暗い場所
義心は、ハッと意識を取り戻した。
何やら、固い地面の上に仰向けに倒れていたようだ。
自分の上には、維月がぐったりと体を預けて倒れいるのが見えた。義心は、慌てて維月をソッと脇へと寝かせると、呼び掛けた。
「維月様!」
しかし維月は、じっと目を閉じて気を失ったままだった。呼吸しているのはその胸の上下でわかる。
義心は急いで維月の体を暗い中で目を凝らして調べたが、どこにも外傷はないようだった。
もっとも、月は傷を受けてもすぐに治してしまうので、どこかを傷付けていたとしても、分からなかった。
とりあえず生きていることは確認出来たので、回りの状況を把握しようと見回したが、とにかく暗くて何も見えない。
遥か上空に小さく点のように光があって、それが唯一の光源のようだった。
…あれでは、全く見えぬ。
義心は、顔をしかめた。恐らくあれは、自分達の居た次元に開いた穴ではないか。だとしたら、あれが閉じたら全くの真っ暗な空間だということになる。
義心は、維心がこれに気付いてくれる事を願った。何も知らない白虎の誰かが発見し、慌てて閉じてしまったらいくら維心でも、どこの次元に自分達が落ちたのか、探る事は出来ないだろう。
しかし、碧黎ならばあるいは…。
義心は、維月を見た。目の中に入れても痛くないほど可愛がっていると言う維月を、碧黎が助けないはずはない。
「う…義心…?」
維月が、目を開いた。義心は、急いで脇へ寄った。
「維月様、お体はいかがですか。」
維月は、目を瞬かせた。
「…落ちる時、あなたの下敷きになろうと体をよじったの。強い衝撃が来たけど、私はエネルギー体だからすぐに修復して。でも、結構あちこち潰れたから時間が掛かったみたい。もう平気よ。」
だから我は無傷なのか。
義心は、下へたどり着く前に気を失ったらしい己を恥じた。維月はその瞬間にも、意識を保っていたのだ。
維月は、体を起こした。
「すごく細々としか月の力が降りて来ないわ。もしかしたら、あの次元の穴から来てるのかしら?」
維月は、上空の光源を見上げて言う。義心は、頷いた。
「はい、恐らくは。あれが閉じたらもう、どこへ落ちたのか分からなくなりまする。」
維月は、目を細めてそれを見た。何かを感じようとしているようだ。
「…先ほどから、維心様の気が私の気に微かにかすめるように触れるの。維心様がいらしていて、探していらっしゃるのかもしれないわ。でも、かすめていることは、この辺りとは分かるけれど、位置を特定出来ておらぬのだと思うわ。確かめるように、何度も行き来している感じ。多分、それで距離を計って、特定しようとなさっているのでは。」
維月の気は、珍しい上に波長が長いので、神には気取りやすい。維心は、なので義心ではなく維月の気を探っているのだろう。
「ならば、王は我らがここに居る事を知っていらっしゃるということですね。」
義心が安堵したようにそう言うと、維月は頷いた。
「ええ。多分、穴のすぐ脇に。」と、少し黙る。そして、息をついた。「駄目ね。まだ月と繋がりが有るから帰れるかと思ったけど、私の力では無理みたい。この体に気が少ないから、月へ昇るだけの力がないの。上から来る力が少ないから、補充も出来ないし。」
義心は、ハッとした。そうか、維月は今、エネルギー体だから。
「…確かに。維月様は、次元の狭間に落ちた時のように、人の体を使っておられないから。今は、月と繋がっていたら、どこに居ても帰る事が出来たのでしたね。」
維月は、頷いた。
「そうなのよ、あの時は人の体だったから…」と、そこまで言って、ふと、義心を見た。「あの、ごめんなさい。今回は、あなたを連れて戻れるから役に立つかと思ったのに、私はまたあなたに心配を掛けているわ。でも、命を落とす事はないから。もう、私に気も進まないのにあんな方法で気をくれたりしなくて良いのよ。人の体は、脆かったし心配ばかり掛けたけど。」
義心は、維月の気遣いに、首を振った。
「王の妃をお守りするのは我らの役目。気を分けるのも…方法は如何様にもございますし、あればかりではありませぬから。我も人であられた時の感覚が抜けず、いつまでも案じて申し訳ありませぬ。お守りしようとして、逆にお助け頂いてしまい申した。」
維月は、なぜかそれを聞いて目を見開いた。義心は、なぜそんな顔をするのかと思ったが、ハッとした。今、我はなんと言った?
もしかして…。
「維月様、我は…」
維月は、口を両手で押さえた。義心…これは、義心だ。あの時あったことを、今の義心が知るはずはないのだ。確かに記録に事故の事は書かれてあるかもしれない。だが、詳細は当事者でなければ、分からなかった。そんなことは書き残すはずはないのだ…気を放つ力も残っておらず、唇を合わせて気を補充した、あの事を。
「…義心なのね。」維月は、目を潤ませて言った。「義心なのでしょう?どうして言ってくれなかったの?引っ掛けるようなことをしてごめんなさい、でも、どうしても知りたかったの。黄泉へ行かなかったの?すぐに…本当にすぐに戻って来たのね。」
義心は、簡単に答えてしまった事を後悔した。維月はとても鋭いし、これでとても頭の回転が早いのだ。試そうとしても、おかしくはない。
これまで、巧妙に隠して来たのに。
義心は、視線を落とした。維心にも維月にも、要らぬ心配はさせたくなかった。だからこそ、何とか隠したまま役目をこなそうと、ここまで努めて来たというのに。
だが、言い訳はもう、通用しなかった。維月は知ってしまったのだ…自分が、記憶を持ってすぐに転生して来た、あの義心だということに。
維心は、維月の気が微かに感じられる辺りを、位置を探って自分の気を飛ばしていた。
自分の気も、吸い込まれて行くような状態なので、うまく制御することが出来ない。吸い込まれて流されて行く気を、どう流されるのか判断して制御するしか方法は無かった。
今生、維月はエネルギー体で、本体は月なので、こうなったら僅かな隙間でも通って月へと戻れば済むことなのだが、どうやら、月から送られて来る気の量が足りないのか、そうする様子は無かった。
という事は、自分が行って救い出すのも気の量が測れない今、無謀だと思われた。
「碧黎!」維心は、急に眼を開くと、立ち上がった。「維月が別次元へ落ちた!」
すると、碧黎はまだ維心が維月が別次元、という辺りを言っている時に、パッと現れた。
「何ぞ?主は何をしておった、そんな所へ維月を落とすなど!」と、傍の膜に包まれた穴を見た。「お。なんだ元気にしておるな。月とも切れておらぬし、問題無かろう。」
維心は、眉を上げた。
「やはり見えるか。元気にしておるのか。」
碧黎は、頷く。
「今は元気ぞ。少し気を消耗したようだが、回復しておるし。義心と何やら話しておるが…ま、それは出て来てから聞くが良いわ。」
維心は、焦れて言った。
「では、主が迎えに行ってくれるのだろうの。我では気がどれぐらい消耗するのか分からぬのだが。それしかないのならもちろん参るが。」
碧黎は、チラと維心を見た。
「…主の気ではすぐに無くなろうな。補充が間に合わぬのだ、あちらの次元は命の気が無いゆえ、こちらからあちらへいくらでも流れてしまうゆえな。いわば空間自体が命の気に飢えておる状態であるし、気を発して上がって来ようとしたら、それが体から出た途端に空間に吸収されてしまう。となると…」と、空を見上げた。「十六夜。主見ておるくせに何を黙っておる。気を維月に送れるか?」
十六夜の声が、答えた。
《見てたからさっきから送ってんだよ。でも、穴が小さいから送れる気の量が限られてて細々としか送れねぇ。落ちた瞬間、維月から急に気を大量にくれとサインが来たんで、ケガしたなと思って必死におろしてたんだけどよお。少ない気しか送れないから治るのに時間が掛かったんじゃねぇか。》
維心は、維月が怪我をしたのかとどれほど痛かったかと思うと、胸が締め付けられるようだった。
「早うここへ連れて来てやりたい。いくら死なぬとはいえ、痛みは本物ぞ。我が代わってやれれば良かったのに。」
碧黎は、苦笑した。
「そのように悲壮な顔をするでないわ。維月は義心を守ろうと己が下敷きになるように、落ちたのだろうと思うぞ。義心は維月を庇おうとしたであろうが、そうしたらあれは死んでおったであろうな。維月だからこそあれで済んだのだ。維月はそれを知っておったのだ。」
維心は、恐らくそうだろうが、しかしそんなことより維月が痛い思いをして、そうしてまだ別次元に囚われていると思うと、居ても立っても居られない心地だった。
碧黎は、ため息をついた。
「気を余計に発したりしなければ、命の別状はない次元ぞ。仕方ない、ならば我が。本当なら神世で起こったことは神世の事であるから、我はこれまで手を出さぬでおったが、維月となれば別ぞ。ちょっと行って来るゆえ、主はこの穴を閉じぬようにだけ見張っておれ。」
維心は、ホッとした。
「頼んだぞ。早う連れて戻ってくれ。」
碧黎は、苦笑して維心を見た。
「言うておくが、維月以外が落ちた時は我は知らぬぞ?己で何とかすることを考えよ。ではな。」
碧黎は、穴を方を見たかと思うと、まるで吸い込まれるように、流されるように穴へと消えて行った。
維心は、急いで穴の維持へと全力を注ぎ、そうして碧黎が戻るのを待った。




