頂点に君臨するモノ
――人間とは愚かな生き物だ。
それが危険な行為であると理解していながら、己の欲に溺れて手を出さずにいられない。災いをもたらすと分かっていながら、己の都合のみを優先して不都合から目を背ける。知能を持たぬ獣ですら決して近づかぬ場所にすら足を踏み入れる無謀さには、もはや感心するしかない。
その愚かな生き物に対し、我は常に無関心だった。
矮小なる生き物が何をしていようと興味は無い。何せ数だけは多い生き物だ。一々、その行動を気にかけていては気が休まらぬ。
だからこそ、我の縄張りが脅かされぬ限り、何をしていようが構わなかった。……そう、構わなかったのだ。今までは。
目の前に広がる荒れ果てた根城。縄張りに侵入者の気配を感じ、追い払うために一時不在となった間を狙われた。
恐らく、全ての人間が仲間なのだろう。でなければ、あの短時間で根城を襲われた理由の説明がつかない。
奴らの狙いが何だったのかはハッキリしている。我の宝だ。あの宝だけが、襲撃者と共にここから姿を消している。
今この瞬間、我は理解した。我の認識は間違っていたのだ。
――人間は害虫だ。放っておいたところで良い事など一つも無い。
いや、何もしなかったからこそ、奴らを付け上がらせたのかもしれぬ。そうだとすれば、一度分からせてやる必要があるだろう。
縄張りに入ってくるだけならばまだしも、我が根城を荒らすに留まらず、超えてはならぬ一線すら超えたとあれば、もはや許しておけぬ。
害虫は駆除しなければならぬのだ。
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「エリスちゃん、大丈夫? 寒くない?」
恵菜が馬車の向かい側に座るエリスに声をかける。
「はい、大丈夫です。……と言いたいところですが、少し寒くなってきましたね」
「やっぱり。ちょっと震えているように見えたから。――ほら、これも着るといいよ」
そう言って恵菜は自分が来ていた防寒用の外套をエリスに渡す。
ランドベルサを発ち、既にフリフォニアの北端にまで彼女達は迫っていた。
最初は問題無かったのだが、北に近づくにつれて気温も下がり、既に外は雪がチラつく程の寒さとなっている。恵菜とエリスが着ているドレスも厚手の寒冷地仕様だが、それでも寒いものは寒いのだろう。
「いえ、そんなの悪いです。それに、代わりにエナちゃんが寒くなるじゃないですか」
「私は大丈夫だよ。こう見えて、寒さには強い方だから。それにこんなこともできるし――『フレイムアーマー』」
詠唱直後、恵菜の周りを淡赤色に小さく光る。恵菜が「ほら」と手を差し出すと、エリスが恐る恐る恵菜の手に触れた。
「えっ、温かい?」
「本来は火で体を覆って身を守る魔法なんだけど、こんな感じで魔力の使い方を工夫すると、自分の周りの温度を上げる使い方もできるんだ」
「そうなのですか。魔法は便利なのですね。……エナちゃん、寝る時にくっついて寝ませんか?」
「暖房器具扱いする気満々だね……。さすがに寝ちゃったら魔法は維持できないよ」
「うぅ、残念です」
しょぼんとなりながらエリスが恵菜から貰った外套を羽織る。冗談で言っていたのかと思いきや、落ち込み様から察するに本気だったようだ。
「あれ? 馬車がゆっくりになってきたね」
徐々に馬車の速度が落ちていることに恵菜が気づく。そのまま馬車は速度を落としていき、最終的に停止する。
「エリステリア王女。最北の村に着きました。馬車で移動できるのはここまでとなります」
ステンが馬車の扉を開けてエリス達に下車を促す。
「馬車のままサンドルク帝国へ行くんじゃないんですね」
「ああ。この辺りはまだ積雪が少ないから問題ないんだが、山が近くなると雪が深くなってくる。そうなると車輪が雪に嵌って動けなくなるから馬車は使えん」
恵菜の疑問にステンが答える。
ちなみに、一応は公爵である恵菜に対してステンが敬語を使わないのは、恵菜がそう頼んだからである。なお、エリスも同様の要求をしたが却下されている。
「じゃあ、ここからは徒歩ですか?」
「いや、鍛えている俺達ならともかく、王女の足で雪山を超えるのは無茶だろう。ここは別の手段を使う」
「別の手段?」
「馬車とは別に、雪道を行くのに適した乗り物があるってことだ」
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「うっひゃー! 早い早いー!」
身を乗り出すように周りを見渡しながら、リアナが歓声を上げる。まるで遊園地のアトラクションに乗っているかのような喜びようだ。
「リアナさん、はしたないですよ! 王女様の目の前でそんな――」
「ほんとにすげえ! 初めて乗ったけど、こんなに早えなんてな!」
同じパーティの支援役であるクレリアがリアナを諫めようとするが、その隣でもう一人――徒手による近接戦闘を得意とするガンザもはしゃいでいた。二人ともとっくの間に子供と言える年齢は過ぎているはずなのだが、今の彼らのはしゃぎ様は子供のそれだった。
「ガンザさんまで……申し訳ありません、王女様。彼らには強く言い聞かせておきますので……」
「ふふ、良いですよ。むしろ楽しそうで何よりです」
クレリアが凄く申し訳なさそうにエリスに頭を下げるが、エリスは全然気にしていない。むしろ、騒いでいる二人を見て笑っているぐらいだ。
「しかし、私達には護衛という任務中ですので……ケインスさんも何か言ってやってください」
「クレリアが抑えきれないのなら、俺が何を言っても聞かないだろう……。まあ、幸いなことに王女様も気にされていないようだから、今はそのままでいいんじゃないか」
パーティのまとめ役であるケインスがクレリアから目を向けられるが、今までの経験上、自分の言うことなど聞くわけがないと既に諦めていた。
「ハァ……これは野営時にお説教ですね」
「そこは決定なんだな」
いつも通り、クレリアからの説教が確定したことなど露知らず、問題児二人は荷台の後ろで騒ぎ続けている。
ここまで騒いでいる原因はもちろん、全員が乗っている乗り物だ。馬車の様な車輪は無いが、荷台の底に付いた平らな板によって、雪面を滑って進むことができる運搬具――そう、『そり』である。
「なるほど。確かにそりの方が雪道は良いですよね」
「なんだ、エナの嬢ちゃんはそりを知ってたのか?」
「はい。ただ、こういった大きな物は初めて見ましたし、動物が牽引するものも初めて乗りました」
そりの先頭から伸びる綱を牽くのは、十匹以上の犬に似た動物だ。真っ白な毛並みで狼のような顔つきは、シベリアンハスキーを彷彿とさせる。違いがあるとすれば、大きさが一回り程大きいぐらいだ。
「ウォルデスハスキーか? このウォルデス山脈に生息する中型動物で、力が結構あるから、こうしてそりを牽かせるのにはちょうどいいんだ。ちょっとした魔物相手に怯まない気の強さもあるしな」
「そうなんですね。ところで……ステンさんに御者任せて大丈夫だったんですか?」
普通、こういった動物を御するのは専門の御者の仕事。だが、今このそりで御者をしているのはステンだ。護衛とはいえ、国の第一騎士団団長という立場の人間に御者をさせるのはマズいのではないか。恵菜にはそう思えてしょうがない。
「別に構わねえよ。馬車と同じ要領でやればいいだけだから簡単だ。というか、立場上あまりこういった事はやらせてもらえんからな。新鮮で楽しいぞ?」
案外、彼も彼で御者の役目を気に入っているようだ。確かにその横顔はまるでおもちゃで遊ぶ子供のように楽しそうに見える。
……このそりに乗っている者の多くは童心に帰ってしまっているようだ。
「やってみるか?」
「いえ、私は護衛の方に専念して止めておきます。そういえば、全然魔物に遭遇しないですね。ここには魔物がいないんですか?」
そりで移動を開始してから今まで、一度も魔物が現れる気配は無い。馬車で移動している時にはチラホラと出くわしていたのだが、今は静かすぎるぐらいだ。
「いや、そんなことは無いが、確かに妙だな……一応、この道は危険な魔物の縄張りを避けているから、そいつらと遭遇することは無いにしても、他の魔物が出ないのは珍しい」
「危険な魔物? ステンさんがいても危ない魔物なんですか?」
「ああ。恐らく、俺達全員でも勝てるか怪し――」
その時だった。『グオオオオオ!』という耳をつんざくような咆哮が、まるで衝撃波のごとく恵菜達のそりを襲った。ウォルデスハスキー達も隊列を乱し、その場で動けなくなってしまう。
「くそっ、何だってんだ!?」
そりをなんとか止めることに成功したステンが、何が起きたのかを把握するために辺りを見渡す。騒ぎまくっていたリアナ達も緊急事態だと悟ったらしく、引き締めた表情で警戒していた。
「上から何か来ます!」
一番初めに気付いたのは恵菜だった。空から何かが恵菜達のいる方向に向かって突撃してきていた。
「おいおい、縄張りには入ってねえはずだぞ……」
それが何かを視認できる距離まで近づいたところで、ステンがそう呟く。
背から伸びる巨大な翼。全身を覆う青い鱗。人の背を遥かに上回る巨大な体躯を持つそれは、神が作った芸術品かと思える程に美しい。
しかし、ここにいる全員、それに見惚れている余裕は無かった。生物の頂点に君臨するとされるそれを前にして彼らが抱いたのはただ一つ――恐怖だけ。
「ドラゴン……!」
ズズンと地面に降り立ち、恵菜達の前に立ち塞がったのは、まごうことなきドラゴンであった。
そりって結構早いですよね。




