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頭痛は相変わらず続いていた。
最初にその頭痛を感じたのがいつのことだったのか定かではないが、それはいつの間にか私の頭の裏側にすっかり住み着いてしまったらしい。
すっきりと目覚めることができる朝も少ないが、しっかりと眠れる夜もまた少なくなっていた。いつだって、頭の中で激しく鐘が鳴っている。
これは警告の鐘だろうか、などと、眠れぬ夜に考える。
私自身が気付いていないだけで、私の体は何かしらの危険を予知し、それを必死になって私に伝えようとしているのかもしれない。
事実、肉体というものは自分が思っている以上に正直なものだからだ。若くて綺麗な女を見れば、意図せず下半身に血が集まる。
疲労に疲労を重ねれば、体調を崩す。心理的な負担さえ、胃に穴を開けることが知られている。
布団の中で寝返りを打ちながら、私は頭の中に「黒い水」を思い浮かべていた。
立花が来て、こぶじゃくしについて僅かながら分かったことも増えた。
しかし、例の黒い水については、まだ何も分かっていない。
そして、それについて調査すること、あるいは「知る」ということは、欧米資本主義の悪いところだけを真似た強欲な金持ち連中を相手にするという意味でもある。
一筋縄ではいかないような連中ばかりだ。できれば関わりたくないし、関わるべきではない。
私は布団の中で溜め息をつき、そして意図的にこぶじゃくしに思いを馳せた。
立花とカイの調査によって、その卵は、村の水の中に含まれていることが分かった。
つまり、村の水を煮沸していない状態で口にさえしなければ、こぶじゃくしに感染する危険は無いのだ。
これだけは確かだ。そして、私は感染していない。これは、私にとって何より重要な事実だった。
それにしても、頭痛が辛かった。
昼間、忙しく立ち働いているときは、それこそ「疲れが出ただけだ」などと自分を誤魔化してしまえる。
自分の周りには健康で頑丈な立花がいて、こぶじゃくしに罹りながらも元気に生きている村の面々がいる。
たかだか頭痛のような小さなことで騒ぎ立てれば、世界各国を飛び回る立花に軟弱な男だと馬鹿にされるような気がしたし、こぶじゃくし村の患者たちの苦痛に比べれば、何ということもないとさえ思えた。
だが、たった一人、眠れぬ夜に天井の木目を睨んでいると、考える必要も無い様々な考えが浮上してくる。
こういう場合、たいてい自分にとって都合のいい考えはすぐに沈んでいくのだが、自分にとって都合の悪い考えはいつまでも頭の中に居座り続ける。
そしてその考えに釣られるように、更に都合の悪い考えが次から次へと浮かんできて私を不安にさせるのだ。
釣りに出かけたとき、馴染みの池で外来種の魚が釣れるようになったと思ったら、もうその外来種しか釣れないのと同じだ。
悪い考えに取りつかれるのは良くない、と思う。
しかし、医学は万能ではない。
いくら西洋の医学が素晴らしい可能性を秘め、素晴らしい成果を挙げているとは言っても、我々はいずれ必ず「死ぬ」生き物だということに変わりはないのだ。
私もいずれ死ぬ。どんなに多く見積もっても、百年先の未来で、私は生きていることはないだろう。
寿命をどれだけ引き伸ばせるかが医者の腕の見せ所だという風潮が流れつつある。
だが、私は思う。それは本当に、人間の幸福に繋がるのか。
この世に生まれてきた以上、いつかは必ず死ななければならない。
そして死ぬことは、ごく当たり前のことなのだ。命を無理やり引き伸ばすことに苦痛はないのか。
ただ生かされていることに、意味はあるのかと。
しかしながら、死が当然であると考える裏で、死を恐ろしいと思う自分もいる。
それもまた、生物として当たり前のことだ。
死の恐ろしさを忘れてはならない。一向に休もうとはしない私の思考は、このところ拡大の一途を辿る我が国の軍事政策へと飛躍していた。
死は怖いものであり、死は恐ろしいものであるべきなのだ。生物が当然、持っているべきそんな感情を忘れたとき、我々はきっと間違った方向へ進んでしまう。
そんな確信めいた思いがあった。
目を凝らしていると、天井の木目やシミなどの模様がこぶじゃくしの病巣に見えてくる。
子供のころ、壁の柱にある木目を見ては鬼を想像し、母親の箪笥の模様を見てはキツネだと訴えていた時期がある。
あのころとまるで同じだ。木目は木目、シミはシミ。鬼でもキツネでも、こぶじゃくしでもない。
頭では分かっていても、私の頭蓋内に存在する理性では説明のつかぬ部位が、それがまるで恐怖の権化であるかのように認識を促してくる。
大人になってからそんなことを考えたのは初めてだった。
日々の仕事に追われ、夜はそれこそ気絶するように眠るという毎日の中では、そういった空想や想像の類は、頭の中の深い場所で、じっと形を潜めているものだ。
しかし、こうして密かな不安に苛まれながら眠気と朝をじっと待っている夜に限って、とっくの昔に退化したと思っていたような、母親の乳と一緒に子供時代に置いてきたような、そんな感覚が蘇る。
私はいったい、どうしてしまったのだろう。
持ち上げた自分の手に視線を這わせながら、そんなことを考えた。
患者には、とても見せられない姿だ。我ながら情けない。患者の体から病を駆逐するためにここに来ているというのに、自分自身の不調さえどうしようもないまま、手をこまねいている。
障子に月光が反射している。
今の私には、そのありふれたその格子が、妖怪が伸ばした手指のように見えた。
幼子であれば、化け物が自分を取って食いに来たと騒いで母親の布団に潜り込むところだ。
しかし、私はすでに幼子ではないし、かつては絶対の存在であった母の体はもう冷たい骨となって墓に葬られて久しい。
何より、私は人間を取って食う「もの」の正体が、正体不明の妖怪や化け物の類ではないと知ってしまっている。
目に見える寄生虫などがその最たる例だが、今現在の技術ではどう足掻いても姿を確認できないだけで、人間の体に害をなす何かは、他にも確実に存在していると言える。
眠ろう、眠ろうと思えば思うほど目が冴えていく。
だからと言って、頭痛が邪魔をするせいで、起きて勉学に励もうという気には到底なれなかった。
今頃、立花は何をしているだろう。
私のように余計な不安や心配を抱えることなく、一心不乱にこぶじゃくしに挑戦しているのだろうか。
私は無意識に障子に隔たれた夜の闇に視線を凝らしながら思いを馳せる。
彼は頑丈な男だ。健康であることにかけては、筋金入りだと言える。
外国までの、気が遠くなるような長旅……私は二度と体験したいとは思わないような旅を、幾度となく切り抜けた男だ。
狭い船室、すし詰め状態の乗客、不衛生な寝台、永遠に続く不規則な揺れ、あるいは嵐の大波、温かいものが出ない食事、藻が浮いた水、日に日に濃くなっていく体臭……。
船旅で体験したあらゆる不快なものが一挙に押し寄せ、私の頭の中を占領していく。慌てて、私はそれらを忘れることにした。
立花ならば、きっと大丈夫だろう。
彼ならば、私のように原因不明の体調不良に悩まされることなどないはずだ。きっと、こぶじゃくしの治療法を見つけ出してくれるはずだ。やり遂げてくれるはずだ。
そんな風に思う反面、立花のように頑丈な体と、凄まじいまでの行動力、恐ろしく深い知識と才能に溢れた直観力を持った男が、羨ましくもあった。
そして立花という男の過去の武勇伝を思い出しているうちに、私はようやく眠りに落ちることができたのだった。
夢を見た。夢の中で、私はこぶじゃくし村の沼の傍に立ち、互いに全裸で、立花と共に自分の妻と向き合っていた。
何を話したのやら分からないが、久しぶりに見る妻の体を呆然と眺めているうちに、今度はユウと共に山の中を歩いている場面に変わってしまった。
夢ではよくあることだが、朝目覚めると同時に私はいろいろな意味で罪悪感を覚えた。




