決着
(……あれ、あまり深くない?)
幸いなことに、恵菜が落ちた場所は足が着くほど水深が浅く、溺れることはなかった。
「――ぷはっ! っ~、『ハイヒール』」
水の中から顔を出した恵菜は、右腕に走る激痛に顔を顰め、怪我を治すために光属性の中級魔法ハイヒールを自分に掛ける。
受けたダメージが大きかったせいか、詠唱を省略したハイヒールでは完全に治癒することはなく、未だに多少の痛みが残っている。
しかし、我慢できない程ではなかったため、恵菜はそれ以上回復魔法を使おうとはしなかった。
『ほぅ、意外と頑丈だな』
吹き飛ばされてすぐに立ち上がってきた恵菜の姿を見たフェンリルがそう感心する。
「あなた程じゃないと思うけどね。まぁあなたの頑丈さの理由は大体分かってきたかも」
フェンリルに吹っ飛ばされるまでの間、戦闘中ずっとフェンリルに魔法が効かない原因をあれこれと考えていた恵菜の目は、今は確信に満ち溢れていた。
「全然魔法が効かないと思ったら、さてはあなた魔力で防いでいるのね」
『……何故そう思った』
「尻尾で攻撃された時、少しだけど魔力を感じたのよ」
フェンリルの尻尾が直撃した時、思った以上の衝撃が襲ってくると同時に、恵菜は自分以外の魔力の存在を感じた。
自分の体にある魔力を操る訓練を怠ることがなかった恵菜にとって、自分の魔力を認識することは非常に容易いことである。
「それに私の足元が突然凍ったり、尻尾の一撃で大怪我したり……普通ならあり得ない事に説明がつくとすれば、もうあなたが魔力を持ってて魔法が使える以外に考えられない」
いくらフェンリルがそこいらの獣よりも大きいといっても、毛がフサフサでさわり心地が良さそうな(少なくとも恵菜はそう思っている)尻尾は、一撃で重傷になる程の威力を持つ様には見えない。
だが、先程のフェンリルの尻尾による攻撃は、体が丈夫な恵菜の右腕を骨折させるだけの威力があった。
また、フェンリルが飛び掛かってくる時、恵菜の足元が氷漬けになっていたことも不自然極まりない。日はまだ沈んでおらず気温も比較的暖かいこの時間帯に、突然足元が凍るなど自然現象では起こりえない。
当然、恵菜は自分にデメリットになるようなことをしておらず、そもそも凍らせる魔法などユーリエから習っていない。
そうなると、恵菜以外でこの場に影響を与えられるとすればただ一匹――
『…………』
「黙ってるってことは、当たりかな?」
フェンリルは恵菜の推測を否定することなく沈黙し、恵菜はそれを肯定と捉える。
「じゃあ、やっとあなたの秘密が分かった所で、そろそろお返しといきますか」
陸地へと上がり、水を吸って重くなったローブが体に纏わりつくのも無視して、恵菜は再びフェンリルを正面に見据える。
『……我の秘密を暴いた所で、今まで我に傷一つ付けることができなかった貴様に何ができる?』
「あなたがそこそこの魔法を防げるなら、もっと強い魔法を使っても大丈夫ってことになるよね」
『何?』
「――行くよ、『ファイアーボール!』」
魔法を発動した恵菜の周囲に、ファイアーボールがいくつも展開され、次々とフェンリルに向かって飛んでいく。
『何をするのかと思えば、数が増えただけではないか』
恵菜が一体どんな魔法を使ってくるのか少し身構えていたフェンリルも、先程と同じ魔法が飛んできたことに肩すかしを食らう。
数がいくら増えたところで、威力が弱ければ避ける必要もない。フェンリルは余裕を見せつけるかの様に、その場を動かず魔法を受け止める。
「まだまだ! 『ストーンボール!』、『ウィンドボール!』、『アクアボール!』」
恵菜はそんなフェンリルの様子を見ても諦めるどころか、ファイアーボールに加えて他属性の魔法も同時に発動する。
全て最下級の魔法とはいえ、四つの属性を同時に発動するなど並大抵のことではない。
恵菜が放ったいくつかの魔法は、狙いよりも数を優先したかのように、フェンリルに直撃することなくフェンリルの真後ろや横へと着弾している。だが、魔法の数が多いだけに、それ以外の魔法は弾幕となってフェンリルに殺到する。
『いくら来ようが、その程度の魔法躱すまでもない』
しかし、魔法の密度が増してもフェンリルの対応は変わらない。
依然として自らの体に魔力を纏い、襲い来る魔法の雨を防ぎ続ける。
『……当たらなければ魔力の無駄遣いだぞ』
「戦ってる相手に助言なんて、随分余裕なのねっ! 『ファイアーボール!』」
『この程度の威力など、話にならんからな』
「その余裕がいつまで続くかしら! 『ウィンドボール!』」
魔法を受け続けても一歩も動かないフェンリルと、ひたすら魔法を撃ち続ける恵菜。
両者の我慢比べの様な戦いが続いているが、実のところフェンリルは魔法を受け続けなくとも、魔法が飛び交う中を突っ切って恵菜に襲い掛かろうと思えばできなくはない。
それでも、単純な飛び掛かりをしたところで簡単に躱されることが目に見えているためか、フェンリルの方から仕掛けることはしない。
先程フェンリルが使った足元を凍らせる方法も、恵菜が足元を警戒しながら魔法を撃っているため難しい。
そこで、フェンリルは恵菜の魔力切れを狙おうと考えていた。最下級の魔法は魔力消費量も少ないが、如何せん恵菜の場合その数が多すぎる。
この我慢比べを続けていれば、いつか恵菜が魔法を撃てなくなると睨んだフェンリルは、時間がかかっても確実に仕留められるように、その機会が訪れるのを待っていた。
だが、このまましばらく続くと思われた膠着状態は、恵菜が不意に魔法を撃つのをやめたことで終わりを迎えた。
『どうした、もう魔力切れか?』
あまりにも恵菜が魔法を連発していたため、よっぽど魔力量に自信があるのだろうと推察していたフェンリルだったが、突然魔法の雨が止み、自らが想定していた程の魔力量ではなかったのかと思いなおす。
いずれにせよ、恵菜が魔力切れとなったのならフェンリルは即座に仕掛けるべきである。
しかし、恵菜は魔力切れを起こしたにしては妙にしっかりと立っていた。
「……私の実力を見誤ったようね」
『何だと?』
魔力切れ以外に魔法を止めた理由が思いつかないフェンリルの耳に、恵菜の挑発とも取れる言葉が流れ込んでくる。
「本当に、私が威力の低い魔法だけを使ってると思った?」
『……どういうことだ』
「そうね、私に飛び掛かってくれば分かるんじゃないかな」
今度はそちらの番とばかりに、恵菜は無警戒に両腕を軽く横へと広げながらフェンリルを煽る。
油断しているようにも見える恵菜の行動に、フェンリルは自身の出せる最大のスピードで襲い掛かろうとする。
『あまり舐めていると痛い目を――っ!?』
一気に距離を詰めるため足に力を込めたところで、やっとフェンリルは異変に気付く。
『何故だ! 足が、動かん!』
口は動くし、言葉も話せる。それなのに足だけが動かない、というよりは地面から離れようとしない。
先程自分の使ったように、恵菜が氷で足止めしているのかとフェンリルは考えたが、自身の足を見ても凍っているどころか、おかしな箇所すら見当たらなかった。
『貴様! 一体何をした!?』
何が起こったのか訳が分からないフェンリルが恵菜に向かって吠える。
「何をしたって、魔法であなたが動けなくなるようにしただけよ」
『馬鹿な! そのような魔法、唱えてなどいなかったはず……』
「うん、唱えてないよ。無詠唱で、たくさんの魔法に紛れ込ませて撃っただけ」
淡々と答える恵菜の言葉に、フェンリルは目を皿にする。
恵菜がフェンリルを動けなくした魔法の正体は、闇属性上級魔法のシャドウバインド。
魔法の弾速が遅いせいで相手に避けられやすいうえに、相手の影に当てる必要があるなど、少々使い勝手の良くない魔法だが、その分効果は強力だ。
シャドウバインドは命中した相手をその場から動けないようにする効果を持ち、常に魔力を消費することで効果を持続させることができる。
術者が意図的に魔法を解くか、術者の魔力が切れるかしない限り効果は続く。
この上級魔法を、恵菜はあの弾幕に紛れ込ませて無詠唱で発動させ、フェンリルの影へと命中させたのである。
数多くの魔法を放ったこと、最下級魔法を無詠唱ではなく詠唱省略で撃ったこと、全ての魔法がフェンリルに向かわずに少し外れるようにしたこと、それら全てがフェンリルにシャドウバインドを当てるための作戦だった。
『くっ、だが、動きを止められても防御は可能だ!』
どれだけ頑張ってもその場から動けないフェンリルは、完全に防御を固めることにしたらしく、今まで以上の魔力を体に纏う。
『どんな強力な魔法であれ、永遠に動けないということはあるまい! 貴様の魔力が尽きるまで、全ての魔法を防ぎきればいいだけのこと!』
「随分自信があるのね」
『当然だ、人間の力なぞ高が知れる!』
「そう……じゃあ私が使えるとびっきりのやつをプレゼントしてあげる。流石に全力だと私も危ないから、少し抑えて撃つけどね」
『は?』
思わずフェンリルが出した間抜けな声を無視して、恵菜は魔力を制御して魔法の準備を始める。
「言ったでしょ、もっと強い魔法を使うって」
高ぶった魔力によるものか、これから発動する魔法の前触れなのか、恵菜の周りを風が舞う。
凄まじいプレッシャーがフェンリルに圧し掛かるが、自らの影が戒めとなっており、どうすることもできない。
「頑張って耐えてね、『サイクロン』」
恵菜が魔法を唱えた瞬間、周囲を天変地異が襲った。
湖沼だけでなく林一帯に暴風が吹き荒れ、木々は大きくしなる。
地面に生えていた草の一部は根っこごと引き抜かれ、巻き上げられた砂と共に一か所へ集まり、フェンリルを中心に形成された天へと延びる風の柱によって、一気に天高く巻き上げられていく。
そのあまりの暴風に、発動した恵菜ですら飛ばされまいと必死に地面に伏せている。
魔法のランクの中で、中級まで使える魔術師は一人前と評され、上級まで使えるようになれば一流と言っても過言ではない。
上級よりも上のランクがあるにも関わらず、一流と言われるのは理由がある。
最上級魔法を使える魔術師自体が少なすぎるのだ。例え適正のある属性であっても、最上級魔法を使うとなると話が変わってくる。
最上級魔法は消費魔力が桁違いに多いにもかかわらず、上級魔法よりも繊細な魔力制御が必要とされる。多くの魔力を同時に、且つ繊細に制御する技術は非常に高難度だ。
また、詠唱による制御補助を使おうにも、最上級魔法の詠唱文の文法や単語は難解なものばかりであり、最上級魔法だけは詠唱で全ての制御をカバーすることができない。
したがって、魔力が足りない、魔力の制御技術が拙い、古代語の理解が追いついていないなどの理由から、魔術師の多くは最上級魔法を使うことができないのだ。
だが、恵菜は天才的な魔法の習得速度とユーリエによるスパルタ修行によって、最上級魔法を使える程の魔術師となっていた。
風属性最上級魔法サイクロン。
その立ち上る風の渦を見ると、地球で言う竜巻が発生しているだけのように見えるが、竜巻の内部は風の刃が飛び交っている。同属性のウィンドカッターよりも鋭く、触れるものを悉く切り刻むそれはもはや空気のミキサーだ。
通常この魔法に巻き込まれたものは、風の刃で切り刻まれながら天高く飛ばされる。だが、フェンリルは先に受けたシャドウバインドの影響で、地面を離れることなく竜巻の中に囚われ続けていた。
時間にして数秒か、はたまた数分か、どれ程の時間続いたのか分からなかったが、徐々に魔法の効果が薄まり、竜巻の勢いが衰え始める。
伏せていた顔を上げ、砂埃が晴れるのを待っていた恵菜の目に飛び込んできたのは、所々に切り傷が付けられボロボロになりながらも倒れずに立ち続けるフェンリルの姿だった。
「詠唱省略したからって、まだ立ってられる程元気なのね……じゃあ――」
耐えきってみろとは言ったが、最上級魔法を受けてなお立ち続けるフェンリルの姿に、少なからず恐れ入る恵菜。
それでも戦いの最中であるため、すぐさま別の魔法を準備しようとする。
――ドサッ
「え?」
だが、フェンリルがその場で支えを失ったかのように崩れ落ちるのを見て、恵菜は魔法を中断する。
こちらを騙そうとしているのかと疑う恵菜に対して、フェンリルは一向に起き上がる気配がない。
恵菜は恐る恐るフェンリルへと近寄り、状態を確認する。
フェンリルは完全に気を失っていたが死んではいないようだった。恐らくサイクロンが消えた時には既に意識はなかったのだろう。
今まで立っていたのは、フェンリルなりの意地があったのかもしれない。
「……勝った、ってことでいいのよね」
いまいち勝利を実感できない恵菜だったが、すぐさまこれからどうするのかを考える。
「んー、目が覚めてすぐ襲い掛かってこないとも限らないし、まずはフェンリルをどうにかしないといけないかなぁ……その後は……へっくち」
可愛らしいくしゃみをして、恵菜は水の中へダイブしてずぶ濡れのままだったことを思い出す。
「服、乾かさないとね」
これからどうすべきかを決めて早速行動に移す恵菜だった。
加速する恵菜の人間離れ。
次話は明後日更新予定です。
行間を調整しました。(2023/7/2)




