第八十七話 急接近した距離
この前、唯から学校でも拓也と話すために行動を起こすようなことをほのめかされたので少し警戒していたが、数日経っても何も起こる気配がないのでそのことも頭から抜け始めていた。
てっきり翌日から即行動してくるものだとばかり思っていたので、何も状況が変わらないというのも不気味ではあった。
何もないというのならそれが一番平和的ではあるが、あの唯のことだ。
このまま停滞したままの状況なんて受け入れるはずもなく……その時は唐突にやってきた。
「拓也、今日も用事ないんだろ? なら帰ろうぜ」
「お前も部活ないのか? そんならいいけど」
一日の授業が終わり、放課後になったら鞄を手に持った颯哉に声をかけられた。
放課後にするべき仕事や用事なんかもないので断る理由もなく、特に何も考えずに了承するが……その直後。
「あれ、颯哉たちもう帰るの? なら私たちも一緒に帰っていい?」
「お、真衣か。もちろんいいぜ!」
ちょうど拓也たちの教室にやってきた真衣が颯哉に話しかけ、共に帰ることを誘いかけてくる。
まぁ真衣がいるくらいなら別に構わないが………ん? 今、私たちって言ったか?
何か背中に嫌な汗が流れるのを無意識に感じながら、その発言の違和感の正体を探ろうとすれば、すぐにそれは分かった。
「そっか! 実は唯ちゃんも一緒に帰るんだけどいいよね!」
「……そういうことかよ」
「うふふ。よろしくね、原城くん!」
……完全にはめられた。
真衣の背中に隠れるように立っていた唯はとても満足そうな笑顔になっており、内心ではしてやったりと思っているのだろう。
確かに、唯が拓也と接点を持つためには共通の友人である真衣の伝手を頼るしかない。
その上で周囲の視線を誤魔化すために、あくまで真衣が颯哉と一緒に帰るという名目で誘いを持ち掛け、唯はその付き添いという立ち位置を演出しているのだ。
これならば一応の筋は通っているし、言い訳も成り立たせることができる。
…だが、それで納得されるかと聞かれれば話は別だ。
唯は基本的に誰かと帰りを一緒にすることが無いし、あったとしてもそれは真衣とくらいで他は皆無と言い切ってしまってもいい。
そんな中で唐突に、しかも男子と帰ろうと言うのだからクラスの連中の興味は否応にもこちらに引き寄せられる。
現に真衣の言葉を聞いて拓也たちに視線が集められているし、中には強い嫉妬の感情も向けられている。…主に拓也が。
それはそうだろう。
颯哉に関しては真衣という恋人がいるので、唯が付き添おうと何も起こる心配なんてないが、それに付随してくる拓也という存在は彼らにとって注目せざるを得ない者だ。
おそらくクラスの大半の思考は、なんであんな地味なやつと唯という超絶的な美少女が一緒に帰れるのかという疑問で満たされているのだろう。
…そこから向けられてくる視線は、明らかに誘いを断ってほしいという意思を感じるが、その強烈な感情を一身に向けられたことで若干胃も痛くなってきた。
「……俺はいない方がいいんじゃないか? ほら、秋篠だって知らないやつと帰るっていうのは……」
「そんなことないよ? た…原城くんと帰るのは嫌じゃないし、むしろ楽しみだから」
拓也が全てを言い切る前に、ぴしゃりとその抵抗を屈服させてくる。
…というか、今完全に名前で呼びかけていたが気を付けてくれよ? さすがにいきなり名前で呼ばれたりしたらそれこそ誤魔化しようがなくなる。
「それとも……原城くんは私と帰るのは嫌だったりする?」
「…イヤジャナイデス」
…それは反則だろう。
まるで天使を思わせるかのような柔らかな笑みを浮かべながら、悪魔のような一言を放ってくる唯になすすべもなく、あっさりと陥落した。
拓也が誘いを了承したことでクラスが少しざわついている気がするが、もはや後の祭り。
こうなった以上些細な抵抗なんて無意味なことは分かり切っているので、腹をくくろう。
(…明日、また来るのが怖いな)
颯哉たちと固まって教室を出ていくが、未だ状況を理解しきれていないクラスメイト達の様子を見ると、翌日に問い詰められそうな雰囲気を感じ取ったので少し憂鬱でもある。
唯の作戦にかけられた以上避けようのないことではあったが、それでも漏れてしまう溜め息はどうしようもないだろう。
その後も学校で通りすぎていく者達に信じられない目を向けられたりもしたが、正面から疑問を投げかけられるようなこともなく帰ることはできた。
…近い将来のことを考えれば頭が痛いが、それは明日の自分に託すとしよう。
「…で? 今日のはどういうことだ?」
「今日のって? 何かおかしいことあった?」
家に戻ってから先ほど起こった出来事に関して唯に問い詰めれば、なぜかとぼけるようにキョトンと首を傾げている。
その仕草は非常に可愛らしいが、今はそれを指摘している場合ではない。
何せ今日の一連の行動は彼女らしくもない強引さを兼ね備えたものであり、かなり無理やり自分との接点を作り上げてきたのだから。
「おかしいだろ……あれだけぐいぐい来たら周りのやつらも不審に思うし、関係を誤魔化すにしてももう少しやりようはあったんじゃないか?」
「でも、あそこで私が控えめにしてたら拓也くんは一人でどこかに行ってたでしょ? だったら強引にでも行かないと駄目だよ!」
「…否定もできないけどさ」
唯が言うように、あの誘いを持ち掛けられた場面で仮に彼女が遠慮がちな態度を取っていれば、拓也は少し離れた場所から傍観するような立場でいることに徹していただろう。
それを見透かしていた点はさすがと言えるが、結果としては周囲の訝しむような視線を集めてしまったし完璧とはならないはずだ。
理想を求めるのであれば……例えば、共通の友人である真衣から紹介されるようなところから始めるのが無難だったのではないかとも思う。
それでも周りの嫉妬は止まないだろうが、幾分かマシにはなっていたはず。
「…やっぱり、私と話すのは迷惑だった? 学校では関わらない方がよかったかな…」
「……はぁ。んなわけないだろ。確かに驚きはしたけど、迷惑なんて思ってはない」
拓也が唯の行動に困惑しているのを見て少々不安になってしまったのか。
決意は固めてきたはずだが、唯は自分のしたことが間違っていたのではないかとネガティブな思考に陥りかける。
だが、拓也としては唐突な展開に戸惑いこそしたものの、それを厄介だとは思ってもいなかった。
むしろ学校でも唯と話せる機会が増えるというのなら歓迎するくらいであり、その行動自体を咎めているわけではないのだ。
ただ一つ言うことがあるとすれば、迂闊な行動から二人の関係性が表に出てしまった時、彼女自身も好奇の視線に晒される可能性があることを考えてほしかっただけだ。
それは拓也からしても望むところではないし、今のような穏やかな居場所が面白半分で壊されてしまうのもまっぴらごめんだった。
「ただ行動には気を付けてくれってだけだ。それさえ守ってくれるなら言うことはないよ」
「…そっか! なら今日で拓也くんとの接点もできたし、少しずつ話していくね」
「そうしてくれ。そのくらいなら違和感もないだろうしな」
ちょっとした雑談を交わすくらいなら単なるクラスメイトとしても全く不自然ではないし、常に一緒にいるわけでもないのだから問題もない。
それに今回の目的は二人の接点を作るということだったのだから、もう急な接近をすることもないだろう。
「あ、そうだ! 明日から真衣とお昼も一緒にさせてもらうことになってるからよろしくね!」
…前言撤回。
拓也にしばらくは、安息の日々はやってきそうになかった。




