浮かぶ名案?
「はぁ~……」
重い足取りそのままにギルドを出てきた恵菜は、宿へと戻る道のりをのろのろと歩きながら大きくため息を吐く。だが、そうしたくなるのも無理はない。街の外へ行くこともできなければ、お金を稼ぐことも難しくなってしまったのだから。
あのままギルドに居たところで何もできない以上、恵菜ができることは街の探索ぐらいしかない。しかし、落ち込んでいる今はそんな気分でもなさそうだ。
明日の朝一番にギルドへ向かい即座に依頼を受注すれば、そこそこ報酬の良い依頼を二つぐらいこなすことも可能かもしれない。そんな僅かな希望に期待した恵菜は、明日に備えて今日はもう宿に戻り、早い時間帯に寝ることに決めた。
普通に歩けば十数分程度の道のりを、その何倍もの時間をかけて宿へと戻ってきた恵菜は、そのまま自分の泊まっている部屋のベッドの上に倒れ込む。
「数時間前……いや、むしろ昨日の私を呪いたい」
何やら物騒な言葉が恵菜の口から洩れる。その気持ちも分からなくはないが、流石の恵菜も過去の自分に呪いをかけることは不可能だ。そこまで人間を辞めてはいない。
「そもそもあの時……トランナで冒険者ランクを上げておけば良かったのかな……?」
フェンリル騒動を意図せず解決してしまった時、恵菜は金ランクまで昇格することが可能だった。あの時は変に目立つのを避けるために自らそれを辞退したが、そんな事を気にしないでその権利を貰っておけば、現状でも依頼は自由に受けられただろう。
しかし、いくらこの世界で魔法が発展していると言っても、自由に時間遡行ができる魔法や魔道具などは存在しない。過去の世界へ行くことができないのはどの世界でも同じだ。
「はぁ~……とにかく、早くお風呂に入ってご飯食べて寝よう……」
たとえ落ち込んでいる時であっても、恵菜の頭の中にお風呂に入らないという選択肢は無い。だが、むしろ落ち込んでいるからこそ、気分転換にはうってつけの方法かもしれない。
ゆっくりと起き上がった恵菜は、収納袋の中から昨日買った石鹸を取り出そうとする。しかし、収納袋の中があまりにも広いせいか、思うようにお目当ての物が見つからない。
「う~ん、容量が大き過ぎるのも困りもの……ん?」
恵菜の指先に、何やら薄っぺらくて角ばったものが触れる。その感覚は、明らかに石鹸や食材を入れた袋から伝わってくるものではない。唯一あり得そうな冒険者カードも収納袋には入れておらず、いつもすぐに取り出せるような場所に仕舞ってある。
こんな物を入れていただろうかと気になった恵菜は、触れたそれをそのまま摘まんで引っ張り出す。
出てきたのは一枚の封筒――トランナを出発する前に貰ったグランからの手紙だった。
「そういえば、こんなのも貰ってたっけ。すっかり忘れ……」
つい数日前のことだというのに、恵菜はその存在を完全に忘れていたようだ。
そのまま懐かしそうに手元の手紙を眺めていたが、何かを思い出したように、その目が徐々に大きく開かれていく。
次の瞬間、恵菜は素早く収納袋をひっくり返し、中に入っていた物を全部外へ出してしまった。今日買ってきたばかりの物や先程まで探していた石鹸も出てきたが、それには一切目もくれずに、恵菜は散らばった荷物を掻き分ける。
そして――
「これだ!」
恵菜は大声を上げながら、探していた物を見つけ出した。
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夜が明けて、鳥が鳴き出し始めようかという頃――
朝早くからギルドに行くと昨日から決めていた恵菜は、もうギルド内の依頼が張り出されるボードの前に来ていた。だが、他の冒険者達も既にボードの前に集まっており、新しい依頼が張り出されるのを待っている。
「人気の商品が発売される時みたい……」
ボード前の人混みを見た恵菜の頭に思い浮かぶのは、日本にいた時にニュースで見た長蛇の列の映像。だが、日本のニュースで偶に紹介されていたような、人気商品を求めてお店の前にズラッと並ぶ行列と違って、恵菜の目の前にいる冒険者達は順番に並ぶという考えを持っていない。あるとすれば、張り出された依頼を如何に素早く奪い取ることができるかという考えぐらいだろう。
そんなピリピリとした空気の中、一人のギルド職員が依頼書の束を持って現れる。
「申し訳ありません。依頼を張りますので、少し場所を開けていただけますかー?」
「っしゃあああああ!」
「こいやあああああ!」
「やったらあああああ!」
ギルド職員の言葉通り、素直にボードまでの道を開けながら、各々が気合の入った声を張り上げる。まるで魔物と戦う直前みたいな気合の入れ様だが、今から行われるのは依頼の仕事ではなく、あくまで依頼書の争奪戦だ。
その程度の事にそこまで気合を入れなくてもいいのではないかと思えるかもしれない。だが、銅ランクの冒険者は、ここで依頼を手に入れられなければ本日の稼ぎがゼロとなるのだ。そうなるのも仕方がない。
ちなみに、冒険者の間では、全ての依頼が貼られる前に依頼を取ったり、職員の手から依頼書を奪い取ったりしてはいけないという暗黙の了解が存在する。
何故この様なルールがあるのか。それは昔、一人の冒険者が犯した愚行が原因だ。
数年前、とあるギルドにとても可愛い女性の職員がいた。彼女は他の職員や冒険者からギルドのアイドル的存在として認識されており、全員が彼女のことを大切に思っていた。
ところがある時、初めてそのギルドを訪れた荒っぽい冒険者が、依頼を張り出していた彼女の手から依頼の束を強引に奪い取ろうとした事件が起きた。冒険者と違って一般人である彼女は、突然の事に抵抗できず、突き飛ばされて怪我をしてしまう。その冒険者は、普段からそのギルドを利用する冒険者達によってボコボコにされたが、心にも傷を負った彼女はギルド職員の仕事を辞めてしまった。
そして、彼女がいなくなったことを悲しんだ者達は、二度とこんな事が起きないよう、職員に怪我をさせないためのルールを作った。悲しい事件だが、これがこの暗黙の了解が生まれた経緯である。
現在では多くのギルドに広まっており、普段から騒いだり暴れたりしている彼らも、何故かこういったルールは律儀に守っている。
しかし、一旦ルールの外側になれば……
「てめぇ! どう見ても俺の方が早かっただろうが! その破れた依頼書の半分さっさと返しやがれ!」
「おめーの目は節穴か! 俺の方が依頼書はでけぇだろ! 今のは僅差で俺が先だ!」
「取ったああああああ! って、今取った依頼書どこ行きやがった!? 誰か盗りやがったな!?」
「盗ったなんて人聞きの悪い奴め! どこにもお前の名前なんて書いてねえぞ!」
職員が依頼を張り終えて離れた瞬間に消えていく依頼書。飛び交う怒号。喧嘩を始める冒険者達。そこにはもはや秩序など存在していなかった。
そんな冒険者達の戦場から少し離れた位置で、恵菜は消えていった依頼書の内容を見ていた。
「んー、まだ依頼の制限は掛かったままかぁー」
一瞬で消えていった依頼書は、ほとんどが街の中で行う銅ランクの依頼だった。昨日、冒険者から聞いた情報通り、街の外へ向かう銅ランクの依頼は一切ない。ガーゴイルが大量発生した原因が未だに分かっておらず、銅ランクの冒険者が街の外へ出ないようにしているのは間違いなかった。
しばらくして、冒険者による依頼の奪い合いも終わりを告げる。依頼を手にした冒険者が意気揚々とカウンターへと向かい、惜しくも敗れた冒険者はトボトボとギルドの外へと出て行く。
だが、よく見ると銀ランクの簡単な依頼(元銅ランクの依頼)はまだ少し残っていた。
簡単とはいえ、街の外へ行く依頼である以上、一日で終えられる依頼は少ない。そのため、昨日同じ様な依頼を受けていった冒険者がまだ帰ってきておらず、受ける冒険者の数が減って競争率が下がったのだろう。
しかし、銀ランクの依頼が少し残った一方で、銅ランクの依頼は昨日と同じくきれいさっぱり無くなっていた。受けられる依頼がなくなって、恵菜もさぞ落ち込んでいるだろうと思われたが、意外にも当の本人にはそれ程精神的ダメージを受けた様子は見られない。
「やっぱり、こうするしかないかな」
自らを納得させるかのように呟いて、恵菜はカウンターにできたいくつもの行列の一つに並ぶ。当然のことながら、依頼書の争奪戦に参加していない恵菜の手には、何の依頼書も握られてはいない。
「次の方、どうぞー」
前にいた冒険者がカウンターから離れ、恵菜にカウンターから声がかかる。カウンターで多くの受注手続きを済ませていた職員は、恵菜が最後の一人であることを確認して安堵の表情を見せていた。
「それでは依頼書を拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」
笑顔で対応する職員。だが、その言葉に対して恵菜は首を横に振る。
「依頼書はありません。でも、依頼を受けさせてほしいです」
「……は?」
恵菜の言っている意味が分からなかった職員が、思わず間の抜けた声を出し、口をポカンと開けたまま固まる。だが、大きな街のギルドに努める職員だけあって、すぐに気を取り直して姿勢を正す。
「えー、何か依頼を紹介してほしいということですね。冒険者ランクはどれくらいでしょうか?」
「銅三ランクです」
恵菜が冒険者カードを見せながら答える。恵菜の言う通り、冒険者カードには銅色の星が三つ表示される。
「分かりました。それでは張り出されている銅ランクの依頼を確認して――」
「確認しなくて大丈夫ですよ。あそこに張り出されている銅ランクの依頼はもう無かったですから」
立ち上がりかけていた職員を引き留める恵菜。態々、無いと分かっているものを探しに行かせる必要はない。
「……そうなりますと、少々申し訳ないのですが、今紹介できる依頼は無いとしか……」
「分かってます。でも、私が受けたいのは、今張り出されてる銅ランクの依頼じゃなくて、最近まで銅ランクだった依頼です」
今まで何とか笑顔を保ちつつ己の仕事を果たそうとしていた職員だったが、それを聞いた瞬間に顔から笑顔は吹き飛び、代わりに困惑の表情を浮かべた。
「え、えっと……つまり、その、以前は銅ランクで今は銀ランクとなっっている依頼を受けたい、ということでしょうか?」
「そうです」
「一応確認したいのですが……自分のランク以上の依頼を受けることができないのはご存じですよね?」
「はい。実力が不足していると判断されるから、ですよね」
「その通りです。それを知っているということは当然、今の要求が通らないことをご自身も理解していると思うのですが……」
「確かに、冒険者ランクだけで判断するならそうなると思います。でも、実力があるって証明できれば、少なくともつい最近まで銅ランクだった依頼ぐらいは受けても大丈夫じゃないですか?」
ギルドが冒険者と依頼にランクを定めているのは、実力に見合わないような依頼を受けてしまうのを防ぐためだ。その他にもコツコツと簡単な依頼から受けさせることで、冒険者に必要な知識や経験を積ませるためという理由もあるが、最初のものが一番主な理由である。
つまり、実力があれば自分より上のランクの依頼を受けても理屈上は問題ないはず。恵菜はそう考えたのだ。
「り、理屈上はそうなるのかもしれませんが、前例がありませんので何とも……それに、実力を証明すると言われましても、一体どのように証明するのでしょうか? 銅ランクの冒険者が街の外へ出るのは禁止されていますから、今から魔物を狩ってくることはできませんよ」
「これならどうですか?」
実力を証明できる良い方法が思いつかない様子の職員に、恵菜が一枚の封筒を取り出して渡す。
「これは……?」
「トランナでグランさんから貰ったものです」
「グラン……? ま、まさか、トランナのギルド長ですか!?」
恵菜の口から出た人物の名を聞いて、職員が驚きながら裏返った声を上げる。職員は自分の耳を疑うように、恵菜から受け取った封筒の裏側を確認するが、そこにはギルドの書状であることを証明する封蝋と、トランナのギルド長の印が押されてある。紛れもなく本物だ。
冒険者個人がギルド長から何かを受け取ることは珍しい。あるとすれば、指名依頼で何らかの物を届けるように頼まれるか、功績を称えられて特別報酬を受け取るときぐらいである。だが、共通して言えることは、どちらの場合も実力を認められた冒険者のみが該当するということ。つまり、この封筒を持っていたという事実だけで、恵菜に一定の実力が備わっているという証明になる。
「も、申し訳ありませんが、一旦こちらを預からせてもらってもよろしいでしょうか?」
「どうするんですか?」
「ギルド長に相談してみます。これは私の手には余りかねない事ですので」
恵菜の目の前にいる職員は、あくまで一介のギルド職員にすぎない。今この場で自らの判断で何かを決定できる程の権力は持っていない。特に、今回の依頼制限に関してはギルド長が決めたことであるため、ギルド長の許可がなければ何もできないのだ。
「それなら構いませんよ」
「ありがとうございます。それでは、少々お待ちください」
職員が全力疾走でギルド長室へと向かっていく。そして、その場を離れてから一分も経たぬうちに、職員は同じ様に全速力で戻ってきた。
「お、お待たせ、しました……」
日頃から室内での仕事ばかりしているせいで体力はあまりないのだろう。全力ダッシュ(意外と長い階段の上り下り含む)を終えたばかりの職員は息切れを起こしていた。
「だ、大丈夫ですか……?」
「問題、ありません……それで、ギルド長が、一度お会いしたいと……詳しい話は、そちらで、お願いできますか……?」
「わ、分かりました」
「ギルド長室は、最上階の、一番右奥の、部屋になります……こちらは、お返し、いたします……」
返された封筒を恵菜が受け取る。そして、役目を果たした職員は何かを成し遂げたような表情でその場に崩れ落ちた。
※職員は生きていますのでご安心ください。




