17
以上が、こぶじゃくし村に関する私の記憶のすべてである。
本来ならば、このまま永遠に誰の目にも触れず、誰の耳にも届かず、歴史の闇の中に葬り去ってしまわなければならない事実であるだろう。
それでも、晩年を迎えた私がこうして書き残しておいたのは、やはり、立花教授や村の人々に対する、積年の思いがあったからだ。
立花は死んだ。
村長も、その妻も、長男ユウも、次男カイも、ユウの妻トキも……こぶじゃくし村は全滅した。
後の噂で、沼は埋め立てられ、村があったあたりは長らく誰も近寄らない禁じられた場所として封じられたと聞いた。
そして二度の世界大戦、太平洋戦争を経験する中、人々は自分の暮らしに精一杯で、いつの間にかこぶじゃくし村のことなど忘れてしまったようだ。
後に幾度となく私は例の町を訪れたが、あの夜から二十年も経ったころには、誰一人としてこぶじゃくし村のことを覚えていない様子だった。
それならばそれでいい、と勝手ながら私は思う。誰しも、自分の祖父、父あるいは親族が、かつて鬼のように無抵抗な人々を虐殺したなどと知りたくないはずだからだ。
こぶじゃくしは、かつての村長の言葉通り、村の外へは出なかった。村人以外に、感染者は一人も出なかった。それが事実だ。
風土病は終結している。
今更、それを蒸し返すことに意味は無い。
よって、私はこぶじゃくしの村の正式な名、あるいは、その麓に広がる町の名を書き記すことは控えようと思う。
あれから半世紀弱が過ぎたのだ。体の内側から寄生虫に食い荒らされる奇怪な疫病とは無縁の生活を送っている人々が、奇異の目で見られ、不当な扱いを受ける必要はない。
ただ、私の脳裏には未だかつての村人たちの姿が焼きついて離れない。
彼らは、確かに生きていた。
こぶじゃくしと呼ばれる寄生虫に侵され、その姿を私は恐れてはいた。
しかし、彼らは良き友人であった。
彼らには墓もない。弔いさえ、されなかった。まるで彼らが疫病そのものであるかのように、ただ殺され、打ち捨てられた。
涙さえ、出ない。私の悲しみや苦しみは、死ぬまで続く。あるいは、もし地獄というものが存在するのなら、私はきっと地獄に落ちる。
地獄の炎に未来永劫、焼かれ、終わることのない苦しみにのた打ち回ることになるだろう。
それでも、こぶじゃくし村の友人たちの苦しみを思えば、耐えられる。
私は、咎人だ。罪は、裁かれなければならない。
むしろ、裁かれない罪ほど、私を苦しめるものはない。
これ以上、私の罪について記すのは止そうと思う。
私が語らずとも、地獄の閻魔帳には私の罪がぎっしりと……そしてこぶじゃくし村の者たちの苦悩や悲嘆が延々と、書き記されているはずだろうから。
私と篠目について、書き記しておこうと思う。
結論から言うと、私たち二人は、あれからすぐに町を出た。
山の中で邂逅したあの時は、篠目の機転で切り抜けることができた。
しかし、山から帰った彼らが私たちを許すという確信はなかった。だから、篠目に急かされるようにして、サヨを連れて逃げ出した。
その結果、東京に戻るわけにも行かず、尋ね人のような生活を余儀なくされた。
長らく慣れない日雇いなどの仕事をしながら、私たちは何とか食いつなぎ、サヨを守った。
私はこの半世紀弱の間、幾度となく衝動に駆られ、老いた足を引きずるようにして、かつての町を訪れた。
そこには私の顔を覚えているものは誰もいなかったが、私が覚えているものも何も無かった。
空襲を受け、破壊され、そして復興し、今、町の様子は大きく様変わりしている。
かつて診療所があった場所は、今では民家になっていた。市井がどうなったのか、私はついぞ知ることは無かった。
そして、あの日の夜、山の中で出会った見慣れない男……恰幅のよい背広姿の男……が、町の沿岸部を席巻する工場長の一人であったと知ったのは、あれから長い年月が経過した日のことだった。
産業廃棄物の違法投棄。その男は、マスメディアが書き立てる環境汚染の代名詞のような扱いで、連日連夜に渡って新聞やテレビに顔写真を掲載されていた。
やはり、こぶじゃくし村に違法投棄はあったのだ。
そして、こぶじゃくしが感染することによって、村人たちは汚染による健康被害から逃れていた……。
今となっては何を言っても推測でしかないが、立花が指摘したその可能性は極めて高いように思う。
寄生虫の感染が人間を健康被害から守る、というのは、一見信じられないような話ではある。
事実、当時の私は頭から立花の妄想だと決めてかかり、真面目に受け取ってはいなかった。
しかし、時代が進むにつれて様々な症例が見当され、そしてその情報が一般にも公開されるようになった。
私は市立図書館にて、アフリカにおけるマラリアとフィラリアという二つの寄生虫感染における不可思議な相互作用について知った。
なんと、フィラリアに感染している者は、マラリアの発症が抑えられるというのだ。
マラリアは恐ろしい病だ。毎年、世界で最も死者を出している感染症が、このマラリアである。
そのマラリアの発症を、フィラリアが抑えているというのだ。ただし、その代償としてか、フィラリアに感染している患者は、手足あるいは陰嚢が象のような大きさに膨れ上がる。
このような症例が実際に存在している以上、こぶじゃくしについて立花が立てた仮説を、頭から否定することはできないだろう。
さて、私と篠目は、結果的に夫婦者として生きる道を選んだ。
私たちは二度と医の道に戻ることはできなかったが、それでも貧しい時代を経て、次第に豊かになっていく時代とともに、私たちの暮らしも日々、変わっていった。
サヨは、恐ろしく美しい娘に成長した。
交際を申し出るものは後を断たなかったが、サヨは結局、農家の次男坊と添い遂げることを選んだ。
婿養子となってくれたその青年は、別段特記するほどの人物ではなかった。
しかし、彼はサヨのことを始終「宝物」のように扱い、子供の面倒を見るのが好きで、進んで老人の相手をしてやるようなところがあった。
要は、彼の人柄……まるでユウやカイのようだと思った……に惚れたということだろう。
私は、彼を歓迎した。
事実、青年は絵に描いたような、申し分の無い婿だった。
サヨの中に、在りし日のユウやカイ、そしてこぶじゃくし村の人々の面影が見えることがある。
ある意味で、私は一生涯、亡霊に取り憑かれているようなものだったと言える。
ふと、未だに思うことがある。
立花は、自分の死に際に何を思い、何を感じ、そして何を考えていたのだろうか、と。
立花は変わった男だった。彼のような人間が、自分の死をどのように受け取るのか、私自身が死を間近にして考えている。
ただ、子供を得た篠目は、最後の最後まで幸せそうだった。
*
*
伊藤芳樹は、両親の遺品整理をしている際に見つけた古い手記をそっと閉じた。
あちこちが破れ、黄ばんだ紙は、乱暴に扱うだけで粉々に散ってしまいそうなほど脆かった。
慎重な手つきで畳に置くと、ちょうどそこに午後の陽光が差し込んで、まるでスポットライトのように手記を浮かび上がらせた。
芳樹はしばらく手記を前に正座したまま、じっとその場に佇んでいた。なぜか、卒業証書授与式のような気分だった。
ジーンズのポケットに入れたiphoneが短く振動し、芳樹は我に返った。
また誰かがSNSにどうでもいいことを投稿したらしい。芳樹は小さく息をつき、手記をそっと箱に戻した。
大きく息をつきながら、立ち上がる。
つい、欄間に飾られた先祖の白黒写真に目を向けていた。そこには、父母、祖父母、そして曽祖父母の顔写真が並んでいる。
一番左端。
会ったことなどない曽祖父の顔をじっと見つめた。
「お父さん! お母さんが、お茶にしようって!」
娘のさくらが小さな足でパタパタと駆け寄ってくる。芳樹は、自然な動作で娘を抱き上げていた。
さくらは、美人で有名だった祖母、そして母に似ていると、よく言われる。
今は、無性にさくらが愛しくて仕方が無かった。穏やかな、とても穏やかな、春の一日だった。
ここまで読んでくださった方に、心よりお礼を申し上げます。
ブードゥー・ホスピタル(江戸川乱歩賞 二次通過)
寄生虫†少年医(江戸川乱歩賞 二次通過)
ナイトメア・パーティ(現代長編新人賞 一次通過)
水槽の中の潔癖症
なども、どうぞよろしくお願いします。




