第43話:備えと、それぞれの成長(前編)
あの凄惨な襲撃から数日が経過していた。
あの日の恐怖と、何もできなかった自分の悔しさが、今の澪を突き動かしていた。
(覚醒した聖魔法のおかげで智君の命は救えたけれど、二度とあんな恐ろしい思いはしたくないし、させたくない……!)
あの日以来、澪は防衛強化に没頭してきた。いくらでも重装化できる性質を活かし、黒いキャンピングカーの防衛をさらに固めようとした、その最中、頭の中で機械的な声が響いた。
『条件を達成しました。【結界魔法】が覚醒しました』
(えっ……結界魔法まで……!?)
驚いて一瞬固まる澪の脳内に、スキルが馴染んでいく感覚が広がった。これまではただ魔力を放出して壁を作っていただけだったが、覚醒したことで結界の強度や重ね掛けの精度が段違いに上がったのがはっきりと分かった。
手元から解き放たれた柔らかく分厚い光の帯が、キャンピングカーを何重にも包み込み、やがて空気中にしっくりと馴染んで透明に溶けていく。
「よし……これで完璧!」
目の前に広がる光景に、澪は満足そうに頷いた。
物理攻撃はもちろん強力な攻撃魔法すら一切寄せ付けない多重構造。魔力が続く限りどこまでも重ねて展開できるこの結界なら、智矢が狩りで車を離れている間でも完璧に安全を確保できる。
さらに、自分自身に張った結界も、歩いて移動している最中に途切れさせず維持できるようになっていた。
こうして防衛を固めた澪は、楽珍マーケットで買い込んだ日用品や非常食、予備の防具や衛生用品などを、自身のストレージや、創造魔法で空間を拡張した車内の収納スペースへたっぷり格納して、万全の備えを整えたのだ。
だが、ただ閉じこもるだけでは足りなかった。
(私達、この世界のことを何も知らなさすぎる……。地理や世界の情勢だって、もっと知らなきゃダメだよね)
そう痛感した澪は、近くにあった小さな町フェルノへ通うようになっていた。
街を歩くうちに、この世界には怪我や病気を治す『ポーション』という薬が存在することを知る。
(ポーション……ほんとにあるんだ……!)
その仕組みや作り方を詳しく調べるため、町の外れにある古びた診療所の門を叩いたのだ。診療所を一人で切り盛りしているのは、老眼鏡を鼻の上にのせた頑固そうな老医師・マグスだ。
「あの、すみません!こちらで扱っているポーションや、薬草について勉強させていただけないでしょうか?」
「あぁ……?なんじゃお前さんは。若いお嬢さんがこんな所へ何の用じゃ。ここは見学するような場所じゃないぞ。怪我人や病人でごった返しておるんじゃ」
追い返されそうになったものの、棚に並ぶ小瓶や見たこともない乾草を前に、澪は食い下がった。
「雑用でも何でもします!この世界の薬がどうやって作られているのか知りたいんです!」
「ふん、物好きな娘だ。なら、あっちの薬草を細かくすり潰してみろ。……痛たたっ……くそ、また腰が……」
壺に乾燥した草を詰めながら、マグスが顔をしかめて腰を押さえた。長年の立ち仕事で痛めた慢性の関節炎らしく、痛そうに腰をさすっている。
「あ、大丈夫ですか?ちょっと失礼しますね」
「ん?おい、勝手に触るんじゃな——」
澪はマグスの腰にそっと手を当て、意識を集中させた。
魔力を流し込んだ瞬間、頭の中に妙な感覚が広がった。
(……え?なにこれ……?)
頭の中に、マグスの腰の骨格と関節が、ぼんやりとした光の輪郭となって透けて見えたのだ。特に悪いところの関節の隙間が、嫌な赤黒い光を放っているのがはっきりと分かる。
(体の構造が……悪いところが、見える……?)
聖魔法の治癒の力を流すと、その赤黒い光が柔らかい黄金色の光に包まれ、じわじわと薄れて消えていくのが分かった。
マグスは目を見開き、固まった。
「……え?あ、あれ……?腰の重みが……激痛が、消えて……!?」
「よし……やっぱりね。よかった……!」
澪は胸を撫で下ろした。ただ傷を塞ぐだけじゃなく、患部を「診る」ような力まで備わっているらしい。
「お前さん……一体何者なんじゃ!?魔法陣も詠唱もなしに、こんな最高位の神聖魔法を……!?」
「ただの旅人ですってば!」
腰の痛みが消えて大喜びしたマグスは、それまでの頑固さが嘘のように親切になり、澪の疑問に何でも答えてくれた。
さらに澪は、診療所に運ばれてくる怪我人や病人の手当てを自ら買って出た。覚醒したばかりのこの魔法で、一体どこまでのことができるのかを手探りで確かめたかったのだ。
擦り傷を負った子供の膝の手当では、傷口の汚れを弾き飛ばすように傷が塞がるのを確認し、魔獣の毒に苦しむ冒険者を手当てした時には、体内に巡る毒の黒い霧のようなものが光で浄化されていくのが見えた。
(単に傷を治すだけじゃなくて、毒の浄化も……身体の異常を治す系全般に効くのかな)
手探りで魔法を試すたび、自分の中に眠っていた能力の輪郭が少しずつはっきりしていく感覚があった。
「いいか、調合ってのはな、薬草に己の魔力を流し込んで、葉に秘められた効能を直接引き出して水に定着させるんじゃ。火加減と魔力の調整が少しでも狂えば、ただの濁った水になるからの」
「へぇぇ!魔力ってそういう使い方もできるんですね!」
真剣にメモを取る澪に、マグスは感心しきりだった。
お昼時には、澪が「教えてくださっているお礼です!」と通販魔法で取り寄せた、具だくさんのスープに彩り豊かなミックスサンドイッチを振る舞った。
「う、うまい……っ!なんじゃこの汁物は……パンも柔らかいし、挟まれた具材の旨味ときたら……!領主様の館の晩餐でもこんな美味いものは食えんぞ……!」
「ふふ、喜んでもらえて良かったです!」
診療所での手伝いや街の人々との会話を通じて、澪は薬草の知識だけでなく、この世界の一般的な情勢や人々の暮らしについても自然と理解を深めていった。
手探りの特訓のつもりで傷を完治させていく澪の姿は、町の人々に強烈な印象を与えていた。
いつしか町の人々の間では、「どこからか現れて傷を癒やし、お礼も受け取らずに去っていく清らかな乙女」として、陰で『隠れ聖女様』などと囁かれるようになっていたのだが、本人はそんな噂が広まっているとは夢にも思っていない。
診療所での学びを終えた夜は、買い揃えたフラスコを並べ、キャンピングカーのキッチンで夜な夜な研究に励んだ。
自分の聖魔法は強力だが、離れている時に智矢に何かあったらすぐには使えない。だからこそ、物理的な「ポーション」として形に残す必要があった。
マグスが見せてくれた、魔力で薬効を引き出して固定する技術。あれを応用すれば自分にも作れるはずだ。
マグスのように薬草を地道に煮詰める必要はない。澪には創造魔法がある。
創造魔法で生み出した不純物ゼロの純水に、自身の聖魔法を直接練り込んで定着させる。薬草の抽出プロセスすら飛ばした、澪にしかできない規格外の調合方法だ。
こうして試行錯誤の末に完成させたのが、二種類の特注ポーションだった。
一つは、どんな深い傷でも一瞬で塞ぐ最高品質の『即時回復ポーション』
そしてもう一つが、猛毒や麻痺はもちろん、精神を狂わせるような不可解な異常や目に見えない呪いまで、あらゆる状態異常を完璧に浄化する万能の『解毒・状態異常治療ポーション』だ。自分の聖魔法の魔力を創造魔法の純水に限界まで練り込むことで、どんな症状でも一発で取り除く特効薬を作り上げることに成功した。
万が一澪と離れている時に何かあっても、智矢が自分の判断ですぐに使えれば安心だ。
完成したポーションを智矢にも渡し、今の自分にできるすべての準備をやり遂げた澪は、静かに胸を撫で下ろすのだった。




