第四十七話 世界蝕の時(手遅れとは言っていない)
どれくらい暗転が続いただろうか。
永遠とも一瞬ともつかぬ時間が過ぎた後、突如として視界に光が戻った。
まず見えたのはどこまでもまっすぐ続く白い道。
淡く発光するその道の上に俺は立っていた。
すぐそばから耳に届いたのは大賢者ユリアーネの囁き。
「これは世界と世界の重なりが可視化された道。ご存じのとおり世界蝕は概念的な現象であり、物理情報を持ちません。ここがこのように見えているのは主体である私たちに合わせて周囲の法則が構築されているからです」
振り返ると俺の後ろにあの小柄な灰色髪の女が浮いていた。背後から抱きしめるように両手を俺の胸に回している。
白い道の両脇に目を向ける。そこには黒、青、緑といった暗色の帯が無数にうねった無秩序な空間がどこまでも広がっていた。1周目ではゲーム画面で、2周目では蝕の穴の向こうに見ていた“世界と世界の狭間の魔力の海”――その実物である。
本来あそこは氾濫した大河の濁流のように荒れ狂っている。しかし今は完全に静止しているように俺には見えた。
「まだ《時の凝縮》の影響下なのか、俺たち」
「ええ。1年前にかけたものと、仮想世界終了寸前にかけたもの。合わせて5億2560万倍をあなたと私の体に適用しています」
「ってこたぁ時間的猶予はあるんだな」
ちょっと安心して背後を振り返る。
そちらにも前方と同じように光の道が続いていた。道の先には太陽のような大きな光点が鎮座している。眩しくて直視はできないが眼を焼くような熱はない。
あれが何なのかは知っている。俺たちが元いた世界{一つの月の大地}だ。
正面に向き直る。どこまでも続く白い道。目を凝らしても先には何も見えない。だが絶対にそちらにあるはずなのだ。
「ここの物理法則を決めるのは我々です。見えるはずだと信じてください。さすれば必ず見えてくるはずです」
言われるがまま信じる。
まるでどこまでもズームしていくように視界がひたすらに前へ進む。
白い道の遥か奥。
そこに確かに見えた。
あちらの世界からやってくる恐ろしい異形の軍団の姿が。
屈強なる二足歩行の獣――人狼。
その瞳に魔を宿す――邪眼鬼。
血の支配者――吸血鬼。
悪夢の具現――悪魔。
死を超越した騎士――不死騎。
水底の誘い手――歌人。
幻獣の現身――竜人。
これまで幾多の激闘を繰り広げてきた魔族たち。
イクリプス・オンラインがMMORPGであった頃にディスプレイの中に見ていた敵モンスターではない。田神大悟が作り上げた仮想世界のモンスターでもない。
実在する異世界――{十二の月が巡る大地}からやってきた侵略者たち。
最後の最後に姿を現した本当の敵。真の黒幕。すべての元凶。
その数はとても数え切れない。何千、何万、あるいはもっと。侵略者の隊列はどこまでも続いている。
そしてその向こうにも太陽のように燦然と輝く光点があった。
目を見開く。見えると信じれば眩い光の奥にあるその姿もはっきり捉えることができた。
十二の月が巡る美しい青い惑星。
体が震えた。
あそこが本物の――。
「やはり。本当は行きたいのですね、あの世界に」
「……バレバレか」
「私は誰よりも多くの願いを叶えてきました。だから人の内なる願望を見抜くのは得意なのです」
浮いたまま前に回り込んできて、手を差し伸べてくる大賢者。
誘っているのだ。すべてが終わった後、共にあちらに向かおうと。
『自分が本来いるべき世界はここではないと感じたことはないか』
『間違った世界に生まれてしまったと感じたことはないか』
田神大悟の言葉が脳裏に蘇る。
あのオフ会の時、本当は答えかけてたのだ。
ああ、ある――と。
生きづらい世の中。世知辛い現実。普通に生きてるだけで貶められる冤罪体質。
自分が間違った生き方をしてきたとは思わない。であれば間違ってるのはこの世界の方だ。ここではないどこかに本当の自分の居場所はある。
幼少期から今にいたるまで、ずっとそう思っていた。
例外はイクリプス・オンラインをプレイしていた時のみ。
だから1周目がサービス終了した時、何もかもが終わったように感じたし、2周目が始まった時は恐怖を感じながらも強い“生”を実感した。
差し出された大賢者の白い手は、俺が焦がれるほどに待ち望んだ救いの手のように見えた。
しかし、気づく。
こんな空間にありながらミューの気配を感じた。アイツに持たせた<(LEGEND)聖母のお守り>の効果だ。アイツのそばにはレンカもゾンもいるだろう。
最後に聞いた叫びを思い出す。『待っている』というミューのあの声を。
俺が帰らなかったら、本気で怒るだろうな、あいつら。
「誘ってくれたのは嬉しいが……わりぃな」
首を振る。
大賢者はふっと息を吐くように笑った。寂しそうだが、嬉しそうでもある。
「いいんですよ。分かってましたから」
それから揶揄うように目を細める。
「ヨシヤさんがミューさんにあげたあのお守り、【ペーパークラフト】で作る時にいくつかのデザインから選べますよね。ミューさんがカランコエの花言葉を知らなくてよかったですね」
「うっせー」
「実はあれ、ヴィブティに渡してくれるかも……と、ちょっとだけ期待してたのですよ」
顔をしかめる。そこを突かれると正直痛い。
「そら最終ダンジョンでの単独生存率を考えたらミューよりヴィブティに渡すべきだったんだろうけどな。そもそもアンタは死なねえ疑惑……というかどっか適当なタイミングで偽装死する疑惑があったからな。渡してもしょうがねえだろ」
「本当にそれだけが理由ですか?」
「……勘弁してくれ。悪かったよ」
「ふふ、ごめんなさい、年甲斐もなく妬いてしまいました。では、そろそろ始めましょうか」
大賢者は黒のワンピースドレスの胸元に手を突っ込むと、そこから何かを取り出した。
それは蛍のような小さな光点。
その正体も俺は知っていた。ミューの気配をそこに感じるからだ。
「小せえな。こんなとこにいたのか、俺も二十二万のプレイヤーも」
大賢者の手元から離れて空中に静止した小さな光点。それは俺たちが1年を過ごしたあの仮想世界。こちら側の世界接触点でもある。
「この光を正しく断ち切ることができれば、その瞬間に世界蝕は終わり、二つの世界は離れていきます」
「……それ、そこにいるレンカやゾンやミューは大丈夫なのか?」
「ご安心を。斬るのはこの光の持つ世界接触点という情報のみですので」
ならいいのだが。
「成功率は7割だか8割だかなんだよな」
「それは基本成功率。世界蝕がもっとも断ち切りやすいのは二つの世界が接続したその瞬間ですので、光を斬るタイミングがそこに近いほど成功しやすくなりますし、遠いほど失敗しやすくなります」
「急いだ方がいいってことか。世界蝕が始まってからもう一分経ってんだもんな」
足元の白い道を指さす。この道こそが二つの世界がすでに重なっている証拠。
大賢者は真顔で首を振った。
「今斬ったところで成功率は1%くらいです。100%まで上げるには蝕の開始から0.1ナノ秒までに斬らなければなりませんでした。小数点の後ろに0が10個並ぶくらいの刹那ですね」
「はぁ!? 手遅れってことか!?」
「いいえ。今からその接続した瞬間を斬るのです」
大賢者はこともなげに言うと首元の梟の入れ墨に触れた。
集中するために瞼を閉じ、呪文を唱える。
「『時よ、奔れ』」
三度目の《時の凝縮》。正真正銘、それに残りすべての力を注ぎこんだらしい。大賢者は額に汗を浮かべ、大きく肩を上下させて苦し気に息をする。
「見えますでしょうか?」
「……ああ」
俺たちがいた仮想世界である光の点。先ほどまで安定した光を放っていたそれが今は数秒間隔で明滅していた。
「世界断ちの剣に《時の凝縮》を掛けました。現在ヨシヤさんにかかっている分も上乗せされた次の斬撃は光速を超越し、およそ1分の時間遡行を果たします。
この光の明滅は遡行先の状態表示。光が最高潮になったタイミングに斬れば斬撃は世界蝕が始まる瞬間に遡行するので、ヨシヤさんはそこを狙ってください」
「待て待て待て、時間遡行だと? いや、百歩譲ってそれはいいとしても、一番明るいとこから0.1ナノ秒以内に斬りつけろってのは絶対無理だろ!」
「大丈夫。すでに我々の肉体は5億2560万倍に時を凝縮していますから、実際に求められる精度はせいぜい1秒の1/30、パチスロで言うところの1コマ目押し程度です」
「……なんでアンタがそんな俗な用語知ってんだ」
「後学のためと思って会社が倒産した後に遊んでみたのです。なかなかに刺激的な遊戯でしたよ」
大賢者は冗談めかした感じで親指でボタンを押すジェスチャーをする。田神が作った硬派な世界観のイメージが崩れる。マジでやめてほしい。
「そうそう、目押しと言えばヨシヤさんには運営チームの中で不正者疑惑が出てたんですよ。【受け流し】の成功率が高すぎる上に、あなたしか使えない【窃盗】グリッチなんてのもありましたから」
「は? マジ?」
「行動ログを解析してそれは白だと判定されましたけどね。ともかく、そういう特技――才能をあなたが持っていることを知ってから、私はこの最後の役目をあなたに託せればと思っていたのです」
「……ヴィブティの姿で近づいてきたのはそのためか。ってかじゃあ、さっきの三択でレンカかミューが代表者に選ばれてたらどうするつもりだったんだよ」
「どうせヨシヤさんが選ばれると確信してましたので」
片目を閉じて笑う大賢者。
なんかこれもイメージと違う。
「マジでアンタも悪戯好きだな。ホントに三百年も生きてんのか?」
「相手がヨシヤさんだからですよ。どことなく義兄に似てるのでつい甘えてしまうのです」
楽しげに目を細めて大賢者が俺の頬を撫でてくる。
この女の義兄っつったら{十二の月が巡る大地}最大の英雄、始祖勇者だ。そんなもんと俺が似てるってのは……それも嫌だな。イメージ的に。
「1コマ目押し……ビタ押しか」
数秒置きに明滅を繰り返す光の点を見つめながら、エアうどん捏ねをして独り言ちる。
パチスロの1コマ目押しなんて普段の俺ならまず失敗しない。だがボタンと剣じゃ勝手が違うし、そもそもベットするのが世界まるごと一つではプレッシャーが違う。
全身が心臓になったかのように血管が脈動している。
目の前が真っ白になりそうな感覚すらある。
「世界を救うなんて柄じゃねえんだが。……でも、そうか」
肺から弱音を絞り出すように息を吐いて開き直る。
世界だなんだと考えるから緊張するのだ。
自分の周辺だけに事態を矮小化して考える。
すると次第に気持ちは落ち着いてきた。
『ヤられる前にヤる』が俺の信条だ。
『ヤられたらヤりかえす』心構えもある。
こっちはすでに一人ヤられているのだ。ヤられっぱなしで済ますわけにはいかない。
小さな光点。仮想世界。世界接触点。
その前に立ち、両手で剣を構える。
瞬間、理解した。道の先からやってくる数多の魔族たち。その中にこちらを認識した者がいる。極限まで凝縮した時の中で行動する俺に気づくとはたいしたものだ。
だが、もう遅い。
世界蝕は二百年周期。だからこいつらも二百年準備してきたんだろうが。
「わりぃが今回はなしだ。二十三世紀に出直しな」
俺を認識した魔族に煽るように笑ってみせて、剣を振りかぶる。
「またな」
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20XX/12/31 23:59:59:99
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光の最高点。蝕の接続。
世界と世界がつながるその瞬間を狙い、世界断ちの剣を振り下ろす。
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20XX/01/01 00:00:00:00
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光を断ち切ったその瞬間、青白い剣身が粉々に砕け散った。
そこに秘められていた膨大な量の魔力――始原竜、田神大悟の魂、賢者の石、叡智の聖印、試練の対価――それらすべてが世界接触点の残骸である光の粒子と共に辺りに広がる。
視界を埋め尽くす眩い閃光。
その光に道を切り裂かれ、溶けあう定めの二つの世界が分かたれる。
繋がった1秒間などなかったかのように。
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[ユリアーネ]:『さよならヨシヤさん。当世の英雄。あなたの行いは他の誰が知らずとも、この私、大賢者ユリアーネ・アシェクが覚えておきます。どうか、いつまでもお元気で』
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そのメッセージの表示と共に大賢者が俺の元を離れたのが気配で分かった。
使命を果たして帰還したのだ。
俺もまた覚えておこうと心に誓った。
俺たちの世界を救うために異世界からたった一人で来てくれた、あの女性の行いを。
☆
光の中で見覚えのある映像が展開される。
訪問者である自分が蝕を経由して元の世界に帰還するムービー。それはMMORPGであったイクリプス・オンラインのエンディングとまったく同じだった。
サービス終了の日に最終ダンジョンをクリア済みの者の画面にのみ流れた一分少々のあのムービー。
十二の月を持つ青い惑星――十二の月が巡る大地が離れて行く。
故郷である世界の方角へ引き戻され、引き戻され――。
接続が切断される。
そして脳が覚醒した。
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・Tips
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