小田原城の歴史
太陽に照らされて、コンクリートが輝いている。それには北条家の家紋が刻まれており、俺はそれに絶叫している。「はいはい」と大輝には流されているが、俺の頭は、冷静さに欠けていた。
しばらく歩いた。スキップを踏みながら。大輝はトボトボと歩いている。
「こんな炎天下なのによくスキップできるね……」
「まぁね!」
大輝が遠い目をしている。流石のアウトドア派でもこの暑さは限界らしい。ここは趣味が会う場所のインドア派の勝利だ。
「あ! 側面!」
指差したその先には、小田原城の側面が見えていた。小田原駅から意味もなく歩いていると何故か真正面からではなく、側面が見える。これも難攻不落と言われる所以なのだろうか。
「おい走るな……」
「仕方ないだろー!」
信号が変わったと思ったら体が勝手に動いていた。俺でも、どこからこんな元気の源が出ているか、わからない。だが、小田原城を前に、アドレナリンが出ていることは間違いない。
「おーここが!」
小田原城の真下まで来た。その大きさに圧巻! かと思いきや、そんなことはなく、意外と小さい。
「……すっごい並んでる」
「並ぶに決まってる!」
小田原城までの最終通路は階段だ。つまり、階段の途中で待たされるということになる。
「階段恐怖症の人が居たらどうするんだ!」
「あぁ……すいません……」
俺は叫んだ。耐えきれなくなったから。赤の他人の叫びを代行したまでだ。しかし、大輝は謝っている。頭をペコペコと周りに下げるばかりだ。その姿はいかにも、日本人と呼べるだろう。
「な、なんで謝るんだ!」
「うるさいからでしょ……」
大輝に袖を掴まれ、俺は小田原城から遠ざかっていく。途中で階段があったが、大輝は容赦なく引きづっていく。
「ちょあの……痛いんですけど!」
「黙れ。うるさいのが悪い」
悪気もない声だった。言動に、差異はないらしい。ならば、信頼に足る人だ。
「はい。おとなしくして」
「ちぇー……」
俺は門前まで戻された。それに腹が立って、口を尖らせる。
「なんでだよ! もうすぐそこまで来て……」
「わかってる」
大輝に肩を掴まれ、身動きが取れない。その手に込められた力のせいだ。顔を覗き込まれた。その目は真剣そのもの。だがしかし、どこか奥に、変な感情が籠もっているように見える。言い表せない、何か。
「大輝……?」
「いやなんでも……」
肩が自由になる。顔が俯いている。影のせいで、感情がわからない。一つ、わかるものは、声が暗い。それくらいだ。いや、それこそが最大のヒントなのでは。
「何でもないって……そんな声して?」
「っ……なんでもないって」
距離が離れた。一歩分。それでも近いことには変わりない。しかし、その距離は横ではなく、縦に長いものに感じた。つまりは、距離じゃない、高度だ。深い穴に落ちて、一生そこから抜け出せない。そんな感情。
「まさか……」
「……葵?」
「落ちる……?」
何処からか知らないが、声が聞こえた。現実世界から聞こえるはずの無い、エコーが掛かっている。そんなはずがない。カラオケに来たわけでもあるまいし。だが、現実問題として、今、俺が困っている。
「落ちるぞ……落ちる……」
「なにこれ……ギャグか……?」
頭を抱えた。わからない。むず痒い。痒いのに掻けない。掻いてるのに掻けない。どうなってるんだ。はち切れそうだ。何かが。
「ちょ……葵!」
近くに来た、気がする。その実態を確認しようとすればするほど、声が大きくなってくる。落ちる……? それはどういう意味が……。
「……は?」
ドーン! という花火大会でしか聞かないような爆音が響いた。恐らく、小田原城付近が発信源だろう。ということは何かが……?
「くそ……」
「ちょ……葵! 何処行くんだよ!」
俺は呼ばれた気がする。小田原城の方へ。何故か、音があった場所に行く。災害マナーでは絶対にやってはいけないことだ。しかし、この声に逆らったら俺は……。
この世に留まることができなくなるかもしれない。
そう感じた。あくまでも直感で。悲しいことに、俺の直感はいつも当たる。それは大輝の存在が証明しているだろう。いつも嫌な予感はピンと当たる。寝坊だって、雰囲気だって。
だから、急いだ。走った。この真夏に。でも、早く行かないと、時間切れだと言われそうで、もう、会えないと思って……。
流石難攻不落。いくら走ったって、広がる光景は広場広場広場。落ち葉の場所だって変わってない。それにこのヤグラの位置も……。あれ?
「……同じ?」
「葵!」
ギョッとした。何分間走り続けたと思ってるんだ。いくら大輝だって、追いつける距離じゃないはずだ。なのに、なんで……
「なんでここにいるの!? 俺だって走って走って……」
「そりゃあ、足が遅いからだろ」
「嘘でしょ!? さっきから変なんだよ! ずっと同じ光景で……」
「葵」
いつの間にか、大輝の顔がここにある。俺の目の前。なんで。さっきまでそこにいたのに。まるで、瞬間移動したみたいな……。
「大輝……まさかとは思うけど……」
「なに?」
俺は息を吸った。それは言葉を紡ぐための行動ではなく、覚悟を決めるための行動だった。
「これ……大輝のせい?」
しばらく、パトカーと消防車のサイレンと人々の叫び声だけが響く。だけど、この空間だけは違う。雑音もない。ただ、真空そのもの。息も張り詰めて、忘れている。
「……そう。と言ったらどうする?」
ニヤリと笑いかける。その顔は今まで見たことがなかった。一度も、見せることのないはずの笑顔だった。あんなに単純な大輝は、俺の頭の大輝は、もう。
「……目的はなに」
「んー……」
静かに聞いた。大輝のことだ。恐らく、私欲のためじゃないんだろう。だけど、この男は今、指を顎に当てて、考えている。何をそんなに考えて居るんだ。まさか……理由がない。いや、それだと、俺をここまでして追い詰めるか? あんな笑顔を見せるか?
「……曖昧でわからないけど……全ては葵のためだよ」
「……は?」
フリーズした。固まった。どっちでもいい。俺はコイツが何をしでかすかわからなかった。いつもなら頭に情景が残酷によぎる。だけど、今は、何もわからなかった。なんと言った? 俺のため……?
「なんで……?」
「ん?」
「なんで……俺のためなの。大輝のためじゃないの……」
大輝に駆け寄り、身を預けた。胸に、頭を打ちつける。力は入れていない。ただ、重力。この世の法則に従ったまでだ。だが、今、大輝は、多分だけど、時間を逆行させる。この世の法則に、そんなものはない。ないよな。
「……だって……あんたが居ないと俺は……」
「だからって……こんなこと……」
俺は走った。次の門に差し掛かろうとした時、また戻された。確信した。小田原城の方から爆音が聞こえる。また、またか。
「葵」
大輝が駆け寄る。静かに、焦ることなく。小田原城が燃えてるってのに。
「な、なに……」
初めて、コイツに危機感を持った。コイツに疑問符を持った。初めて……大輝を怖いと思った。




