2026年7月22日 『都内某所』
本日より連載を開始します。
日常浸食系ホラーです。
「え? 遺産……?」
それは、蝉の声がうるさいほど響く、蒸し暑い午後のことだった。
人気のない大学のキャンパスで、
黒Tシャツにジーンズ姿の男子学生――雨宮優真が、木陰のベンチで水筒の麦茶を飲んでいると、スマホが震えた。
画面には「母」の文字。
通話に出ると、開口一番、 「あんた、遺産を継いだみたいよ」 と告げられた。
あまりに突然の言葉に、優真は思わず目をぱちくりさせた。
「え、どういうこと……?」
「神奈川県の “鷺ヶ首”って覚えてる? あんたが小学校の頃に、1年くらい住んでた」
優真は眉間にしわを寄せた。
「……何となく、たしか、海の近くだよね?」
「そうそう。その時に近所に住んでいた画家の片瀬洋一さんが、あんたに遺産を遺したらしいのよ」
昨日、片瀬さんの顧問弁護士から、福岡の実家に電話があったらしい。
母が事情を尋ねたのだが、「ご本人にしか伝えられません」と言われたようだ。
「それで、あんたに直接書類を送りたいって言われたんだけど、連絡先教えていい?」
「……え、あ、うん」
「お父さんにも話をしてもらって大丈夫そうではあるんだけど、何かあったらその場で決めず、すぐに相談しなさい」
「……わかった」
せっかちな母らしく、すぐに電話が切れた。
周囲に響く蝉の声が、急に大きくなったように感じられる。
優真はスマホをぼんやり見つめながら、つぶやいた。
「……どういうこと?」
脳裏に浮かぶのは、鷺ヶ首にいたころのぼんやりとした記憶だ。
*
優真が小学校3年生の時。
父の仕事の都合で、一家は神奈川県の海沿いにある“鷺ヶ首”という古く寂れた街へと引っ越した。
家の裏には大きな一軒家があり、そこに中年の夫婦と犬が暮らしていた。
妻は“和美”という名前で、明るくて優しい感じの人だった。
地域に馴染めず1人でいた優真を気にかけ、よく家に招いて犬と遊ばせてくれた。
お菓子をくれるなど何かと親切にしてもらっていたので、彼女のことは割と覚えている。
一方、その夫である洋一は、いつも2階のアトリエに籠っていた。
たまに見かけることはあったが、あまり話をしたこともなく、ほとんど記憶がない。
結局、1年も経たないうちに、優真一家は埼玉県に引っ越すことになり、2人とはそれきりになった。
何年か前に、母から
「和美さんが亡くなったらしい」
と聞いたが、特に何かあるということもなく。
すっかり忘れ去っていたころ、突然今回の話が舞い込んできた、という次第だ。
*
優真は、木陰のベンチからぼんやりと夏空をながめた。
(マジで訳が分からん……)
いくら考えても、遺産をもらう理由が思い当たらない。
子どもがいなかったからだろうか、と思うものの、だからといって自分にくれるのも妙だ。
(……まあでも、今あれこれ考えても無駄か)
優真は考えるのを止めると、立ち上がった。
水筒の麦茶を飲んで、息をつく。
この日は夕方まで図書館で勉強する予定だったが、そんな気にもなれず。
蝉がうるさく鳴く中、ひとり暮らしの狭いアパートへと帰っていった。
*
母から連絡を受けた、翌々日。
優真の家に、洋一の顧問弁護士から書面が届いた。
――――――――――
2026年7月23日
東京都品川区〇〇2丁目18-203
雨宮 優真 様
<遺産に関するご通知>
2026年5月11日に逝去された被相続人・片瀬洋一様の遺産につき、遺言執行者として手続を進めております。
公正証書遺言により、雨宮様へ下記財産を遺贈する旨が記載されています。
【遺贈財産】
1.現金 1,500万円
2.不動産(片瀬邸)
所在地:神奈川県鷺ヶ首市2丁目××番地××
敷地:約200坪・昭和後期建築の洋館風住宅
特徴:高さ約2.3mの白色コンクリート塀に囲まれた住宅
備考:警備会社とセキュリティ契約中(2029年5月末まで有効)
片瀬邸は被相続人が生前居住していた建物であり、維持管理費用も含めて遺贈されます。
なお、ご兄弟2名は遺言内容を事前に文書にて了承されております。
名義変更および引渡し手続きについてご説明いたしますので、下記までご連絡ください。
三浦弁護士事務所
弁護士 三浦 拓哉
電話:0465-××-××××
――――――――――
「……え?」
優真は思わず大きく目を見開いた。
「1500万円!? しかも家!?」
彼は呆気に取られて立ち尽くした。
洋一が描いた絵か何かと思いきや、まさか家と大金。
「これ……まともな話なのか……?」
優真は眉間にしわを寄せた。
こんなうまい話があるとは思えない。
詐欺か何かじゃないだろうか。
ネットで調べると、三浦弁護士事務所は実在しており、
「丁寧で頼りになる」と、評判はすこぶる良かった。
家の住所も、昔遊びに行っていた片瀬邸で間違いない。
(でも、人違いって可能性もあるよな……)
どうにも話が腑に落ちない。
だから、この翌日に弁護士の三浦から電話があった時、優真は尋ねた。
「あの、これ、何かの間違いじゃないでしょうか」
電話の向こうからは、落ち着いた男性の声が返って来た。
「いえ、間違いではありません。確かに“雨宮優真”様宛のものです」
三浦によると、洋一は半年ほど前に入院して、そのまま亡くなったらしい。
家の権利書や現金は三浦が預かっており、相続するなら色々な手続きが必要になるらしい。
「一度、現地確認に来ていただけませんか。その時に詳しくご説明させていただきます」
テキパキと話を進められ、優真は戸惑った。
どうやら間違いではないらしいとは理解したが、やはり理由が分からない。
正直、話がうますぎて気持ちが悪いなとすら思う。
(でも……1500万円か……)
怪しいと思いつつも、魅力的に思う自分もいる。
その場で決断をすることができず、優真はうなずいた。
「分かりました、伺います」
その後、優真は
「大学院試験が終わってから改めて連絡します」
と約束すると、自分のメールアドレスを伝えて電話を切った。
最初は丁寧に積み上げていきます。
今日は序盤の6話を投稿します。
第2章までは比較的穏やか(?)に進み、第3章から空気が変わります。




