二人で観光
(……ん?)
服を軽く引っ張られる感覚に恵菜が目を覚ます。
一瞬だけ敵襲を疑う。しかし、周りにそれらしき気配は感じられない。仮に気配を消して侵入してきたとしても、態々寝ている人物を起こす様な失態はしないはずだ。
そうなると、今引っ張られた感覚は隣で寝ている彼女によるものだろう。恵菜がゆっくりと顔を横に向ける。
その視線の先では、予想通り、目を閉じたエリスが恵菜の服の袖を小さく摘まんでいた。
「……ぅ……誰、かぁ……」
助けを求める様に、エリスの口から声が漏れる。その寝顔は悪夢に魘されているかのように辛そうだった。
(そうだよね、あんな事があったら悪い夢も見ちゃうよね)
恵菜が今日あった出来事を思い出す。
知らない男達に追いかけられていたエリス。あのまま捕まっていれば命を落としていたかもしれない。
いや、死ぬだけならまだしも、さらに辛い思いをする可能性も高かった。感じる恐怖も相当なものだっただろう。
それはあの時のエリスの様子からも窺い知れる。何せ、見つけたばかりの女の子に助けを求めるぐらいなのだ。
普通に考えれば、年の近い女の子に助けを求めてもどうにかなるとは思えない。だが、彼女は冷静な判断ができなくなるぐらいに切羽詰っていたのだ。どれくらいの恐怖を感じていたのかは簡単に想像がつく。
いくら時間が経ったとはいえ、簡単に忘れることなどできないだろう。トラウマのように、恐怖が頭の片隅に残っていてもおかしくはない。それが原因で魘されているのかと思うと、恵菜は何かしてあげられずにはいられなかった。
「大丈夫、今は私が付いてるからね」
エリスに小さく語りかけ、そっとエリスの手を握ってあげる。すると、不思議とエリスの顔も段々普通のものへと戻っていく。
「……ありがとう、ございます……エナちゃん」
その言葉を聞いて恵菜が呆気にとられる。もしや実は起きているのではと思ったが、その後は小さな寝息しか聞こえてこない。単なる寝言だったようだ。
(あ、あれ? 手、離れない)
一瞬の間に、恵菜の手はしっかりとエリスの両手で包み込まれていた。そっと引き抜こうとしても、エリスの手が一緒に付いてくる。思いっきり引っ張れば抜けるかもしれないが、そうすると確実にエリスを起こしてしまうだろう。
(まあ、いっか)
折角落ち着いて寝始めた彼女を起こすのは忍びない。それに、手を離してしまえばまた魘されだすかもしれない。そう考えた恵菜は、手を離すことを諦め、目を閉じて再び眠りについた。
次の日の朝、先に起きたエリスが恵菜の手を握りしめてしまっていることに気づき、しばらく顔を真っ赤にして悶えることになったのだが、幸いなことに恵菜がそれを知ることはなかった。
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「エナちゃん。あそこにあるのは何なのですか?」
「えっと、確か水が出てくる魔道具だったかな。青くなってる所を押すと水が出てくるの。使い捨てだけどね」
「それでは、あっちの物は何ですか? ただの木の棒に見えるのですが」
「あれは虫よけだよ。削り屑を燃やすと、虫が嫌がる煙が出るんだって」
エリスが目に映った物が何なのかを片っ端から尋ね、恵菜がそれに答える。
今、二人はランドベルサの街中を一緒に歩いていた。
何故エリスも一緒に街を出歩いているのか。単純に、エリスが「私も連れて行ってください!」とお願いしたからである。
最初は恵菜も渋っていた。街に連れて行くと、また追いかけられる危険性が高いからである。
しかし、泣きそうな顔で深々と頭を下げて頼み込んでくるエリスの姿を見て、恵菜はその頼みを突っぱねられなくなった。また、一人宿に残していくのも不安だったので、こうして一緒に街を歩くことにしたのである。
だが、流石に何の対処も無しに外に出るわけにはいかない。そこで、一旦、恵菜はエリスを宿に残らせたまま街へ行き、変装に必要なもの(帽子や伊達眼鏡などの小物類)を買ってきて、エリスに身に着けさせていた。
実用性は求めていないため全て安物だが、変装する前と後では、エリスの雰囲気は随分と変わっている。そのおかげかどうかは分からないが、今のところ変な連中に目を付けられてはいない。宿を出た当初はエリスも少々ビクついていたが、今は至って普通の状態に戻っていた。
「ではあそこの虹色をしたカエルは何ですか? もしかして食べられるのですか?」
「食用だった気がするけど、私は料理しないからね?」
「何故ですか? もしかすると美味しいかもしれませんよ? それに、エナちゃんは料理が上手じゃないですか。昨日作ってくれた料理も美味しかったですよ」
「料理の腕を褒めてくれるのは嬉しいけど、私はあれが食材に見えないよ。調理法も全然知らないし……むしろ、エリスちゃんがどうしてそんなにカエルに積極的なのかが分からないよ」
何故か虹色のカエルもどきを見て、目を輝かせているエリス。あれのどこに彼女の心を揺さぶるものがあるのか、恵菜には全く理解できなかった。
「ところで、エリスちゃんってこの街に住んでるんだよね?」
「もちろんですよ。ですが、どうしてですか?」
「いや、普段から街の中にいるにしては、知らない事が多い気がしたから」
さっきからエリスが尋ねて恵菜が答えるというパターンばかりだ。本来なら、街の子であるエリスが、最近街に来たばかりに恵菜を案内する、という方が自然である。
「え、え~っと……それは――」
「へい! そこの可愛らしい嬢ちゃん方! ちょっと見ていかねえかい!? お似合いの品が見つかるかもしれねえぜ!」
エリスが答えづらそうにしていると、横の方にある露店から声がかけられる。
顔を横に向けると、そこには頬に傷痕がある顔のおっちゃんがいた。営業スマイルで恵菜達のことを見ている。
「あ! エ、エナちゃん! 何かあるそうですよ! 見てみませんか!?」
助け舟を見つけたかのように、エリスが強引に話を逸らしにかかる。
「……そうだね、ちょっと見てみよっか」
言葉に詰まっていたということは、答えづらいことなのだろう。無理に追及すれば、繋いだばかりの友達の絆を断ち切ってしまうかもしれない。
数少ない普通の女の子友達だ。大切にしたい。恵菜はエリスの逸らした話に乗ることにした。
「へい、いらっしゃい! 色々見てってくんな!」
二人が近づいた露店で売っていたのは、ペンダントやブローチなどといった、何の変哲もないアクセサリーの類だった。しかも、厳つい店主の顔つきとは裏腹に、女の子受けしそうな物が多い。
「うわぁ~、可愛い物ばかりありますよ」
「本当だ。それに、一つ一つの造りがとても丁寧だね」
「おっ、嬉しいねぇ。そう言ってくれると作り甲斐があったってもんよ」
「え? じゃあもしかして、ここにあるのは全部……」
「おうよ! 嬢ちゃんの想像通り、俺の作品だ!」
店主が胸を張って答える。
「昔っから細かい作業が好きでな。一度、こんな感じのものを作って娘に渡したら思った以上に喜ばれてよ。それ以来、仕事の合間の暇な時間にちょこちょこ作ってんだ」
「仕事って、ここにある物を作る事じゃないんですか?」
「いや、これは完全に趣味だな。本職は鍛冶師だ」
そう言って朗らかに笑う店主。しかし、本人は趣味と言っているが、並んでいる商品の出来はどれも高水準で、もはや趣味の域を超えている。
「可愛い物しかないのには、何か理由があるのですか?」
「そりゃあ、そっちの方が喜ばれるからな。武骨な物を作っても需要が無い。着飾るのは野郎じゃなくて女性だしよ」
「でも、こんなに安かったら、たくさん売れても採算は取れないんじゃ……」
恵菜が商品の値段を見て感じた疑問を口にする。店の商品はクオリティが高いにもかかわらず、軒並み低価格――どれだけ高くても銅貨五枚が上限だった。
「それは問題ねえ。仕事で使い物にならなくなった金属を再利用してるから、材料費はほぼゼロだしな。それに、別にこれでガッポリ儲けようとは思ってねえしよ」
「それじゃあ、どうして露店を?」
「あー、ぶっちゃけると、喜んでた娘の時みたいに、俺の趣味で作った物で誰かを笑顔にしてぇだけだ。ま、仕事仲間からはおかしな奴だって笑われたけどな」
頭を掻きながら苦笑いを浮かべる店主。若干言いづらそうだったのは、恵菜達からも笑われるのではないかと思ったからだろう。
「全然、そんなことないですよ。笑われるような事はしてないんですから、自信を持ってください」
「そうですよ。私からすれば、絶対その笑っていたという人達の方がおかしいと思います」
だが、店主の言葉を聞いた恵菜とエリスの顔には、嘲笑ではなく尊敬の眼差しがあった。
儲けることより他人の幸せを追求する。その姿勢を笑う事など、彼女達にできるはずがなかった。
「がっはっは! 褒めてくれたり励ましてくれたり、嬢ちゃん達はほんと良い嬢ちゃん達だな! 気に入った! ここにある物の中から、嬢ちゃん達が欲しいやつを一つずつプレゼントしてやらぁ!」
「え!? 良いのですか!?」
「ああ、男に二言はねえぜ!」
「それなら、私はこれにします!」
店主の言葉に甘え、エリスが即座に何かの鳥が彫られたペンダントを手に取る。余程欲しかったのだろう。あまりの早さに恵菜が何かを言う暇もなかった。
「本当にいいんですか? お金ならちゃんと払いますけど」
「さっきも言ったろ。俺は儲けるためにやってんじゃねえってな。お代は嬢ちゃんの笑顔でいいぜ」
店主渾身の作品をタダで貰う事に気が引ける恵菜だったが、そこまで言われてしまえば断るのも憚られる。
それに、今は丁度何か手頃なアクセサリーが欲しいと思っていたところ。恵菜も素直に店主の好意に甘えることにした。
「じゃあ、これを貰っていいですか?」
「おう。好きに持っていっていいぜ」
恵菜が選んだのもエリスと同じペンダント。しかし、エリスの選んだものとは違って、彫られているのは鳥ではなく花だった。
「ありがとうございます。大事に使います」
「私も大切にします! ありがとうございました!」
恵菜とエリスが揃って笑顔でお礼を言う。店主も二人の笑顔が見られて満足そうだった。
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露店を離れてしばらく歩き、広場まで来たところで、恵菜が足を止める。
「さて、それじゃあ、エリスちゃん。今から少しだけ時間を貰うけど大丈夫?」
「何か用事があるのですか?」
「ん~、そんなところかな。ちょっと試したいことがあるの」
そう言って恵菜が近くにあるベンチに腰掛ける。そして、先程貰ったペンダントを手に取った。
「そのペンダントをどうするのですか?」
「魔道具にするの」
「ま、魔道具、ですか?」
「そう。まあ、見てれば分かるよ」
説明するよりも実際に完成品を見せた方が早い。そう思った恵菜は魔法陣を描くための道具を収納袋から取り出し、早速ペンダントの裏側に一つの円を描き、小さな文字をその内側に書き始めた。
「な、何やら凄く細々とした作業ですね……」
「別に魔道具が全部こうしなきゃいけないわけじゃないんだけどね。ただ、ペンダントが少しちっちゃいから、小さく書かないといけないの」
ペンダントの大きさは恵菜の手の半分以下しかない。収納袋の時は使えるスペースが大きかったため、余裕を持って魔法陣を描くことが出来たが、今回は小さく書かないと書ききれない。
だが、恵菜はこういった細かい文字を書くのが得意である。一時期、ノートをいちいち買いに行かなくてもいいように、ノートの一行の幅に三、四行の文字や数式を書いていたぐらいだ。もっとも、先生に提出した際に「読めない」といって付き返されてからは、普通の文字で書くようになったが。
閑話休題。
そんな謎のスキルを駆使して、恵菜は小さな古代語を円の中にビッシリと埋め尽くしていく。
「これで……よし!」
最後の一文字を書き終え、ふぅっと息を吐く。かかった時間は僅か五分だ。
「それで、そのペンダントは一体どのような魔道具になったのですか?」
「遠話器だよ。離れた人と話せるようになるっていうアレね。少し改良してあるから、他の物より遠く離れた人と話せるはず」
「改良……どれくらい離れて話せるのですか?」
「ん~、今は距離を遠くまで設定してないから、ここからトランナまでが限界かな。伸ばそうと思えば、まだまだ伸ばせるけどね」
「ト、トランナまでですか!?」
恵菜の説明を聞いたエリスが目を丸くする。
ランドベルサからトランナまでは馬車で数日かかる。通常の遠話器の効果範囲が百メートルしかないのと比べれば、性能は数百倍以上も高いことになる。
しかも、恵菜の言っていることが本当なら、これ以上離れても使えるようにできるというのだ。エリスだけでなく、遠話器が何か知っている者であれば誰でも驚く。
「本当に、そんなに離れていても話すことができるのですか?」
「できるはずだよ。といっても、まだ試してはないんだけどね。だから、これでちょっと試してみようと思ったの」
恵菜は露店でこれを見つけた時から、遠話器にしてみようと考えていた。露店を去る時、大事に「使う」と言ったのはそういった意味も含めてだろう。
だが、恵菜は大事な――むしろ当然と言えば当然の事を忘れていた。
「あれ? そういえば、確か遠話器は二つあったと思うのですが、もう一つはどこにあるのですか?」
「…………」
恵菜の思考が停止する。何故、そんな当たり前のことを忘れていたのか、自分でも不思議なくらいだった。
遠話器は二つで一つの魔道具。そうでなければ、誰かが声を送ることはなく、声を誰かから受け取ることもない。今作った一つだけでは、元々のアクセサリーとしての価値しかない。
あの露店へ戻り、新しく別の物を買ってきて、それをもう一つの遠話器とすれば問題は解決する。だが、あの店主は他の人を喜ばせるためにアクセサリーを作って売っていると言っていた。しかも、自分一人の手で。
できる限り、あのアクセサリー達には多くの人の手にわたってほしい。そう考えている恵菜には、遠話器の試作目的でもう一つ買いに行く気にはなれなかった。
だが、そうなると遠話器としてお手頃な物は何もない事になる。
いっそのこと、そこら辺に落ちている石ころに魔法陣でも書いてテストしてみようか。そんなことを恵菜が考え始めた時、エリスから一つ提案――というよりはお願いに近いものが投げかけられる。
「エナちゃん。私のペンダントも遠話器にしてもらえませんか?」
「エリスちゃんのを?」
「はい。そうすれば、遠話器として使えますよね」
昨日の約束では、エリスは今日――具体的には夜になる前に家へ戻る(正しくは恵菜が送り届ける)ことになっている。そこで恵菜とはお別れである。
さらに、恵菜は今日の休息日で依頼受注謹慎期間から解放される。そうなれば、街にいる時間よりも街の外にいる時間の方が多くなるだろう。そんな状況では街中で再び会う事も話をすることも難しい。
だが、エリスのペンダントを遠話器化すれば、少なくとも片方の問題は解決する。
「でも、いいの? エリスちゃん、確かそのペンダント大切にしたいって……」
「エナちゃんがこれを遠話器にしても、ペンダントが壊れませんよね。それなら何の問題もありません。むしろ、エナちゃんの手が入った分、もっと大切にしようって思えます」
遠話器にするための魔法陣は、ペンダントの裏側に描かれている。普通に身に付けていれば見た目も普通のままだ。アクセサリーとしての価値はほとんど失われない。
「分かった。それじゃあ、ペンダントを少しだけ借してもらっていい?」
「はい、喜んで」
恵菜がエリスから渡されたペンダントに、ササッと魔法陣を描きあげる。
「よし、出来上がり」
「ありがとうございます。それで、これはどうやって使うのですか?」
「ペンダントを握りしめて少しすると、私のこれと繋がるようになってるよ。後は、そのままペンダントに話しかけたり、耳を傾けたりするだけ」
すぐに相手と繋がるようにすると、意図せずこちら側の音が相手に伝わってしまう可能性がある。それを防ぐために、敢えて繋がるまで猶予を設けている。
「分かりました。これで、いつでもエナちゃんとお話できますね」
笑顔を浮かべるエリス。人によっては、いつでも恵菜と話せる手段を得て喜んでいるように見えるかもしれない。
だが、恵菜は何か違和感を覚えていた。その表情には喜びだけでなく、何か別の……まるで恐れていたことを回避できた、それこそ安堵のような感情が含まれているように見えたのだ。
では、エリスは一体何を恐れていたのか。思いつく中で一番あり得そうなのは、エリスが恵菜と会えなくなることだ。
一先ず、恵菜はランドベルサの周辺を見た後は、フリフォニア全土を廻ってみるつもりである。その後のことはまだ考えていないが、どこか別の場所へ行く可能性が高い。
そうなると当然、エリスとは会えなくなる。そのため、どこかへ行っている間も話したいとエリスが思っても不思議ではない。
しかし、そこまでの事はまだエリスに話していない。恵菜が旅人であると予想し、どこかへ行ってしまうと考えたにしても、魔術師の恰好をしている恵菜の見た目から、恵菜が旅人であるとまで判断するのは難しい。予想できて、冒険者が精々だ。
(だとすると……ああ、もしかして、心配かけた罰として家に閉じ込められるって思ってるのかな?)
流石に二日も帰らないとなると、エリスの両親も不安になってくるだろう。当然、帰った時には怒られるに決まっている。
日本の場合、夜遅くまで遊びすぎていた子供は家に入れてもらえない。逆に、外国では遊びに行けないように家の中に閉じ込められてしまう。日本らしさがほとんどないこの世界では、後者の風習があってもおかしくない。
「大丈夫。エリスちゃんの家族が許してくれるようになったらまた会えるよ」
「そう、でしょうか……」
「そうだよ。もし会えなかったら私から会いに行くから」
エリスの両親が長期間に亘って外出を認めなかった場合、恵菜がこの街から旅立ってしまう可能性がある。その時は絶対に街を発つ前にエリスに会いに行こうと、恵菜は心に誓った。
「そうですよね……またいつか、会えますよね」
「そうそう。よし! それじゃあ、残された時間を有意義に使いますか!」
一時的にエリスを励ますことに成功した恵菜は、エリスの手を取って街の散策を再開するのだった。
いつの間にか、すごく仲良くなってる。




