでしたので。義将や他の軍神が居るし、普通にこれまでの孫の義心と変わらぬ様子なので、つい申し上げることもないまま来てしまっておりまして。今も、義将と一緒に月の宮の訓練場で訓練に勤しんでおるばかりで、転生のことに関して、詳しくは聞けておりませぬ。」
維心は、それを聞いて少し、肩の力を抜いた。ということは、今生はあのまま何も無いということだ。
維心は、長い息を吐いた。
「…ならば我も話しておかねばならぬ。あれが前世の義心と同じ義心と申すなら、子供扱いせずとも良いということぞ。腹を割って話しておかねば、義心とてどう振る舞えば良いのか分からぬであろう。我が知らぬとなると、黙っておらねばならぬかと悩むであろうし。…本来、直後に話すべきであるぞ、維月。十六夜には話しておったのに、なぜにすぐに我に申さなかったのだ。」
維月は、やっぱりそう思うのか、と思ったが、しおらしく頭を下げた。
「申し訳ありませぬ。維心様はあの折、次元を整えるのに大変にお疲れであられましたし、お休みになっておるのを眺めておったら、次に己が眠くなって寝てしもうて。言い出す機会を逸してしまいましたの。あれから、義心も普通にしておるので忘れておりまして…でも、こちらで立ち合う様を見ておって思い出し、維心様にお話せねばと。」
維心は、それを聞いてあの夜のことを思い出していた。そういえばあの時、自分は朝から奥で休んで気を補充していた。ようやく目が覚めた時には、夕刻で今度は維月が寝入ってしまい、話すどころではなかった。なので、言い出すことが出来なかったといえばそうなのだろう。
維心は、渋々頷いた。
「仕方のない。ならば、とりあえず義心をこれへ。詳しく話を聞いて、我もあれが確かに戻ったのだと知りたい。あれが居れば、我だってやりやすいのだ。あれの知識は深いゆえ、教えておかねばならぬと思うておったことも、もう知っておるなら面倒も無いゆえな。とにかく、あれと話す。」
維月は頷きながらも、落ち着かなかった。今はこんな風に物分かりも良く怒りもしなかったが、それでも話しているうちにどこが維心の心の怒りのスイッチを押すのか、それとも不安のスイッチを押すのか、全く分からないのだ。
何しろ、前世の義心は優秀で忠実であったが、長く維月を取られるのではと、思い悩んだ相手でもあったからなのだ。




